セリス・シェイドリア・ハルヴァイン

模擬戦を終えた2人は、川沿いの遊歩道を並んで歩いていた。

遠くから聞こえる車の音が少なくなり、冷えた夜風が汗を冷ました。

タカヤは、まだ手のひらに残る木刀の感触を確かめるように指を握り、静香は空を仰いで月の輪郭を見つめていた。

「なんだか、私たち上手く追い出されたって感じね」

「勉強するって張り切っていたからな……。こうなるとは思っていたが」

屋敷のお留守番組のことを思いながら、静香とタカヤは少しつまらなそうに一言だけ言葉を交わす。

お互い再び無言になるが、特に話す会話もないので黙って歩いていた。

 

その時だった。


河川敷に等間隔で並ぶ街灯が、1つ、また1つと不規則に点滅しはじめた。

ジッ……ジッ……という不気味なノイズが耳の奥で鳴り、人工の明かりがまるで呼吸をするように、強まったり弱まったりしている。

「……何?」

明らかな異変を感じた静香は目を細める。

「チッ……」

タカヤもその異変を察知するが、何かに気がついて嫌そうな顔をしている。

「この気配……あの時の!?」

そして静香もすぐに気がついた。

蘭子と居た喫茶店で感じたあの気配に。


瞬間、全ての灯りが一斉に消えた。

一瞬、この場が世界から切り取られたように沈黙と闇が支配する。

そして、再び街灯が点いた時、2人は息を呑んだ。

街灯の下、まるで最初からそこに居たかのように1人の女が立っていたのだ。


夜風に揺れる白と黒のワンピース。

月夜に映える銀髪は、耳の後ろだけ部分三つ編みになっていて、黒いツノのような飾りが付いたカチューシャをさしている。

そして赤い瞳が不気味に光り、まっすぐこちらを見ていた。

口元は微笑。だが、その笑みは氷のように冷たい。


「ごきげんよう。エルトリアの犬さん。こんな夜遅くまで戦闘訓練なんて、精が出るわね」

彼女は、妖艶な笑みでタカヤに向かって声をかけた。

しかし、それは賞賛の声ではない。明らかに皮肉を込めた、馬鹿にしたような言い方だった。

「……セリス・シェイドリア・ハルヴァイン」

タカヤは呟くように彼女の名前を言った。しかし、その声は怒りと憎しみがこもっている。

「あら?失礼ね。あなたとわたくしは同い年でも立場が違いますわ。敬称くらい付けなさい」

セリスと呼ばれている少女は高飛車な態度でタカヤに返す。

「……くっ、やはり気のせいではなかったか……。何故お前がここに居る!?」

タカヤの目つきが変わった。それだけで、黙って聞いている静香には『敵対相手』だと言うことが理解出来た。

「あら怖い怖い。そんな目で私を見ないでくださいます?それに、私もあなた達と同じ。この世界には『留学』しに来ましたのよ」

セリスはわざとらしく両手で自分の肩を抱き、ニヤリと笑って答えた。

「嘘をつくな!お前のような好戦主義者がこの世界に何の用だ?」

タカヤは右手を横に払いながら怒りを露わにした。

「確かに……、ここは面白みのない場所ですわね。もっと中東とかユーラシアの方が面白かったかしら?」

セリスは『好戦主義者』という言葉を否定しなかった。むしろそれを逆手に冗談を返す余裕まであった。

腕を組んで意地悪く笑うセリスが発する気配は『危険な敵意』しか感じられない。

静香にとって、セリスを『明確な敵』と認識するには十分すぎる情報が揃った。

「あなたは、一体何者なの?」

ここまで黙って2人の会話を聞いていた静香が口を開いた。

問われたセリスは、静香に目を向けて怪しげに笑う。

「あなたは先日、蘭子様と一緒にいた護衛ね。あの、気配を利用した威嚇には感服いたしましたわ」

少しうっとりするような表情を浮かべ、再び怪しげに笑った。

「やっぱりあなただったのね……。それで、私達に何か用かしら?」

静香は周囲を漂う攻撃的な気配に囚われず、冷静に会話を続ける。

「申し遅れました。わたくしは、エルトリア王国の隣国にあります、影の国『シェイドリア』が第一王女、『セリス・シェイドリア・ハルヴァインと申しますの。蘭子様の優秀な護衛のお2人をお見かけしたのでご挨拶に伺ったまでですわ」

セリスはワンピースのスカートの裾をわざとらしくつまんで言った。

「……おまっ」

何か言いかけて前に出ようとしたタカヤを手で制した静香は、いつもと変わらないトーンで話を続けた。

「これはご丁寧な挨拶をどうも、。でも私にはそれだけが目的とは思えないけど?」

静香はセリスのペースに飲まれることなく、落ち着いて会話を進めている。

そんな姿を見たタカヤは、自分が感情に流されて相手のペースに飲まれていたことを理解し静香の後ろに1歩下がった。

「やっぱり、そこの犬とは一味違いますわね。全てを話すわけにはいきませんが、私は私でシェイドリアの為に留学したまで。いずれ、蘭子様にもご挨拶に伺いますわ。……それと、お2人がここにいるということは、今蘭子様と一緒にいるのはもう1人の男ね。彼に会えるのも楽しみしておりますわ」

セリスは葵のことも知っていた。

(喫茶店で様子を見られていたこともある。つまり、随分前から私たちは監視されてたってことね)

ここまで明確な敵意を持った相手が、蘭子と葵の前に現れようとしている。

静香は、想像もしたくない最悪な状況を想定しざる得なかった。

「私達に敵意を向けるのは一向に構わないけれど、あの2人に敵意を向けるのであれば……容赦しないわよ?」

セリスを鋭い目つきで睨みつける。

しかし、セリスはその言葉から別のことを感じ取った。

「へぇ……。そういうこと。まっ、いいですわ。今は別にあなた達や蘭子様をどうこうするつもりはありませんわ。ただ、シェイドリアの邪魔をするようなことがあれば、私も容赦しませんので。そうね。、遠くから見守らせて頂きますわ」

彼女がそう言うと、再び街灯の灯りが一斉に消えた。

一瞬の暗闇の後に街灯が点いた時には、目の前にいたセリスの姿はなかった。

危険で攻撃的な気配も薄まっていくのを感じる。

「そうそう。言い忘れてましたわ。蘭子様ともう1人の彼には今日のこと、私が直々にご挨拶へ伺うまでは、くれぐれもご内密に……にひひ!」

そして、どこからかセリスの声だけが聞こえ、らしくない子供のような笑い声と同時にその気配は完全に消えた。


遠くの橋から、大きなトラックの通り過ぎる音が響いた。

そして、先ほどよりも冷えてきた夜風が2人の髪を揺らす。


「……タカヤ。どういうこと?」

静香は内から湧き上がる怒りを抑えて、1歩後ろにいるタカヤへ向かって振り向かずに問いかけた。

「……すまない。少し前に奴の気配を感じていたが……。お前には相談すべきだった」

葵とファミレスで語り合ったあの日、感じた気配はやはり気のせいではなかった。

自分だけで対処しようなどと、甘い考えでいたのが間違っていたのだ。

その結果、みんなを危険に晒すことになってしまった。

タカヤは自分を責めていた。

「そうじゃない。それは私だってそう。あの気配は以前、私も感じとってた。それを黙っていた私にも責任があるわ」

静香は1人で責任を負おうとしているタカヤを庇うと、タカヤに向き合って続ける。

「あのセリスって子のこと、もっと教えて。シェイドリアとエルトリアはどういう関係なの?それに、あれは術士ね?影の国から察するに『影の使い手』ということかしら?」

セリスのあの様子だと、今すぐに葵と蘭子に危険が迫ることはなさそうだった。

しかし、感じたあの気配には敵意しか感じられなかったことも事実だ。

つまり、いつ気が変わって2人の前に現れるかは時間の問題ということになる。

静香は少し焦りながらタカヤからひとつでも多くの情報を得たかった。

「鋭いな。その通り、奴は影の術士だ。だが、それは攻撃的な術ではない。影の中を自由に行き来するだけの術だ」

タカヤはまず、影の力について解説する。

「なるほど。急に現れたり消えたりするのはそういうトリックだったのね」

普段から裏稼業で非日常を相手にしている静香には、理解するには十分な説明だった。

「そうだ。だから隠密行動には長けている。そしてシェイドリアはその力を利用して周辺の国々に諜報活動をしている。エルトリアもその餌食になった。……元々、シェイドリアとは何百年も戦いが続いていたが、他の近隣諸国とはうまくやっていたんだ。それがある日突然、全てが敵になった。その裏には奴らの諜報活動があったことはわかっている」

タカヤは怒りを押し殺しながら、エルトリアを襲った理不尽を語る。

いくさの戦略と言えど……卑怯ね……。八方塞がりまで追い込んでエルトリアを取ろうってこと?」

静香はシェイドリアの目的がエルトリアを支配することだと思っていた。

しかし、タカヤから返ってきた答えは意外だった。

「俺もそう思っていたんだがな、どうやら違うみたいだ。事実として、シェイドリアはエルトリアが近隣諸国と交戦する時、援軍として参戦することもあった。それに、今攻め込まれたら終わるという時が何度もあったが、攻めて来ない。奴らは肝心な所で決定打を打たない」

「やっていることが滅茶苦茶ね。何が目的なの?」

シェイドリアの目的がわからない静香は怪訝な顔で問いかける。

「軍需産業……。シェイドリアは軍需産業で莫大な富を得た国だ。これは俺の推測だが、奴らはエルトリアを利用して近隣諸国を焚き付け、軍需品を提供しながら国を発展させようとしている」

タカヤは推測と言っているが、恐らくそれが真実なのだろう。

「ますます卑怯じゃない!それに、それって蘭子ちゃんがやろうとしていることと正反対の事をやられてるって事でしょ!……他国をおもちゃみたいに扱うなんて……人の命をなんだと思ってるの?許せない!」

静香はもう感情を抑えることができなかった。

彼女は筋が通っていない物事は大っ嫌いだ。

こんな卑劣なやり方で自分達だけが良い思いをしようなどと、静香の大和魂が許さなかった。

「…………」

珍しく感情を露わにしている静香と同じ気持ちだったタカヤは無言で同意する。

「それで、蘭子ちゃんはこのことを知っているのよね?」

静香は、タカヤが蘭子に気を遣って秘密にしているのではないかと少しだけ疑って問い詰める。

「それが問題なんだ……。実は、セリスと蘭子は幼い頃からの顔馴染みだ。俺も、小さい頃一緒に遊んだことがある。セリスは隣国をこっそり抜け出して、エルトリアの民に扮して俺達に接触していたんだ。だが、俺は騎士になり、戦場で奴と出会って正体を知った。しかし、蘭子は奴の事を信用している。セリスが俺に接する態度と、蘭子に接する態度はまるで別人なんだ。だから、セリスとケンカばかりしていた俺が奴の話をしても、蘭子は俺が意地悪を言っているだけだと思っている」

問われたタカヤは困り顔で現状を伝える。

「セリスさんがシェイドリアの王女だということも信じてないの?」

静香は、蘭子がどこまでセリスの事を知っているのか聞いてみた。

「いや……。厄介なことにそれは信じている。……っというか、直々に封書が送られてきたことでセリスから正体をバラしているんだ。その時のあいつの喜びようは今でも覚えている。だから蘭子はお互いに分かり合えると信じているようだ」

額に手を当てながら、タカヤは自分の至らなさを悔やんでいるように見えた。

静香は顎に手を当てながら考え込み、ここまでの話を頭の中で整理する。

少し遠くの河にかかる鉄橋の上を電車が通過してく。

河川敷に金属的な反響音が響き渡った。

「……はぁ。状況は理解したわ。どうやら、セリスさんは相当な曲者のようね。私決めたわ。必ず彼女に天誅を下す」

正義感に満ちた決意の目。

その、しっかりした眼差しでタカヤを見る。

「……色々すまない。頼りにさせてもらう」

タカヤは蘭子の命令なしでは動けない現状も理解し、静香に頭を下げる。

「あんたの為だけじゃない。大袈裟なんかじゃなくて、1つの世界を救う為よ。……それで?蘭子ちゃんにはさっきの事話すのかしら?」

静香から発せられた気配は、普段感じられない圧倒的な威圧感を纏っている。

彼女の本気を感じ取ったタカヤは真剣に答える。

「……いや。ここは一度、本国へ報告し指示を仰ぎたい。それに、今は奴の言う通りにしておいた方が良い。その方が、アオイの身もしばらく安全だろう」

「なるほどね。蘭子ちゃんは楽観してても国はそうでもないってことね。ここはあんたの案に任せるわ。葵のことは、私がしっかり警護する」

2人は今後の行動についてお互いの意思を確認し合う。

「ああ。それに、奴がアオイに対してどんな態度で接するかも要注意だ」

「蘭子ちゃんに接するように友好的か、私達のように敵対的か?ね」

「そうだ。その態度次第で奴の目的が分かるかもしれん」

「わかったわ。何かわかったら必ず共有して。いい?」

この短い意思疎通も、お互いを信頼しているからこそ出来ることだ。


ついさっきまで過ごしていた楽しい日常は、1人の少女によって闇の中へと引き摺り込まれようとしている。

まるで、街灯の灯りが突然消えるように……。

再び灯りが灯った時、そこに広がる世界は果たして元の世界なのか、あるいは……。

屋敷へと足早に戻る2人の背中を月明かりが照らしている。

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