主よ、この恋は罪ですか?

京野 薫

主よ、なぜ痛いのですか?(1)

 暖かい木漏れ日が包む庭の木々。

 信仰心溢れる庭師さん達が丹精込めて手入れして下さっている木々。

 それを見ながら歩くこの渡り廊下が私は大好き。


 木漏れ日に包まれた空気って、主の優しさに包まれている気がするから……


 私はそんなことを考えながら、立ち止まってそっと手鏡を出した。

 私の育ての親……主の次に大切な「シスター・テレジア」からもらった物。

 初めて出会った時にくれたこの手鏡を見る度、独りぼっちでいた暗い部屋を思い出す。

 でも……シスター・テレジアと主のお陰で今は光の中に居るんだ。


 ここに引き取られてから手鏡に彫ってもらった私の名前。

金丸桜かねまるさくら」を愛おしく見詰める。

 シスター・テレジアによって意味を与えられた私の名前……単なる記号じゃ無い、名前。


 そして……

 私は手鏡でそっと前髪を直すと、いそいそと学習室に向かう。

 今日はあの人の日だ。


 学習室の中は広々として、たっぷりの日の光が差し込んでいる。

 改修工事が終わって一月。


 入り口に付いている「テレンス修道会 付属女子寮 学習室」という金色の小さなプレートをニヤニヤしながら見て、私はそっとハンカチで拭く。

 何回見ても綺麗……

 私の大切なお家。

 そして、その中でも一番大好きな学習室を飾る美しいプレート。


「……主よ、感謝します」


 小声でつぶやきながら両手を合わせていると、背中を軽く叩かれた。


「……ひゃっ!」


 驚いて、思わず素っ頓狂な声を上げると共に、後ろからクスクス笑う声が聞こえた。

 その声に私の心臓は心地よく高鳴る。


 あ……


 振り向きながら自然と笑顔になり……ああ、声が弾んでしまいます。


「こんにちは、高槻たかつきさん。今日も良いお天気ですね」


「こんにちは、金丸さん。いいお天気だね」


「はい、本当に。暖かい日差しに心もウキウキしてきます。高槻さんも、お勤めご苦労様です。毎週三回も教えに来て下さって……心より感謝致します」


 心を込めてそう伝える。


「いやいや、ホントに気にしなくて良いよ。前も言ったように、シスター・テレジアの紹介で来てるだけだから」


「いえ、それでも私などに家庭教師など……」


 そう言うと、高槻さんは私の頭を優しく撫でて下さった。


「30歳の教師くずれにそんな丁寧に対応しなくていいよ。シスター・テレジアにここを紹介してもらわなかったら、まだニートだった。その程度だよ」


「いいえ。そのような事おっしゃらないで下さい。高槻さんの苦悩とそこから立ち上がる勇気は主も見ておられます」


「……ほんと、金丸さんの方が年上みたいだな。……さて、じゃあ今日の授業始めようか。よろしくね、金丸さん」


 そう言って高槻さんは学習室の中に入っていった。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


「やっぱり、数学凄いね。成績優秀らしいし、僕なんか要らないんじゃ無い?」


 私はその言葉に頬を熱くしながら微笑む。

 授業の合間の休憩時間は高槻さんの事を沢山知ることが出来るから楽しみだ。


「そ……そんな事……えへへ」


「うん。えっと……所で確認なんだけど金丸さんは高校出たら……えっと……修道院付属の志願者養成プログラムに参加でいいんだよね?」


「はい。卒業したらシスター・テレジアと同じ修道女になりたいのです。なので」


 そう言いながら卒業後の事を考える。


 高校を卒業したら「志願期」を一年勤める。

 それからは一年から二年の「修練期」

 そして三年から五年の「初請願期」を経て……シスター・テレジアと同じく主の元でお仕えできる。


 それを思うとワクワクして心が暖かくなってくる。


「そっか……じゃあ卒業後は本格的に隣の修道院に通い詰めるって事だね」


「はい。今まではボランティアで、お手伝い程度でしたがいよいよ本格的に。ドキドキします」


「そうか……シスター・テレジアと……じゃあ金丸さんもシスターになったら、シスター・テレジア・ミヤモトみたいにシスター・アリス・カネマル……みたいな感じになるのかな」


「そうですね……ふふっ、その『アリス』って言う洗礼名せんれいめい、いいですね」


「いやいや! 適当に浮かんだだけだからダメだよ」


 慌てて手を振って話す高槻さんに私はクスクス笑った。


「いえ、気に入っちゃいました。もう遅いです」


「え~!」


 困ったように言う高槻さんを私は愛おしく見詰めた。

 ああ……主よ、なぜこのお方はこんなにも……可愛らしいのでしょうか。


 そう思っていると、高槻さんが私にスマホの画面を見せて下さった。

 でも……なぜでしょう。

 私は自分の顔が曇ってしまうのを感じてしまう。


「これ。小百合さゆりさんとこの前行った、イルミネーション。綺麗でしょ?」


 スマホの画面には、高槻さんと……小百合さんが仲よさそうにくっついていた。

 喜ばしい……事なのに。

 祝福しなければいけないのに。


「……わあ、楽しそうですね。それに……イルミネーションも美しい。天上の世界のよう」


 そう言いながらも笑顔を頑張って作らないといけないことに、心が痛む。

 ……主よ、なんでこんなに……苦しいのでしょうか?


 高槻さんは照れくさそうに微笑みながら、他の写真も見せて下さる。

 微笑んでいる小百合さん。

 小さな電飾で作った何かのキャラクターの前でピースサインをしている小百合さん。

 お互いの顔を……くっつけている写真。


 その時、私のスマホがブルブルと震えたのでスマホを確認する。

 シスター・テレジアからだった。

 私はビックリするくらいにホッとして立ち上がり、高槻さんにペコリと頭を下げた。


「ちょっと中座します。シスター・テレジアからのようです」


「あ、そっか! ごめんね、ペラペラしゃべっちゃって。そろそろ時間だから僕もこの辺で……」


「はい、ごきげんよう。ではあさって……金曜日の授業も楽しみにしています」


「うん。金丸さんも勉強頑張ってね。あと、修道院のお勤めも」


 私はニッコリと微笑む。


「はい。高槻さんも無理ないように」


 そう言って学習室を出た私は、渡り廊下で周囲に誰も居ないのを確認すると、ホッと息をつきながら廊下の壁に軽くもたれた。

 そして胸の真ん中を撫でながら小さくつぶやく。


「なんで……痛いのでしょう」

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