第5話 妹と幼馴染について

​***

 

「ただいま〜」


 ​雪宮と軽食を取り、家に帰ったのは、空がすっかり暗くなったときだった。

 ​いくつかの星が散りばめられた夜空をふと見上げる。全身を包むような、少しの名残惜しさを感じた。


​「楽しかった、な」


 ​誰に言うでもなく、一人呟いた。

​ 今日一緒に出かけたのが、雪宮でよかった。あの事件――高校入学してすぐの、あの出来事から、俺の中で止まっていた時間が、ようやく進み始めた気がした。


 ​玄関に入ると、鼻腔をくすぐるカレーの匂い。靴箱の上の時計が、午後六時を指している。カチリと、静かな玄関に時計の音がやけに響いた。


 ​そんな感傷に浸っていると、静寂を破るように、後ろから聞き慣れた、生意気な声がした。


​「お兄、なに玄関の前でぼーっとしてんの? 私が家に入れないから早くどいてくれない?」


 ​その声の正体は、妹――古本こもとさらさだ。身内褒めになるが、綺麗な茶髪のツインテールが似合う中学二年生。


​「悪い、今どく」

 言いながら、すぐに道を開ける。

​ さらさは呆れたような顔をしながら、俺を押しのけるように中へ入っていく。そう、妹は今、絶賛反抗期なのである。


 ​――俺にはそんな時期、あったかなぁ……。


​「お兄!! 私の靴、直しといてね!!」


 ​うわぁ、暴君だぁ……。怖いよぅ……。

​ 今日会ったのが雪宮だったのもあり、そのギャップで怖さにブーストがかかっている。雪宮はあんなに健気で優しかったのに、うちの妹とくれば、まるで俺を奴隷扱いだ。


 ​――まあそれも、全部、俺のせいか……。


 ​全ては、入学してすぐの、あの事件のせいだ。本当は俺なんて、雪宮の隣に立つことは許されていない。

 ​雪宮はそれを、知っているのだろうか。知っていて、それでも、俺を選んでくれたのだろうか。


​「お兄!! 早く直して!! ほんとに気がきかないんだから!!」

「今直そうとしてたって」

 暴君の靴を直しながら、俺もやっと家に入る。


​「そんなんだから、彼女もできないのよ?」


 ​……こいつ。

​ 黙っておけば言いたい放題言ってくれやがって……!!

「俺も、恋人ではないが、幼馴染はいるけどな?」


​「はぁ?」


 ​いよいよ、さらさの俺を見る目が侮蔑的なものになった。腕を組み、お決まりのツンデレポーズをとって、

「お兄、私を馬鹿にしてるの? お兄は幼稚園の時からずっと色々こじらせてたせいで、幼馴染どころか友達の一人もいなかったでしょう?」


​「ぐはっ!!」

 思いの外大ダメージ。こいつ、人が気にしているところを……。


​「いや、さらさ、お前雪宮って知ってるか? うちの高校一の美少女と話題の」


 ​腕を組んだまま、怪訝そうな表情で、


​「知ってるけど。あの、『氷の聖女』って呼ばれてるお方でしょ? 私もファンよ」


 ​なんと、雪宮の噂は学校外にも漏れていたというのか……!? まあ、うちの高校と妹の中学は中高一貫ではあるのだが――それでもやはりすごいな。

 それに今こいつ、雪宮のファンって言ったか……? 初耳なんだが。

「雪宮さんが、どうかしたの?」


​「いや、だから俺、その人と、幼馴染なんだよ」

「何を……言ってるの……? え、お兄、大丈夫? もしかして、幼馴染に飢え過ぎて、ついに病気になった? 精神科行く?」

 怒涛の罵倒。いや、本気で心配してそうだ、この顔は。侮蔑的な視線を越えたら、こいつは今度は心配し始めるらしい。

「いや、だから本当に……」

「スイマセン精神科の方ですか? うちの兄の頭がおかしくなって……」

「早速電話をかけるな!!」

 こいつ、本当に兄をなんだと思ってるんだ……。

「分かった、それなら今度、雪宮を我が家に連れてこようではないか」

 勢いのあまり、ついそんな言葉が口から漏れた。そして、すぐに後悔する。訂正しようとして口を開くが、遅かった。


​「そんなに言うなら、連れてきてみなさい、バカ兄」


 ​さらさは挑戦的な笑み、いや、俺をおちょくるような表情でそう言った。

​ ここまで来たら、あとには退けない……。


 ​――雪宮、まじで土下座の準備しとくから、許してくれ……!

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