2枚目

 カフェ【静寂の木陰】。穏やかなコーヒーの香りが、シグムントの到来で一瞬にして張り詰めた空気へと変わった。


 シグムントは憔悴しきっていたが、それでもなお、かつての優位を装うようにカウンターへ身を乗り出した。


「エルーナ。お前が提供した知識に問題がある。おかげで俺たちは連続して失敗し、再起不能の危機だ」


「報酬は、どうするつもり?」


「この損失は、お前の責任だろう。その埋め合わせとして、無償で解決しろ」

 その声音には、反省の影すらなかった。


 エルーナは動かない。その手に持つネルドリップの道具は、完璧な静止を保っている。


「無償なんて論外よ。まず……あなた達が何を、どこで、どう誤ったのかを話して」


 シグムントは苛立ちながらも渋々、話し始めた。


「俺たちは、お前がいつもやっていた『魔力の流れを集中させる方法』――あれを、魔獣との戦闘中に、手持ちの魔石回路に、お前が見せていた通りに組み込んだ」


「目的は、窮地を脱するための一時的な力の集中だ。その時は良かった。しかしその後ずっと魔力が乱れている。何を試みても、制御が効かない」


 エルーナは目を閉じ、シグムントの粗雑な説明をイドリスの解析にかける。


――――「彼らの行為は『魔力集中』ではなく、因果律への干渉の模倣だ。彼らは知識の本質を理解せず、無理やり法則ルールの歯車を動かした。彼を見るに、行ったのは『魔力集中』だけではないだろう。この崩壊の規模は、完全に未知数で、修復には全リソースを投じても足りない可能性が高い」


イドリス――私の精神に宿る演算体が、冷静に告げる。


――――「よって、報酬は全財産を要求すべきだ。それが知識の対価であり、ボクたちの未来のためだ」


「全財産は、やりすぎだわ。法則ルールを見せてしまった私たちにも責任の一端はある。それに、この都市全体が破綻したら、その混乱は確実に『静寂の木陰』にも届く。全財産を要求して断られてしまっても、結局は自分たちが解決しないといけないわ」


「依頼を引き受けることこそ、私たちの平穏を守る最も合理的な戦略よ。それに、ひずみを直すこと自体も、あなたのためになるでしょう?」


――――「……フン。姉さんの言い分も、今回は理屈として成立してるみたいだな」


 エルーナは目を開け、シグムントを見据えた。


「悪いのはあなた。それに、隠しているようだけれど、他にも模倣していたということもお見通しよ」


 シグムントに動揺が見られたが、エルーナは構わず続けた。


「報酬は――あなたたちが、私の知識で得たすべての利益よ」


 エルーナの声は静かだが、背後の空気がわずかに震えた。


「それが、ふさわしいわ」


「ふざけるな!それは俺たちが築いた成功のすべてを奪う気か!魔法士協会アソシエーションに訴えるぞ!」


「訴えればいいわ。――でも覚えておいて。この問題はもう、あなたたちだけのものじゃない。街全体に影響しているの。その原因は、誰かしら?」エルーナは冷たい視線を向けた。


「問題の魔石回路を隠した場所へ案内しなさい」


 シグムントは全身の力を抜き、屈辱に満ちた表情で床を見つめた。

「……わかった。案内する。だが、必ず直せ。」



 「場所は、町の外れの、人目に付かない古い倉庫だ。あの後、魔石回路を遠ざけるためにあそこに持ち込んだ」


 シグムントの足取りは重かった。道中、彼は何度も周囲を警戒し、苛立ちを隠せない。エルーナの観察力は、町の中心部から既に微細な異変を捉えていた。


 表通りを離れ、町外れの寂れた区画へと進むと、風の音すら不自然に静かになった。商店の看板が突然崩れ落ち、犬が虚空の一点を見つめて唸る。世界そのものが、わずかに軋んでいるようだった。シグムントはそれらすべてを無視し、ただ苛立たしげに先を急ぐ。


 二人が到着したその古い倉庫は、周囲の風景から僅かに浮いて見えた。


 エルーナは倉庫の内部に入り、目を閉じた。イドリスの計算が始まる。


――――「観測開始。この地点を中心に、因果律がかなりひずんでるね。魔石回路がこの都市のエネルギーを吸い上げ、その反動を『突発的な失敗や不運』として周囲にばら撒いている。シグムントの魔力が乱れるのもその影響を強く受けているからだろう」


 エルーナの胸がわずかに強張る。


「シグムント。回路を置いたのはどこ?」


「地下だ。手放せば解決すると思っていた」


エルーナは、強く拳を握りしめた。


「そこが法則ルールひずみの中心ね。地下へ案内してちょうだい」


 シグムントに案内され、二人は埃っぽい階段を下り、地下の一室へとたどり着いた。薄暗い地下室には、シグムント以外の元パーティメンバーの一人が、魔石回路の残骸の番をしているように座り込んでいた。


「おい、アンナ! なんでここにいる!」シグムントが声を上げた。


「シグムント!? まさかエルーナを連れてきたの!?」

アンナと呼ばれた元仲間は、驚愕とともに、エルーナを敵意に満ちた目で睨んだ。

「まさか、魔石回路を直せなんて頼んだんじゃないでしょうね!」


 アンナは即座に掌に魔力を集中させ、破壊系の魔法を起動しようとする。証拠隠滅か、あるいはエルーナの排除か。


「この魔石回路さえあれば……わたくしだけは、救われるのよ!」


――――「来るぞ、姉さん。彼女の術式スクリプトは、ボクが解析した知識の劣化版だが防御は無駄だ。不安定な接続点を狙え!」


 イドリスが瞬時に術式スクリプトの全構造を読み取り、エルーナの脳裏に数式のような光景を流し込む。エルーナは動じることなく、即座にそれを構築し――その欠陥一点を突いて、『魔力中和の術』を放った。


パキィン――。


 アンナの掌から放たれた魔力は、彼女の体を離れる前に内側から崩壊し、魔法そのものが霧散した。術式スクリプトの暴発に巻き込まれることを避けたアンナは、呆然と手のひらを見つめる。


「どうして……。完璧な術式スクリプトだったはずですわ!」


「あなたたちの模倣は不完全だった。――だから、こんなにも脆いのよ」


「もう邪魔はさせないわ。そこで静かにしてなさい」


 そして魔力の余韻がまだ空気に残る中、エルーナは静かに告げた。


「――あなたたちの傲慢、その代償を払ってもらうわ」

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