『灯りの学校』消えた光を、もう一度――AIが奪った希望を取り戻す、大人のための夜間学校
ソコニ
第1話「消えた光と秘密の鍵」
午前零時を過ぎたオフィスは、まるで深海のように静まり返っていた。
川村美咲は薄暗いフロアで、たった一つだけ点いたデスクの前に座っていた。二十七インチのモニターが放つ青白い光が、彼女の疲弊した顔を照らしている。画面には無数の数字とグラフが流れ、AIモデルが学習を続けていた。
プログレスバーが九十八パーセントを示している。あと少しで完成する。
美咲は震える手でマウスを握った。クリック一つで、このシステムは稼働する。そして――
「これで、また人の仕事が奪われる」
呟いた声が、誰もいないオフィスに響いた。
私は、またやってしまうのか。
三年前のあの日が、脳裏に蘇る。
*
あれは、春の終わりだった。
私のAIシステムが最初に導入されたのは、母校の大学だった。田所教授が学部長を務める、あの大学に。
システムは完璧に機能した。業務の無駄を洗い出し、人員配置を最適化した。効率は三十パーセント向上し、コストは四十パーセント削減された。
数字の上では、大成功だった。
しかし――
システムが「不要」と判断した職員たちは、次々と解雇された。事務員、司書、技術職員。長年大学で働いてきた人々が、AIの判断によって職を失った。
その中には、私が学生時代に世話になった人々もいた。
図書館で優しく本を勧めてくれた司書さん。
研究室の機材トラブルをいつも助けてくれた技術職員さん。
学生食堂で毎日笑顔で接してくれた調理師さん。
彼らは皆、私のシステムによって「最適化」された。
田所教授は、学部長として導入を決裁した責任を感じた。解雇された職員たちに謝罪して回り、再就職先を探し、自腹で支援金を出した。
しかし、批判は止まなかった。
大学内部からも、外部からも。メディアは「AIによる非人道的なリストラ」と報じた。教授会は紛糾し、学生たちはデモを起こした。
田所教授は全ての責任を一人で背負った。
「私が判断ミスをした。川村さんは悪くない」
電話でそう言った時、田所教授の声は震えていた。
「先生、私が……私がもっとちゃんと説明していれば……」
「いいんだよ、美咲さん。君は正しいことをした。技術は進歩しなければならない。ただ、私たちは……私は、その使い方を間違えた」
それが、田所教授と交わした最後の会話だった。
三ヶ月後、田所教授は自宅で倒れているところを発見された。過労とストレスによる心不全。
享年五十八歳。
葬儀に参列した私は、祭壇の前で立ち尽くした。田所教授の遺影は、あの優しい笑顔のままだった。
「先生……ごめんなさい……」
声にならない謝罪を繰り返した。
*
美咲は目を閉じた。瞼の裏に、あの日の光景が焼きついている。
それから三年。新しいプロジェクトに取り組んできた。以前よりも慎重に。以前よりも配慮して。
しかし、結果は同じだった。
私が作るAIシステムは、確かに効率的だった。確かに優秀だった。そして、確かに人の仕事を奪った。
今、目の前のモニターに表示されているシステムも、そうだ。これが導入されれば、また誰かが職を失う。
プログレスバーが、ついに百パーセントに達した。
画面に表示される文字。
「最適化完了。導入準備が整いました」
美咲は、マウスから手を離した。
立ち上がり、窓辺に歩み寄る。ガラスに映る自分の顔を見た。
いつの間にか、目の下には深いクマができていた。頬はこけ、唇は乾いている。かつて田所教授が「希望に満ちている」と言ってくれた瞳は、今は何も映していなかった。
「私は、何をしているんだろう」
呟いた声が、ガラスに反射する。
その時、携帯電話が震えた。
画面には、知らない番号。着信履歴を見ると、留守番電話が残っていた。
再生ボタンを押す。
「川村美咲様でいらっしゃいますでしょうか。私、故・川村トシエ様の介護施設の者です。お祖母様が、先日お亡くなりになられました。至急、ご連絡いただけますでしょうか」
美咲は、携帯電話を取り落としそうになった。
祖母。
二十年前、最後に会ったきり、音信不通だった祖母。
翌朝、美咲は上司に辞表を提出した。
「川村さん、どういうことだ」
部長は驚いた顔で訊いた。
「申し訳ありません。もう、続けられません」
それだけ告げて、美咲はオフィスを後にした。
誰も引き止めなかった。
同僚たちは、疲れ果てた彼女の姿を、ずっと前から見ていたのだろう。
*
新幹線を乗り継ぎ、ローカル線に揺られ、さらにバスで二時間。美咲は、記憶の中にしかなかった村に降り立った。
何も変わっていなかった。
いや、違う。何もかもが変わっていた。
かつては数軒あった商店は全て閉まっていた。シャッターには錆が浮き、看板は色褪せている。
道を歩く人の姿はない。
聞こえるのは、風の音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
施設は村の外れにあった。
受付で名前を告げると、若い女性職員が遺品の入った段ボール箱を運んできた。
「お祖母様は、とても穏やかな方でした。いつも、お孫さんの話をされていましたよ」
「そうでしたか……」
美咲は箱を受け取った。思ったより軽い。人の一生が、この小さな箱に収まるのかと思うと、胸が締め付けられた。
「あの、もう一つ」
職員は、封筒を差し出した。
「お祖母様が、美咲様にお渡しするようにとおっしゃっていました」
封筒を開けると、中には古びた鍵と、便箋が入っていた。
便箋に書かれた文字は、震える手で書かれたものだった。
美咲へ
ばあちゃんは、もうすぐ死ぬんじゃろう。
長生きしすぎたかもしれんな。
でもな、美咲に会えなかったことだけが、心残りじゃ。
最後に一つだけ、お願いがある。
この鍵は、村の小学校の鍵じゃ。今は誰も使っとらん。
でも、わしはいつか、またあの学校に灯りがともる日が来ると信じとる。
美咲、お前さんは頭がいい。
都会で立派に働いとると聞いた。
じゃが、時々でいい。この村のことを思い出してくれんか。
この学校の地下に、お前に見せたいものがある。
わしが一生かけて守ってきたもんじゃ。
それが、ばあちゃんの最後の願いじゃ。
美咲は、便箋を握りしめた。
視界が滲む。
いつの間にか、涙が溢れていた。
「おばあちゃん……」
声が震えた。
地下に、見せたいもの?
祖母は、何を隠していたのか。
*
村の中心部から、さらに山道を十五分ほど歩いた場所に、その学校はあった。
木造二階建て。白い壁は剥がれ、窓ガラスの多くは割れている。
校庭には雑草が生い茂り、かつてあったはずの遊具は錆び付いて倒れていた。
美咲は、祖母から受け取った鍵で正門の錠を開けた。
きいい、と錆びた音を立てて、門が開く。
校舎に近づく。玄関の扉も、同じ鍵で開いた。
中は、予想以上に荒れていた。
廊下には落ち葉が積もり、壁には雨染みが広がっている。天井の一部は崩れ落ち、床には木片が散乱していた。
それでも、かつてここが学校だった痕跡は残っていた。
壁に貼られた色褪せた習字。
廊下の端に置かれた一輪車。
下駄箱には、誰かの名札がまだ残っている。
美咲は、階段を上がり、二階の教室へ向かった。
一つ目の教室の扉を開ける。
窓から差し込む夕日が、埃の舞う教室を照らしていた。
机と椅子は全て撤去されている。床には足跡一つない。
教室の前方には、黒板があった。
美咲は黒板に近づいた。
表面には埃が積もっている。彼女は、そっと手で払った。
すると、薄く文字が浮かび上がった。
また会おう
2015.3.25
美咲は、その文字を見つめた。
二〇一五年三月二十五日。
十年以上前。おそらく、この学校が閉校した日。
最後の授業で、誰かがこの言葉を残したのだろう。
また会おう。
その言葉に込められた願いは、叶わなかった。
この学校に、子どもたちは戻ってこなかった。
美咲はポケットから携帯電話を取り出し、ライトを点けた。
懐中電灯代わりに、黒板を照らす。
白い光の中で、「また会おう」の文字がくっきりと浮かび上がった。
その時、背後で物音がした。
美咲は振り返った。
教室の入口に、人影が立っていた。
いや、一人ではない。
四人。
美咲は思わず後ずさった。心臓が早鐘を打つ。
「あの……すみません、驚かせてしまって」
その中の一人、四十代くらいの男性が言った。
スーツを着ているが、ネクタイは緩み、シャツはしわだらけだった。
「僕たちも、この学校を見に来たんです」
美咲は目を拭い、立ち上がった。
「私も……見学に来ただけです」
「そうですか」
男性は安堵したように微笑んだ。
「良かった。誰か管理人の人かと思って」
四人は教室に入ってきた。
懐中電灯やスマートフォンのライトで、互いの顔を照らし合う。
一人は、先ほどの四十代の男性。疲れた目をしているが、どこか人懐っこい雰囲気があった。
一人は、三十代前半くらいの女性。看護師服を着ている。優しそうな顔立ちだが、目の下にクマがある。
一人は、五十代の男性。教師のような雰囲気があった。白髪混じりの髪を短く刈り上げている。
そして最後の一人は、三十代の女性。アジア系の顔立ちで、少し緊張した表情をしていた。
「あの、皆さんは……」
美咲が訊くと、スーツの男性が答えた。
「僕は佐藤健太と言います。この村に移住しようかと思って、下見に来たんです」
「私は田中ゆかりです。同じく、移住を考えています」
看護師服の女性が続けた。
「木村隆です。私も」
教師風の男性。
「李美玲です。よろしくお願いします」
最後の女性は、少したどたどしい日本語で言った。
美咲は、四人を見回した。
偶然、こんな廃校に、同じ日に四人も来るだろうか。
何か、意味があるのかもしれない。
「川村美咲です。祖母がこの村に住んでいて……その祖母が最近亡くなって、遺品を整理しに来ました」
「そうでしたか」
健太が頷いた。
「それは、大変でしたね」
五人は、しばらく沈黙した。
教室には、懐中電灯の光だけが揺れている。
やがて、木村が口を開いた。
「皆さん、もし良かったら……今夜、この学校で話しませんか」
「え?」
美咲が訊き返すと、木村は黒板を見つめながら言った。
「私は元教師なんです。こういう場所を見ると、放っておけなくて」
彼は微笑んだ。
「それに、偶然五人がここで出会ったのも、何かの縁でしょう」
美玲が頷いた。
「私も、賛成です。一人で村を回るのは、少し怖かったので」
ゆかりも同意した。
「そうですね。せっかくなら、お互いの話を聞いてみたいです」
健太は少し躊躇したが、やがて肩を竦めた。
「まあ、泊まるところを探していたところですし。野宿よりはマシかな」
四人の視線が、美咲に集まった。
美咲は、黒板の「また会おう」という文字を見た。
そして、頷いた。
「はい。私も、いいと思います」
*
五人は校庭から枯れ木を集め、校舎の前で小さな焚き火を起こした。
火の光が、五人の顔を照らす。
星空の下、焚き火を囲んで座る。
美咲は、この光景に既視感を覚えた。
そうだ。子どもの頃、祖母と囲炉裏を囲んで座った、あの夜に似ている。
健太が立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
彼はリュックサックから、いくつかの食材を取り出した。
缶詰、レトルトのカレー、米、野菜。
「これで、何か作るよ」
健太は手慣れた様子で、小さな鍋を焚き火にかけ始めた。
缶詰を開け、野菜を切り、米を研ぐ。
その手つきは、まるでプロのシェフのようだった。
「佐藤さん、料理できるんですね」
ゆかりが驚いて言った。
「ああ、まあね。昔、ちょっとやってたことがあって」
健太は照れくさそうに笑った。
三十分後、焚き火の上には、即興のカレーライスが完成していた。
五人は、それぞれの器に盛り付ける。
一口食べた瞬間、全員が目を丸くした。
「美味しい!」
美玲が叫んだ。
「これ、本当に即興で作ったんですか?」
ゆかりも驚いている。
健太は笑った。
「俺、実は元料理人なんだ。広告代理店に入る前、料理学校に通ってて」
「なぜ、料理人にならなかったんですか?」
木村が訊いた。
健太の笑顔が、少し陰った。
「……色々あってさ。でも、今でも料理は好きなんだ」
五人は、黙々とカレーを食べた。
温かい食事が、疲れた体に染み渡る。
食事が終わると、再び焚き火を囲んで座った。
木村が言った。
「さて、自己紹介は済みましたが、もう少しお互いのことを知りませんか」
彼は五人を見回した。
「なぜ、皆さんはこの村に来たんでしょう」
沈黙が流れた。
焚き火がパチパチと音を立てる。
やがて、健太が口を開いた。
「僕は……もう、東京に居場所がなくなったんです」
彼の声は、どこか空虚だった。
「三年前、会社をリストラされました。それから、再就職活動をしたんですが……どこも雇ってくれなくて」
健太は火を見つめた。
「妻とは離婚しました。子どもは妻が引き取りました。実家にも帰れません。親とは、もう何年も話していないので」
彼は自嘲するように笑った。
「四十過ぎて、何の取り柄もない男が、一体どこで生きていけばいいんでしょうね」
誰も答えなかった。
次に、ゆかりが話し始めた。
「私は看護師でした。大学病院で、五年働きました」
彼女の声は、震えていた。
「でも、半年前に……担当していた患者さんが亡くなって」
ゆかりは目を伏せた。
「自分のせいじゃないって、頭では分かっているんです。最善を尽くしたって。でも……」
涙が頬を伝った。
「もう、白衣を着られないんです。病院に行くと、体が震えて、息ができなくなって」
彼女は両手で顔を覆った。
「人を癒す仕事がしたくて看護師になったのに。なのに、私は……」
木村が、そっとゆかりの肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ」
彼の声は、優しかった。
「あなたは、何も悪くない」
ゆかりは顔を上げ、木村を見た。
木村は微笑んで、自分の話を始めた。
「私は、高校で三十年間教師をしていました」
彼は遠くを見つめた。
「教えることが好きでした。生徒たちの成長を見るのが、何より嬉しかった」
木村は首を振った。
「でも、いつの間にか、教育現場は変わってしまった。部活動の指導、保護者対応、無限の事務作業。生徒と向き合う時間は、どんどん減っていって」
彼の声に、疲労が滲んだ。
「ある日、気づいたんです。自分は、教師ではなく、ただの労働者になっていたと」
木村は火を見つめた。
「去年、早期退職しました。教育委員会は引き止めてくれましたが……もう、無理でした」
そして、美玲が話した。
「私は、中国から日本に来ました。五年前です」
彼女の日本語は、少し硬かったが、一生懸命だった。
「日本が好きでした。アニメ、漫画、文化。全部好きでした。だから、日本で働きたいと思って」
美玲は俯いた。
「でも、現実は違いました。会社で、いつも『外国人』として見られました。日本語が上手でも、『外国人だから』と言われて、大事な仕事はもらえませんでした」
彼女の声が震えた。
「ある日、同僚に言われました。『あなたたちが日本の仕事を奪っている』って」
美玲は拳を握った。
「私は、ただ一生懸命働きたかっただけなのに。なぜ、こんなに傷つかなければいけないのか」
彼女は顔を上げ、四人を見た。
「この村なら、違うかもしれないと思って。小さな場所なら、私も受け入れてもらえるかもしれないと」
四人の告白を聞いて、美咲は自分の番だと悟った。
でも、言葉が出てこなかった。
田所教授のこと。
自分のAIが、人を傷つけたこと。
それを、見ず知らずの人たちに話せるだろうか。
「あんた、泣いてたろ?」
突然、健太が言った。
美咲は顔を上げた。
「さっき、教室で。黒板の前で、一人で泣いてた」
健太は、優しい目で美咲を見た。
「無理に話さなくてもいい。でも、もし話したかったら……俺たち、聞くよ」
その言葉に、美咲の中で何かが決壊した。
涙が溢れ出す。
止められなかった。
「私は……AIエンジニアでした」
美咲は、震える声で話し始めた。
「大学で人工知能を研究して、卒業後は大手IT企業で働きました。AIで社会を良くしたいと思っていました」
美咲は目を閉じた。
「でも、私が作ったシステムは……人を傷つけました」
彼女は、田所教授の話をした。
自分のシステムが導入され、多くの人が職を失ったこと。
恩師が責任を感じ、心を病み、亡くなったこと。
そして、自分が三年間、罪悪感に苛まれ続けてきたこと。
「私は、技術で人を幸せにしたかった。でも、結果は正反対でした」
美咲は涙を拭った。
「AIは効率的です。合理的です。でも……人の心は、数字では測れない」
彼女は五人を見回した。
「私はもう、何をすればいいのか分かりません。自分が開発したものが、また誰かを傷つけるんじゃないかと思うと、怖くて」
沈黙が流れた。
焚き火だけが、音を立てている。
やがて、健太が呟いた。
「俺たち、みんな……灯りが消えちゃったんだな」
五人は、互いを見た。
そして、頷いた。
そうだ。
彼らは皆、自分の中にあった希望の灯りを失っていた。
働く場所。
生きる意味。
居場所。
自信。
それぞれが、何かを失い、暗闇の中にいた。
その時、美玲が立ち上がった。
彼は校舎の方を見た。
「ねえ、みんな。私、歌ってもいいですか?」
「歌?」
ゆかりが訊いた。
「はい。中国の民謡です。おばあちゃんが、よく歌ってくれた歌」
美玲は、目を閉じた。
そして、歌い始めた。
低く、優しい声。
中国語の歌詞が、静かな夜に響く。
美咲は、その歌声に聞き入った。
言葉の意味は分からない。
でも、何か温かいものが、胸に広がっていく。
悲しみ。
希望。
祈り。
全てが、その歌声に込められていた。
歌が終わると、四人は拍手した。
「美玲さん、すごい……」
ゆかりが感嘆の声を上げた。
「どこで習ったんですか?」
美玲は照れくさそうに笑った。
「習ってないです。おばあちゃんから、聞いて覚えただけ」
「それで、あんなに上手に歌えるの?」
健太が驚いている。
美玲は俯いた。
「歌うことだけが、私の逃げ場だったんです。日本で辛い時、いつも歌っていました」
五人は、再び焚き火を囲んで座った。
今度は、沈黙が心地よかった。
誰かと一緒にいて、無理に話さなくてもいい。ただそこにいるだけで、温かさを感じられる。
そんな時間が、久しぶりに得られた気がした。
しばらくして、美咲が立ち上がった。
「私、ちょっと学校の中を見てきます」
「一人で? 危ないんじゃ……」
ゆかりが心配そうに言ったが、美咲は微笑んだ。
「大丈夫です。すぐ戻りますから」
美咲は懐中電灯を持ち、校舎に入った。
廊下を歩き、階段を下りる。
一階には、職員室や保健室があった。
その奥に、小さな扉がある。
美咲は、扉に近づいた。
鍵がかかっている。
祖母から受け取った鍵を取り出し、差し込んでみる。
カチャリ。
鍵が開いた。
扉の向こうには、階段があった。
地下へ続く階段。
美咲は、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
祖母の手紙。
「この学校の地下に、お前に見せたいものがある」
美咲は、階段を下り始めた。
懐中電灯の光だけが、暗闇を照らす。
十段ほど下りると、地下室に辿り着いた。
そこは、思ったより広かった。
六畳ほどのスペース。
壁には、古い本棚が並んでいる。
そして、部屋の中央には――
美咲は息を呑んだ。
そこには、古いコンピューター端末があった。
1980年代のもの。モニターは厚く、キーボードは大きい。
端末の横には、段ボール箱が積まれていた。
美咲は、一番上の箱を開けた。
中には、大量の資料が入っていた。
手書きのノート。
印刷された論文。
そして、フロッピーディスク。
美咲は、ノートを手に取った。
表紙には、こう書かれていた。
「AI地域活性化プロジェクト 1985-1987」
美咲は、ページをめくった。
そこには、祖母の筆跡で、びっしりと文字が書かれていた。
「本プロジェクトの目的は、人工知能技術を用いて、過疎化が進む地域社会の活性化を図ることである」
美咲は、手が震えた。
祖母が、AIの研究をしていた?
四十年前に?
ノートを読み進めると、プロジェクトの詳細が書かれていた。
村の商店街の売上データを分析し、最適な商品配置を提案するAI。
農作物の栽培を支援するAI。
高齢者の健康管理を行うAI。
全ては、村を豊かにするためのものだった。
しかし、ノートの後半になると、文章の雰囲気が変わっていた。
「村人たちは、AIを受け入れなかった」
「機械に仕事を奪われると、激しく反発された」
「プロジェクトは中止。私は、村を追われることになった」
最後のページには、こう書かれていた。
「私は、間違っていたのだろうか。
技術は、人を幸せにするためのものだと信じていた。
でも、人々は恐れた。
AIが、自分たちの居場所を奪うと。
美咲、もしお前がこれを読んでいるなら。
お前は、きっと私と同じ道を歩んでいる。
技術で人を助けようとして、でも傷つけてしまった。
だからこそ、お前に伝えたい。
諦めるな。
技術は、使い方次第だ。
人の心を忘れなければ、必ず希望になる。
この学校に、もう一度灯りをともしてくれ。
今度は、人と技術が、共に歩める場所を」
美咲は、ノートを抱きしめた。
涙が溢れた。
祖母も、同じだったのだ。
同じように苦しみ、同じように悩んでいた。
でも、祖母は諦めなかった。
この資料を残し、いつか誰かが――自分が――見つけることを信じて。
美咲は、地下室を後にした。
階段を上り、校舎の外に出る。
焚き火の前に戻ると、四人が心配そうに彼女を見た。
「川村さん、どうしたんですか? 顔が真っ青ですよ」
ゆかりが駆け寄った。
美咲は、四人を見た。
そして、言った。
「みんなに、見せたいものがあります」
五人は、地下室に降りた。
美咲が、祖母のノートを見せる。
四人は、無言でページをめくった。
やがて、木村が口を開いた。
「これは……すごい」
彼は美咲を見た。
「あなたのお祖母様は、四十年前にAIで地域活性化を試みていたんですね」
「でも、失敗したんです。村人に受け入れられなくて」
美咲は俯いた。
「私と、同じように」
健太が言った。
「でも、お祖母さんは諦めなかった。この資料を残して、いつか誰かが続きをやってくれると信じて」
ゆかりが頷いた。
「それって、すごく勇気がいることですよね」
美玲が、美咲の手を握った。
「美咲さん、私たちでやりませんか?」
「え?」
「お祖母様の夢を、私たちで叶えましょう」
美玲の目は、真剣だった。
「この学校で、もう一度AIを使って、人を幸せにする」
木村が立ち上がった。
「私も、賛成です」
健太も頷いた。
「俺も。どうせ、行く場所もないし」
ゆかりが微笑んだ。
「私も、やりたいです」
五人は、互いを見た。
そして、頷いた。
美咲は、涙を拭った。
「ありがとうございます」
彼女は、四人を見回した。
「でも、私たちだけで、できるでしょうか」
木村が微笑んだ。
「分かりません。でも、やってみる価値はある」
健太が言った。
「それに、俺たちには失うものがない。だったら、挑戦してみようぜ」
五人は、地下室を出た。
校庭に戻り、再び焚き火を囲んだ。
火は、まだ燃えていた。
小さな炎だが、確かに灯っている。
美咲は、その炎を見つめた。
そして、思った。
自分たちも、この炎と同じかもしれない。
小さくて、消えそうで。
でも、五人で守れば、消えない。
五人で支え合えば、大きくなる。
その夜、五人は校舎の中で眠った。
美咲は教室の床に毛布を敷き、横になった。
窓から、星空が見えた。
都会では決して見られない、満天の星。
その光を見つめながら、美咲は思った。
星も、一つ一つは小さい。
でも、無数の星が集まれば、暗闇を照らすことができる。
人間も、同じかもしれない。
一人では小さな光かもしれないけれど。
みんなで集まれば、大きな光になれる。
美咲は目を閉じた。
久しぶりに、希望を感じながら眠りについた。
*
翌朝、五人は早起きして、学校の清掃を始めた。
廊下を掃き、窓を拭き、教室を整理する。
作業をしながら、健太が言った。
「なあ、本気でここで何かやるなら、まず村長に相談しないとな」
「そうですね」
木村が頷いた。
「廃校を使わせてもらうには、許可が必要です」
ゆかりが訊いた。
「でも、私たち、何をするんですか?」
五人は、顔を見合わせた。
美咲が言った。
「AIを教える学校を作りましょう」
「AI?」
「はい。でも、ただの技術を教えるんじゃなくて」
美咲は、校庭を見た。
「人生をやり直したい大人のための学校。AIを使って、新しい生き方を見つける場所」
美玲が目を輝かせた。
「それ、素敵です」
健太が腕を組んだ。
「でも、生徒は集まるのか?」
「集まらなくても、やります」
美咲は、真剣な目で言った。
「たとえ一人でも。その人の人生が変わるなら、やる価値がある」
木村が微笑んだ。
「では、さっそく村長に会いに行きましょう」
五人は、村役場へ向かった。
小さな建物。受付で村長に会いたいと告げると、すぐに通された。
村長室は、質素だった。
古い机と椅子。壁には、村の地図が貼られている。
年配の村長は、五人を見て驚いた顔をした。
「あなた方は?」
木村が、代表として説明した。
廃校を使わせてほしいこと。
大人のための学校を作りたいこと。
AIを教えて、人々の人生を変えたいこと。
村長は、腕を組んで聞いていた。
説明が終わると、彼は言った。
「面白いですね」
五人は顔を見合わせた。
「でも、維持費はどうするんです?」
「国のリスキリング助成金を申請します」
美咲が資料を見せた。
「今、政府は大人の学び直しに大きな予算を投じています。条件を満たせば、運営費の大部分をカバーできます」
村長は資料を眺めた。
しばらく考え込んだ後、彼は顔を上げた。
「分かりました。やってみなさい」
「本当ですか!」
五人の顔が輝いた。
村長は微笑んだ。
「この村には、もう若い人がほとんどいない。あと十年もすれば、消えてしまうでしょう」
彼は窓の外を見た。
「でも、もしあんたたちが本気なら。もしこの村に、もう一度人が集まるなら」
村長は五人を見た。
「それは、この村にとって最後の希望かもしれません」
こうして、「灯りの学校」プロジェクトが始まった。
五人は、興奮して校舎に戻った。
教室で、今後の計画を話し合う。
「まずは、生徒を募集しないと」
健太が言った。
「広報資料を作ります。僕、広告代理店にいたから、その辺は得意です」
ゆかりが言った。
「私は、近隣の移住者向け情報サイトに投稿します」
美玲が頷いた。
「私は、中国語と英語で情報を発信します」
木村が立ち上がった。
「私は、カリキュラムを組み立てましょう」
美咲が微笑んだ。
「私は、AIリスキリング講座の内容を準備します」
五人は、手を重ねた。
そして、誓った。
この学校を、絶対に成功させることを。
その夜、美咲は一人で地下室に戻った。
祖母のノートを、もう一度読む。
最後のページに、まだ読んでいない部分があった。
「追伸
美咲、地下室にはもう一つ、隠されたものがある。
この部屋の壁の後ろに、小さな隠し部屋を作った。
そこには、私が生涯をかけて開発した、未完成のAIプログラムがある。
それは、『希望を灯すAI』だ。
人々の悩みを聞き、最適な解決策を提案する。
でも、ただの効率化じゃない。
人の心に寄り添い、希望を与えるAI。
私は、完成させることができなかった。
でも、お前ならできる。
この学校で、そのAIを使ってくれ。
人と技術が、共に歩む未来のために」
美咲は、立ち上がった。
壁を調べる。
部屋の奥、本棚の裏側に、小さな扉があった。
扉を開けると、そこには――
古いサーバーと、フロッピーディスクが入った箱があった。
美咲は、ディスクを一つ取り出した。
ラベルには、こう書かれていた。
「希望の灯り Ver 0.1」
美咲は、ディスクを握りしめた。
祖母の夢。
それを、自分が受け継ぐ。
今度こそ、人を幸せにするために。
美咲は、地下室を出た。
階段を上り、校舎の外に出る。
夜空を見上げた。
満天の星が、輝いていた。
その光は、遠い過去から届いている。
何億年も前の光。
でも、今も輝いている。
祖母の夢も、同じかもしれない。
四十年前に灯された希望の光が、今、自分に届いた。
そして、自分がその光を、次の世代に繋ぐ。
美咲は、心の中で誓った。
この灯りを、絶対に消さない。
どんな困難があっても。
みんなと一緒なら、守れる。
そして、もっと大きな光にしていく。
(第1話 了)
次回予告:第2話「五つの傷と、一つの秘密」
地下室で見つけた祖母のAI。しかし、起動させると不可解なエラーメッセージが。「警告:このプログラムは未完成です。使用すると――」
五人が互いの過去をさらに深く語り合う夜。健太の借金の真相、ゆかりのトラウマ、美玲の孤独、木村の後悔、そして美咲の罪。全てが明らかになる時、彼らは本当の意味で「家族」になれるのか。
だが、村役場から衝撃の通告が届く。「この廃校は、来月解体が決定しています」
時間は、あと30日しかない――。
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