最後になに食べたい?(4) ~岸壁の牡蠣~

時代は、昭和。

まだ色々なものが「いい加減」でした。


今これをやったら、けっこーな罪になります。


それを知ってなお、あの味の話をしたいです。


時代は昭和、季節は真冬。大体12月~1月くらい。


当時の私は、たぶん幼稚園でした。

場所は三陸の某沿岸。


親がね、連れて行くんですよね。

幼稚園児を、真冬の東北の海にね。


もちろん寒いです、寒いなんてもんじゃないです、顔が痛い、指が凍える。


海からの寒風に震える私の口に、母親が何かを入れました。


それは海水の塩味が少し利いてる、貝?


シャッキリとしていて海の旨味が濃縮されている。


それでいて、洗練された貝の味。


私が、初めて食べた「牡蠣」でした。


岩にへばりついている牡蠣を、親が石で割って剥がして食べさせてくれました。

もっともっととせがんだかもしれません。よく覚えてないけれど。


そんな感じで、真冬の海に行くのが楽しみになりました。


しかしちょっと時は過ぎて、私は小学生になりました。

そして冬が来て、また三陸の海に連れて行かされます。


でもね、来ないの、牡蠣。

いくら待っても、牡蠣が来ない。


岩を見ると、両親は牡蠣採っているんですが、自分たちだけで食べてるの。


幼いアタマで考えました。

たぶんもう小学生だから・・・「自分で採れ」という事かと。


それで親の真似をして、適当な大きさの石を持って、岩肌を探して、殻を割って

自ら食べ始めましたよ牡蠣。


両親がその姿を見て「あー、自分でやってるやってる」と笑っていたのもなんか記憶にあります。


今でも牡蠣は好きです。

三陸産はもちろん、広島産も美味しいですし、印象に残っているのはオーストラリアのブリスベンで食べた牡蠣。

あれは日本産とはまた違うコクがあったなぁ。


はい、オーストラリア行きました。しかも論文の副賞で。

詳しいことは、またいつか話します。


牡蠣に戻りますが、色々な所の牡蠣を色々食べても

あの、真冬の三陸の岩肌に張り付いていた牡蠣の味を上回るのは、未だにありません。


※やってみたいと思う人は、ちゃんと漁業権を買いましょうね!!



ここからは、エッセイのテーマとは少しずれますが別な方向で「牡蠣」の話をします。


2011年3月11日


未曽有の災害が日本を襲いました。

私の故郷も、痛々しい姿となり、思い出の海も山も街も変わり果てた姿になりました。


牡蠣の出荷の最盛期を、迎えようとしていた所でした。

その年の牡蠣の出来はとても良かったそうです。


でも何もかもが、津波に飲まれて跡形もなく消えました。


名産の牡蠣もその殆どが壊滅状態で、存続が厳しいとなったところに

ある国が、手を差し伸べてくれました。


フランスです。


実はフランスの牡蠣と三陸の牡蠣は種類が同じで、養殖の元になる稚牡蠣がフランスから寄贈されました。


ここで一つ疑問に思うことがあると思います。


「広島の牡蠣では、駄目だったのか?」


はい、牡蠣の養殖第一位で知られる広島ですね。

でも答えは「駄目なんです」


実は三陸と広島の牡蠣では全く種類が違っていて、広島の牡蠣を三陸に持って行っても、死に絶えてしまうんです。

逆も然り。


それと、フランスが「寄贈」した訳ですが

なんでもその昔、フランスの牡蠣の養殖が壊滅的になった時、三陸から稚牡蠣が送られ、それでフランスの牡蠣養殖は復活したそうです。


3.11の時にフランスは、その「恩返し」をした、という訳です。


遠くの国に旅立った牡蠣の子孫が、また三陸に旅立って、今も生き続けています。


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