最後の記念写真
写真館のドアを開けると、微かに古いフィルムと現像液の匂いがした。
アオイは、亡き祖母が昔から利用していたという、この小さな写真館に来た。
彼女の目的は、祖母の遺品整理で見つけた、小さな木箱の中に入っていた一枚の白黒写真の再撮影だった。写真には、若い頃の祖母と、祖父らしき男性が写っていたが、祖父の顔だけが、強く光を当てられたように真っ白に飛んでいた。
店の奥から、白髪の店主が出てきた。
「いらっしゃい。この写真の焼き増しを?」
「いえ、そうではなくて……この写真を、もう一度、撮り直していただきたいんです」
アオイは、写真館にある、古い大判カメラを指差した。
店主は不思議そうな顔をした。
「しかし、これは写っている方々がもう揃わないと、同じ写真は撮れませんよ」
アオイは、少し微笑んで答えた。
「祖母はつい先日亡くなりました。この写真の男性、祖父は、祖母が十六歳の時にもういません。でも、祖母が言っていました。『この写真だけは、私が撮ってもらった、最後の記念写真だ』と」
店主は、顔が飛んだ男性の部分を指でなぞった。
「なぜ、この方の顔だけ、こんなに光で飛んでしまったんでしょうね。現像の失敗でしょうか」
「失敗ではないんです」アオイは静かに言った。「祖母は、この写真が撮られた瞬間に、祖父がもうすぐいなくなることを知っていた。だから、その事実を知っているのは自分だけでいいと願った。祖父の顔を忘れたくなくて、でも、誰にもその喪失を知られたくなくて、祖母は無意識に、祖父の顔に、強すぎる『別れの光』を当ててしまったんだ、と」
アオイは、持参した自分のカメラを出し、祖母の写真を見せた。その中には、祖母のメモが残されていた。
『アオイ、私の代わりに、今度は、私が写っていない写真にしておくれ。』
アオイは、店主に依頼した。
「同じカメラ、同じ場所で、今度は、誰も写らない、空っぽの写真を撮ってください」
店主は、何も言わずに頷いた。彼はアオイを写真に写っていたのと同じ場所に立たせ、カメラをセットした。
「では、撮りますよ」
シャッターが切られる。
後日、アオイは写真館から送られてきた一枚の写真を静かに見た。
写っていたのは、ただの空っぽの背景だった。しかし、アオイには、その写真の背景の、祖母が立っていた場所の光が、他の場所よりも、ほんの少しだけ明るく見えた。
それは、祖母が最後の瞬間に放った、「もう誰も失わない」という静かな願いの光なのかもしれない。
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