理想の残像

 山田は、先月亡くなった恋人、ミサキの部屋を整理していた。三年前に開発されたばかりの、小型のホログラム投影機「メモリー・リプレイ」が机の上にあった。これは、使用者の脳波と記憶を同期させ、特定の情景を空間に再現する、高価なデバイスだった。

 ミサキは、このデバイスで、幼い頃の家族旅行の思い出をよく再現していたらしい。山田は、最後にミサキの記憶の中を見てみたくなった。

 山田が投影機を起動し、ミサキの記憶データを選択すると、部屋の真ん中にミサキの姿が浮かび上がった。

それは、ミサキが健康で、笑顔だった頃の姿だ。彼女はリビングで楽しそうに笑い、山田に向かって手を振っている。

 しかし、そのホログラムのミサキは、まるで山田の存在に気づいていないかのように、視線が定まらない。ミサキの記憶の中の、誰か別の人物に向けて手を振っているのだろう。

「ミサキ……」

 山田が声をかけると、ホログラムのミサキはくるりと振り返り、山田の方を向いた。

 彼女は優しく微笑み、言った。「おかえりなさい、タロウさん」

 山田は涙が溢れた。「タロウさん」というのは、彼女が山田につけていた愛称だった。

 やはりミサキは、記憶の中でも山田を愛してくれていたのだ。山田は安心し、ミサキの笑顔を焼き付けようとした。

 すると、ホログラムのミサキは、突然顔を曇らせた。

「でもね、タロウさん。今日のタロウさんはちょっと違う」

「え?」

「あなたは、私の記憶の中の『タロウさん』じゃない。私の記憶の中のタロウさんは、もっといつも自信満々で、私が何をしても笑ってくれる。でも、今のあなたは、なんだか不安そうで、私にすがっているみたいだわ」

 山田は愕然とした。このホログラムは、ミサキの記憶を再現している。つまり、ミサキが愛していた「タロウさん」とは、ミサキの記憶によって美化され、理想化された、架空の自分だったのだ。

 現実の、弱くて不安な今の自分ではない。

 ホログラムのミサキはさらに続けた。

「私の記憶の中のタロウさんは、こんな顔をしないわ。私の記憶の中のタロウさんは、私がいなくなっても、きっと強く生きている。だから、お願い。早く私の記憶から出ていって。今のあなたがいると、私の大切な記憶が汚されてしまう」

 ホログラムのミサキは、手を振るのをやめ、徐々に、涙を流す山田の視界から遠ざかっていった。

 山田は、すぐに投影機の電源を切った。

 部屋は静寂に戻り、ただの空っぽの空間になった。

 山田は知った。ミサキが最後に愛していたのは、現実の山田ではなく、彼女の記憶の中にしか存在しない、彼女が作り上げた完璧な残像だったのだと。

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