第1話 感情を喰らう幻獣と鋼鉄化
アークは迷宮都市ネクロポリスの西ゲートを通り抜け、都市の血管のように張り巡らされた、錆びた鋼鉄の通路を進んだ。彼の全身は、潜りの装備と、腰に吊るした錬金術用の触媒袋で重々しい。錬金術士ライナスは、都市の複雑な構造を示す古びた地図を広げながら、苛立たしげにアークの後をついてくる。
「第三階層まで、最短で四時間。できる限り戦闘は避けろ。記憶結晶は破壊せず、完全な形で持ち帰ることが絶対条件だ」ライナスが囁いた。彼の声は、金属の回廊に反響して不気味に響く。
「忠告は結構だ。俺は幻獣を避けるプロだ」
アークの仕事は、地図の解析よりも、周囲の「気配」を読むことだ。特に、微かな**「感情の揺らぎ」**を感じ取る。記憶結晶が放出する感情の断片は、周囲の空間に微細な波紋を作り出し、それが幻獣の接近を知らせる唯一のサインとなる。
第一階層は、まだ光が届く場所だが、壁や天井は深い茶色に錆び付き、巨大な歯車や鎖が絡み合っている。数百年の間に誰も通らなかった場所の空気は、埃と金属の匂いが混ざり合い、重苦しい。
その時、アークは立ち止まった。
「どうした?」ライナスが焦れたように問う。
「静かすぎる」アークは答えた。彼は右手で、腰から下げた錬金術の触媒である鉄の粉を軽く握りしめた。
この階層には、本来なら最も弱い幻獣――古代人の**「後悔」**から生まれた、蝶のような形の幻影が飛び交っているはずだ。彼らは害はないが、鬱陶しいほどの悲しみと後悔の感情を振りまく。しかし、今日はそれがない。
ヒュッ。
突然、通路の奥から風を切るような音がした。アークは瞬時に体勢を低くする。
「来るぞ、ライナス!普通の幻獣じゃない!」
次の瞬間、鉄と石の回廊の影から、それは現れた。
体長一メートルほどの、犬のような四足歩行の幻獣だ。だが、その胴体は半透明で、内部にはぼんやりと**「怒り」**の感情を示す真っ赤な光が灯っている。それは古代人が戦闘中に抱いた、純粋な、煮えたぎるような憤怒の残滓だ。
幻獣は、感情を喰らう存在にも関わらず、その口元には血のような赤い液体が滴っていた。幻獣が、この都市に迷い込んだ他の「潜り」を既に襲ったことを示唆している。
グルルル……。
獣はライナスに向かって低い唸り声をあげた。錬金術士の持つ知識や権威といったものが、幻獣には最も強烈な「憎しみ」の感情に見えるのだろう。
ライナスは青ざめたが、すぐにプロの錬金術士としての意地を見せた。彼は触媒袋から青い結晶を取り出し、呪文を唱える。
「錬金術式起動!『鉄壁の結界(アイアン・バリア)』!」
青い光が彼の前方に集中し、薄い金属の膜のような壁を瞬時に形成した。
しかし、幻獣は止まらない。その体が通路の壁を蹴り、驚異的な速度で金属の結界に突っ込んだ。ガシャン!
結界は砕け、ライナスは衝撃で吹き飛ばされる。幻獣が、感情のエネルギーを異常に高めている証拠だった。
アークは触媒袋を捨て、一歩踏み出した。
「素人め。結界術など、この街では役に立たん」
彼は、自身の奥底に眠る、鉄のように冷たい**「無関心」**の感情を引き出す。そして、掌に握りしめた鉄粉を、自分の右腕に叩きつけた。
「錬金術起動!『鋼鉄化(アイゼン)』!」
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