第五章:儀式
拝殿の扉の奥から、人影が現れた。
白装束を着た人物だ。ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
松明の光が、その姿を照らす。顔には、白い面をつけていた。
能面のような、表情のない面。目の部分だけが、黒い穴になっている。
「お待ちしておりました」
その声は、抑揚がなかった。まるで機械のような。
でも、確かに人間の声だ。神主だろう。
この神社の神主が、私たちを待っていた。
「あの...祭りは」
私が聞こうとすると、神主は手を上げた。
それ以上話すな、という仕草だ。
「こちらへ」
神主が、境内の中央を指差す。
そこには、しめ縄で囲まれた土俵があった。
子供の頃、相撲を取った、あの土俵。
砂が敷かれていて、中央が少し盛り上がっている。
しめ縄は新しい。白く、太い縄だ。
「こちらへ」
神主がもう一度言った。私たちは、導かれるように土俵へ近づいた。
足が、勝手に動く。止まろうと思っても、止まらない。
まるで、引き寄せられているような。
土俵の前に立つ。砂の匂いがする。湿った砂の匂いだ。
しめ縄が、目の前にある。跨げば、中に入れる。
「中へ」
神主が言った。私は、しめ縄を跨いだ。同僚も、後に続く。
土俵の中に入ると、砂が足に沈む。柔らかい。
でも、冷たい。妙に冷たい砂だ。
「中央に座ってください」
神主が言った。
「向かい合って」
私と同僚は、土俵の中央に座った。向かい合う形で。
まるで、相撲の取り組み前のように。
膝を折り、座る。砂が冷たい。
ズボン越しに、冷たさが伝わってくる。
同僚が、私を見ている。
笑顔だ。でも、その笑顔が、どこか不自然に見えた。
なぜだろう。表情は普通なのに。でも、何かが違う。
目だろうか。
目の奥に、何かがいるような。そんな感じがした。
神主が、しめ縄の外側を歩き始めた。
ぐるり、ぐるりと。土俵の周りを回る。
そして、何かを唱え始めた。
低い声だ。何を言っているのか分からない。
でも、祝詞のようだった。リズムがある。
そのリズムが、だんだんと速くなっていく。
もっと速く。もっと速く。
神主の動きも、速くなる。
土俵の周りを、ぐるぐると回る。
白装束が、風になびく。でも、風なんて吹いていない。
私は、同僚を見た。
同僚は、じっと私を見ている。
笑顔のまま。
私は目を逸らした。
周囲を見る。松明の炎が、激しく揺れている。
でも、風は吹いていない。炎だけが、揺れている。
その時、木立の奥から、何かが現れた。
人影だ。
何人もの人影が、境内に入ってくる。
松明を持っている。
いや、松明ではない。
手に持っているのは、何だろう。よく見えない。
人影が、土俵を囲むように立つ。
円を作るように。私は、その人影を見た。
顔に、仮面をつけていた。
獣の仮面だ。
鹿、狐、猪、熊。様々な動物の仮面。
でも、ただの仮面ではない。毛皮がついている。
本物の毛皮だ。
それを顔に被っている。
目の部分だけが、穴になっている。
その穴から、こちらを見ている。
私は、息を呑んだ。
これは、何だ。
祭りの演出なのか。それとも。
神主の祝詞が、さらに速くなる。
もはや言葉としては聞き取れない。
ただ、音の連続だ。リズムだけが、残っている。
「.....」
人影たちが、一斉に動いた。
土俵に近づいてくる。
一歩、一歩。ゆっくりと。でも、確実に。
私は立ち上がろうとした。でも、足が動かない。
砂に、足が埋まっている。いや、埋まっているわけではない。
ただ、力が入らない。体が、動かない。
神主の声が、さらに速くなる。
もはや言葉としては聞き取れない。
ただ、音の連続だ。リズムだけが、残っている。
声が、最高潮に達する。神主が両手を上げる。そして、叫んだ。
私は、声も出なかった。
ただ、見ていることしかできなかった。
目の前で、同僚が大きく頷いた
「先輩...」
口を開いた。
人間の声ではない。
何かが、人間の言葉を真似ている。
そんな声だ。
私は、やっと体が動いた。立ち上がる。砂を蹴って、しめ縄の外へ飛び出す。
その瞬間、獣面の人影たちが、一斉に土俵に入ってきた。
一人が、私の腕を掴む。
冷たい。
手が、異様に冷たい。
そして、力が強い。
引き戻される。土俵の中へ。
「離せ!」
私は叫んだ。腕を振りほどこうとする。
でも、離れない。もう一人が、反対の腕を掴む。両側から、引っ張られる。
同僚もどうように、腕を掴まれて引っ張られている。
私は、同僚を助けようと力を振り絞って、腕を引いた。
「おい!大丈夫か!」
と声をかけようとしたが…
そこに同僚の姿は無かった。
一瞬の隙に辺りを見渡すがどこにも見えない。
いない。いないんだ。
さっきまでそこにいたはずの同僚が獣の仮面達と共に消えている。
しかし、俺の周りには先刻と同じく仮面達が、両側から俺の腕を引っ張ている。
その時、片方の腕を引っ張っていた人影の手が、バランスを崩しし離れた。
その隙に、私は走った。
しめ縄を飛び越え、石段へ。
後ろから、何かが追ってくる。
足音ではない。
何かが、地面を這うような音。
振り返ってはいけない。
そう思った。
振り返ったら、終わりだ。
何が終わるのか、分からない。
でも、終わる。
私は、石段を駆け下りた。
一段、二段、三段。
数えている余裕はない。
ただ、降りる。
懐中電灯は、落とした。
月明かりだけが頼りだ。
足を滑らせて、転びそうになる。
でも、止まらない。
後ろから、何かの声が聞こえる。
神主の声だろうか。
それとも、別の何かだろうか。
もはや分からない。
五十段、百段。
分からない。
ただ、降りる。
息が切れる。
足が重い。
でも、止まらない。
足が、石段を踏み外す。
転んだ。
膝を打った。痛い。
手のひらも擦りむいた。
でも、立ち上がる。
また降りる。
そして、鳥居が見えた。
あの鳥居だ。
そこを抜ければ、外だ。
私は、最後の力を振り絞って走った。
鳥居をくぐった。
その瞬間、後ろからの音が止まった。
ぴたりと。
まるで、見えない境界があるかのように。
私は振り返った。
鳥居の向こう、石段の上に。
何も見えなかった。
ただ、闇だけが広がっていた。
でも、そこに何かがいる。
見えないけれど、いる。
そう感じた。
私は、旅館へ向かって走った。
夜道を。
懐中電灯もなく。
月明かりだけを頼りに。
ただ、走った。
同僚は、あそこに残した。
あの土俵の中だろうか。
最後の記憶は獣面の人影たちに囲まれていた。
私は走り続けた。
息が切れる。足が重い。
でも、止まらない。
そして、旅館の灯りが見えた。
玄関の灯りだ。
私は、その灯りに向かって走った。
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