第7話 紹介したい人
昨夜はとても嫌なことがあったから今日は心行くまで惰眠を謳歌する。
冷蔵庫に転がっているスマートフォンがお決まりのアラームを鳴らし、水で流したはずの詭弁が寝起きの耳元でささやく。
スマートフォンを手に取る。午後一時。どうりで腹が減るはずだ。
液晶に表示されていた増渕さんからのメッセ―ジには明日の午前中に第一回目の打ち合わせが決まったとある。
「あぁ今日で世界が終わればいいんだ」
瞼の上にのしかかる太陽の光がうっとうしい。こんなものが東から登ってこなければずっと起きなくていいのに。
「なにもすることがねぇ」
嘘だ。本当は何もしたくないである。瞼を閉じながら今日一日をどうやり過ごそうか悩む。オナ〇ーして寝る。そのくらいしかやることはないけれどもはや億劫で、ちん〇をいじってみても全然気持ちよくない。夏を直接体感できる室内は蒸し暑くこのまま横になるのも気が進まない。でも簡単に冷房をつけられるほど生活に余裕はない。それでも根気強くちん〇をいじっていると、ちょっとずつ大きくなってきた。右手で硬さを確かめながら、射精するタイミングを見計らっているといきなり玄関のドアが開かれた。
「兄貴……ギャーーーー!」
そういえば鍵をかけた記憶は見当たらない。
「うわ、なんだよバカ!」
ゴールを決めたフォワードが両腕をクジャクのように広げるパフォーマンスをするように陽キャな妹が部屋に飛び込んできた。脱ぎ捨てた靴は玄関に飛び散らかって、全勃〇しかけた俺のちん〇を見てカラスのように喚き散らす。
「このバカ! 明るいうちからなんてもの見せるんだ!」
「ば、バカとはなんだ! 勝手に入ってきやがって!」
美郷は俺の周りで喚き散らしながら蹴ってくる。背中とか腹とか。俺は自分のちん〇を守ることで頭がいっぱいでまともな受け身をとれないでいた。
「はやくしまってよバカ兄貴!」
慌てて身体を起こして寝室から脱出し、パンツとズボンをはきなおす。美郷が収まった隙をみて寝室に戻り誠に不服ながら畳に腰をおろした。
「なんのようだ」
「なんのようだじゃないよ、会って欲しい人がいるって昨日いったじゃん」
美郷は頬を膨らませながら言うが俺にはとんと覚えがない。ただマシンガンのようにたたみかける小言にいつの間にか眠気と気だるげさは消えてきた。
「今から私の大学に行くよ」
「なんでそーなる」
「いいから早く準備して、文藝サークルで待ってるのよ」
「やだ俺は忙しいの」
「忙しい人は昼過ぎからおちん〇いじらないでしょ」
正論を振りかざし、俺の了承を得る前に美郷が腕を引っ張る。
「痛い、痛い分かった行くからそんなに強く引っ張らないでくれ」
あまりの強引さに呆れて立ち上がった俺は身なりを整える。服なんて二、三着の組み合わせしかないから手間はとらせない。
「美郷、昼飯は牛丼でいいや」
「なんでいつも私にごはんをたかるのよ」
「なんでって、俺は社会というコンクリートジャングルに囚われたロクデナシという名の罪人。食事をするにも自由がきかないのだよ、annda-sutann、理解できる?」
「何言ってんの、屁理屈はいいから」
「じゃあ、お前はもう飯食ったのか?」
「まだだけど」
「だろ、ほら牛丼食おうぜ」
「お前手ぇ洗えや、汚ねぇもん触った手で触んな!」
社会に囚われたロクデナシに腕を引っ張られた美郷は悪態をつきながらも大した抵抗も見せずに靴を履いた。美郷の大学は俺も在籍していた学校なので道筋は分かっている。
アパートから出て、前を通っている歩道を下り、道を挟んで向かい側の坂を上る学生たちの背中を見ないふりして歩いた。
「そういえば、この前言ってた企画どうだったの?」
「えっ、あぁまぁぼちぼち、っていうか何で知ってんの?」
「昨日自分で愚痴ってたじゃん、ほっぺにケチャップつけながらさぁ」
そうだったか、あの時は空腹でまったく喋った記憶がないが、手持無沙汰で余計なことを話したかもしれない。
「まぁ近いうちにな」
「えっ! うそ本当にすごい! 兄貴の久しぶりの新作じゃん!」
「お、おうすごいだろう」
本当はその日、戦力外を宣告されたのに、胸を張って答えてしまう。血のつながった兄妹でも見栄を張って虚構を作ってしまう俺はもはやある種の病気かもな。しかし美郷はそんなことはお構いなく自分のことのように喜んでスキップしながら横を歩いていく。そのはしゃぎようはサンタさんからプレゼントをもらった子供のように無邪気で余計に心が痛い。
「じゃあさお祝いに特盛でもメガ盛りでも奢ったげるよ」
「ならトッピングもつけてもらおうかな」
「いいよいいよ、お祝いだもの」
意気揚々と牛丼屋に入る美郷と対照的な自分の顔が自動ドアに反射して目を背ける。駅の近くにある牛丼屋にはパチンコで負けたおっさんや大学に通う学生でにぎわっていた。
「ほいでほいで先生、いつ新刊はでるのですか?」
美郷がおどけながら窺ってくる。なんで明石家口調なのかは触れないでおこう。
「待て待てまだ正式に決まったわけじゃないぞ」
「でもでも近いうちには決定なんでしょう」
「まぁ」
「じゃあ、いいじゃん。友達にたくさん自慢しよう!」
「や、やめてくれよ。恥ずかしいから」
そんな不毛なやりとりをしているとすぐに牛丼が運ばれてきた。つゆだく、ねぎだく、チーズトッピング。絵にかいたようなチー牛野郎である。
割り箸を割って、少ししゃぶる。美郷はいただきますも言わないで俺より先に食べ始めている。陽キャは時間が惜しいとあまりに早飯なのか、それともこいつがはしたないのか。
「そういえばさ」
「なに?」
「お前が会わせたい人ってどんな子?」
「すごい美人の女の子、兄貴のファンなんだって」
ほう、俺のファンで、しかも女、珍しいやつもいたもんだな。
ファンという言葉が飛びだして思わず箸を止める。今思えば最後のシリーズものだった(二刊で終わったのでシリーズと言っていいのか分からないけど)。その物語は王道の異世界ものではなく男性受けを狙った理不尽追放もので(まことに不本意だが)、毎回アンケートの結果を見ても女性受けが悪かったことを薄っすら覚えている。
「ご馳走さん、いつもわりぃな」
会計を済ませた美郷に頭を下げる。
「先生出世払いでお願いしますね」
高らかに言ったあと美郷は俺の胸をグーで小突いた。痛くはないがどしっと響いた拳はやけい重い。
「はぁ~やっぱり帰りたい」
気が付かれないように呟いて美郷の後ろを歩いていく。
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