砂に歌う

銀子

砂埃とがらくたの街。


 砂埃は嫌い。あたしの華やかなドレスを砂色にするから。

 砂埃は嫌い。あたしのきらびやかなアクセサリーを曇らせるから。

 でも一番嫌いなのは、歌を歌えない今。

 あたしは歌いたいのに。歌こそがあたしの存在意義なのに。

 ここにはあたしの歌を聴いてくれる人が誰もいない。あるのはがらくたと、砂埃だけ。



 ざりざりと、砂混じりの地面を踏みながら歩く。もう随分と長い間、あたしはそうしていた。ぼろぼろの街。ぼろぼろの建物。砂色の景色。ずっと、そればかり。

 同じものを、眺めて、眺めて、眺め続けて。そうやって歩いていたら、ふと視界に入るものがあった。今にも崩れそうな建物の傍で、座っているやつ。着ている服はぼろぼろで、俯いた目は閉じていたけれど、なんとなく、まだ生きてるんじゃないかって思った。

 あたしはそいつに近づいて、あたしの貴重で美しい声で、そいつに声をかけた。

「ねぇ」

 果たしてそいつは、緩慢な仕草で目を開けると、顎を上げてあたしを見上げた。ぼろぼろで、傷だらけで、立ち上がることすらできなさそうだったけれど、でもそいつは確かにあたしを見た。

 生きている。それはとても貴重なことだった。あたしの美しい声ほどではないけれど、今この場においてはとても貴重なことだった。だからあたしは続けて聞いた。

「あなたの他に、生きているものはいる?」

 けれどそいつは、ぼうっと私を見つめたまま、なにも答えようとしなかった。なんて愛想のないやつなんだろう。このあたしを見て、微笑みもしないなんて。そしてあたしの質問に、答えもしないなんて。

 以前までなら、こんなやつは相手にしなかった。だってあたしの美しい声は、とても貴重なものだったから。誰にでも聴かせられるようなものなんかじゃ、なかったから。

 けれど今は、そいつの存在は、悔しいけれど、あたしの声ほどではないけれど、貴重なものだった。あたしを見たということは、耳が聞こえるということ。耳が聞こえるということは、あたしの歌が聴けるということ。あたしが誰かに、あたしの歌を、聴かせられるということ。

 それは歓喜だった。もうどれぐらい振りになるか、わからないほどの。だからあたしは、そいつを見つめたまま、声の調子を整えないまま、歌い始めた。

 喜びの歌。輝く歌。あたしの奥底から込み上げ、迸るすべて。あたしの美しい声は、久方ぶりの歌声は、陰りなく美しく響いた。がらくたと砂ぼこりしかないここで、あの頃と変わりなく辺りを彩った。

 浮浪者しかいない街角、場末の酒場、高級ホテルのラウンジ、スポットライトに照らされた大劇場。あたしだけのステージ。かつての舞台が記憶の底から蘇る。

 ああ、あたし、歌っている。歌声を、届けられている。あたしの歌を、聴くものがいる。

 歌うあたしを、そいつは見ていた。ぼろぼろで、傷だらけで、ぼうっとしたまま、あたしを見つめていた。あたしはそれだけで嬉しかった。こいつはあたしの声が聞こえる。あたしの歌を聴いてくれる。それは言葉にできない感覚となって、あたしの中を溢れるほどに満たしていった。

 あたしは歌い続けた。日が沈み、月が昇り、その月が沈んで、また日が昇っても。ずっとずっと歌い続けた。

 あたしの声、美しいでしょう。あたしの歌声、素晴らしいでしょう。拍手をちょうだい。笑顔をちょうだい。ううん、もうそんな贅沢は言わない。あたしの歌を、聴いてちょうだい。

 あたしの、歌を、聴いて。


 ***


 歌声が途切れた。辺りが、久方ぶりの静寂に包まれる。そこから先は、もう二度と歌声が聞こえてくることはなかった。

 俺の目の前に立ったそいつは、歌い始めは俺を見つめていたそいつは、砂に煙る空を仰ぐようにしたまま、喜びを全身に張り付かせたまま、動かなくなった。

 体にまとわせた布切れは、元は美しい赤だったのだろう。色褪せたそれが砂混じりの風に揺れると、首元を飾るがらくたの首飾りがカチャカチャと音を立てた。

 喜びのまま動かなくなった、そいつを見つめる。

 最後の方はノイズ混じりで、音階も外れ、歌と呼べるかもわからないものだった。けれどそいつは、最後まで歌い続けた。きっとそれがそいつの存在意義で、役割で、製造目的だったのだろう。

 声をかけられた時、俺も声を返したかった。でも俺は、単純作業の為に作られたモデルで、声は不要なために実装されなかった。仮に声が出せて、ここには俺の他に稼働しているものはいないと伝えるだけだったとしても、声を返したかった。俺はもう動けなくなってから随分経っていて、稼働しているものに会うのは、本当に久しぶりだったから。

 俺は口を開けると、口の形をしただけのものを開けると、そいつがしていた、歌の真似をして動かした。

 音は出ない。辺りは静寂のまま、なにかが聞こえてくることもない。でも俺は、動かし続けた。こいつが繰り返し歌っていた、喜びの歌を。

 俺も、あんたに会えて嬉しかった。あんたのように、歌声で伝えることはできないけれど、本当に嬉しかったんだ。だからせめて、それを伝えたかった。喜びのまま動かなくなった、あんたに。俺の、喜びを。



 がらくたの街に、砂混じりの風が吹く。

 声のない、歌でもない、ただ喜びを、俺は伝え続ける。




 END



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂に歌う 銀子 @ag1611

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ