『The goal of all life is death』
『雪』
『The goal of all life is death』
四畳ほどの狭苦しい喫煙所には、むせ返る程に濃い煙草の香りが漂っていた。部屋の角では申し訳程度に取り付けられている換気用の小さなファンが回っているのだが、正に「焼け石に水」と表現するのに相応しく、効果があるようにはとても感じられない。
私は何処で貰ったかまるで思い出せない安っぽい蛍光色のライターを使い、咥えた煙草の先端に橙色の明かりを灯す。そのままライターを上着のポケットに仕舞うと、自らの口元から煙草を離して背後の壁にそっと体重を預ける。ヤニ汚れで黄ばんだ天井を仰ぎ見て、口いっぱいに溜め込んだ紫煙を天井へと吹き付けるようにして吐き出した。
そして再び煙草を咥えようとしたところで漸く、隣から注がれる視線に気が付いた。零れ出そうになる苦笑を押し殺して、私は咥えた煙草を彼の方へと向ける。
ありがとうございます、という嬉しそうな声色と同時に、彼の顔がグッと近くなった。その差は煙草が二本分、数字に直せば二十センチにも満たないような僅かな距離であった。
火の付いた煙草を介して、もう一本の煙草に火を付けるシガレットキス、或いはシガーキスと呼ばれるその行為。直接煙草に火を付けた方が手軽で簡単だと思うのだが、彼はこの手法を好んで使う。
ちなみに私も何度か試した事があったが、彼のように上手く火を付けられた試しは無い。コツを聞いてみても「相手の呼吸を読むんですよ」と、よく分からない事を宣っていたので、私は専ら火を与える側に回っているという訳である。
彼はギシギシと不愉快な音を鳴らすパイプ椅子に腰を下ろすと、私が居る方向と反対側へ向けて煙を吐く。そんな彼の姿を尻目に、私も咥えていた煙草を吹かした。
情報化社会となった現代は知りたくもない情報までもが、嫌でも目につくようになった。出来る事なら目を瞑り、耳を塞いでしまいたいが、そういう訳にはいかないのが事実である。
知らないという事はある種の罪だからだ。法律、ルール、マナー、知ってさえいればどうという事は無い。後はそれを遵守するか、一時の感情に任せて打ち破るだけ。
そして、知り過ぎるという事も時に牙を向く。情報というものは当たり前だが、ある事象に対して起こった一連の流れを第三者へ伝達する為のものだ。観測する前提が変われば、結果としての情報も当然変化する。その理屈が分からなければ、或いは分かっていたとしても別の解があるという事実が邪魔をして、いつの間にか身動きが取れなくなってしまう。
私達はこんな世界で長々と生きる気力も意思も持ち合わせてはいなかった。けれど、すっぱりと死んで終わりにしようという気概も有りはしない。
無い無い尽くしの私達が思い付いた浅はかで細やかな抵抗がこの一服だ。一本、一箱でどれだけ寿命が縮むかなんて知りはしないし、わざわざそんな事は調べはしない。煙草の外箱に記載された長ったらしい警告文に舌を向け、素知らぬ顔で煙草をのむ。
病める時も、健やかなる時も、私達は平等に互いの寿命を削り合おうと契りを交わした。きっとそれは私達以外の誰かから見れば異様に映るのだろう。遠回りな自殺志願者、はたまた人格破綻者か。だが、そんな事はどうだって良い。
「……逃げないで下さいね」
ポツリと溢れ出た言葉に彼は首を傾げるが、私は何でもありませんよ、と頭を振るって溜め息を溢した。我ながら女々しい奴だと自重気味に笑う。
彼は何を思ったのか突然立ち上がると、私が咥えようとした煙草を取り上げる。そして、私が不満の声をあげる間も無く、この唇は塞がれた。
一体どれだけそうして居ただろうか。数秒の事のようにも思えるし、途方もなく長い時間だったような気もする。どちらがという訳でもなく、互いに示し合わせたように唇をゆっくりと離した。口の中に残る混じり合った唾液はやはりというべきか、案の定というべきか、どこまでも苦く煙草の味がしていた。
『The goal of all life is death』 『雪』 @snow_03
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