セコケチの女
どこの職場にも合わないのはいる。人って数が集まると必ずそうなるものだけど、それでも普通はなんとかなるものなんだ。そうだね、合わない人を敬遠する程度でなんとかなるぐらい。それでも鬱陶しいのは鬱陶しい。
なんて言うかな、合わないと言ってもある一定範囲ならお互い様の領域に人は出来ると思ってる。その領域も個人差は大きいけど、あの女は一段抜けてる。とにかく存在するだけでウンザリさせられる。
食事中の一口ちょうだいは女同士なら珍しくもない。だけどあれにもルールはある。ルールというよりマナーかな。ごく簡単には一口もらったら、一口分を返すだよ。食べる量だって味見程度にするものだ。
それより何より先にお断りをするのが人としてのあり方だ。そんなに難しい話じゃなくて、一口下さいって言って、相手の了承をもらうだけ。そこから先の一口で食べる量とか、そのお返しはセットみたいなもの。
だけどあの女にマナーなんて存在しない。だってだぞ、いきなり箸とかフォークを他人の料理に突っ込んで来る。そうしながら、
『一口ちょうだい』
これを口に放り込んで食べながら言うんだよ。手順が前後してるだろうが。そういうやり方もすっごく親しくて、そういう行為さえ許しあえてる同士なら成立しない事もない。そういう場合はやり返して収まるのだけど、無差別爆撃のようにやらかしやがる。言うまでもないけど食べる量だってゴッソリだ。
さらにがあって、この世には一口ちょうだいを許せない人もいるんだよ。ある種の潔癖症になるのだろうけど、他人が箸を付けたら気色悪くて食べられないタイプだ。そういう人かどうかも見分けるのも人付き合いでは求められるのに無頓着なんてレベルじゃない。
職場でも被害者多数で、今やその女が食事中に近づくだけで警戒されまくっている。話に聞いただけだけど、警戒警報が発令されることになったエピソードも聞いただけでヘドが出そうだった。
まだ正体が周知されていない時期だったそうで、何人かで食事に行ったらしいんだ。そこでその女が頼んだのは小さなサラダだけ。小食なのか、ダイエットでもしてるかと思ったそうだけど、そこから遠慮会釈ない一口ちょうだいが炸裂。他人の食事を荒らしまわった挙句にサラダ代だけで帰ったとか。
この話には続きがあって、懲らしめるためにリベンジもしたんだって。何をやったかだけど、そっくりそのままやり返すだ。示し合わせてその女に一口ちょうだいの集中砲火を浴びせたって聞いたかな。
その女は自分の食事を奪われたのに烈火の如く怒りまくっただけじゃなく、一口ちょうだいの怒りの猛反撃を行って、その場は修羅場なんてものじゃなかったって聞いたよ。わかるかな、一口ちょうだい女の本性はいやしいだけじゃなく、セコケチなんだよね。
セコケチのための手法が厚顔無恥で良いと思う。今では食事となるとその女からダッシュで逃げるのが職場の常識になっているし、鈴音のような新入りはその常識を教え込まれる。鈴音も千草先輩から教えてもらった。
あれこれ聞くだけでおぞまし過ぎる武勇伝はあるのだけど、そこに信じられない噂が飛び込んできた。なんとセコケチ女に男が出来たって言うのよ。他の会社の男みたいと言うか、うちの会社の男の誰がなびくものかだ。
あんなセコケチ女と付き合える男なんかこの世にいるものかと思ってたけど、世の中は何が起こるかわからないもので、信じられない事に交際が進んで結婚する事になってしまったんだ。それも話だけなら相当なエリートみたいなんだよ。
そのまま寿退職するって話で、同僚たちの反応は、あんなセコケチ女を引き取ってくれるならめでたい限りだって話になったぐらい。なぜか招待されたんだけど厄介払いになるから快く送り出してやろうぐらいかな。結婚式で角を立てるのも良くないし、
『披露宴なら一口ちょうだいはないはず』
そらそうだろ、まさか高砂席から一口ちょうだいの襲撃はやらかさないはずだもの。それに披露宴なら豪華な食事も食べられるから、食事の恨みをほんの少しでも取り返してやろうぐらいかな。千草先輩たちと披露宴会場に行ったのだけど、
「ここよね」
招待状にもここって書いてあるけど、なんか古いと言うより安っぽい。天井も壁も薄汚れているし、床だって安っぽいPタイル。そのPタイルが欠けてたり、剥げてるところがあってなんとも過ぎる感じ。
テーブルに着いたけど、テーブルクロスも黄ばんでる気がするし、テーブルも椅子もなんかガタガタする。床があんな感じだからかもしれないけど、どうにも落ち着かないな。それとだけど、
「これって披露宴だよね」
そうなのよ。なんじゃこれってぐらいテーブルがあって鮨詰め状態。椅子を引くのも気を遣うなんてものじゃない。なのに、なのにだよ、食事はバイキングなんだよ。それも一か所しかない。取りに行こうと思えば、テーブルの間を縫うようにして行かないとたどり着けないし行列だって出来る。
「刑務所の食事だって、もっとマシの気がする」
そうなのよ、量がとにかく少なくて並んでいるうちに無くなっちゃうの。それもどうかと思うけど、
「これってエビチリのはずよね」
た、たぶん。だってさっきまでエビらしきものが見えたもの。鈴音たちが取る頃には汁しか残ってなかったけどね。他もそんな調子で、
「これって冷凍物だよ」
冷凍物だって美味しいのは美味しいのよ。千草先輩が冷凍物と言ったのは、安っぽくて、美味しくないって意味だ。ポテトフライもあったけど、しなしなでべちゃっとして、なおかつ二本しか当たらなかった。
それとだけど、これはお食事会じゃなく披露宴なんだ。当たり前だけど主賓とか来賓、友人知人の祝辞だとか、ケーキ入刀とか、余興もあったりする。
「この状況でキャンドルサ―ビスは根性だね」
そう思った。そういう時ってバイキングを取りに行きにくいし、食事だって中断するじゃない。そのプログラムが次から次に詰め込まれていて、
「・・・これにてお披楽喜とさせて頂きます」
えっと思ってるうちに終了だ。披露宴会場を出たところで新郎新婦の挨拶を受けて引き出物をもらったのだけど、えらい軽いと思ったら百均のタッパーみたいなものが入ってた。千草先輩も、
「これだけって事はないよね」
そう言いたくなる気持ちはわかるもの。あんまりおカネで言いたくないけど、出席するからお祝儀を持って行くじゃない。お祝儀の相場も出席者の立場で変わるだろうけど、お食事代相当プラスお気持ちぐらいは包むぐらいのはず。このお祝儀に対する返礼が引き出物で、
「一割程度が相場ともされるけど、後はお心次第かな」
鈴音は職場の同僚だから三万円にしたけど、それだったら三千円ぐらいは期待するじゃない。それを期待して出席してるわけじゃないにしろ、百均のタッパー一つはいくらなんでもだ。
それでね、二次会もあったのだけど、これも会場の店に入ってビックリした。とにかく安いのがウリの居酒屋さんなんだよ。なんか披露宴の食事と変わらないような料理が出てきて、これまた量が少なくて奪い合い。
「これで会費が一万円って政治家のパーティより酷いかも」
飲み放題で五千円もしない店のはずだものね。やっとこさ、二次会が終わってから千草先輩と食事に行ったんだ。だってお腹が減ってたまんなかったもの。やっとまともな食事が食べれたのだけど、
「話にはそういう事もあるって聞いてたけど、本当に実行する人がこの世にいるんだね」
結婚式の収支はまともにやれば足が出るはずなんだ。身の丈を考えずに豪華すぎる結婚式をして後で苦労した話ぐらいは聞いたことがあるかな。だから費用を節約するために規模を小さくしたり、手作りの工夫で補うケースも知ってるけど。
「今日のは商売でやってる」
千草先輩がビジネスとせずに商売と言った気持ちまでわかる。それも世知辛い商売だ。
「あんな事を言うのも普通じゃない」
鈴音もそう思った。だってだよ、二次会の終わりの時に新婚旅行がロスのディズニーランドだって言い放ったんだ。ここだって新婚旅行にロスのディズニーランドに行くのが問題じゃない。ハネムーンを海外にするんだったら、もうちょっと披露宴をマシなものにしろだよ。
「結婚式代だけじゃなく、ハネムーン代も浮かせてる気がする」
鈴音もそうとしか思えなかったもの。新婦がセコケチ女なのは良く知ってるけど、これだったら新郎も、
「セコケチ夫婦のはず」
どんな結婚式を上げようが当人たちの勝手とは言え、
「最後まで後を濁しまくって去って行きやがった」
もう顔を合わすことが無い事だけがメデタイ結婚式だった。これはこれで、長く語り継がれる伝説の結婚式になりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます