第7話眠れぬ夜の隣で


 夜更け。

 寝室のランプがまだ小さく灯っていた。


 分厚いカーテンの向こうでは風が鳴り、遠くで魔獣の咆哮がかすかに響く。

 だが、それよりも近くで、紙をめくる音が静かに夜を刻んでいた。


 淡い銀の髪が光を受けてきらめき、アメジストの瞳は眠気を知らぬように輝いている。

 フィオナは文献を前に、まるで宝石を覗くような真剣な眼差しでページをめくった。


「……“魔獣の核は、心臓に似て非なる器”……。なるほど、やっぱり構造が違うのですね……」

 小さく呟く声に、隣の男が応じた。


「フィオナ。もう三冊目だ」


 エドガーの低く落ち着いた声。

 ベッドの反対側で、腕を組みながら寄りかかっていた彼は、金の瞳で静かに彼女を見つめていた。

 漆黒の髪がランプの灯に照らされ、まるで夜そのもののように艶めく。


「も、もう少しだけです。あと少しで、この核の分類が分かりそうなんです」

「君はいつも“あと少し”と言うな」


 呆れたような声。けれど、その声音にはかすかな笑みが混じっている。


「だって……古い文献では“腹部”に核があると書かれているのに、近年の記録では“胸部”にあるとされているんです。

 どちらが正しいのか、どうしても確かめたくて……」


 机代わりにしている小さなテーブルには、文献とスケッチ、そしてメモが山積みになっていた。

 紙の上には、魔獣の骨格や核の図。光を反射して、どれもまるで生きているように見える。


 エドガーは一つ息を吐いた。

 その仕草は呆れながらも、どこか楽しげだった。


「……まったく。魔獣の話になると、君は止まらんな」

「す、すみません……。でも、こういう話をエドガー様とできるのが嬉しくて」

「嬉しい?」

「はい。だって、討伐でしか見られない魔獣を、実際にご覧になっているのは……エドガー様だけですから」


 その言葉に、エドガーは一瞬だけ目を伏せた。

 戦場では決して語られることのない、“恐ろしい辺境伯”とは似つかぬ表情が浮かぶ。


「……あの噂を聞いても、君は変わらぬ目で俺を見るのだな」

「ええ。噂なんて、あてになりません。私は――実際のエドガー様を見ていますから」


 そのまま、彼女は少し微笑んだ。

 夜の静寂に、その笑みが柔らかく溶けていく。


 エドガーは喉の奥で小さく笑い、フィオナの手元の文献をそっと閉じた。


「……もう夜中を回っている。いい加減、休め」

「え、で、ですが……この核の図が、あと少しで――」

「君の目の下に、すでに“戦の痕”ができている。明日、討伐の準備があるだろう」


 彼は指先でフィオナの頬を軽くなぞった。

 その指先があまりに優しくて、フィオナは一瞬動けなくなる。


「……そんなふうに触れられたら、眠くなくなってしまいます」

「なら、眠くなるまで傍にいる」


 低く囁かれた声に、胸がどくんと鳴る。

 ランプの光が揺れて、影が二人の間をやわらかく染めた。


 エドガーはそっと彼女の肩を抱き寄せ、布団を引き寄せる。

「今日はもう終わりだ。明日続きを見せてもらおう」

「……はい。約束ですよ?」

「ああ、約束だ」


 彼はランプに手を伸ばし、炎を指先で小さく絞る。

 部屋は薄闇に包まれ、二人の呼吸だけが聞こえる。


 しばらくの沈黙ののち、フィオナがぽつりと呟いた。

「エドガー様は……いつも私に付き合ってくださいますね」

「放っておけば、君は一晩中起きている。監視だ」

「そ、そんな言い方……」

 小さく拗ねたように口を尖らせる彼女に、エドガーの肩がかすかに揺れた。


「君は不思議だな。魔獣よりも、ずっと掴みどころがない」

「……それ、褒め言葉でしょうか」

「どうだろうな」


 からかうように言って、彼は微笑む。

 フィオナのまぶたが次第に重くなり、体が彼の肩にもたれかかっていく。


「……明日こそ、続きを……」

「明日な。俺も手伝ってやる」


 その言葉を最後に、フィオナは小さな寝息を立てた。

 エドガーはその髪を指先で梳きながら、微かに笑う。


「……本当に、君は魔獣より手強い」


 夜は静かに更け、二人の寝息が重なっていった。

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