恐ろしいと噂の辺境伯に嫁ぎましたが、魔獣オタクな私は幸せです
はるさんた
第1話恐ろしいと噂の辺境伯
王都の大広間では、音楽と笑い声が絶え間なく響いていた。
けれど、その華やぎの中に、一つだけぽっかりと空いた空間がある。
その中心に立つのは、エドガー・ヴァルト・グランツ——恐ろしいと噂される辺境伯。
漆黒の髪に、夜明けを閉じ込めたような金の瞳。
一度その視線に射抜かれた者は、誰もが息を呑み、
目を逸らしてしまうという。
彼は、魔獣の跋扈する辺境を治める領主であり、
自ら剣を振るって討伐に赴く戦士でもあった。
そのため「冷酷な魔獣殺し」と呼ばれ、恐れられている。
だが当の本人は、そんな噂など気にもしていない。
今日この舞踏会に来たのは、国王の命令で「跡継ぎを作るための妻を見つけよ」と
無理やり言われたからだ。
——くだらない。
彼はワインを傾けながら、心の中で静かに息を吐く。
恐れられるなら、それで構わない。
誰も近づかなければ、それはそれで平穏だ。
そう思っていた——その時。
「……あの、辺境伯さま、ですよね?」
不意にかけられた声に、エドガーはわずかに顔を向けた。
そこに立っていたのは、一人の若い令嬢。
淡い銀の髪がシャンデリアの光を受けて輝き、
アメジストの瞳がまっすぐに彼を見つめていた。
その瞳の透明さは、辺境の雪解け水のようだった。
「フィオナ・アーベルと申します」
彼女は裾を持ち上げ、完璧な礼をした。
だが、その声は震えていない。
むしろ、楽しげですらあった。
「……俺に、何か用か?」
「はい!」
はじけるような返事。
周囲の貴族たちが息を呑む。
恐れ知らずもいいところだ。
「辺境では……本物の魔獣が見られるんですよね?」
「……は?」
思わず、エドガーは眉をひそめた。
「小さいころから、魔獣に興味があるんです! 本で読んだだけでは足りなくて……」
彼女の頬が紅潮し、瞳がきらきらと輝く。
まるで舞踏会ではなく、学者の講義に出ているかのようだ。
「……君、恐ろしくはないのか? 俺を」
「え? 全然?」
さらりと即答するフィオナに、周囲の空気が凍りつく。
貴族令嬢たちがざわめいた。
「よく声を掛けられるわね」「あんな恐ろしい方に……」
しかしフィオナはまるで気づいていない。
「むしろ、辺境伯さまってすごいと思うんです。
魔獣を退治できる人なんて、王都にはいませんもの!」
「……」
彼女の言葉に、エドガーは静かにワインを置いた。
金の瞳が、初めてまっすぐに彼女をとらえる。
「君は、魔獣の何を知っている?」
「魔獣の中に“魔核”があるって本で読みました。
それを集めて、辺境を潤しているのがあなたなんですよね?」
的確すぎる返答に、エドガーはわずかに目を見開く。
この若さで、そんなことまで知っているとは。
「……面白い娘だ」
その言葉とともに、ほんの少しだけ、彼の唇が緩んだ。
辺境伯が笑った。
その瞬間、周囲のざわめきが嘘のように止まる。
フィオナだけが、それを嬉しそうに見つめていた。
「君、フィオナ嬢……だったな」
「はい!」
「もし本当に魔獣を見たいのなら、辺境に来るか?」
「えっ……!」
思わぬ誘いに、彼女の瞳がさらに輝く。
「本当にいいんですか!?」
「俺は妻を探せと言われている。
だが、恐れぬ者など滅多にいない。
——だが君は違う。魔獣を恐れぬ娘なら、辺境でやっていけるだろう」
頬を染めたフィオナは、嬉しそうに笑った。
その笑顔は、春の陽のように柔らかく、
長いあいだ凍りついていたエドガーの心を、静かに溶かしていく。
——恐ろしいと噂される辺境伯と、魔獣好きの伯爵令嬢。
奇妙な出会いは、こうして始まった。
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