第11話「リリース、そして戦いの果てに」

20XX年6月15日、午前0時。

ゲーム『ラブ・アルゴリズム』が、ついにリリースされた。

スタジオ・ピクセルのオフィスには、深夜にもかかわらず、全スタッフが集まっていた。誰も家に帰ろうとしない。全員が、この瞬間を一緒に迎えたかった。

大型モニターには、販売サイトのランキングが表示されている。

リリース直後、『ラブ・アルゴリズム』は、恋愛ゲームカテゴリで3位にランクイン。

「やった! 初動、悪くないぞ!」

スタッフの一人が、拳を突き上げた。

しかし、1位には、競合の『エターナル・ラブ』が君臨していた。

大手ゲーム会社「エデン・ソフト」が、5億円の予算と2年の開発期間をかけて制作した大作。豪華声優陣、圧倒的なグラフィック、テレビCMも大々的に放映されていた。

対して、『ラブ・アルゴリズム』は、1000万円の予算と3ヶ月の開発期間。スタッフはわずか10名。プロモーションも、SNSとWeb広告だけ。

物量では、勝負にならない。

「……まあ、善戦してるよ。3位なら上出来だ」

美波が、明るく言った。

しかし、その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。

柑奈と九条は、モニターを見つめたまま、何も言えなかった。

氷室は、コーヒーを飲みながら、静かに言った。

「勝負は、ここからだ。初動じゃない。口コミで、どれだけ広がるか。それが、インディーゲームの戦い方だ」

全員が、頷いた。


午前1時。

SNSに、次々とプレイヤーの感想が投稿され始めた。

モニターに、Twitterの検索結果が表示される。

「#ラブ・アルゴリズム」

最初の投稿は、こうだった。

「『ラブ・アルゴリズム』プレイ中。面白い! ヒロインがバグだらけで、それが逆に可愛い。こういう恋愛ゲーム、今までなかったかも」

「おお! 良い反応だ!」

スタッフが、歓声を上げた。

次の投稿。

「主人公が完璧主義すぎて笑う。でも、ヒロインとの掛け合いが最高。この二人、絶対好き合ってるだろ」

また一つ。

「告白シーン、泣いた。『この胸のバグは、修正しなくていい』って台詞、最高すぎる」

さらに続く。

「エデンの『エターナル・ラブ』も良かったけど、こっちの方が感情移入できる。キャラが生きてる感じがする」

「ゲーム開発現場が舞台なの、新鮮! 自分も仕事で悩んでるから、共感しまくり」

「バグと仕様のメタファーが天才的。恋愛をプログラムで例えるの、めちゃくちゃ面白い」

投稿が、次々と増えていく。

スタッフ全員が、食い入るようにモニターを見つめていた。

「すごい……反応、めちゃくちゃ良いじゃん!」

美波が、興奮した声で叫んだ。

柑奈と九条は、互いの顔を見合わせた。

そして、小さく微笑んだ。


午前3時。

ランキングが、動き始めた。

『ラブ・アルゴリズム』が、3位から2位に上昇。

「おおおっ!」

オフィスに、歓声が響いた。

しかし、まだ1位は『エターナル・ラブ』だった。

その差は、まだ大きい。

「……もう少しだ。もう少し」

氷室が、モニターを見つめながら呟いた。

午前5時。

ランキングが、再び動いた。

『ラブ・アルゴリズム』が、1位と2位の差を、じわじわと詰めている。

SNSでは、有名なゲーム実況者が『ラブ・アルゴリズム』をプレイし始め、その動画が拡散され始めていた。

「これ、マジで面白い。エデンの作品より、こっちの方が好きかも」

「キャラの会話が自然すぎる。シナリオライター、天才でしょ」

「ヒロインのデバッガー設定、最高。こういう女の子、リアルにいそう」

口コミが、爆発的に広がっていく。

午前7時。

ついに、その瞬間が訪れた。

ランキングが更新され――

『ラブ・アルゴリズム』が、1位に躍り出た。

「「「うおおおおおおおおっ!!」」」

オフィスに、歓喜の雄叫びが響き渡った。

スタッフ全員が、飛び上がって喜んだ。

抱き合い、泣き、笑い、叫ぶ。

3ヶ月間の地獄のような開発。

徹夜続きの日々。

何度も訪れた、心が折れそうになる瞬間。

全てが、この瞬間のためにあった。

「やった……やったぞ!」

「信じられない……本当に、勝った……!」

「大手に勝ったんだ……俺たち……!」

美波は、涙を流しながら、柑奈に抱きついた。

「柑奈……やったね……やったよ……!」

「うん……うん……!」

柑奈も、涙を流しながら、美波を抱きしめた。

田中は、静かに涙を流していた。

他のスタッフも、全員が泣いていた。

氷室は、満足げに微笑みながら、全員を見渡した。

「……よくやった。本当に、よくやったな」

その声も、少し震えていた。


リリースから1週間後。

初週売上の集計結果が発表された。

『ラブ・アルゴリズム』:12万本

『エターナル・ラブ』:10万本

『ラブ・アルゴリズム』の圧勝だった。

しかも、ユーザー評価も圧倒的に高い。

平均評価:4.8/5.0(レビュー数:5,000件以上)

「今年最高の恋愛ゲーム」

「キャラクターが生きてる。本当に恋をしているみたい」

「続編、絶対に作ってください!」

レビュー欄には、絶賛の声が溢れていた。

業界ニュースサイトも、次々と記事を掲載した。

「インディーゲームの奇跡! スタジオ・ピクセルの『ラブ・アルゴリズム』が大手を超えた」

「恋愛ゲームの新時代。『ラブ・アルゴリズム』が示した、感情表現の革新」

「開発期間わずか3ヶ月。少数精鋭チームが生んだ傑作」

メディアからの取材依頼も、次々と届いた。

スタジオ・ピクセルは、一夜にして、業界の注目株になった。

そして――

会社の経営危機は、完全に解消された。

次回作の開発資金も、十分に確保できた。

スタジオ・ピクセルは、存続するどころか、飛躍的な成長を遂げようとしていた。


リリースから2週間後の夜。

スタジオ・ピクセルのオフィスで、ささやかな打ち上げパーティーが開かれた。

テーブルには、ピザ、寿司、唐揚げ、ケーキ。

スタッフ全員が、思い思いに食べ、飲み、笑い、語り合っていた。

「いやー、まさか本当に1位取れるとは思わなかったよ」

「俺も。正直、3位でも御の字だと思ってた」

「でも、取れた。俺たち、やったんだよ」

「ああ。やったな」

スタッフたちの顔は、疲労と達成感に満ちていた。

美波は、田中と並んで座っていた。

二人の間には、少しだけ、甘い空気が流れていた。

実は、美波は1週間前、田中に告白していた。

そして、田中も、同じ気持ちだった。

二人は、正式に付き合い始めていた。

「田中くん、お疲れ様」

美波が、そっと田中の肩に頭を預けた。

「美波さんも、お疲れ様です」

田中が、優しく微笑んだ。

二人は、静かに、幸せな時間を過ごしていた。


その喧騒の中、柑奈と九条は、少し離れた窓際に並んで立っていた。

夜景が、二人を優しく照らしている。

二人の間には、もう何の壁もなかった。

ただ、愛しい相手がいる。

それだけで、幸せだった。

「……やったわね」

柑奈が、小さく呟いた。

「ええ。君のおかげです」

九条が、柑奈の手を握った。

「あなたこそ」

柑奈も、九条の手を握り返した。

二人は、しばらく、夜景を見つめていた。

沈黙。

しかし、それは、心地よい沈黙だった。

「……ねえ、九条さん」

柑奈が、ふと顔を上げた。

「はい?」

「私たち、本当に付き合ってるの?」

柑奈の突然の質問に、九条は少し驚いた。

「え……当たり前じゃないですか」

「だって、まだデートも、ほとんどしてないし」

「それは……忙しかったからです」

「キスも、あの時だけだし」

「え、あ、それは……」

九条が、顔を赤くした。

柑奈は、少しだけ不満そうな顔をした。

「……もっと、恋人らしいこと、したいな」

その言葉に、九条の心臓が、大きく跳ねた。

「え、えっと……どんなことですか?」

「……手、繋いで歩くとか」

「今も繋いでますよ」

「……映画、見に行くとか」

「今度行きましょう」

「……キス、とか」

「……」

九条が、フリーズした。

柑奈は、少しだけ顔を赤くしながら、九条を見上げた。

「……ダメ?」

「い、いえ、ダメではないですが……ここは、オフィスですし……」

「じゃあ、後で」

「こ、後で……?」

「うん。今日、あなたの家、泊まっていい?」

九条の顔が、一瞬で真っ赤になった。

「え、ええええっ!?」

「ダメ?」

「だ、ダメではないですが……その、心の準備が……」

柑奈は、くすりと笑った。

「冗談よ。あなたの反応、面白すぎ」

「……からかわないでください」

九条が、少し拗ねたように言った。

柑奈は、九条の頬に、そっとキスをした。

「……!」

九条が、驚いて固まる。

「これで、許して」

柑奈は、いたずらっぽく微笑んだ。

九条は、しばらく固まっていたが、やがて小さく笑った。

「……ずるいです」

「あなたから学んだわ」

二人は、笑い合った。

そして、また手を繋いで、夜景を見つめた。


パーティーの終盤。

社長の氷室が、マイクを握った。

「みんな、ちょっと聞いてくれ!」

全員の視線が、氷室に集まった。

「改めて、お疲れ様。そして、ありがとう。君たちの努力で、最高のゲームができた」

拍手が起こった。

「『ラブ・アルゴリズム』は、大成功だ。会社も救われた。これで、俺たちは、次のステージに進める」

氷室は、全員を見渡した。

「だから、次のプロジェクトを発表する」

全員が、息を飲んだ。

氷室は、ニヤリと笑った。

「次は……『ラブ・アルゴリズム2』を作る!」

「おおおっ!」

スタッフから、歓声が上がった。

しかし、氷室は続けた。

「そして、そのテーマは――」

氷室が、柑奈と九条を指差した。

「君たちの、そのバカみたいにこじらせた恋愛を、題材にする!」

「「ええええええっ!?」」

柑奈と九条の悲鳴が、オフィスに響き渡った。

スタッフ全員が、爆笑した。

「い、いやいやいや! 無理です!」

九条が、必死に否定する。

「私たちの恋愛なんて、ゲームになりませんよ!」

柑奈も、顔を真っ赤にして抗議する。

しかし、氷室は聞く耳を持たなかった。

「いいや、最高の題材だ。だって、君たちの恋愛こそが、『ラブ・アルゴリズム』の原点だったんだから」

氷室は、真剣な顔で続けた。

「君たちが、本物の恋をしたから、このゲームには、本物の感情が込められた。だから、プレイヤーの心に届いた」

「……」

「次は、その続きを描こう。恋人になった二人が、どう関係を深めていくのか。どんな壁を乗り越えるのか。それを、ゲームにしよう」

氷室の言葉に、全員が頷いた。

「それに……」

氷室は、悪戯っぽく笑った。

「君たち、まだ全然ラブラブじゃないだろ? 手も繋いでるだけで、キスもほとんどしてないし、デートもしてない」

「な、なんでそれを……!」

柑奈が、顔を真っ赤にした。

「見てりゃ分かるよ。だから、次のプロジェクトで、もっとラブラブになれ!」

「「無茶言わないでください!」」

二人の悲鳴が、笑い声に包まれた。

美波が、面白そうに言った。

「いいじゃん、柑奈! あんたたち、ゲームのために、もっとイチャイチャしなよ!」

「美波まで!」

柑奈が、抗議するが、美波は止まらない。

「キスシーンのデータ取りとか、お泊まりデートのデータ取りとか、色々あるんじゃない?」

「ぶっ……!」

柑奈の顔が、耳まで真っ赤になった。

九条も、同じように真っ赤になっている。

スタッフ全員が、大爆笑していた。

氷室は、満足げに笑って、グラスを掲げた。

「じゃあ、決定! 次のプロジェクトは、『ラブ・アルゴリズム2:デバッグできない恋の続き』だ!」

「「異議ありー!」」

柑奈と九条の悲鳴を無視して、全員がグラスを掲げた。

「乾杯!」

「「「乾杯ーーー!」」」

オフィスに、笑い声と歓声が響き渡った。


パーティーが終わり、深夜。

オフィスには、もう誰もいなかった。

柑奈と九条は、最後まで残って、片付けをしていた。

ゴミをまとめ、テーブルを拭き、椅子を戻す。

二人で並んで作業をする時間は、もう当たり前になっていた。

片付けが終わり、二人はオフィスの窓際に立った。

夜の東京が、眼下に広がっている。

「……結局、次も私たちがメインなのね」

柑奈が、少し呆れたように言った。

「ええ。社長の言うことですから、逆らえません」

九条も、苦笑した。

「でも……まあ、悪くないかも」

「え?」

「だって、また、あなたと一緒にゲームを作れるんでしょ?」

柑奈が、九条を見上げた。

九条は、柔らかく微笑んだ。

「……そうですね。それなら、悪くない」

「でしょ?」

柑奈は、九条の手を握った。

「私たち、まだまだバグだらけよね」

「ええ。シナリオ通りにもいきません」

「でも、それが楽しい」

「ええ。それが、僕たちらしいです」

二人は、互いを見つめ合った。

そして、ゆっくりと、唇を重ねた。

長い、深いキス。

もう、躊躇いはなかった。

ただ、愛しい相手を感じる。

それだけで、幸せだった。

唇が離れた時、二人は顔を赤くしていた。

「……帰りましょうか」

九条が、小さく言った。

「うん」

柑奈は、九条の腕に、そっと抱きついた。

「……今日、本当に泊まっていい?」

「……はい」

九条の声が、少し震えていた。

柑奈は、くすりと笑った。

「冗談よ。まだ早いわ」

「……そうですよね」

九条が、安堵したような、少し残念なような表情を見せた。

柑奈は、九条の頬にキスをした。

「でも、いつかね」

その言葉に、九条の心臓が、大きく跳ねた。

「……はい」

二人は、手を繋いで、オフィスを後にした。

廊下を歩きながら、柑奈が言った。

「ねえ、明日、デートしない?」

「え? 明日は日曜ですけど……」

「だからよ。やっと休みなんだから、ちゃんとデートしたいの」

「……そうですね。じゃあ、どこに行きますか?」

「んー……水族館、もう一回行きたいな」

「あの、初デートで行った?」

「うん。今度は、ちゃんと楽しみたいの」

柑奈は、嬉しそうに笑った。

九条も、微笑んだ。

「分かりました。では、明日10時に駅前で」

「今度は遅刻しないわよ」

「期待してます」

二人は、エレベーターに乗った。

静かな空間。

二人だけの時間。

柑奈は、九条の腕に頭を預けた。

「……ねえ、九条さん」

「はい?」

「私、幸せよ」

「……僕もです」

九条が、柑奈の頭を優しく撫でた。

「あなたと出会えて、本当に良かった」

「こちらこそです」

エレベーターが、1階に到着した。

二人は、手を繋いで、ビルを出た。

夜の街。

静かで、でも温かい。

二人は、ゆっくりと歩き始めた。

「……この先、また色々あるんでしょうね」

柑奈が、ふと呟いた。

「ええ。きっと、バグだらけです」

「シナリオ通りにもいかないわね」

「ええ。でも――」

九条が、柑奈の手を強く握った。

「君となら、どんなバグも、乗り越えられます」

柑奈は、九条を見上げて、微笑んだ。

「……うん。私もよ」

二人は、夜の街を、手を繋いで歩いていった。

その先には、まだ見ぬ未来が待っている。

バグだらけで、シナリオ通りにいかない未来。

でも、二人なら、きっと大丈夫。

どんな困難も、二人なら乗り越えられる。

なぜなら――

二人は、もう一人じゃないから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る