くねくね/よだそう

浜名湖うなぎ

くねくね



あー、くねくねだよ。

 

いや、なにって聞かれても。


だからくねくね。


知らない? けっこう噂とかにならなかった?


おかしいなー、ウチの方じゃけっこうなったんだけどな。


えーと、ほら、怪談みたいなもんだよ。都市伝説というか。田舎にある民話というか。ほら、友達の友達が云ってた~みたいな、そういう類の話。


いや、本当かどうかはわからないけどね。


ある子が小学生の夏休みに、家族で田舎に帰省するんだ。まあ、イメージどおりの田舎だよ。そう、田んぼと畑ばっかのアレ。


その子には兄がいて、いつも兄と一緒に遊んでいる。で、ある日、いつも通りに二人で遊んでいるときに、兄が急に立ち止まって田んぼのほうを凝視している。つられてそちらを見ると、なんかがいるんだ。


人っぽいんだ。形はね。でもよくわからない。あるいは人じゃないのかもしれない。どっちともつかない。全身は真っ白だし、顔は遠くて全然わからない。その、人っぽいのがね、動いているんだ。凄く激しく。


くねくね、くねくねってね。


とても人間にはできない動きなんだってさ。


その子が兄に「あれなんなの?」って聞いても、兄も「わからない」って云う。不思議がって二人でじっと見ていると、急に兄が「あっ」って云うんだ。で、弟は聞く。

「お兄ちゃん、あれがなにかわかったの?」


兄は答える。「うん、わかった」でも首をふってこう続ける。


「でも、わからない方がいいんだ」


そのまま兄は走って帰ってしまう。


ねえ、あれって一体なんだったんだろうね? っていう、まあそういう話さ。


え? そうそう、そこが大事な部分なんだよ。そうだな、確かにその子の兄に聞いてみりゃいいんだ。あれはなんだったのかってな。でも出来ないんだ。


兄は、その夜、気が狂って病院に入れられてしまったからね。


ははははは、そう。そういう怪談だよ。けっこう悪くないだろ


……まあ、待てって。けっこう長い話なんだよ。確かに、いまの話は一見、そのひどく汚れたダッフルコートとはなんの関係もないように聞こえるだろうけどさ。これから話ははじまるのよ。


前にさ、おれが昔、長いこと人の家に居候になってたって話、したことあるだろ?


そう、ナス。ボケナスのナス。それはさ、そいつがいつも着ていたもんなんだ。あいつ、夏でもそれを着てたんだぜ。その、もとは真っ白だったダッフルコートをな。笑っちゃうだろ?


あの頃、おれはろくに働いてもいなくてなあ。……なにをしていたかねえ。うーん、説明しにくいねえ。まあ、一言で云っちまえば、なにもしていなかったってことになるんだろうけど……あっ、そうだ、穴を埋めていたよ、うん。


いや、だから言葉の通りだって。ナスの奴がな、穴を掘るんだ。夜な夜な、自分ちの庭に。おれが寝ている間に。そう、けっこうでかい穴だぜ。人一人が入るくらいの。目を離してたら毎日だって掘ってたぜ。で、見つけるたびにおれがそれを埋めるわけだ。


徒労だよ。まさしく徒労だ。知ってるか? 穴を掘るのも埋めるのも、けっこうな重労働なんだぜ? それをまあよくも毎日毎日飽きもせず……暇つぶしだったのかね。まあそう考えとくことにしようか。


そう、ナスもね、仕事なんかしてなかったぜ。あいつ、両親が病気で死んでたんだけど、家とけっこうな金額の遺産残してたからね。とりあえずは、しばらく働かなくても食っていけるだけの金はあった。で、大学を出て、仕事もなく行く場所のなくなったおれは、ナスの家にあがりこんで世話になってたわけだ。それまでも、しょっちゅう上がりこんでたんだけどな。そうだな。二十二から二十五までの三年間は、完全にナスの家にいたな。


そう。二人とも無職で。なにもしないで。一日中ゴロゴロを三年間。ヒマがあれば穴を掘ったり埋めたりで。


……笑うなよ。でも笑うか。おかしいもんな。おかしいよ。


いや、だからさ、これからつながるんだよ、くねくねと。


そう、そんなある日のことじゃった……ってやつだな。


夏だよ。冷夏だったな。ちっとも熱くならねえんだ。おぼえてるか? あの年の夏、数十年ぶりの冷夏だってニュースじゃ云ってた。急に、ナスが云いだしたわけだ。

「くねくねを見に行こう」ってね。


もちろん云ったさ。「ふざけるな」ってね。だって、見たらどっちかが狂っちまうんだぜ? なんでそんなもん見に行かなきゃならねえんだよって、思うわな。でもねえ、結局行っちまったんだよねえ、見に。


だってさ、ナスの野郎がどっかに出かけたがるなんて、初めてだったんだぜ。二人でどっかに行くのなんて、はじめてだったさ。


まあ、信じてなかったしね、くねくねなんて。だって怪談だろ? 都市伝説だろ?


うん、で、まあ行ったわけ。えーと、田舎に。


どこだったっけなあ。それはおぼえてないんだわ。いや、ホントに。どこでも良かったからね、田舎なら。たしか、日本海側へ向かった記憶はあるな。朝早くに出発して、着いたのは夕方だったから、まあ半日ほども電車に揺られてついたわけだ。


おれはまあ、いつもどおりの格好だったよ。想像つくだろ? ああ、下はジーパンで、上はTシャツ、薄手のジャンバー、冷夏だったからね。そんだけ。荷物もなかったよ。おれもあいつも。元々、家にもあんまり荷物がなかったしな。もってくようなもんがなかったんだ。


で、ナスのやつがそん時も着てったのが、そのダッフルコート。ま、あいつのトレードマークみたいなもんだったからな。


どうだろう。たしか、一週間もいたんだっけな、そこに。そのままの格好で。


野宿だよ。その辺歩き回ってさ、ちょうどいいロケハンの場所探してたんだよ。そう、くねくねを見つけるのにね。


くねくねの目撃例ってほかにも知ってるか? ああ、知るわけないか。えーと、くねくねってのはな、やっぱ夏によく出るんだ。で、出るのはたいてい、田んぼか海なんだ。そう、海にも出るんだよ。浜辺とかで、子供が目撃するんだってさ。臨海学校で、一人の子だけが早く帰されて、そのまま学校に通ってこなくなったりとか、あるんだってさ。まあ、単なる怪談だけどね。


ま、ぶっちゃけた話を云うとね、夏と海、あるいは田んぼ。田んぼっては要するに水辺で、ここまで考えりゃ、くねくねの正体なんて、簡単に想像がつきそうなもんじゃないか。つくだろ? わかんない? 夏と水だよ。


陽炎だよ。そう、か・げ・ろ・う。


くそ暑い日にさぁ、道の向こうがゆらゆら揺れて見えることあるだろ? 熱気でさ。アレだよアレ。アレで立っている人がくねくね動いているように見えたんだろ。全身が揺れるから、まあそりゃ人間にできる動きじゃないわな。で、あとは話に背びれ尾びれってやつで。


わかってましたよぉ、そりゃ最初っから。おれは馬鹿じゃないからね。そう、云ったよ。ナスにも云った。最初に云ったよ。そりゃ陽炎だろうって。でも行くって云うんだからしょうがないだろ。しょうがないんだよ。ナスが行くっていうんなら、おれが行かなきゃしょうがないじゃん。


あいつさ、一人じゃなにもできないんだぜ。ほっといたら飯も食わねえ。ずっと布団から出てこねえ。およそ最低のやつだよ。ガキの頃からそうだった。……あ、そうだよ、ナスとは小学校の頃からのつきあいだったよ。しかも低学年の頃だったな、会ったの。


まあ、ともかく、おれはナスと行ったわけだよ、田舎に。くねくねを見に。そんでくねくねを見るのにちょうどいい場所さがしてたわけ。田んぼを見渡すのにちょうどよい場所が必要だったわけよ。


で、ちょうどよい場所が見つかったんだな。神社だったよ。ちょっと石の階段を上がったところにあってさ、いい具合にまわりを見渡せるんだ。田んぼばっかりだぜ。一面の田んぼ田んぼ田んぼ。遠くを見たら、今度は山しかねえ。ふざけてたなあ、あの景色は。たまらねえぜ、おい。


見渡すかぎりの田園風景、彼方には山、空を見上げれば……一面の曇り空。


たまらねえなあ、たまらねえよ冷夏。そこはさあ、一面の青い空のはずたろ? そうでなきゃカッコつかねえ。なのにせっかくわざわざ田舎に来たってのに、目の前にあるのがくもり空だぜ。たまんねえよ実際。カッコつかねえ。おれとナスときたら、いつもそうだった。なーにしても、なーにやっても、どっかでカッコがつかねえ。なんかに邪魔される。くだんねえくだんねえ。あー、くだんね。


初日はね、だから疲れてたし、もう日が落ちてたし、これじゃくねくねも見つからなかろうってことで、単に神社でグダグダしてたよ。その辺をうろつきまわったりな。


神社の横に階段があってさ、短いやつなんだけど。そこをのぼってみたら地蔵があって。泥だらけなの。コケ生えてて。で、足元見ると、小銭が落ちてんだ。一円と五円ばっか。拾ってみて、驚いたね。どれもこれも二十年以上昔に発行されたやつなの。いや、偶然かもしれないんだけどさ。まるで二十年前から時間が止まったままみたいな感じがしたんだよな。それくらい古臭いところだったよ。もう名前も忘れちまったけど。


夜までいろいろうろちょろして、夜はそのまま神社の境内にあがって、野宿した。


で、次の日から、本格的なくねくね探しだ。


まあ、本格的なっつっても、ただ単に日がな一日ボーっと田んぼを眺めてるだけだったんだけどな。いや、退屈でしたよ。退屈でしたとも。そりゃナスはいいよ。くねくね探すって目的があるんだから。おれはついてきただけだからね、なーんもすることがない。


ところがナスはおれに強制するんだな。「おまえもくねくねを探せ」ってな。


「一人では見つけても意味がないし、多分見つからない」ってわけだ。


確かに、噂に聞くくねくねの体験談では、いつも二人が見つけて、一人がなんなのかわかって、もう一人が問うと「わからない方がいいんだ」で、その夜にわかった方が気が狂う、というパターンばかりで、一人で見たってのは聞いたことがないし、ナスの言い分もわかる。わかるが退屈なもの退屈だ。


だってよぉ、じーっと見てたって、田んぼにゃあなんにもないぜ? 案山子が立っててさあ、豆粒みたいなじいさんやばあさんがのっそりのっそり動いていくのがたまに見えるのと、あとはごくごく稀にトラクターが通っていくだけで、車もろくに通らねえような田舎だったんだぜ。排気ガスが恋しくなったのは後にも先にもあん時だけだよ。


しかしまあ、仕方ねえから、その日はナスのまわりでグタグダしてたよ。


……いや、グダグダかどんなのかって云われても、困るしなあ。グダグダだよ、ホントに。会話ねえ。ろくな会話もないぜ。えーと、例えばだな。


おれが「なあ、ナス」と話しかける。


ナスは「なんだ」と答える。


「くねくねって、やっぱり案山子の見間違いかなんかじゃねえのか」


「かもな」


「でもこうして風に揺られているのみても、人間とは間違わないな」


「ああ、うん」


「くねくね動くってのはどんな動きなんだろうな。変な動きなんだろ?」


「だってな」


「なあ、ナス」


「なんだね」


「おまえおれの話聞いてないだろ」


「もちろん」


で、黙りこくって、セミがミーンミーン……


いつもこんなもんだったよ。三年間、どころじゃないな。はじめて出会ってた頃からずっとこんなだったよ。おれたちの会話なんてこんなもんさ。云ったろう? グダグダだって。


……ナスと出会ったときのことねえ……いや、一応、おぼえてはいるんだけどね。


あー、たしか小学校一年のときだったかな。おれ、昔、駄菓子が大好きでね。特にふがしが大好きだったんだ。そう、麩のまわりに黒糖ぬりたくっただけのあの安っぽいアレね。最高。で、近所の駄菓子屋でふがしを買うとな、小さな透明のビニール袋に入れてくれるんだ。それを歩きながらもぐもぐ食べて、食べ終わったらビニール袋を投げ捨てる。


そん時にな、たまーに、ビニールが風に乗って、ふわふわと飛んでいくんだ。おれはそれが好きでねえ。で、その日、ふがしを食べ終わったときに、今日はめいっぱい袋を飛ばしてみようと思いたってな、近所の公園に行って、一番高い滑り台のうえから、目いっぱい背伸びして腕を伸ばして、風が吹くのを待って、一番いい風で手を離したんだ。


飛んでったよぉ、いい具合に。ふわふわふわ~ってさ。で、おれはそれを追っかけた。必死に走ってさぁ、めいっぱい追っかけたんだ。よく車にひかれなかったもんだよ。夕方でねえ。だんだん赤くなっていく空に、どんどん溶けていくビニール袋が綺麗でなあ。ホント、必死に追っかけた。


見失ったのは、空が暗くなっちまってからだな。いや、ホントはとっくに見失っちまってたんだと思うよ。見失ってないと信じて追っかけつづけてたんだ。おれって、ホラ、そういう奴じゃないか。やなことは信じたくないからな。で、気がつけばまわりは真っ暗で、おれは見知らぬ公園にいたわけだ。悲しくってねえ、ビニール袋を見失ったことが。それで、帰る気もなくて、そこでぼんやり空を見上げてたよ。


そん時にな、おれと同じくらいのやつが、おんなじように公園でシーソーに座ったままぼんやりしててな。


お互いに気付いてはいたんだけど、話しかけることもなくて、ずーっと二人でぼんやりしてた。親が捜しにきて怒られるまで、ずーっとぼんやりしつづけてたよ。


まあ、そういうことだ。


とにかく、一日目はそんな風にグダグダで過ぎてねえ。


で、二日目。ナスよりも早く目が覚めたね。で、退屈で腹も減ったから、近くをうろちょろしてたら、ビニールハウスがあってね。中では蜜柑を栽培してた。食べごろってほどじゃなかったな。ちょっと青かったし、実際すっぱかった。


うん、だから食べたんだよ。いや、勝手に持っていってね。いやー、犯罪か犯罪じゃないかで云ったら前者に当たるかもしれないけど、まあいいじゃないの。時効時効。


で、ナスのところに戻ってそれ食ってたら、いつの間にかあいつが目を覚ましててね。


あの野郎、目を覚ますときに気持ち悪いんだよな。絶対に寝ぼけたりしてないんだ。急にパチッと目を開けて、それから二回だけまばたきをして、むくりと起き上がる。それでもう完全に起きてるんだから。気味のわるいやつだったよ、ホント。


ナスにあまった蜜柑食わせたら


「まずい」


贅沢なやつだよ。ほっといたら自分じゃなにも手に入れられないくせに。


まあ、そんなこんなで二日目もグダグダにはじまったね。


そんで、グダグダに終わったよ。


退屈でさ、おれは近くにある空き缶を拾ってきては、田んぼに向かって投げてたよ。ヒューと飛んでいってさ、だんだん小さくなってさ、それが稲穂のなかに消えてくの。落ちた音もしない。いや、面白くないよ。ちっともおもしろくなんかない。でも退屈だったからな。そういうことでもしなきゃやってられないよ。


当然、その日もくねくねなんて見つからなくてね。


夜はなあ、あんまり眠れないもんだから、しばらく二人で○×ゲームしたりしたな。木の枝で地面に書いて。そう、あの○か×三つ並べたら勝ちってやつ。たいてい引き分けになるアレ。アレをねー、多分、三時間くらいはやってたんじゃないかな。神社の前の広場、全部○×ゲームで埋まったからな。


いやあ、ひどいもんだよ。夜中に三時間も○×ゲームに興じる二十五歳の二人組み。終わってるよなあ。こんだけ終わってるとむしろ爽快だよ。


三日目はねえ、ちょっとおれ、かるい限界を迎えたね。


もうイライラしちゃってさ。とにかくどこか別の場所にいきたかったのね。で、移動しようぜって提案して、もめたね。ずいぶんもめたよ。ナスの野郎、一度決めたら絶対に変えないんだ。なんだってそうだったな。厄介なやつだよ。


で、大喧嘩して、おれは飛び出した。


つってもまあ、食い物も飲み物も切れてたから、買い物にでも行って、ゆっくり帰ってくりゃほとぼりも冷めるだろってだけの話だったけどな。


一番近くの自動販売機までねえ、二十分歩くんだよ。信じられるか? 自販機まで二十分だよ? 田舎ってのはねえ、ホント実に田舎だよ。で、さらにはコンビニが見当たらないんだ。もう全然ないの。信じられなかったね、実際。


そしたらね、近くをガキの集団が歩いてたんだ。三人だか四人だったかな。で、まあそいつらに道を訊いたわけだ。近くにコンビニかスーパーないかって。そしたらタダじゃ教えないときやがった。まったく、ガキというのはいつの時代もずうずうしいもんで、まあそれが仕事のようなもんだから仕方ないんだけど。で、おれは千円札を取りだして、そいつを餌にコンビニを教えてもらった。


驚いたことにねえ、そこからさらに四十分は歩いたね。そこしかないんだってさ、コンビニ。まいったね、実際。歩き通しで。


あ、そうそう、千円札は、飛行機にして飛ばしてやったよ。ガキども、たかが千円を追って全力疾走で走ってったよ。うらやましかったね。たかだか千円であんなに夢中になれるのがさ。


コンビニでもてるだけめいっぱいジュースとか食いもんを買って、そんとき、ついでに聞いてみたんだよ。店員に。


「くねくねってこの辺に出るかな」って。


そしたら、コンビニってのはド田舎でまでおんなじだね。あからさまに学生バイトですって感じの店員で、人が質問しても迷惑そうに首をかしげてさ「さあ、どうでしょうね」


そんだけ。答えになってねえっつうの。まあ、おれだっていきなりくねくねのこと聞かれたら困るけどさ。


結局、戻ったのは喧嘩してから三時間くらいたってからだったな。帰り道はしんどかったぜ。両手いっぱいに荷物もってたからな。いやあ、あれは疲れた。両腕が抜けるかと思った。あんまり辛いからさ、なんでナスなんかに食わすためにこんな目に合わなきゃならないんだって、むかついてきてな、最後の直線に出るとき、ナスのいる辺りをじっと睨みながら歩いていたぜ。


そしたら、ナスと目があってな。遠かったけど、はっきりわかったぜ。つきあいが長いもんな。一瞬だけど、ばっちり目が合った。あいつもおれが戻ってくるほうを見ていやがったんだ。


すぐに目をそらしたのはナスのほうだ。プイって目をそらして、見えない場所に消えちまいやがった。そういうやつだよ、あいつは。そういう奴だったんだ。昔から。どうしようもない奴だよ。ホントに。


その日はなにも話さなかったね。お互い勝手に袋の中をあさって、いろんなものを食いあさったね。親の仇のように食ったよ。もう腹がいっぱいだってのに、ナスの奴が手を止めないから、おれも意地になって食いつづけた。


うん、まあ、吐きそうになったね。なんとか吐かなかったけど。でも身動きがとれなくなってね。夜になってからは、地べたにねっころがって、じっとしてたよ。その日は、運良く晴れててな。その場所に行ってから、はじめて星空を見たんだったな。


綺麗だったよ、実際。見事なもんだった。あれが、星空だったんだな。それまで、おれは星空なんて知らなかったのかもしれないな。あの時よりも綺麗な星空は、ちょっと見たことがないぜ。本当に、星が降ってきそうなんだ。吸い込まれそうになるんだな。ちょっと離れた場所でさ、ナスのやつもぶっ倒れて星空を見上げてんのね。話もしないでさ、二人であの星空を見てたんだ。本当に、どうしたもんだろうね。二人して、星空なんか見上げてさ。そばにいるのに、となりには来ないでさ。馬鹿らしいよな。そのまま眠っちまったよ。


四日目は、まあ、相変わらずでね。要するに、くねくねなんて見つからずに、無駄に時間だけが過ぎてったよ。


ああ、ちょっと話をしたな。くねくねについて。


うん、なんだって、くねくねを見ると気が狂うんだろうなって、話し合ったんだよ。


ナスは、見ることが重要なんじゃないって、何度も云ってたな。


「見ても大丈夫だが、理解すると気が狂う。これが、くねくねが他の妖怪の類と一線を画すポイントだ」って。


うん? いや、だからな、たいてい二人で目撃するって云ったろう? で、一人がわかって「わからない方がいいんだ」で、気が狂う。


ナスは、なんていったっけな。えーと「くねくねは能動的ではない。受動的な存在だ」だっけな。


「結果だけ見ると、気を狂わせているのだから、有害な存在に見えるが、実際は理解した人間が勝手に狂っているだけで、くねくね自体は有害ではない。見たものに内在する狂気を引き出すだけだ。ゆえに、くねくね自体は無害である」


とかなんとか、まあ簡単なんだか小難しいんだかわからないことを云ってたな。


要するに、くねくねってのは存在じゃなくて、現象なんだとさ。


意味? 知らね。ナスがそう云ってただけだもん。おれはその言葉しかもう覚えてないや。そんなもんだよ。


ああ、それでな、くねくねを見るとなんで気が狂うかってのには、いくつか説があるんだけどな、えーと、単純にすごく恐ろしい顔をしているとか、くねくねは死神なんだとか、くねくねを見ると過去のいやな記憶が数倍にふくれあがって蘇ってくるからだとか、まあ、いろいろあるけど、やっぱりいちばん有名なのは、くねくねはドッペルゲンガーだって説だな。


そう、出会うと死んじまうって云う、自分の分身。あれだね。気が狂うってことをさ、精神的な死だと考えるなら、確かにドッペルゲンガーの言い伝えとも合うっちゃ合うしね。それに、自分がさ、すごい勢いでくねくねしてる姿なんてさ、たしかにあんまりいい気はしないよな。


けど、どの説も、ナスはいまいち気に入ってなかったみたいだな。わがままな奴なんだ。


まあ、くねくねの正体がなんであれ、結局その日も、見つからなかったんだから、話し合うだけ無駄だったんだけどね。まあ、おれたちにとって無駄はいつものことだったから、気にならなかったけどね。


五日目の朝は、ちょっと驚いたな。


頭が痛くて目を覚ましたら、ゲートボールがはじまってたんだもんな。


そう、まわりを囲まれてんの。おじいちゃんおばあちゃんに。


どうもおれたちが寝泊りしていた場所は、近所のゲートボール会場だったらしいんだ。道理で砂利とかちゃんと整理してあって、やたら野宿しやすいのが気にはなってたんだけどな。


おれが寝たまま起きないから、そのままにしてゲームをはじめたんだってさ。で、だれかの打ったボールがおれの頭にストライク。それで起きたってわけ。ゲートボールの球ぶつけられて起きるなんてことが自分の人生にあるとは、まったく予想がつかなかったよ。ましてや、それを打ったのがナスだなんて、考えもつかなかった。


じっちゃんばっちゃんに混じってやってたんだよ、ナスのやつ。誘われたんだってさ。道具は借りたらしい。ふだん若者とゲートボールをやるなんてことないからさ、なんだか気に入られたらしい。


二、三時間はやってたよ、ゲートボール。楽しそうだったね、実に。ゲートボールのルールってさ、知ってる? 相手の邪魔をするのが基本戦術なんだよな。底意地の悪いやつには向いたゲームだよ。ナスにはぴったりだったみたいでな。まあ、素人だからド下手だったけど。ボロ負けしてたね、ナスのチーム。それでもみんな楽しそうだったぜ。老人はいいね。じつにいいよ。老人はいい。ナスも云ってたな「できるなら老人になりたい」って。「生きてりゃじきになれる」っておれは答えてやったけどね、無視されたね。


なんか、ホントにずいぶん気に入られたみたいで、道具もらってたよ、ナスのやつ。うん、ゲートを一個と、ボールを一個と、あとスティックね。あれって、案外安くないんだぜ。よっぽど気に入られたんだな。無愛想なやつなのに。


その日一日、あいつはスティックを抱いていたよ。手放さなかったね。おれが借りようとしても、触らせてもくれなかったよ。昔っからそういうやつだったね。自分の手の中にあるものは、誰にも触らせようとしないやつだったよ。


小学四年生の夏休みだっけな? 近所のガキどもの間で、セミ投げってのが流行ってね。


まず、セミを捕まえる。そんで、投げる。投げると、空中で飛んでいくじゃないか。で、そいつが着地した地点を競う遊び。着地したときに死んでたり、着地しないでどっかに飛んでいっちまったら負け。そういうずさんなルール。


まあ、たいていのやつは思いっきり投げすぎて、地面に叩きつけたり壁にぶつけたりして死なせてたね。子供らしく陰惨な遊びだよ。まあ、考案したのはおれだったんだけどさ。


で、その日もおれたちはセミ投げをしていたわけだ。で、何匹もセミを死なせていたわけだよ。それで、まあわいわい楽しくやっていたわけなんだけど、ふと気付いたら、公園の隅にナスがいるのな。


おれの家とナスの家はわりかし近かったんだけど、ナスはその頃、事情がいろいろあって、おれと同じ学校に通ってなくてね、そんときは、久しぶりに会ったんだったな。相変わらず辛気くさい顔しててな。じとーっおれたちのほう見てるの。だれも話しかけなかったね、いつもそんなもんだったよ。友達がいないんだ、あいつ。辛気くさいから。


で、そん時も胸になんか抱いていたね。封筒だったよ。大きめの。書類とかが入っているようなやつ。事実、はいっていたわけなんだけど。


ナスはおれたちから離れた場所で、公園のあちこちに行っては、しゃがみこんでなにか拾っててね。気になってのぞきに行ってみたら、セミの死骸をその封筒に入れているんだな。うん、おれたちがしくじって殺したセミの死骸。


「おまえ、なにしてんだ」って聞いてもなにも答えない。もくもくとセミの死骸を集めてる。ついて回ってずっと見てたら、封筒いっぱいになるまでつめこんで、今度は林のほうに行っちまった。それで、素手で穴を掘りはじめてね。これがとろくさいんだ。片手は封筒をおさえてたし。


仕方ねえからとなりに行って手伝ってやってよ。思えば、このときがおれがあいつに一番近づいたときだったな。


え? そうだよ。ううん、ないんだ。おれはね、ナスに触ったことがないだよ。一度もないね。ガキの頃から思い出しても、一度もないや。


逃げるんだよ、ナスのやつが。触らせないんだ。おれだけじゃないぜ。たいていのやつからスッと身を引いて、絶対に触らせないんだな。一緒に住んでるときもそうだったぜ。あの時期にはもう、あいつの距離のとり方は円熟の域に入っていたからな。おれが一歩近づけば一歩ひいて、おれが一歩ひけば一歩近づいてくる。


まあ、そんな関係だったよ。


で、ナスのやつと一緒に林で穴を掘ってね。まあなんとかやつが納得いくだけの大きさの穴にしたよ。で、なにすんのかと思ったら、封筒をひっくり返して、中に入ってたセミの死骸を全部穴の中にいれてね。


「なにしてんだよ」って聞いたら「練習だよ」って答えてたな。


最後に、封筒から紙束が落ちてきてね。ナスはあわててそれを封筒にしまいこんでたよ。「それなんだよ」って聞いたら「けんりしょ」だってさ。


ああ、そんときゃガキだからわかんなかったけどな、家の権利書だよ。あいつの家の。


ほら、あいつの両親、二人とも病気で死んだって云ったじゃん? 実際に死んだのはそれから二年後だけどさ、もうダメだってわかってたんだろうな、二人とも。だからって、子供に家の権利書持ち歩かせることもないと思うけどさ。ま、ナスの親だけに少しおかしかったんだよな。


まあ、だから、それからも何度かあいつを見たけど、いつもその封筒を大事に抱えていたよ。触らせなかったね。だれにも。


で、なんの話だっけ? ゲートボール?


ああ、そうそう。それでな、その日は一日中、スティックをもちながら行動してたよ、あいつ。風呂に入るときまでな。


うん? あ、そうそう。風呂に入ったんだよ、その日は。風呂っていうか、温泉だけど。、ゲートボールやってたじいさんの家に温泉があったんだけどさ、おれたちがあんまりひどい格好してたもんだから入れてくれたんだ。


昼間はいつも通りにくねくね探してて、夜になったら、じいさんがトラクターで迎えにきてくれたよ。いいじいさんだったよ。方言がきつすぎてなにしゃべってるのかちっともわからなかったけど。仕方ないからこっちが適当に笑ってううん頷いてるだけで、嬉しそうだったな。家にはばあさんがいなかったから、先立たれて淋しかったのかねえ。


温泉はね、なかなか良かったよ。じいさんの個人的なもんだから、小さいもんだったけどね。まさか二人で一緒に入るわけにはいかないからさ、おれが先に入って、交代でナスが入った。露天風呂でさ、見上げる空がまた綺麗でね。


お互い、相手が入っているときは垣根の向こうで待ってたんだけどさ、姿は見えないけど距離は遠くないわけよ。なんか変な話、話がはずんだね。いつも一緒にいても、ちっとも話さないくせにな。おかしな話だよな。おかしな話だよ。顔が見えないと話せるなんてさ。


ああ、夢の話をしたよ。青臭い夢の話さ。おれ? おれのなんてどうでもいいじゃねえか。ええ、とおの昔に夢破れましたよ。だからいまこんななんじゃねえか。


あいつの? なんか、残すことだってよ。一枚の絵、一篇の詩、一曲の音楽、なんでもいい、なにか残したいってよ。自分で作ったものをね。だれに認められなくてもいい。自分が満足して、それを見た誰か一人が、馬鹿なやつだと笑ってくれればいい。


馬鹿なやつだと笑ってくれればいい、だってさ。


ははは、笑ってやるよ、いくらでも。


馬鹿なやつだよ、あいつは、ホントに。


……ホントに、綺麗な夜だったよ。


台風が来るらしいってのは、その夜、じいさんに聞いて知ったんだったな。


晩飯までご馳走になって、あったかいみそ汁飲んで、そん時に聞いたんだ。食い終わったら、二人でぶらぶら歩きながら神社にもどって寝たんだけど、いやあ、次の日は、えらくもめたな。


だって、台風が来るんだもんな。おれは帰ろうって云ったぜ。野宿で台風なんて、たまったもんじゃない。ところが、ナスのやつがウンと云わねえ。


「まだくねくねを見つけてない」と来たもんだ。見つかるもんかっつうの。


おれはさ、べつにいいんだ。知ってのとおり、わりと丈夫な身体をしているもんでね。でも、ナスの身体はさ、病気で死んだ両親ゆずりのもんだからさ、ダメなんだよ。台風の日に、外なんかにいちゃ。簡単にぶっ壊れちまう。


なのにあいつ、意地になって座りこんじまってよ。立ち上がろうともしねえ。おれもおれで意地になっちまってさ、あいつに背中向けて、ずっと罵ってたね。


「このクズ野郎、一人じゃなにもできねえくせに」とか。「おれだけでも帰るぞ」ってのも云ったな。


そしたら「帰れよ。そのほうがよっぽどマシだ」って。そんなこと云われちゃ、帰れるわけねえよな、男として。


日が暮れていくにしたがってさ。台風がさ、だんだん近づいてくるのがわかるんだ、やっぱ。風が少しずつ強くなってさ、一面に並んだ稲穂がものすごい勢いで揺れているんだ。雲がどんどん流れていくし、神社を囲んだ木のざわめきがすごいんだ。帰れ帰れって警告してるみたいでさ。なんだか、化け物に囲まれている気がしたよ。うん、怖かったね。自然ってのはこわいよ。かなわないからさ。


寒くてさあ。ほら、おれ薄手のジャンバーしか着てなかったからさ。ナスはぶ厚いそのダッフルコート着てたからいいだろうけどさ。おれは寒くて、震えだしてねえ。でもよく見ると、ナスのほうがもっとガタガタ震えてるんだ。


夕方になったら、あの温泉のじいさんが心配して来てくれて、うちに泊まればいいって誘ってくれたんだけどね。おれはそうしたかったんだけど、ナスがね。絶対に立ち上がらないんだ。


じいさんが無理にでも連れていこうとして、ナスの腕をつかもうとしたんだ。そしたら、ナスのやつ、昨日もらったスティックを振り回しだしてね。幸い、じいさんには当たらなかったんだけど、まあじいさん怒っちゃってね。ぷりぷりしながら帰っちまった。


寝なかったな、その夜は。二人でずっと背中向けて、どんどんひどくなっていく風鳴りを聞きながら、夜の田んぼを眺めつづけていたよ。なにもいるはずがない田んぼをね。なんにもいなかったよ。くねくねなんて、いるはずがないじゃないか。


冷夏だったからね。おまけに台風まで来ちまった。


せめて、例年のような夏だったら、陽炎が見れただろうに。冷夏だったから。一週間もいて、それすらも見えなくて。


勘違いでもよかったんだぜ。見間違いでも。なんでもよかったんだ、おれは。くねくねを見たような気にさえなれれば、それで帰る口実になった。帰れれば、あとはまた、いつも通りの、くだらないグダグダしたヒキコモリの日常が待ってくれているんだぜ? 帰りたかったさ。


帰りたかったよ。あの家に帰りたかった。


台風が上陸したのはさ、七日目の朝だったよ。ひどい風とどしゃ降りの雨でさ。わらっちまうよな。雨粒が顔に当たって痛いんだぜ。全身にぶつかってくるんだ。もう、服なんてあっという間にどろどろでさ。


ナスのやつ、そのどろどろの格好で石段の一番上に必死で座り込んでさ、もうひどい雨で前なんて全然見えないのに、必死で田んぼのほう見ててさ。醜い姿だったよ、あれは。長い髪がばっさばっさ風にもってかれててさ。見ててちぎれるんじゃないかと思ったよ。ひでぇ姿だったよ。


まあね、引っ張って帰るなりどこかに避難するなりすりゃ、よかったんだけどね。


それができなかったんだな、おれは。それができなかったんだよ、ずっと。何年も。


「なんでそこまでしてくねくねが見たいんだ」って、おれは叫んだよ。でもひどい雨音のせいでほとんどかき消されたね。ナスは首を振っただけだったけど、聞こえていたのかいなかったのか、わかったものじゃないね。


わからないよな。普通わからないよ。なんだって、見たら気が狂うようなもんを好んで見に行くのかなんて。おれだってわからなかったさ。いつだってわからなかったよ、あいつの考えていることは。わかれば、少しはマシなことが出来たかもしれないけどな。もうどうしようもないけどね。手遅れだしね。


それでも、あいつは本気だったんだぜ。本気でくねくねを見たかったんだ。


時間なんてまるでわからなくてさ。空は暗いし、風はどんどん強くなるし、雨で視界は最悪だしさ。もうやけになって、おれも近くでずーっと田んぼの方を見てたよ。どんどん疲れてきてさ。頭がボーっとして来るんだ。多分、もう風邪ひいてたんだろうな。なんだか、なにも考えないで視線を送っているとな、不思議と、田んぼの様子が見えているような気がしてきたんだよな。錯覚なんだろうけどさ。すごい、稲穂の一本一本まではっきり見えたような気がして。それで、退屈だし、頭は馬鹿になってるし、端っこから一本一本、稲穂の数をかぞえてたんだ。いくつまでかぞえたっな。意味のない数字だけどさ。


……二万三千九百七十五。


そうだ、二万三千九百七十五本目をかぞえたときだったよ。おれが、はげしく動く白い物体に気がついたときは。


おれは驚いて、なにか云おうとして、ナスのほうを見たんだ。その瞬間に、ナスは立ち上がって、かけだしていたよ。前のめりになって、ころげ落ちそうになりながら石段を降りていったんだ。実際、最後のほうは落ちたんだと思うよ。地面に手をついて、それでも止まらなくて、走りだしたんだ。


そう、くねくねに向かってさ。


おれもあわてて走ったよ。でも、あのときのナスは早かったな。そもそも、ナスが走る姿なんて、あのときが見たのが初めてだったな。無様だったよ。ずっとこけそうになりながら走ってるんだ。でも追いつけないんだな。追いつきたくなかったのかもしれない。追いついちゃいけないような気もしたんだ。でも、ともかく追いかけた。


あぜ道を走りぬけてね。ドロをはね飛ばしながらさ。一回こけてね。田んぼん中でさ。顔まで泥だらけになって、でもすぐに雨で流れていくんだな。全部流れていっちまうんだ。そんで、二人して無様なままでさ、たどり着いたんだよ。


くねくねのところにさ。


ナスは、くねくねの足元に突っ伏してたよ。何度もドロドロの地面叩いてた。顔面を何度も泥に突っ込んでさ。なんか、わけのわかんない言葉を喚いてた。喚いてたよ。


……ははは、バカだなあ。


はははははははははは。いるわけないじゃないか。くねくねなんて、いるわけないじゃないか。ホントに、バカだな。


案山子だよ。風で、どっかから飛んできたんだろうね、案山子に白い布が引っかかっててさ、それが風にたなびいててさ。案山子が揺れて、動いているように見えたんだ。そんだけだよ。そんだけ。


最初からね、そんなことだとは思ってたんだよ。ナスだってね、わかってたと思うぜ。それでもさ、もしかしたら、もしかしたらって、思うじゃないか。無駄だとわかっていてもね。無駄だとわかっているからこそかな。


おれ、なんも云えなくてね。ずっとバカみたいに立ってたよ。ナスの後ろにね。ナスは立ち上がろうともしなかったな。ずっと突っ伏してて、時々わめいたり、うめいたりしながら、何回も何回も地面を叩きつづけて、全身ドロドロになってた。


気がついたらさ、雨が止んでたよ。風も止まってね。空が晴れてるんだ。青空だったよ。台風の目だったんだな。まわりにゃあ、突っ伏しているナスと、アホみたいに立っているおれと、案山子だけ。


なんだか、笑い転げたくなったよ。なにやってるんだろうな、おれたち、ってさ。いつもこんなんだ。無駄にあがいて、あばれて、ジタバタして、そのくせ、一歩も進まなくて、近づくこともできなくて、触れられなくて。おんなじ場所で、くねくねしてる。


それがおれたちだったんだな。


「帰ろうぜ」って、云ったんだ。


ナスは立ち上がったよ。それから、おれの襟首をつかんだんだ。弱々しいもんだったよ。おれをひっぱったつもりなんだろうけど、向こうのほうが近づいたくらいだ。


「私はただ」ってナスは云ったよ。


「ただ……ただ……」って、くりかえし、口をパクパクさせてさ。


なにが云いたかったかなんて、知るもんか。そのまま、ナスは走って行っちまったんだ。あわててコートの袖をつかんだよ。ダメだったね。あいつはコートを脱ぎ捨てて行っちまった。それが、そのコートさ。


ああ、追いかけなかったよ。わかってたからね。


もう、夏休みは終わりだってさ。


それからおれがどうしたかって?


生きてたよ。必死に生きてたね。仕事見つけて、がむしゃらになって働いて、もう、とにかく前に進もうと必死だったよ。だってさ、もうナスはいないんだからよ。生きていくしかないだろう?


生きていくしかないじゃないか。


ナスが死んだのはあれから一年くらい経ってからだっけな。


病院から連絡があってね。病気だったんだ。ずっと昔っから。あいつの両親と同じ病気でさ。あいつ、あのまま病院に戻ったんだよ。バカだよな、病状が悪化したのは、あの日に台風ん中で一日過ごしたからに決まってるぜ。ホントに救いようがないやつだよ。ほっといたらなにもできねえで、しまいにゃ死にくさりやがった。


焼け残った骨だけになってさ、はじめてあいつに触れることが出来たぜ。ひどく軽くて、なめてみたらしょっぱかった。まあ、あいつの人生、しょっぱかったからな。仕方ねえから、あいつン家の庭に、穴掘って埋めてやったよ。あいつが掘ってたのより、ずっと小さい穴で平気だったぜ。日本は火葬だってのに、馬鹿な練習をしてたもんだねえ、あいつも。


それだけだよ。くねくねなんて、いないんだ。


でもさ、それでもときどき思うぜ。ふと見上げた星空が、けっこう綺麗だったりさ、どっかの田んぼの横を通り過ぎたりしたときにはさ、あの一面に広がる稲穂の波をさ、思い出しちまうよ。それで、想像するんだ。いつかまた、あの場所に行くことをさ。


そこでおれは、見つけるんだ。くねくねをさ。くねくねは二匹いるんだ。真っ白いのと、真っ黒いのと。二匹そろって、少し離れたまま、近づきもしないでくねくねくねくねしてるんだ。ずっとくねくねくねくねさ。


そいつらはさ、おれとあいつの顔をしているんだ。あの頃のままの姿でさ、ずっとくねくねしてるんだ。ずっとだぜ?


そんなものを見ちまったらさあ、おれは、うらやましくてうらやましくてさあ……きっと気が狂っちまうぜ。狂っちまうに違いないよ。


……大丈夫だよ。不本意ながら、おれはいま、けっこう幸せなんだ。仕事はやりがいがあるし、捨てられないものもずいぶん出来た。なにより、おまえがいる。幸せだよ。幸せなんだ。


泣いてなんかないさ。泣くわけないだろう。


おれはもう、くねくねを探しになんか、行かないんだから。

  


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