第2話

 「っとと……!」


 前を歩くアナスタシアの後ろについて森の中を歩く。

 そのたびに、何かに躓いたわけでもないのに足がふらつく。

 今のですでに三回目だ。


 (なんだか歩きにくいな……)


 背が低くなったぶん、一歩で進める距離が短くなっている。

 以前のおれは鍛えていたわけではない。腕立て伏せだって20回くらいが限界だったし、ランニングも30分も走ればバテバテといった具合だ。しかし今、右手に持つ背丈を超えるほどの大斧を軽々と持ち歩くことができている。

 それらの違和感のせいで、体全体がアンバランスに感じる。


 (それに……)


 ちらりと自身の下半身を見る。

 身に着けている丈が膝上までしかないミニスカートが目に入る。ひらひらと太ももに当たる布の感触、そしてその中をスースーと空気が通り抜けていく感覚が下半身を心もとなくさせる。

 アナスタシアがこちらに向いていないのを確認し、スカートの裾をつかみ、そっと中身を確認する。そこにあったのは、もちろん以前は履いたこともない純白のパンティーだった。

 がっくりと俺はうなだれる。

 予想はしていたが、男として(今は女だが)、何か大事なものを失ったような気分になった。

 さっきは夢中だったから気にしなかったが、この格好で戦うなんて隠すどころの話ではないな。俺はできるだけスカートの丈が下になるように衣服を調節する。

 はぁ、と大きなため息をつく。


 「大丈夫?」


 元気がなさそうな俺に、アナスタシアが立ち止まって心配そうな声をかける。


 「大丈夫。ちょっと慣れてないだけ」


 「このあたり、結構地面が歪んでるから、足元には気を付けてね」


 俺の言葉を『森に慣れていない』と判断したのだろう。アナスタシアがそんなことを言う。


 「そうだ、アナスタシアさん」


 再び歩き出そうとした彼女を呼び止める。

 俺が何か言う前に、アナスタシアが振り返って言う。


 「『アナスタシアさん』なんて他人行儀じゃなく、アンでいいですよ!これから一緒に生活していくわけだし!ね、ペルちゃん!」


 アンはにっこりとほほ笑む。


 「ペルちゃんって……」


 気恥ずかしさを感じて、俺はポリポリと頬を掻く。社会人にもなってちゃん付けで呼ばれるのはなんだか面映ゆいものがあるが、アンの笑顔を見ていると「ちゃん付けはやめて!」と訂正するのも悪い気がして何も言えなかった。


 「あ、ごめんなさい、勝手に舞い上がっちゃってたんだけどペルちゃんは私と一緒に行くってことでいいんですか?」


 アナスタシア――アンが「おうちの人とか心配してるんじゃ……」と恐る恐るといった感じでこちらの表情をうかがう。


 「大丈夫だよ。家族もいないし、帰っても特にやることもないしね」


 ここに来る前の生活を思い出す。ゲームをして、会社に行って……ほかに何をしていたっけ?

 会社と家を行き来して、夜はゲームをする。そんな記憶しか思い出せないことに、少し悲しくなる。もっと彼女を作るなりなんなりしておけばよかった。


 「そ、それでなんだけどさ、アン」


 気落ちしかけていた気分をたたき起こしながら声を出す。


 「何ですか?」


 アンは小首をかしげる。


 「召喚獣って、というか、俺ってこれからどうなるの?」


 「これからですか」と、アンは思案するように目を閉じる。


 「うーん、とりあえず寮の私の部屋で生活することになると思います」


 「寮?」


 「はい、私、魔法学校の生徒なので」


 「へー、魔法学校に通ってるんだ」


 『ツイソル』にもそんな設定あったなー、とぼんやりと思い出す。確か、魔法職でゲームを始めた場合のスタート地点だったはずだ。


 「ええ、だからそこの寮にペルちゃんも一緒に寝泊まりする感じです。召喚獣は基本、召喚主と一緒に過ごすんです」


 初耳の情報にふーん、と相槌を打つ。


 「ということは、アンはそこの一年生?」


 確か魔法学校の1年生の課題として、召喚獣を呼び出すイベントがあったはずだ。先ほどの戦いでアンが俺のほかに召喚獣を呼び出していなかったため、そう思った。

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、アンの表情は凍ったように固くなり、場の空気が一気に冷え込む。


 「え……どうしたの?」


 「……生です」


 アンが何かを言うが、小さすぎて聞き取ることができない。


 「ごめん、なんて言ったの?」


 「……年生です」


 アンはうつむきながらごにょごにょと何事かをつぶやいている。


 「えーっと……」


 アンが恥ずかしそうにこちらに向き直り、


 「二年生です!」


 と、顔を真っ赤にして叫ぶ。


 「今まで召喚魔法成功したことなかったので……」


 ふふふ、とアンはどこか遠い目をしながら笑う。


 「な、なんかごめん」


 「いえ、確かに一年生のうちに召喚するのが普通ですけどね……、別に、ちょっと私がほかの子よりできてないのが悪いだけですし……」


 いじけたように唇を尖らせる。

 どうやら彼女の地雷を踏んでしまったようだ。


 「あー、えーっと、まぁ、今回成功したからいいじゃん!」


 俺がそういうと、アンは少し思案したのち「そうですね!」とこちらに視線を向けて元気いっぱいに破顔した。




 それから1時間ほど歩き続けた。

 鬱蒼と生い茂った木々を抜け、なだらかな平原を越えた先に、5メートルはあるであろう、大きな石造りの壁に覆われた建造物が見えてきた。『王都ミリスタ』という名前だと、アンに後から教えてもらった。

 あたりは堀に覆われ、入り口には木製の跳ね橋がかかっている。人が列をなし、跳ね橋を渡り中に入っていく。俺たちもその列の一員として、次々と中へ入っていく人々を見ながら少しずつ前に進んでいる。

 8名の銀色の鎧を着た兵士が人の出入りをチェックしているようだ。目視で怪しい人物がいるか見張っているのだろう。時折列の中から何人かが連れ出され何事かを話している。

 俺たちは特に呼び止められることはなく、すんなりと街の中へと入ることができた。


 (斧は別に持ってても何も言われないのか)


 俺のほかにも剣や、杖のようなものを持っている人がいたが呼び止められたものはいなかった。どうやら武器の携行に関しては寛容なようだ。

 街の中は思ったよりもずっと活気に満ちていた。

 道の端に商店が立ち並び、人々が往来を行きかう。あちこちで値切りや客引きの声がにぎやかに響いている。

 往来を行く人々に通常とは違う姿をした人間の姿があった。

 肌を緑色の鱗で覆われ、細長い舌がチロチロと口から見え隠れする爬虫類の特徴を持つ者。背中から羽根を生やし、鋭いかぎ爪を持つ鳥類の特徴を持つ者。

 改めて異世界に来たんだなぁと感慨深く周囲を眺める。


 「これからどうするの?」

 

 周囲を物珍し気に眺めながらアンに尋ねる。


 「学校の寮に行きましょう。まずは寮長さんにペルちゃんのことを話しておかないと」


 「学校かぁ……」


 その言葉の響きに懐かしさを感じつつ、どんな場所なんだろうなぁと夢想する。

 その時、強風が一つ駆け抜けていった。

 スカートが風によってめくれ上がる。俺はとっさに両手でスカートを抑える。ガラン、と音を立てて、持っていた斧が地面に転がるが、その音は周りの喧騒にかき消される。幾人かはこちらに視線を向けるが、すぐに興味を失ったように視線を元に戻す。


 (み、見られたか?)


 カァっと顔が熱くなるのを感じる。


 (前はパンツを見られたくらい何とも思わなかったのに、なんでこんなに恥ずかしいんだ!)


 俺はスカートを抑えたまま、妙なむなしさがこみあげてきて思はずその場で立ち尽くしてしまう。


 「ここから30分くらい歩いたところにあるんですけど……ってペルちゃん!?」


 スカートを抑えその場から動けずにいる俺に、アンが「どうしたの!?」と心配そうにこちらに駆け寄ってくる。

 アンは膝立ちになり、動けずにいる俺の顔をそっとのぞき込む。

 

 「大丈夫?どこか痛いの?」


 俺は答えることができなかった。

 

 (あ、あれ?)


 恥ずかしさと、何かを失ったような喪失感が胸を締め付け、悲しいわけではないのに、なぜかぽろぽろとあふれ出る涙を止めることができなかった。


 「ペルちゃん……」


 アンが優しく俺の手をつかむ。


 「大丈夫、心配いりませんよ。何があったのかわかりませんが、私がいますから。困ったことがあったら何でも言ってください」


 そう言って、彼女は俺をやさしく包み込み、頭をなでる。


 「ず……」


 俺は、絞り出すように声を出した。


 「ズボンください……」


 「ズボン?」


 アンはキョトンした表情で俺のスカートを一瞥すると、俺にハンカチを差し出しながら、あっけらかんとした声で言った。


 「でも、スカート可愛いですよ?」


 俺はハンカチで涙をぬぐいながら、何とかズボンを手に入れなければと心に誓った。

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