第49話 最終話
ウルガンドの封印を終え、マール帝国の面々は、カリタス派のヨハン総主教やジギスムント皇子を含め、マール側の建物から続々と地上へと出た。
だが、そこにセキレイの姿だけがなかった。
彼女は、エティエンヌやゼノと共に、ユイナフ側の神殿から地上に出ていた。地下での死闘が嘘のような、静かな陽光を浴びながら、セキレイは、変わり果てた周囲を見回して静かに呟いた。
「⋯⋯随分やられたな」
辺りは、ウルガンドが連発した大地震によって、あちこちで深い地割れが起き、そこから水が溢れてぬかるみを作っている。古い巨木は根こそぎ倒れ、人工物が少ない地域とはいえ、点在していた教会や関連施設はそのほとんどが倒壊していた。
エティエンヌが、傍らに控えていた部下に指示を飛ばす。
「神殿に避難させている者達に、外はもう安全だと伝えてこい」
「はっ!」7人の部下は、再び神殿の暗がりへと力強く駆け出していった。
「エティエンヌ殿、ゼノ殿。この度は協力に感謝する」
セキレイは、2人に向き直り深く頭を下げた。
エティエンヌは、それを当然と言わんばかりに軽く受け流す。「お互い様ですな。どちらか一方ではなく、両国の危機でしたから」
ゼノも、すぐに同調した。
「そうですよ。⋯⋯まあ、発端はマール皇帝のしでかしたとんでもない不始末が原因ではありますけどね」
彼は、そこで意地の悪い笑みを浮かべた。
「――ところで、皇帝陛下の処遇はどうなさるんです? 僕が知るべきことではありませんが」
「⋯⋯ウルガンド以外のことは何も考えていなかった。皇帝については、ヨハン様やジギスムント殿下のご判断を仰ぎたい」
セキレイは、もう一度2人に頭を下げた。
「その件もあるので、私はもうマール側に行かなければならない。それで、今後のことだが――」
「その件ですが」
セキレイの言葉を遮るように、エティエンヌが、きっぱりと言った。「私は、カリタス派には入りませんぞ」
セキレイは表情を一切変えずに、その視線だけをエティエンヌの真っ直ぐな眼に動かした。
「私は、ユイナフ王国の騎士です。こんな私を慕って命を預けてくれている部下も、少なからずおりますからな」
エティエンヌは、胸に刻印された青薔薇の紋章に、そっと手を当てて言った。
「少なからずどころか、全軍がそうですけどね」
ゼノが楽しそうに笑う。
「だからこそ、ユイナフ軍を制御する上でも、エティエンヌ卿は本国に居てくださった方がいい――それはそうでしょうね」
「ただ」エティエンヌは続けた。
「この大陸のあらゆる営みが、ウルガンドの眠りの上に、いかに危うく成り立っているか。それを身をもって知った今、我が国がこれ以上領土的野心を持つ意味はない。いや、正確に言うなら、大陸全域を支配したところで真のリューネリアの覇者とは到底言えない――私はそう考えています」
「それはありがたいな」
セキレイは静かに頷くと、今度はゼノの方に向き直って問うた。「――ゼノ殿、そなたは?」
「僕は、ゆくゆくはカリタス派として貴女達と共に動きたいと思っていますよ。貴女達と居たら、今回みたいな面白い経験がまだまだできそうですしね。⋯⋯ですが、残念ながらまだ研究が完成していない」
「――絶対防御か?」
「ええ。今現在、貴女に変身したヴァル君だけが、それも、ほんの一瞬だけ使えるにすぎない。それではあまりにも心許ない」
「ウルガンドの伝説を意識しての研究かと思ったが」セキレイは、意外そうに言った。「そなたはあくまでも、神聖騎士団との戦いを想定しているのだな」
「エリュシオン大陸には、神聖騎士団と思われる戦士達に関する伝承が、かなりの数残っています。このリューネリアにだけ彼らが来ないと考える理由がないでしょう。現に貴女はここにいますし、かつてはリヒトもこの地に渡ってきた――」
ゼノは、自信ありげに続けた。「そんなわけで、あと少しのはずの研究が完成したら、合流しますよ」
「わかった」
「ご心配なく。研究の成果をユイナフの軍備増強に使うつもりはありませんから。まあ、時々は、国境を越えて近況をお伝えします」
「ああ。――では」
セキレイは、2人に軽く目礼をすると、神殿へと踵を返した。
ユイナフ側の神殿の入口からは、エティエンヌの部下に誘導され、大地震の被害にあった避難民達が、次々と外に姿を現し始めていた。
セキレイがマール側の神殿から地上に出ると、仲間達と皇子ジギスムントが誰かを囲んでいるのが見えた。
彼女が近づくと、その輪の中心には皇帝ルドルフ4世が、魂が抜けたようにへたり込んでいる。
「あ! 隊長だ!」
リオが大声をあげた。
「――どうした」
セキレイの、短くも鋭い問いに、モニカがやれやれといった様子で肩をすくめて答える。
「この人の処遇をどうしようか、ってね」
「――セキレイ殿」
ジギスムントが、青白い顔で進み出た。
「我が父親ながら、この度の皇帝の行為は、歴史上でも類を見ない、許されざる大犯罪です。これ以上カール家が皇帝の座に就き続けることは許されないでしょう。――ですが」
彼は、声を絞り出した。
「勝手な事を申しているとは、重々承知の上で⋯⋯この父に、生きるチャンスだけは与えてほしいのです」
「⋯⋯ジギスムント様。それを判断する権限は私にはありません」
「ですが、正規の手続きで皇帝を裁くとなると、あの巨人の真実までが明るみに出ることになります。今ここで決めなければ!」
ジギスムントの悲痛な声が響く。
「――それでは、こうしましょう」
それまで静観していたカリタス派総主教ヨハンが、静かに口を挟んだ。
「皇帝陛下の御身柄は、ひとまず、我々カリタス派の中央教会にてお預かりします。公式には、御自身の意思で出家なされた、ということにしましょう。その上で、私がサンクト派総主教のコンラート殿と直接話をし、事の真の経緯を伝えた上で、後継の皇帝について調整をいたします」
ヨハンは、そこで、ジギスムントの瞳を射抜くようにまっすぐに見つめた。
「――十中八九、これ以上の混乱を避けるため、事を大きくせず、カール家維持という結論になるはずです。皇子、貴方が次の皇帝となりましょう」
「そ、そんな⋯⋯! もう、カール家に、その資格は⋯⋯」
ジギスムントは、後ずさりしながら声を震わせる。
「殿下。その時には、迷いなくお受けください。私達は貴方を支持します」
セキレイが、優しく、しかし力強い声で言った。
ヨハン総主教が、頷きながら言う。
「家ではなく、人ですぞ。貴方ご自身が道を誤らねば、それでよいのです。⋯⋯そうは言っても、皇帝の突然の譲位はあらぬ憶測を呼びますからな。現皇帝陛下には、人目につかぬこの地で、静かに神にお仕えいただくことになるかも知れませんな」
「⋯⋯それで構いません。父への御厚情に、心から感謝いたします」
ジギスムントは、深く、深く頭を下げた。
自らの処遇が、目の前で淡々と話し合われているにもかかわらず、ルドルフ4世はただ呆けたように座り込んだまま、ぴくりとも動かなかった。
皇帝ルドルフ4世を連れたヨハン総主教、ジギスムント皇子、そして神官や魔法使いの一団が南へと出発していくのを静かに見送った後、モニカが、こわばっていた体を解きほぐすように大きく伸びをした。
「さてと、じゃあ私達も帰りましょうか。一旦ローゼンブルク? それとも、カリタス派として中央教会に直行?」
その問いに、セキレイは遊撃隊の仲間たちの顔を1人1人ゆっくりと見回し、そして、意を決したように静かに言った。
「――私は、このままエリュシオン大陸に渡る」
「な、何を言い出すの!?」
モニカが素っ頓狂な声を上げた。
「神聖騎士団は、どの時代のどこに現れるかわからない。こうしている間にも、私を狙う追っ手が来るかも知れない。以前からゼノは彼等を迎え撃つ準備を進めているようだが、私は、彼等の多くはまず天界からの転移先であるエリュシオンに現れると考えている」
「⋯⋯待ち伏せて、狩る――ってことですか、神聖騎士団を⋯⋯」
シュウが、緊張した顔で呟いた。
「ゼノと言えば、あいつらはどうするって、隊長? ユイナフ側の連中は」
「彼らはユイナフに残る。ゼノはいずれ合流するらしいから、ゼノとの行き来は密にしておけ」
「そりゃいいけどよ⋯⋯。隊長、あんた、絶対防御を失ったってのに、わざわざ神聖騎士団の現れそうな方に行かなくたってよ」
「言っただろう。私は弱くなったわけじゃない」
セキレイは笑いながら答えた。
「もっとも、通常の攻撃が通じない彼等との戦いでは、神気よりは絶対防御があるに越したことはなかったがな」
そして彼女は、一瞬だけ、どこか寂しげな表情を見せ、言った。
「――正直なところ、リヒトの神気に改めて触れて⋯⋯弟の足跡を、もう一度辿りたくなったのもある」
「そう言われたら、何も言えないけど――。でも、セキレイ様がいなくて、リューネリアの安定的な平和は一体どうなるのよ!?」
「心配は要らないさ」
食ってかかるモニカに、セキレイは静かに微笑んだ
「エティエンヌが軍を引っ張る限り、もうユイナフは、そうやすやすとマール領内に侵攻はしない」
そして、表情を引き締めて続けた。「今後、リューネリア大陸内におけるあらゆる軍事衝突に対し、カリタス派が動く。その主力はもちろん、お前達と――そして、ローゼンブルク騎士団だ」
「ええっ? ローゼンブルクも!?」
「いつの間に、そんな話になってたんだよ?」
「ローゼンブルクを発つ前、アルフレート様に、私はおそらく戻らないと話をした。表向きは、カリタス派に所属しなければならないと説明したが⋯⋯本当は、絶対防御を失い、ウルガンドと刺し違えるつもりだった」
「ずいぶんと引き留められたが、巨人を倒すためにはやむを得ないと、最後には納得いただいた。――シュウ、お前の騎士団入りもな」
「俺が⋯⋯騎士団に⋯⋯?」
「ああ。私の代わりに、お前だけは領都に帰すことになった。新入りだから役職はないが、私のいないリューネリア大陸で、最強の剣士としての責任はお前が背負うんだ」
「⋯⋯あなたの穴埋めなんて、誰も納得しないでしょう」
「心配するな。お前がエティエンヌと互角に戦ったことは、すでに知れ渡っている。だが、強さだけで全てが決まる世界ではないからな。常に謙虚でいろ。それと、カリタス派の主力であることも忘れずに、大陸全土を見ていろ」
「⋯⋯はい」
「ちょっと、ちょっと」
モニカが、慌てて割って入る。
「セキレイ様がいなくて? で、ゼノは当分来ない? その上、シュウがローゼンブルクに帰っちゃったら、カリタス派に常駐する戦力が、全然足りないじゃない!」
「おいモニカ、聞き捨てならねーな。今やあのウルガンドにも変身できちまう奴がいて、一体何が不満だよ?」
ダンが口を尖らせる。
「ヴァルがウルガンドになれるの、ほんの数秒でしょ!」
「いや、でもよ。オレ達ウルガンドと戦う前よりも、何かすごく強くなってる実感があるぜ。――不思議なことに、あの絵本とか、ウルガンドとか、大昔の秘密を知るたびに力が開放される感覚があるんだ」
「ダンの言う通りだ。この3人だけを見ても、遊撃隊の立ち上げ時点と比べれば、戦力の厚さは比較にならない。私も心配はしていない」
「え〜⋯⋯そうかしら⋯⋯?」
「ダン、ヴァル、リオ。お前達は中央教会に常駐して、ヨハン総主教の身の回りのお世話をしろ。そうして教会の手伝いをしていると、アストライア正教会に古くから伝わる秘密にまた触れることもあるだろう」
「いいね。もっと強くなれそうだ。な、お前ら」
ダンがニヤリと笑ったが、ヴァルとリオは、総主教の「お世話」という仕事がいまいちピンと来ず、困惑している。「そ、そうかな」
「じゃあ、今から私達4人は中央教会、シュウはローゼンブルクに、ってわけね」
「そうなるな。もっとも、モニカはジギスムント殿下が皇帝になれば、帝都での仕事も増えるかも知れないな。殿下はお前のことをずいぶん評価していた」
「はあ⋯⋯。ちょっと自由でいたいわね。私もそのうちエリュシオンに行ってみたいし」
「そうか。では、お前に見つかったら、私もリューネリアに戻ることにしよう」
そう言って、セキレイはすっと右手を差し出した。
モニカは、その手を両手で強く握り返して言った。その目には、いつの間にか大粒の涙が溜まっていた。
「私を舐めないでよね。そんなこと言ったら、すぐにでも見つけ出すわよ」
続けて、ダンが声をかける。「隊長。向こうでもし神聖騎士団に出くわしたら、どうにかしてリューネリアにおびき出せよ。オレ達が一緒に戦うぜ」
「それは心強いな。確かに、いざとなればエリュシオンから鷲ノ巣の森の神殿に転移できる。お前達の勘でいいから、何かが向こうで起こっている気がした時は、転移のルートを開けておけ」
「ああ」
セキレイは、最後に、仲間たち1人1人の顔をしっかりと目に焼き付けるように見つめ、微笑んだ。
「――では行ってくる。またあの神殿を通ってユイナフ側に越境し、港のあるライデンシュタットを目指す。皆、元気でいろ」
「セキレイ様もね」
モニカの声が、わずかに震えた。
セキレイは、踵を返し、まっすぐ神殿へと歩き出した。
ローゼンブルク遊撃隊は、決して振り返ることのない、その後ろ姿を、いつまでも、じっと見つめていた。(了)
リューネリア戦記 御池理文 @g-ribun
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