第48話 喪失
地下大空間に張り詰めていた死闘の緊張が嘘のように消え去り、静寂が訪れた。
壁際で固唾をのんで見守っていたモニカが、恐る恐る訊ねる。
「⋯⋯終わった⋯⋯の?」
「ええ。封印は完了しました」
ゼノが乱れた髪をかき上げながら、表情一つ変えずに静かにそう告げた。
「やれやれ、またしても異例の封印になりましたな」
ヨハン総主教が、安堵の笑みとも苦笑いともつかぬ、複雑な微笑を浮かべた。
「総主教様⋯⋯決定的な情報を、ありがとうございました」
セキレイが、総主教の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「貴女方は、この大陸の、そして我々の信仰の源を守るため、自らの命をかけてくださった。御礼を申し上げるのはこちらの方です。――それに何より、今回の封印の成功は、この若者のおかげです」
そう言って総主教は、ゼノの方を温かい眼差しで見た。
「この方の扱う神聖魔法は、どの宗派のどんな職位の者も敵わないほどの水準でした。驚いたことに、これほどの若さで――。この神殿での役割こそ違えど、私は、英雄リヒトの姿を思わず重ねてしまいました」
「⋯⋯私もです」
セキレイが、珍しく柔らかな笑みを浮かべた。
「とんでもない。かいかぶりですね」
ゼノは謙遜して言った。「前回は、天界が生んだ大天才がたった1人で全てを解決したようですが、今回は、彼の遺産に頼りつつ、大陸の人材を結集して、どうにかこうにかですからね」
「まあ、今日の我々の働きについては、後世のために、アストライア正教会の中でしっかりと残していただくとして――」
そう言いながら、ゼノは、大穴の中で再び静かな眠りについたウルガンドへと視線を移した。
「リヒトの遺産を、250年後の我々がただ食い潰して終わるわけにはいきませんね」
「⋯⋯何をする気です、ゼノ副所長」
エティエンヌが訝しげに問う。
ゼノは、その問いかけにはただ笑みを浮かべただけで、ひとり大穴へと歩み寄っていった。
大穴の周囲には、いつの間にかダン、ヴァル、リオの3人が身を乗り出すようにして立っており、静かに横たわるウルガンドを真剣な眼差しで覗き込んでいる。
「――考えていることは、同じなのかな」
ゼノが、ダンの背後から静かに話しかけた。
ダンの背後から話しかけたゼノに、ダンは頭を掻きむしりながら言った。
「現代のオレ達も何か残しとかねえととは思ったけどよ⋯⋯あんな芸当、どうやってもできそうにねえ」
「リオ君の能力で空間そのものを切り離せたら、封印としては最高だろうけど、250年どころか数分間持たせるのも難しいだろう。一方で、君の魔力はリヒトのように循環させれば長持ちはするが、その絶対量が全く足りない」
「さすがに整理が早えな」
「ダン君、一応聞くけどね」ゼノは、確認するように尋ねた。
「リヒトのように、ウルガンドの腰布と錫杖を魔力で連結させ、その魔力を絶えず循環させること自体は、問題ないかい?」
「一応答えとくけどよ」
ダンは、口の端を歪めて不敵に答えた。「オレ、エネルギー操作の王様かもしれねーんだぜ」
ゼノは、その答えに満足げに微笑して言った。
「では、循環の流れを作るのは君の役目だな。僕がその流れに魔力を上乗せする」
「そのオレだから分かったことだと思うけどよ」ダンは真剣な顔に戻った。「リヒトがあの仕掛けに流し込んだ魔力の量は⋯⋯異常としか言いようがなかったぜ」
「ヴァル君、僕に化けろ。エリアス=ゼノ2人分の魔力も、この世界に存在しないレベルの量だ。――ダン君、それでもまだ足りないかい?」
「うーん⋯⋯」ダンは言葉を選びながら言った。
「なんつーか、リヒトの魔力は深い深い大河みてーだった。人間の出せる力とは根本的に何かが違う気がしたぜ」
「――ヨハン様始め、先ほど封印を実行した皆さんにもお願いするとしよう。せめて、ウルガンドをこの穴に縛り付けておける程度の強度にはしないとね」
「私もやろう」
いつの間にか、セキレイが彼らの傍らに立っていた。
「セキレイ殿⋯⋯?」
「隊長、あんた魔力なんて持ってんのかよ?」
「――神気は、リヒト固有のものではない。天界の戦士は誰もが持っている」
「おいおい、マジかよ! ならウルガンド戦で出してくれよ!」
ダンのもっともな叫びに、セキレイは静かに答えた。
「神気と絶対防御は、併用できないんだ。絶対防御を持つ者が神気を使うと、絶対防御の機構そのものが失われる。だから天界の戦士は、任命の儀式――つまり絶対防御を備える際に自らの神気を完全に封印し、死ぬまで使わない」
それを聞いたゼノが、目を丸くする。
「⋯⋯ではリヒトは、絶対防御なしで、あのウルガンドと戦ったと言うのですか?」
「確かにリヒトは、絶対防御を備えずに神気を選んだ。だが彼には、有り余るほどの神気があった。それで絶対防御に匹敵する強力な防御壁を創り、常に張り巡らせていた。――史上最高の才能と言われた所以だ」
「⋯⋯まさか、セキレイ殿は」
「ああ。私の場合は、防御力を捨てることになる」
セキレイは、きっぱりと言い放った。
「どの道、ウルガンドを倒しきる攻撃力を得るために最後は決断をするつもりだったことだ。私の神気はリヒトには及ばないが、そなた達の魔力と合わせれば、ウルガンドを穴に縛りつけるぐらいの強度にできるはずだ」
「⋯⋯いいのか? 隊長」
ダンの心配そうな声に、セキレイは静かに、しかし力強く答えた。
「いいも悪いも、これしかない。ダン、魔力の流れを作れ」
「お、おう⋯⋯」
ダンは、ゴクリと唾を飲むと、再びウルガンドと4本の錫杖に、その意識を集中させた。
リオの能力で、ダンの姿が静かに横たわるウルガンドの巨大な腹の上へと移動した。ダンはかがみ込むと、恐る恐るその分厚い腰布に手を当てる。
「う、動かねえよな⋯⋯」
そう呟きながら、ウルガンドの巨大な腰布に自らの魔力を慎重に流し込んでいく。
「⋯⋯でかすぎて、薄く行き渡らせるだけでも相当の量が要るぜ、これは⋯⋯!」
その間、セキレイとゼノは、先ほどやっとの思いで引き抜いたばかりの錫杖を、再び大穴の隅に深々と突き刺していった。
ようやく腰布の全体を満たした魔力を、ダンは、四方の錫杖へと流し込もうとする。
「くそっ、思ったより、コントロールが難しいな⋯⋯! おい、ヴァル、リオ! どっかで紐みてーなもんを調達して、この腰布と4本の錫杖を結べ! 魔力を流すルートがオレの目に見えるようにしろ!」
このような複雑なエネルギー操作を行う上で、物理的な目印があるのとないのとでは、作業の難易度が天と地ほども違った。
ヴァルとリオは、慌てて壁際で儀式を終えた神官達の元へ行き、彼らに脱いでもらったローブを手当たり次第に引き裂くと、それを紐状にしたものをウルガンドの腰布に結びつけ、それから4本の錫杖に巻きつけていった。さらに、錫杖同士の間にもその布の紐を通していく。
「よし、随分とやりやすくなったぜ!」
ダンの魔力の流し込みが、俄然ペースを早める。
「――繋がったぞ!」
ついに、新たな魔力の循環が完成した。「皆、こっちに来い!」
ウルガンドの腹の上に、ゼノと、彼に化けたヴァル、そして、セキレイの3人が次々と降り立った。
「では僕から行こう。流れを太くしておいた方が、後から魔力を乗せやすいからね」
ゼノはそう言うと、片手を足元のウルガンドにつけ、ダンが繋げた通り道に、一気に、自らの神聖魔法の魔力を流し込んだ。
ゼノの膨大な魔力は、あっという間に、ダンが組み上げた循環の道を完全に覆い尽くしていく。
「⋯⋯簡単にやってくれるぜ」
ダンが、その圧倒的な技量に呆れたように言う。
「さあヴァル君、今見たまま、同じようにどうぞ。出し惜しみは一切なしだよ」
ヴァルもまた、たった今目の前で見た本物のゼノになりきり、その全魔力を一気に流し込む。だが、本家ほど器用に魔力を流し込むことはできない。
(まだ出せる⋯⋯す、すごい魔力の量だ⋯⋯!)
「まだまだ!」
ゼノが、容赦なく叱咤する。
「ふうっ!」
ヴァルは、どうにかゼノとしてその魔力を出し切った。
「よし、私だな」
セキレイが、すっとウルガンドの腰布に静かに手を当てる。
「⋯⋯未練ねーのかよ、隊長」
ダンの、心配そうな声が、飛ぶ。
「ないさ」
セキレイは、きっぱりと答えた。「絶対防御は失うが、それで弱くなるわけではない。⋯⋯見ていろ」
そう言うと、セキレイは深く息を吸い込み、気合いを込めた。
彼女の身体を中心に、凄まじいエネルギーの奔流が、爆発的に発生した。
「すげえ⋯⋯!」
ダンの目が見開かれる。
リヒトのものと同じ質を持った強大な神気が、まるで洪水のように、ウルガンドの腰布から4本の錫杖へと一気に流れ込んでいった。
「⋯⋯どうだ?」
神気を解放し終えたセキレイが、静かに尋ねる。
「⋯⋯やっぱり、あんたはすげえよ、隊長」
ダンは、興奮を隠しきれない様子で答えた。「――完成だ。これなら、元の仕掛けとほとんど変わらねえ」
「僕が思うに」ゼノが付け加えた。
「天界の神気、魔界の力、そして、この世界の神聖魔法と、三界の力を混ぜ合わせて構築している分、ひょっとしたら、リヒト1人のものより強固かも知れませんよ」
「だといいがな」
セキレイは、自分の両手を見つめた。もうあの絶対的な守りの感覚は消え失せている。
「私も、どうにかリヒトに対する面目が立ったよ。⋯⋯皆、ありがとう」
彼女は、心から安堵したような、しかし、どこか少しだけ寂しげな微笑を、仲間たちに向けた。
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