第47話 封印
準備完了を告げるゼノの報告を受けて、セキレイが地下空間全体に響き渡る声で叫んだ。
「よし! 奴が横たわっていた、あの穴の四隅に刺さっている錫杖を、今から抜く!」
それを聞いた瞬間、シュウとエティエンヌは迷いなく大穴へと走った。
「私達も行くぞ。ダン、お前も一つ抜け」
「ああ」
「ウルガンドの動きには、十分注意しろ! ヴァル、リオ。全員の動きをよく見て、危険だと思ったらすぐに守れ!」
「「はい!」」
セキレイ、ダン、シュウ、そしてエティエンヌの4人は、それぞれが大穴の隅に立った。アストライア正教会の最高位者にのみその存在が言い伝えられている錫杖は、そのほとんどが地中に深く埋まっているにもかかわらず、近づくと不思議なほどの存在感を放っていた。
「セキレイ殿。これは――ただの装飾ではないようですが、これを抜けば、一体どうなるのです」
エティエンヌが、錫杖から目を離さずに問うた。
「たった今、カリタス派のヨハン総主教様から聞いた話だ。この錫杖に込められた強力な魔力が、四方からウルガンドを強く引っ張り立ち上がれなくさせる。その間に、奴を完全に封印する」
「――ということは、4本同時に抜いた方がよさそうだな」
シュウが冷静に呟いた。
「そうだな。タイミングは私が合図する」
「いつでもいいぜ、隊長」
「こちらもだ」
「よし、では頼む!」
4人が一斉に、錫杖を抜きにかかる。
セキレイは、錫杖の冷たい金属でできた頭を掴んだ瞬間、その手に、確かに覚えのある気配を感じた。
弟リヒトの神気――。それはあまりにも懐かしく、そして驚くほど豊かで、彼女には、どこか温かみすら感じられた。
(リヒト!)
(お前が、この世界に遺してくれた力、使わせてもらうぞ――)
だが、皆、錫杖の頭を掴んだまま固まっている。
「お、重い⋯⋯!?」
ダンが呻くような声を上げた。
「妙に強い抵抗を感じるな⋯⋯!」シュウも顔をしかめる。
「ウルガンドの腰布から、常に膨大な魔力が流れ込み、この錫杖同士を絶えず巡っているらしい。そのせいだろう」
「これ、かなり時間がかかるぜ!」
「だが、目の前に奴がいる」セキレイが檄を飛ばす。
「さっきの神聖魔法の例もある。ここで長居するのは危険すぎる。――全力で抜け!」
4人は歯を食いしばり、己の全力をその腕に込めた。
「うぬ⋯⋯おおおおお⋯⋯!」
4人の腕に青筋が浮かび上がる。
全身の力を込めて引き抜こうとするが、錫杖は、まるで大地の根のように、びくともしない。それでも、彼らは諦めなかった。少しずつ、本当に少しずつ、錫杖の頭が地面から持ち上がっていく。
「もう⋯⋯ちょっと、だ⋯⋯ぐぅぅぅ⋯⋯!」
ダンが歯を食いしばる。
最初にその抵抗を打ち破ったのは、エティエンヌだった。彼が渾身の力で錫杖を引き抜いた後、セキレイとシュウがほとんど同時に続いた。
そして、遅れてダンが最後の一本を引き抜いた。「抜けた!」
「よし、散れ!」
セキレイがそう叫んだのと同時だった。
ヴァルの奇襲によって、大穴のすぐ外で横たわっていたウルガンドの巨体が、まるで巨大な磁石に引き寄せられる鉄塊のように、突然、穴の中へと、凄まじい勢いで引きずり込まれた。
そして、何かとてつもなく重い、目に見えないものを乗せられたかのように、その体を地面にめり込ませた。
城のような巨体が、恐ろしく強い力で四方から引っ張られ、ウルガンドは、朦朧とした意識の中で、ただ苦悶のうめき声を上げている。
「す、すげえ⋯⋯。これが、リヒトの力⋯⋯」
ダンが、呆然と呟いた。
セキレイは、目に涙を浮かべながら、もはや身動き一つとれないウルガンドを見つめていた。
(リヒト⋯⋯ありがとう⋯⋯。お前の遺してくれたこの力、決して無駄にはしない――)
すかさず、ゼノが声をかける。「始めますよ!」
それを聞いたセキレイは、即座に号令した。「皆、ゼノの位置まで下がれ! 儀式を護衛する!」
こうして、時期はずれの――そして前代未聞の、巨人封印の儀式が始まった。
一度は愚かな皇帝ルドルフ4世に従い、巨人を目覚めさせてしまった神官達が、今度は大陸を救うため、必死になって古の封印の呪文を詠唱している。
その傍らで、大陸でも屈指の強力な神聖魔法の使い手であるゼノとカリタス派総主教ヨハンが、彼らの詠唱を後押しし、精霊力を高めていた。
ウルガンドに向かって両手をかざしながら、ヨハン総主教が静かに呟いた。
「⋯⋯暴れているウルガンドを眠らせるのは、歴史上、最初の封印以来のことかも知れませんな」
総主教の言葉通り、ウルガンドの封印とは、その強靭な肉体ではなく、その意識だけを、彼自身の最も深い精神の底へと閉じ込めることを意味する。
肉体ごと、何かしら特殊な物体の中に封じ込める封印技術もかつては存在したが、もはや失われつつあった。ましてやウルガンドほどの巨体となると、その意識だけを封じ込めるのが、唯一にして最も現実的な対応だった。
徐々に、ウルガンドの意識がはっきりとしてきた。
だが、リヒトの仕掛けによって、体を起こすことはおろか、顔を上げることすらできない。一体自分の身に何が起こったのか、彼には分からなかった。
先ほどまでうろちょろと攻撃を仕掛けてきていた、目障りな人間達の気配も、近くにはない。
それでも、この空間全体を満たす、調和のとれた精霊の力、そして眠りにつかされる際にいつも感じる気配を、ウルガンドは確かに察知した。
これから自分の身に何が起ころうとしているのかだけは、彼は理解した。
グオオオオオオオオオオオオオオッ!!
ウルガンドは、これまでにないほどの巨大な咆哮を上げ、全身全霊で、その体を動かそうともがいた。
空間が大きく激しく振動し、その声の圧力だけで、誰もが吹き飛ばされそうになる。
だが、リヒトの遺した神気の鎖はあまりにも強力で、ウルガンドは、その腕の一本も動かすことができない。
怒りと焦りが頂点に達したウルガンドの分厚い胸の上に、再び巨大な光の球が浮かんだ。
「攻撃が来るぞ!」
セキレイが鋭く叫び、儀式を守るように一歩前に出た、その瞬間。ウルガンドを中心として、四方八方に、無数の光の矢が降り注いだ。
「儀式を死守しろ!」
「見えないからって、めちゃくちゃに撃ってきやがった!」
ダンが、即座に炎の壁を生み出す構えをとる。
リオは、神官達の目の前の空間を、ウルガンドを挟んでちょうど反対側の、何もない壁際へと繋げた。
ヴァルはセキレイの姿へと変身し、本物と同じように、一歩前に出て防御の体勢をとる。
シュウは剣を、エティエンヌは特殊兵装を装着した左腕を、それぞれ高く掲げ、着弾の完璧なタイミングをはかっている。
それぞれが己の能力を極限まで発揮して、降り注ぐ光の矢を弾き、防ぎ、移動させ、そして斬り裂いていく。
彼らが体を張って守っているその場所以外は、光の矢がまるで豪雨のように降り注ぎ、地下神殿の壁も地面も、無数の穴だらけになっていく。
「また来るぞ!」
ウルガンドは、休むことなく、次なる光球をその胸の上に浮かび上がらせた。
「何度も同じように防げねえぞ!」
ダンが焦った口調で叫んだ。
そのつど全力での防御が必要となる、この苛烈な攻撃を繰り返されれば、いずれ追いつけなくなるのは自明だった。
セキレイは腹を決めた。
一気に跳躍し、シュウのように、光球そのものを斬りに行く。
一歩間違えれば、無数の矢が至近距離で直撃する。だが、絶対防御を持つ自分なら、あるいは、生きて戻れる可能性がある――。
彼女が地面を蹴ろうとした、まさにその時だった。
あれほどまでに激しかった、ウルガンドの苦悶の唸り声がふっと消え、彼の胸の上でまばゆい光を放っていた光球も、まるで陽炎のように霧散した。
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