第46話 英雄の置き土産
「⋯⋯リヒトが、250年後の我々のためにできること、ですか」
セキレイが、少し緊張した声色で尋ねた。
「ええ」総主教ヨハンは、穏やかに頷いた。
「彼は、万が一ウルガンドが儀式の途中で目覚めてしまった時のために、その行動の自由を奪うための仕掛けを、この空間に施しました」
「それが今、この場所にまだある――と言うのですか」
「はい。私がここに入った瞬間に、言い伝えは真実であると確信しました。今もなお、ただならぬ気配をその仕掛けは放っていますよ。⋯⋯不思議なことに、その気配は貴女の気配と非常によく似ている。ですから、貴女方はかえって気づきにくかったのでしょう」
ヨハンは言葉を続けた。
「無論、この仕掛けはあくまでも儀式を成功させるための、短時間の足止めが目的でありますから、封印自体は今日この場で、必ず成功させなければなりません」
「――承知しております」
セキレイは、空間の隅で兵士たちに指示を出すゼノの方を見た。
「精霊力の調整は、今あちらで行われています。彼はユイナフ王国の幹部ですが、この封印の成否は彼にかかっています」
「貴女方は、国の枠をとうに超えて、この大陸全土の困難に共に立ち向かっておられる。アストライア正教会も、元々はそうでした。我がカリタス派は、貴女方のその志を心から歓迎しますぞ」
ヨハンは、セキレイに深く一礼すると、再び口を開いた。
「――その仕掛けですが」
そう言って、ウルガンドが眠っていた巨大な直方体の大穴を見た。
「あの穴の四隅に、当時の神官が使っていた錫杖がそれぞれ深く突き刺さっています」
「錫杖――よく見ると、確かに頭の部分だけが地面から出ていますね」
「リヒト氏は、巨人の腰布に特別な魔力を張り巡らせ、四方の錫杖と連結させました。膨大な魔力が腰布から四方の錫杖へと絶えず流れ込み、それが地中を伝ってまた別の錫杖へと流れ、最後にまた腰布へと戻ってくる。そうやって循環する仕組みです。循環させているからこそ、250年もの間、魔力は枯渇していない」
「いわば、魔力の鎖――あるいは、檻」
セキレイが、呟いた。
「左様です。ですから、巨人はあの穴の周囲ぐらいまでしか動けないはずです。いかがでしたかな? 実際に戦ってみて」
「⋯⋯確かに」
セキレイは、総主教の言葉に頷いた。
「妙に攻撃のパターンが乏しいというか、自ら我々との距離を詰めて来ないと思っていました。私は、まだ半覚醒状態だからかと、そう考えていましたが――」
「いえ。きっとそれが、英雄リヒトが施した二段構えの仕掛けのうち、一段目なのです」
「⋯⋯まだ、仕掛けがあるんすか?」
ダンが驚きの声を上げた。
「目的は、あくまでも巨人を再び封印することですからな。二段目は、その魔力の循環を断つことによる一度限りの切り札と言われています」
「⋯⋯つまり、錫杖を⋯⋯」
「そうです」総主教は、きっぱりと言った。
「全ての錫杖を、地面から引き抜くのです。それにより、魔力の循環は止まり、腰布に込められた膨大な魔力は、一方的に4つの錫杖へと流れ込む。リヒト氏の言葉によれば、『魔力の綱引き』で錫杖が腰布を強く引っ張る形となり、ウルガンドは、地面に這いつくばるしかなくなる。そう伝わっています」
モニカが、即座に状況を整理する。
「――では、巨人を拘束しておける時間は、その腰布に込められた魔力が全て流れ出て、尽きるまで」
「その通りです。いくら、伝説の英雄が遺した魔力とは言え、そう長い時間ではない。封印を無事に終えられるだけの時間と、そう見るべきでしょう」
「承知しました。錫杖は、封印の準備ができたタイミングで抜きます」
「危険ですが、頼みましたよ。では、私は後ろに下がって、ささやかながら封印のお手伝いを致しましょうかな」
ヨハン総主教はそう言うと、ジギスムントと共に、神官達がいる壁際へとゆっくりと歩き始めた。
「モニカ、お前も下がれ」
「そうね。期待しながら見てるわ」
「ああ。⋯⋯私も楽しみだよ。さんざん探して、見つからなかった弟の――最後の技だ」
モニカは、その言葉に小さく手を振ると、壁際へと駆け出した。
ダンが冷や汗をかきながら、セキレイに言う。
「隊長。言われて探ってみると感じるぜ⋯⋯。静かだけど底が知れねえ、深い大河のような魔力を。神気って言うんだっけ? 全く、何百年も消えずに残る力なんて、どうやって仕込んだんだよ」
その時、ウルガンドが再び咆哮を上げた。どうやら神聖魔法による回復が終わったようだ。
セキレイが素早く指示を飛ばす。「ダン! 動く前にやれ!」
「あいよ!」
凄まじい雷撃が、またしてもウルガンドの巨体を襲った。
悲鳴を上げながらも、しかしウルガンドは、横たわっている自分自身を巻き込む形で再び大地震を引き起こした。
「くっ⋯⋯!」
大きな揺れの中、セキレイとダンとは巨人を挟んでちょうど反対側に陣取っていたヴァルとリオが、這いつくばりながら何事か必死に話し込んでいる。
横たわったままのウルガンドは、その巨大な眼球だけをギョロリと動かし、横目でその無防備な2人を視界に捉えた。
ウルガンドの分厚い胸板の上に、まばゆい光の球が、静かに、しかし急速に形を成していく。
「――攻撃魔法が来るぞ! ヴァル! リオ!」
ハッとしたダンが絶叫する。だが、何かに夢中になっている2人の反応は少しだけ遅れた。
ウルガンドの胸元で形成された光球から、幾筋もの鋭い光の矢が放たれ、無防備なヴァルとリオを襲う。ヴァルの変身も、リオの瞬間移動も、離れた場所にいるセキレイの神速も間に合わない――。
そこへ2つの影が同時に飛び込んできた。エティエンヌとシュウだった。
エティエンヌは、特殊兵装を装着した左腕を盾のように高く掲げ、ヴァル達に降り注ぐ光の矢をその装甲で弾いた。
シュウは、極限まで研ぎ澄ませた集中力で飛来する矢の軌道と速度を見切り、ゼノ自慢の魔剣で光の矢そのものを斬り裂いた。
エティエンヌは、隣で涼しい顔をしているシュウを見て、呆れたように言う。
「――全く、その技術は賞賛に値するが、あまりにも無謀だな。少しでもタイミングがズレれば、後ろの少年ごと直撃だったぞ」
「俺は、こういう時に間違えない」
シュウは平然と答えた。
「それより、ヴァル、リオ。巨人の目の前だぞ! 集中しろ!」
シュウが、後輩2人を厳しく叱咤する。
ヴァルが、バツが悪そうに言った。
「ご、ごめん。ちょっと、新しい技を思いついて⋯⋯」
「効果はありそうなのか」
「あるはずだよ。安全だしね」ヴァルは、力強く頷いた。
「よし、やってみろ。向こうでダンがまた攻撃の準備をしているが、まだ時間がかかりそうだ」
「わかった。皆、少し離れてて!」
そう言うと、ヴァルは自らの足元に向かって、右腕で力強くパンチを繰り出すような構えをとった。
リオは、そのヴァルに向かって両手を広げ、全神経を集中させている。
「⋯⋯一体、何をする気だ?」
エティエンヌが、固唾をのんで見守る。
「行くよ!」
その声と共に、ヴァルが、地面に向かって渾身のパンチを打ち下ろした。ヴァルの右腕がまばゆい光を放つ。
次の瞬間、まだ倒れたままのウルガンドの顔の上、何もない空間から、突如としてもう一体の巨人の腕が現れ、ウルガンドの顔面を凄まじい勢いで殴りつけた。
ゴッッ!!!
鈍く、重い破壊音が、地下神殿に響き渡る。
「な、なんだと⋯⋯!」
エティエンヌが、驚愕の声を上げた。
「どうだ!? 思いっきり入ったんじゃない!?」
ヴァルが、興奮した口調で叫ぶ。
「ヴァル、お前、体の一部だけを変身させられるのか」
シュウが、信じられないといった様子で尋ねる。
「うん、おれも知らなかったけどね!」
ヴァルとリオの奇襲は、絶大な効果があった。
ウルガンドの巨大な前歯は砕け散り、意識は朦朧としている。
反対側でその様子を見ていたセキレイは好機と判断し、空間の隅にいるゼノに向かって振り返った。
「チャンスだ! ゼノ、まだか!?」
「――お待たせしました。ちょうど今、仕上がりましたよ」
ゼノは、自信に満ちた笑みを浮かべて答えた。
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