第44話 聖地

 自分自身の全体重を込めた一撃を顔面に受け、巨人ウルガンドは、ぴくりとも動かなくなった。手をつけられないほどの猛威を振るっていた怪物が、昏倒している。


「やったな、ヴァル!」

 ダンが、駆け寄りながら叫ぶ。

「はあっ、はあっ⋯⋯。どうにか、あいつに変身できた⋯⋯!」

 変身を解いて人の姿に戻ったヴァルは、その場にへたり込んだ。


 ヴァルの変身能力のスケールの大きさに、エティエンヌは言葉を失っている。そんな彼にゼノが歩み寄り、声をかけた。

「素晴らしいタイミングで来てくれて、本当に助かりましたよ。エティエンヌ卿」

「ゼノ副所長。よくぞご無事で――」

 エティエンヌは、興奮冷めやらぬ様子で答えた。


「一連の展開は、あの変身能力を持つ少年から簡単に聞きました。相手が巨大すぎて攻めあぐねていたようですな」

「ええ。ですが、あの魔界由来の力を使う少年達のおかげで、一気に大きなダメージを与えられました。⋯⋯ご存知でしょう? 絵本『黒い王たち』を」

「――ええ。それが揃いも揃って神足セキレイの部下だというのは、我が国にとって脅威以外の何物でもありませんが⋯⋯今日に限っては助かりましたな」


 ゼノは話題を変えた。「外の様子はどうです? 地震の影響は?」

「民家やカリタス派の簡素な教会は、完全に崩れています。啓示改革派とサンクト派の堅牢な教会も、半壊といったところです。ただ幸いなことに死者は出ていない」

 エティエンヌは、厳しい表情の中にも安堵感をにじませた声で言った。


「この地下神殿はビクともしていなかったので、人々は、地上階に避難させています。部外者の受け入れにずいぶんと抵抗されたので、誘導にはかなり時間がかかりましたが」

「貴方のことだ。最後は剣を抜き、何が何でもという気迫で返答を迫ったのでしょうね」

 ゼノが、くつくつと笑う。

「――さあ、どうでしょうね。ところで、神殿の執事はこう言っていましたよ。『この神聖な空間に、神の祝福を受けていない者は決して入れることはできない』と。妙だとは思いませんか?」

 エティエンヌが、ゼノの顔を探るように覗き込む。


「⋯⋯まるでここが、アストライア正教にとっての特別な聖地であるかのような言い方ですね」

 ゼノは、自らの顎先に手を当てて、考え込んだ。

「僕はてっきり、ここは巨人の監視施設だと思っていたのですが――」

 

 ゼノとエティエンヌが話している間、セキレイとシュウは、倒れたウルガンドの様子を慎重に探っていた。

「⋯⋯死んではいないな」

 セキレイが静かに呟く。

「そのようですね。あの攻撃で、ただ気を失っただけか⋯⋯。今のうちにとどめを刺しますか?」


 セキレイは振り返って、まだ地面に座り込んでいるヴァルに問うた。

「ヴァル! ウルガンドには、どれぐらいの時間変身していられそうだ」

「――この空間でなら、2〜3秒だと思う」

「よし。ヴァルが化けたウルガンドの渾身の一撃で、奴の首を折るか」

 セキレイのその提案に、シュウは思わずため息交じりで言った。

「これほど大きな巨人が相手では、なかなか剣士は役に立てませんね」

「そう言うな。どんな戦場でも役割分担というものがあるんだ。――ヴァル、来てくれ!」


「――いけない!」

 はっとしたゼノがそう呟いた、まさにその瞬間。ダンが絶叫した。

「止まれヴァル! 隊長、シュウ、そいつから離れろ!」


 反射的にシュウの腕を掴んで後方へ大きく跳び下がったセキレイが、ダンに鋭く訊ねる。

「どういうことだ、ダン!?」


「今、あんた達2人が近づいたら、奴の中のエネルギーが活発に動いたんだ! こいつ、意識がある!」

「もう意識があるだと?」

 シュウが、信じられないといった顔でウルガンドを見る。


 ゼノが切羽詰まった声で叫んだ。

「ダン君の言う通りだ! ダン君、今すぐにもう一度、雷の用意をしろ!」

「もう始めてるよ!」

 ダンが、ウルガンドをじっと睨みつけながら答える。


 その瞬間、ウルガンドの巨大な体が、温かい光にふわりと包まれた。

 一行が、あれほどまでに苦労してつけたウルガンドの体中の傷が、ゆっくりと癒えていく。


「⋯⋯傷を治す神聖魔法⋯⋯! なぜ奴が!」

 セキレイが驚きの声を上げる。

「神聖魔法の体系では、傷を治す魔法は身体強化の一種に分類されます」

 ゼノが、自らの推論を一つ一つ組み立てるように、冷静に答えた。

「おそらく、先ほどのヴァル君の渾身の一撃に対し、ウルガンドは、とっさに身体強化の魔法を使って致命的なダメージを避けたのでしょう」


 そしてゼノは、この地下神殿と巨人ウルガンドにまつわる全ての謎を解き明かす、驚天動地の結論を口にした。

「――そして、なぜウルガンドが神聖魔法を使えるのか。僕の推察が正しければ、彼こそが、アストライア正教の御神体そのものなのです」

 

「なんだと⋯⋯!?」セキレイが、愕然として聞き返した。

「彼が使った魔法の一部が、神聖魔法としてアストライア正教会に受け継がれた。――神聖魔法というのは、正規魔法と違って精霊の力を借りません。その力の源がどこから来たのか、僕はずっと不思議に思っていました。ですが、この地で永い眠りについていた彼から始まったと考えれば、ストーリーとしては矛盾がない」

 ゼノは、ちらりとダンの方を見ながら付け加えた。

「付け加えるなら、ウルガンドの、精霊を介さない魔力行使の技法そのものは、シャッテントール村に受け継がれたのでしょう。そこで様々な独自の術が生まれた」


「――その真偽はさておき」セキレイは、思考を目の前の戦いに戻した。

「奴を倒す術が、ますます見つからなくなったのは確かだ」

「神殺しに挑戦しているのですから、困難で当然と言えば当然かも知れません。とは言え、神聖魔法まで使われては弱らせることすら絶望的ですね」


 その時、「もういいぜ!」とダンが叫んだ。

 ウルガンドの傷は、ほぼ完全に癒えている。今にも立ち上がりそうだ。

 セキレイが即座に返す。「やれ!」


 バチチチチチチチッ!

 再び、強烈な雷がウルガンドの体を駆け巡り、轟音が空気をつんざく。

 ウルガンドは、先ほどよりもさらに大きな悲鳴を上げた。

「まだ寝てな!」

 ウルガンドの口から、巨大な苦悶の声が上がる。


「もう一発いくぜ!」

 ダンが、再び集中力を高め始めた。


「あの強烈な雷撃も、おそらくは彼の体表面に激しい痛みを与えている程度なのでしょう。――全く、英雄リヒトの逸話が事実とは思えなくなってきましたよ」

 ゼノが苦笑いを浮かべた。


「――リヒトは、天界の歴史上第一位と言われた天才だ」

「まさに雲の上の存在ですね。天才を気取っていた自分が、少し情けなくなりますよ」

「いや、そなたにはリヒトと同じものを感じる。だからこそ、この状況の突破口を見つけてほしい」


「⋯⋯戦闘における突破口ではありませんが」

 ゼノは、己の中で固まりつつある一つの考えを口に出した。

「セキレイ殿。そもそも彼がアストライア正教の神そのものであるなら、我々は彼を殺すべきではない。――そうは考えられませんか?」


「大陸の平和のために戦った結果、人々の信仰の源を殺し、この世の中の形そのものを根底から変えてしまう⋯⋯。確かに、そこに懸念はあるが――」

「そう。この大陸を平和に安定させるというのなら、彼をまたこの聖地で眠らせるのが最善の策。だからこそ、英雄リヒトもウルガンドをあえて倒しきらなかったのではないでしょうか」


「条件が整っていないのに、今この場で封印するというのか?」

「ですから」

 ゼノの瞳が、怜悧な光を宿した。

「我々が考えるべきは、『いかにして彼を倒すか』ではなく『どうやって封印の条件を今この場で整えるか』なのですよ」

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