第35話 勧誘

 隊舎に満ちていた殺伐とした空気を、モニカの声が打ち破った。

「私はモニカ。このチームの事務方をやっているわ」

 彼女は、ゼノに向かって一歩進み出た。


「話とは?」

 ゼノは、興味深そうにモニカを見つめる。


「単刀直入に言うと、ユイナフと戦争をしたくないの」

「ほう。いい話ですね。そこについては僕も全くの同感です」

 ゼノは、意外にもあっさりと同意した。

「だからこそ、先ほどあえて特殊兵装部隊の規模が数百体だと暴露した。勝ち目がないと悟ってもらい、戦わずして勝つのが、僕にとっても理想ですからね。せっかく開発した兵力も、戦場に出せば必ず損耗しますし」


「だけど、降伏はあり得ないわ。このマール領がユイナフに呑み込まれることは、絶対に避けたいの」

「⋯⋯それは、難しい相談ですね。宰相エルドレッド殿に、大陸制覇の野心を捨てさせることは容易ではない」


「だから、今、エルドレッドの暗殺を検討しているわ」

「驚いたな」

 ゼノは、呆れたように言った。


「確か、さっき僕が来た時に聞こえたのは、ルドルフ4世の暗殺計画だったと思いますが、あなた方は、そんなことばかり考えているのですか?」セキレイの方を見て問う。

「いや、私も知らない。どういうことだ、モニカ」


「まだ単なる思いつきよ。ゼノさん、貴方がつまらない国家の価値観にとらわれずに話ができる人と見込んで、話しているのよ。――エルドレッドを暗殺できたとして、ユイナフは止まる?」

「ないですね」ゼノは即答した。

「この度の出兵の背後には、アストライア正教会内で根深く続いている、サンクト派と啓示改革派の宗教闘争もある。啓示改革派の息のかかった新たな宰相を立てれば、状況は何も変わらないでしょう」


 ゼノは続ける。「ちょっと前までは、『神足のセキレイ』の名前だけで、ユイナフ軍そのものを抑えられたんですがね。僕の発明がその状況を変えてしまった」

「⋯⋯つまり、ユイナフ軍を『脅す』ことができれば、止められるってことね」

「理屈としては、そうですが――」


「現実的な話として、先のレーゲンスブルク国境での戦いでは明かしていない戦力が、うちにはあるわ」

「変身能力のあるヴァル君と、もう1人の小さい子ですかね」

「リオっていうのよ」

「言いたいことはわかります。先日、リオ君本人にも言いましたが、彼がその能力をためらわずに発揮すれば、特殊兵装部隊といえど数十人単位で瞬時に葬るでしょう。腰や首の高さで空間をずらせばいいだけですから。――彼にはそんな戦い方はできないとしても、脅威ではある」

 ゼノは、ヴァルに視線を移す。「それに、今のヴァル君は僕にも化けられる」


「どう? 脅しになる?」

「僕個人には、相当ね。ですが、戦争の意思決定をする宰相や国王は、2人についての報告を受けていない。そんなおとぎ話のような能力は信じないでしょう。つまり、ユイナフは止まらない」


「⋯⋯ダメか」

 モニカがうなだれた。その時、ゼノがまるで思いつきのように言った。

「別に協力する気ではないのですがね。例えば、僕がいつも想像している、天界の神聖騎士団が本気で攻めてくる――というような状況になったら、国同士のつまらない対立は、後回しになるんじゃないですか?」


「現実的なところで言えば、隣のエリュシオン大陸が、領土的野心を持って、とか?」

「まあ、そんなところですね。実際のエリュシオンは、そういう考えは持っていなさそうですから、どちらかというと――」

「どちらかというと、何?」

「あ、いえ」


 ふと、モニカの頭の中で何かが繋がった。


「⋯⋯貴方、私達と組まない?」

「唐突ですね。どういうアイデアです?」

 モニカは、不敵な笑みを浮かべた。

「カリタス派よ」


「カリタス派⋯⋯ですか?」

 ゼノは、モニカの口から出た予想外の言葉に、初めて困惑の色を浮かべた。


 カリタス派――それは、サンクト派の権威主義、啓示改革派の実利主義、そのどちらもがアストライア正教の原初的な教えである「魂の救済と平穏」から離れていると考えた、一部の聖職者や信徒たちが興した宗派だ。

 彼らは政治的な権力や国家との結びつきを完全に否定し、いかなる戦争も支持しない。特定の国家に属さないため、マールとユイナフの両方に信徒がおり、大陸全土に簡素な教会が存在するが、2大宗派に比べ、その規模はあまりにも小さい。サンクト派からも啓示改革派からも、単なる理想主義者の集団として、ほとんど黙殺されていた。


「ええ」とモニカは頷いた。「必要なのは、マールにもユイナフにも脅威となる存在でしょう? 要は、私達と貴方が組んで、どの権力にも属さず、領土的野心も持たず、大陸全土の自警団として、両国の戦争を抑止する脅威になってしまうのよ」


「確かに、このチームに僕が加われば、僕の技術力を知っているだけに、ユイナフ軍といえども容易には手を出せなくなると思いますが⋯⋯」


「さっき、貴方はユイナフの誰もまだ知らない新技術――あの銃を披露したわね。その時、思ったの」

 モニカの瞳が、ゼノの心の奥底を見透かすように細められた。「貴方は、自分がユイナフに与えた強大な力に、いつか寝首をかかれる可能性をちゃんと頭に入れて、それでもなお、ユイナフを出し抜くための準備を、常にしている人間だって」


「⋯⋯」

「絶対防御を研究しているのも、何割かは、対ユイナフを想定して自分が身につけるためでしょう。違う?」

「やれやれ。このチームは、事務方まで常人離れしているんですね」

 ゼノは、降参したように両手を広げた。


「先ほど、カリタス派と言いましたよね。カリタス派のように、どっちつかずの中立を貫くという比喩なのか。あるいは、カリタス派に所属する軍事力になるのか。カリタス派は、具体的にどう関係するのです?」


「私の考えは後者よ。どっちつかずで大陸全土に目を光らせるとしても、拠点がいるでしょう? 大陸中に点在するカリタス派の施設は、その拠点としてうってつけだわ。平和を希求するという彼らの教義にも、結果的に合うんじゃないかしら?」


「⋯⋯確かに。彼らには武力そのものを否定する教えはないですから、武力による平和の獲得も、理屈の上では許容できるかも知れませんね」


「どうかしら? この案は」

「とても面白いですよ」

 ゼノは、心の底から楽しそうに笑った。


「ただ、その自警団の苦労は並大抵じゃない。我々が現役でいられる、せいぜい20年、30年しか維持できない、刹那的な平和だとは思いませんか?」

「そこは、貴方のその素晴らしい技術力で、どうにかすればいいじゃない」

「はは、それはそれで、非常に興味深い課題ではありますがね。敵国の人間を、ここまであてにする人は初めてですよ」


 ゼノは、すっと表情を戻した。

「⋯⋯一度、ユイナフに帰ります。近日中に、必ずまたお返事をしに来ますので、それまで早まった真似はお控えください」


「おい、いいのかよ、このまま帰して」

 ダンが、セキレイに耳打ちする。


「まあ、大丈夫でしょ。こうして会話してみれば、分かることもあるわ」

 モニカが、自信ありげに答えた。


「そんなに信用していただいて恐縮ですが――そうそう、あの転移装置は、お互い開けたままにしておきましょう。あれで大軍を運ぶことは難しい。少数精鋭のあなた達の方が有利だから、それでいいでしょう?」

「ええ。いい返事を、期待しているわよ」

 モニカは、ゼノに手を振った。


 ゼノは、遊撃隊の面々に一礼すると、音もなく隊舎を出て行った。

「あんた、とうとう最後まで、独断で交渉しきったな」

 シュウが呆れたように言った。

 

 ダンがどっかりと床に腰を下ろし、大きなため息をつく。「向こうで一番厄介な奴に、この隊舎まで知られちまったな」


「リオ」セキレイが厳しい表情で声をかけた。

「もし私がいない時に奴が再びここに来て、おかしな動きをするようなら、その時は迷わずに能力を解き放て。お前なら一瞬で始末できるんだ。いいな」


 返事をしかねているリオに、ダンが優しく言う。

「殺る時はオレが指示する。オレの責任だ。それでいいだろ?」

「う、うん⋯⋯」


「すごい会話ね。セキレイ様から一本取った人を相手に。リオが世界最強なんじゃない」モニカが目を丸くする。


「能力の性能としてはな。さ、あとひとつ話が残ってるぜ。――隊長、もう全部言ってくれよ。セインツとの関係を」

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