第34話 天才

「――では、行きますよ」

 ゼノが静かに告げた。


 次の瞬間、剣を突き出した彼の体が、凄まじい勢いでセキレイへと突進する。恐ろしく速い。

 セキレイは、それを超速で回避するが、ゼノはまるで影のように彼女に食らいついていく。


「あの速さ⋯⋯エティエンヌ以上と言うより、セキレイさん並みだ――」

 シュウが、呆然と呟いた。


 受けざるを得ないと判断したセキレイは、剣でゼノの刃と合わせた。甲高い金属音が、隊舎の中に何度も響き渡る。


「剣技自体は、お前やエティエンヌの方が上じゃねーか?」

 ダンの問いに、シュウは顔をしかめたまま答える。

「⋯⋯だが、それを補って余りある、圧倒的なスピードだ⋯⋯!」


 激しい撃ち合いのさなか、ゼノの背後に、突如として5つの輝く光球が浮かび上がった。

「!」

 セキレイが警戒した瞬間、その光球は鋭い光の矢となり、彼女へと一斉に襲いかかった。

 バチバチバチッ!

 凄まじい音がして、光の矢はセキレイに届く寸前で弾け、消滅した。彼女の絶対防御がそれを防いだのだ。


「――今ので、5層以上あることは確認できましたね」

 ゼノは、距離を取りながら言った。

「いくつかの伝承から推察するに、5回もの攻撃を受けても傷一つ負わないのは、セインツの中でも、指導的立場にある者らしいですが」


 セキレイは、それには答えず、静かに問い返した。

「今の光の矢、神聖魔法だな」

「ええ、珍しいでしょう。最近では、攻撃的な神聖魔法を扱える聖職者などすっかり減りましたからね。僕は信心深いんです」


「それだけじゃない。そなた、本来は防御の魔法である身体強化の神聖魔法を、速度上昇に充てているな」

「さすが、よく見抜きましたね。騎士の皆さんに言わせたら邪道かも知れませんがね」


 セキレイは、ゼノの戦い方の本質を看破していた。

「常時、身体強化の魔法を使いながら、別の攻撃魔法を併用しているのか。本来、身体強化はサポート役の別の術者がかけるものだが、1人でこなすとはな」

「歴史上、異なる魔法の同時使用は、前代未聞じゃないですかね」ゼノはけろりと言った。

「身体強化を常時垂れ流すのは、すごく疲れますけどね。もうひとつ言うと、この左手の剣にも軽量化の魔法をかけています。3つの魔法の同時使用、というわけです。僕は、剣の腕そのものはどうしてもエティエンヌ卿に及びません。彼もまた、その道の天才ですから。だから得意分野の才能で肉弾戦の才能を補っている」

 ゼノは、一旦言葉を切ると不敵な笑みを浮かべた。


「実は、というか、すでにご存知かも知れませんが、僕の才能は別にあるんです。そちらが一番自信があるのでね。せっかくだから、見ていってください」

 そう言うと、ゼノは再びセキレイ並みの速度で彼女へと突進した。

 

 ゼノの再度の突進に対し、今度はセキレイもまた、自ら超速で突っ込んでいった。

「自分から仕掛けるのが得意なようだが、守りはどうだ?」


 両者の距離が、一瞬にして縮まる。

 その瞬間、ゼノは腰に付けた革袋から、見慣れぬ黒光りする道具――銃を取り出し、セキレイに向け構えた。


 ダダダダダダダダダダ!

 銃口から火花が散り、凄まじい連射速度で弾丸がセキレイに殺到する。


 互いに超速で突っ込んでいる、至近距離での銃撃。これを完全に回避するのは、いかにセキレイといえど不可能だった。そして、放たれた弾丸の数は、明らかに彼女の絶対防御の許容量を上回っている。


 瞬時の判断――。セキレイは、致命傷になりかねない、頭部および体の中心に向かってくる弾丸に狙いを絞り、それを剣で斬り払うことを試みた。絶対防御で受け切れない残りの弾丸を、腕や脚にいくつか受けるのは覚悟の上だった。(だが、当分戦うことはできなくなる――)


 セキレイが、その壮絶な覚悟を決めた、まさにその刹那。

 彼女の目の前に、分厚い黒い炎の壁が、突如として立ち上がった。壁は、ゼノが放った全ての弾丸を、まるで闇が光を飲み込むかのように消し去ってしまった。


「ダン君。横槍は困るな」

 ゼノが、静かに銃を下ろしながら言った。


「うるせえ! てめえ、オレの能力は手合わせに向かないとか言っておいて、そんなもんぶっ放したら一緒じゃねーか!」

 ダンが、怒りを込めて叫ぶ。


「ケガをさせるつもりはなかったさ。ギリギリのところが見ものだったんだけどね」

 そう言うとゼノは、ダンの足元に向けて一発発砲した。放たれた弾丸が地面に着弾する瞬間、強力な風が巻き起こりダンを吹き飛ばした。


「な、なんだ!? 風魔法!?」

「そう、弾丸に魔法を封じてあるんだ。これはユイナフ国内でもまだ誰も知らない新技術だよ。突然目の前で魔法が発動する、防御不能だろ?」

「これでセキレイ殿を後ろに飛ばして、弾丸を避けてもらうつもりだったのに。野暮だな君は」

 ゼノは悪びれもなく言うと、セキレイに向き直った。

「ところで、今の動きを見るに、貴女の絶対防御は7〜8層というところですね。僕は、もうちょっと少ないと予想していました」


「⋯⋯私の負けだな」

 セキレイは、静かに剣を納めた。


「いやいや。次があれば、銃も頭に入れて戦うでしょう? そうなれば僕に勝ち目はない。貴女の動きは、やはり僕よりも速いですから」


 ゼノは、銃を革袋に戻すと、やれやれといった様子で言った。

「こういう戦いをヴァル君に見られるのも非常に危険な行為ですし、普通に考えてやるべきではなかったのですが。まあ、知りたいことは、だいたい知ることができました」

 

 ゼノは、そこで一旦言葉を切ると、満を持してシュウの方へと視線を向けた。

「さあ、じゃあシュウ君。やろうか」


 隊舎の中央で、シュウとゼノが静かに向かい合った。先ほどのセキレイとの戦いとは、また違う種類の緊張感が、その場を支配する。


「始める前に、ひとつだけ」

 ゼノが、人差し指を立てて言った。「さっき、僕は『魔法抜きで』と言ったけど、身体強化と、この剣の軽量化だけは使わせてもらうよ」

「それで問題ない」

 シュウは、短く答え、剣を構えた。

「ありがとう。じゃあ、始めよう」


 ゼノが、強化された足で地面を蹴った。シュウが警戒していた、あの超速の突進だ。

 スピードに乗ったゼノが、必殺の突きを繰り出そうとする、その直前。シュウが、まるで未来を読んでいたかのように、ゼノの懐へと鋭い突きを放った。

「おっと!」

 ゼノは、咄嗟に体をひねって、その一撃を慌てて回避する。

 だが、シュウはその回避方向を完全に読んでいた。突きから、流れるような動作で剣を横に薙ぐ。ゼノはどうにかそれを剣で防ぐが、シュウは休むことなく、続けざまに突きを繰り出した。

 ゼノは、たまらず後ろに大きく飛び退く。その時、シュウの剣先が、ゼノの頬をわずかにかすめ、一筋の血が流れた。


「す、すごい⋯⋯」

 リオが、息を呑んで呟いた。

「何で、あいつ、あのスピードに対応できるんだよ」

 ダンもまた、信じられないといった顔で驚いている。


「君がこれほど突きを多用するタイプとは聞いていないけど、僕の動きに合わせて、最速の技に変えたようだね」

 ゼノは剣を下げると、感心したように言った。


「僕が予想した通り、君の凄さは、どのタイミング、どの軌道で剣を振るうのが最も効果的か――それを瞬時に判断できることだ」

「難しいことは考えていない。感覚で動いているだけだ」


「さっきのセキレイ殿と僕の手合わせを見て、その『感覚』を、君はその場で更新している。本来、長く厳しい訓練の成果を、君はいとも簡単に得てしまうようだ。だから、君の成長は異常に早い」

 ゼノは、心からの称賛を込めて言った。

「僕自身を含め、色々な分野の天才は何人か知っているが、こと剣に関して言えば、君は混じりっけなしの天才だ。会えてよかったよ」


「俺の剣が、あんたの研究とやらにどう関係する」

「君は、セキレイ殿より強い剣士になりたいだろう? 僕も、セインツを超える力が欲しいんだ。天界から攻め込まれた時に負けたくないからね。だから『絶対防御』をどう破るかというのは、僕の重要な研究テーマなんだ」


 ゼノは、シュウの瞳をまっすぐに見つめた。

「僕は、君に可能性を感じている。君にはぜひ、連撃ではなく一撃で絶対防御を破る方向に進んでほしい」

「⋯⋯そんなことが、可能なのか?」

「目に見えないとは言え、あれが物理的な壁である以上は『斬れる』と僕は考えている。それが正しいとしても、君ぐらいにしか許されていない領域だと思うけどね。この話、覚えておいてほしい」


 ゼノは、そこで話を打ち切ると、満足げにセキレイの方へ向き直った。

「――さて、セキレイ殿。皇帝暗殺の謀議中に突然お邪魔して、大変申し訳ありませんでしたが、僕の用はこれで終わりましたよ」


「どうすんだよ隊長、こいつ、このまま帰すのかよ!?」

 ダンが、焦ったように叫ぶ。


「皆さんがその気になれば、怪物揃いのこの館から、僕が無事に出ることはできそうにないけどね」

 ゼノが、降参したように両手を広げた、その時だった。


「待って!」

 それまで黙って成り行きを見守っていたモニカが、声を上げた。

「ゼノさん。あなたにお話があるの」

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