第32話 乱入者

 芸術と謀略の都、ユイナフ王国の首都パルシオン。その壮麗な王城の一角にある、宰相エルドレッドの執務室は、静寂と冷たい緊張感に支配されていた。


「失礼いたします。ただいま帰着いたしました」

 扉が静かに開かれ、青薔薇の騎士エティエンヌ・ド・ヴァロワが、長旅の疲れも見せずに、完璧な礼と共に部屋へと入った。


「おお、エティエンヌ卿。無事で何よりだ」

 巨大な大陸地図盤から顔を上げたエルドレッドは、エティエンヌを労った。


「情報部隊から速報は受けているが――随分と、苦い経験だったな」

「申し訳ありません」

 エティエンヌは、静かに頭を下げた。

「やはり、神足セキレイの個の力というのは、戦況そのものを変えうる、恐るべきものでした。また、その部下も、以前森で相対したことがあったのですが、まるで別人のような成長を遂げており――」


「ふん」

 エルドレッドは、その報告を鼻で笑った。

「たった3人に追い払われたこと自体は信じ難く、また忌々しいが、報告を聞く限り、単純にそなたが率いた戦力が少なすぎただけのことだ。特殊兵装部隊の数が2倍、3倍であれば、それで事足りた話だと思うが、どうだね?」


「⋯⋯確かに、マール側の特筆すべき戦力を同じように増やすことは困難だったでしょう。何せ、セキレイに並ぶ戦士はこの世に1人もおりませんからな。私はどうも、多勢に無勢を嫌う騎士の考え方が抜けきらないようで、中々そういう発想には至りません」

「そなたが不承不承ながらも狙撃兵の帯同を受け入れた時は、一皮むけたものと思っていたがな。そういう青臭さが、そなたを名誉ある青薔薇の騎士たらしめ、ユイナフ軍の精神的支柱たらしめる所以ではあるが、いい加減肝に銘じたまえ。国家の総力戦に騎士道精神なぞ持ち込むものではない」

 宰相は、冷徹に言い放った。


「圧倒的な戦力があるなら、それで取り囲んで蹂躙すればよいのだ。せっかくだ、2倍3倍と言わず、20倍30倍と、次元の違う兵力で今度こそ完全に勝ち切りたいところだな」

 エルドレッドは満足げに頷くと、扉の方を見やった。

「――どこまで特殊兵装を供出できるか直接説明させるため、ゼノにも声をかけてあるのだが⋯⋯遅いな」


 その時、執務室の扉がノックされ、秘書官が顔を覗かせた。

「失礼します。ゼノ副所長ですが、王立研究所におられず、外出先も不明とのことです」


「何だと!?」

 エルドレッドの顔に、苛立ちの色が浮かんだ。

「あの小僧め、こんな重要な時に、どこをブラブラしている!」

 大陸の覇権を左右する軍議の場で、その中心人物であるはずの天才は、誰にも告げず、姿を消していた。

 

 潜入任務の出発を翌日に控えた遊撃隊の隊舎では、モニカとシュウが、任務から外されていたダンに、新たな作戦の概要を説明していた。


「――全面戦争を回避するための唯一の方策は、今のところこれぐらいしか思い浮かんでいないの」

 モニカは、ため息をつきながら言った。

「出兵の最終判断をし、軍に直接指示を出す宰相エルドレッドと、国王クロヴィス3世。この両巨頭を同時に叩いて、ユイナフの指揮系統を完全に麻痺させる。ダン達が開いてくれたあの転移装置を使えば、首都パルシオンへの接近は可能」

 シュウが、静かに付け加える。

「実行役は、俺がやる」


 ダンは思わず声を荒らげた。

「馬鹿言ってんじゃねえ! ヴァルとリオがついていれば、確かに城内への侵入や、執務室への接近は可能かもしれねえ。だけどよ、どんな護衛がついているか、ちゃんと考えてるのか?」


 ダンの視線が、シュウを射抜く。

「あの装甲兵が、2人の周りにへばりついてたらどうする? ゼノが城内にいたらどうするんだ? やばいと思って、そこから引き返せんのか? 一か八かの仕事じゃねーか!」


「⋯⋯そこが、未解決の部分なのよね」

 モニカは、ダンの激昂を冷静に受け止め、ため息をついた。

 暗殺作戦は、敵の核心戦力の攻略法が不明である限り、あまりにも危険な賭けだった。遊撃隊は難題に直面していた。


 作戦の行き詰まりに、隊舎の空気が重く沈んでいた、その時だった。

 突然、扉が荒々しく開かれ、セキレイが入ってきた。


 常に冷静沈着を崩さない彼女が、見るからに機嫌が悪そうだ。鎧を脱ぐのももどかしげに、椅子に体を投げ出すように座ると、大きなため息をついた。


 皆、何事かとあ然として見守っていると、おずおずとリオが口を開いた。

「た、隊長⋯⋯どうしたの?」


「――さっき、アルフレート様に呼ばれてな。どうやら帝都では、皇帝ルドルフ4世が怒り狂っているらしい。『あの女騎士が、朕の許可なく勝手に戦争を始めた』と」


「はあ? まだそんなこと言ってんのか、あの愚帝オヤジは」

 ダンが、吐き捨てるように言った。


「ジギスムント殿下も、先の戦いの後、強引に帝都に呼び戻され、そのまま城から出られなくなっているようだ」


「この前の戦闘に関係した領邦のトップが、軒並み帝都に呼び出しを受けている。今のところ、アルフレート様を含め、どの領邦もまともに相手にはしていないようだが――」


「こんな一大事に、空気を読まずに内輪揉め――まさか、内戦なんか始めてしまわないでしょうね」

 モニカが、呆れたようにこめかみを押さえた。

「やりかねないな」

 セキレイが、忌々しげに答える。

「もっとも、先のユイナフとの戦闘の話を聞いた上で、本気でローゼンブルク討伐に動く兵がいるとは思えんがな」


「隊長、皇帝が目障りなら、命令してくれれば帝都まで掃除に行ってくるぜ」

 ダンの物騒な言葉に、セキレイは鋭い視線を向けた。

「戦闘員でない者をむやみに殺そうとするな。私とて、ルドルフ4世に何の敬意も持ってはいないが、実害があるまで放っておけ」

「ちぇ、もう実害ありそうだけどな」

「暗殺」という言葉に、モニカとシュウは思わず顔を見合わせた。


 その時、彼らの背後から、咳払いがひとつ、はっきりと聞こえた。

「こんな無防備な空間で、皇帝暗殺の打ち合わせかい。もう少し、周りに注意を払うんだね」


 全員が、弾かれたように声のした方へ振り向く。

 そこに立っていたのは、いつからそこにいたのか、白衣をまとった1人の青年だった。


「お、お前⋯⋯!」

 ダンが、愕然としてその名を呼んだ。

「――ゼノ!」

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