第29話 敗走
ゼノは、白衣の下の腰に差していた細身の剣を、音もなく抜いた。その剣を左手で構え、右手には強力な魔法を放つ鈍色の小手を装着している。その異様な構えに、ダンはゴクリと喉を鳴らした。
「ねえ君。神聖マール帝国で最強の戦士は誰だい?」
ゼノは、まるで世間話でもするかのように、唐突に尋ねた。
「⋯⋯そりゃ、セキレイだろ」
「だろうね。では、このユイナフ王国で最強の戦士は誰だと思う?」
「エティエンヌじゃねーのか」
その答えに、ゼノは心底楽しそうに微笑んだ。
「――僕だよ」
言うが早いか、ゼノの姿がかき消えた。エティエンヌに優るとも劣らない一歩目のスピード。ダンは、即座に自らの前に硬質化した黒い炎の壁を展開して、その斬撃を防いだ。
だが、ゼノの狙いはそこにあった。
剣が壁に弾かれた瞬間、ゼノは強力な風の正規魔法を行使した。凄まじい突風がダンの体を襲い、炎の壁ごと、廊下の壁まで吹き飛ばす。背中を強打し、ダンの呼吸が一瞬止まった。
「ぐっ⋯⋯!」
「どうしたんだい? 色々見せてくれよ」
追撃の刃が、体勢を立て直せないダンの喉元に迫る。ゼノの胸元に黒い槍を発現させたいが、ゼノの攻撃が間断なく繰り出されるため、その一瞬の余裕が生まれない。
高速の剣戟と、風や大地の強力な正規魔法を淀みなく自在に織り交ぜてくるゼノの前に、ダンは完全に防戦一方だった。
(勝機は、ひとつ⋯⋯!)
あの小手を使わせ、レーゲンスブルクの国境でやったように、魔力が集束した瞬間に、そのエネルギーを乗っ取って黒い槍に変える。それしかない。
しかし、ゼノは小手を使うまでもなく、あまりにも簡単にダンを追い詰めていた。
(くそっ⋯⋯!)
ダンは、ゼノの気をそらしながら、足元に黒い炎を蛇のように這わせ、足を掴もうと試みる。
だが、それすらも見破られていた。
「甘いね」
ゼノが、軽く足元の床を踏む。次の瞬間、ダンの立っていた床だけが、大地魔法によって爆発的に跳ね上げられた。
なすすべもなく、ダンはものすごい勢いで天井に叩きつけられる。後頭部を強打し、彼の意識は、そこでぷつりと途絶えた。
気を失ったダンを見下ろし、ゼノは残されたヴァルとリオに向き直った。
「さて、次は君たちだが――君たちは、戦えるのかい? それとも、おとなしく捕まるかな?」
そう話しながら、ゼノはゆっくりとヴァルとの距離を詰めていく。その余裕たっぷりの態度に、ヴァルの恐怖は怒りへと変わった。
彼は即座にヴィクトルの姿へと変身すると、強力な大地魔法でゼノの足元を爆発的に跳ね上げた。そして、不意を突かれて宙に浮いたゼノ目がけて、続けざまに火球を放つ。
しかし、ゼノは空中で体勢を崩しながらも、左手の剣を振るい、剣速で火球をかき消して見せた。彼は、楽しそうに笑う。
「ははっ、君たちは、本当に絵本に出てくるアシュヴァル王、モルフェス王、そのままだな。本当に興味深い。今日は実にいい出会いだ」
ゼノは軽やかに着地すると、今度はリオに視線を向けた。
「では、そっちのおチビさんが、カイロス王なのかな」
その瞬間、リオが動いた。先ほど衛兵に対してしたように、ゼノの頭部だけを、寸分の狂いもなく黒い直方体で覆い、完全にその視界を奪う。
「今だ!」
ヴァルが、すかさず最大級の火球を放つ。
だが、闇の中でゼノは冷静に対魔法防御の呪文を唱えた。それは、アストライア正教の、それも高司祭クラスの聖職者でなければ使えない高等神聖魔法だった。
防御力を高めたゼノは、ヴァルの火球を難なく受け止めると、リオに向かって言った。
「実に惜しい。今の攻撃で、僕の頭部だけを違う場所に送っていたら君の勝ちだった。それが、カイロス王の『最もよく斬れる剣』じゃないのかい?」
視界を奪われたまま、ゼノは強力な風魔法を放ち、リオを壁まで吹き飛ばした。ダンが倒れているすぐ横の壁に叩きつけられたリオは、小さく呻くと、そのまま気を失ってしまった。
「昔から僕は、3人の王の中ではカイロス王の空間操作が最も危険だと考えていたんだよ」
視界が晴れたゼノは、ヴァルに剣を向けた。
「さて、君だけだね。君もあそこに飛ばしてあげたいけど、君は変身して魔法を使うからな。肉弾戦にしようか」
どうやっても勝ち目はない――ヴァルは絶望的な実力差を肌で感じていた。
ゼノが高速で突進してくる。
(あれしかない。一瞬、ほんの一瞬でいい。タイミングを合わせろ――!)
ゼノの手がヴァルを捉える、まさにその寸前。ヴァルの姿が、神速の騎士セキレイへと変わった。
ガキンッ!
ゼノの腕は、セキレイの絶対防御によって弾かれた。
「なっ⋯⋯!」
ゼノが驚愕に目を見開いた、その一瞬の隙。
ヴァルは、セキレイの姿のまま、超速の跳躍でダンとリオのもとへ飛び、2人の襟首を掴むとそのまま窓を突き破って外へと飛び出した。
ヴァルの変身は、ゼノに大きなヒントと、そして戦慄を与えていた。
(今のは、神足のセキレイ――。そして、絶対防御――?)
空中で変身が解けたヴァルは、咄嗟に巨大な熊の姿へと変わり、森の中へと飛び込む。そして、気を失った2人を担ぐと、無我夢中で闇の中を駆けていった。
1人残されたゼノは、割れた窓の外をぼんやりと見つめながら、静かに呟いた。
「魔界の三王と、神聖騎士団⋯⋯か」
彼の頭の中で、神話と現実が、今、一つに繋がろうとしていた。
ヴァルが化けた熊は、後ろを振り返ることなく、ただひたすらに駆けに駆けた。
大鷲になっての大陸横断飛行から始まり、何度も変身を繰り返した彼の疲労は、すでに限界に達していた。それでも、捕まれば全てが終わるという恐怖が、最後の力を振り絞らせた。
どれほどの時間、森をさまよっただろうか。ついに、ヴァルの目に、見覚えのある石造りの建物が飛び込んできた。森の神殿だ。
彼は、神殿の前でようやく変身を解くと、人の姿に戻った途端、地面に崩れ落ちた。しかし、すぐに気力を奮い立たせ、気を失ったままのダンとリオの頬を、力なく叩いた。
「起きてよ! ダン! リオ!」
「ん⋯⋯ヴァル⋯⋯?」
先に目を覚ましたのは、ダンだった。
彼は、朦朧とする意識の中で、周囲の状況を把握しようとする。
「ヴァル、お前、どうやって⋯⋯」
「一瞬だけ、隊長に変身できたんだ。絶対防御で弾いて、窓から飛び出た」
「そうか⋯⋯ありがとよ」
ダンは、ゆっくりと体を起こした。
研究所での圧倒的な敗北が、重く体にのしかかる。
「⋯⋯負けたね」
リオも、いつの間にか目を覚まし、小さく呟いた。
「ああ、完敗だ」
ダンは、悔しさを押し殺して言った。「あいつ、剣だけでエティエンヌ並みだ。その上、魔法の練度は剣以上に高い。ユイナフ最強は嘘じゃねえ」
「帰ろうか」
「⋯⋯ああ」
3人は言葉少なに頷き合うと、入口の防御壁を破って神殿の中へと入った。
祭壇の転移装置が、青白い光を放って彼らを待っている。
「ねえ、このこと報告する? ⋯⋯絶対、怒られるよね」
リオが、不安そうに言った。
「黙ってても、バレると思うか」
ダンが一応2人に訊いてみる。
「これだけ傷だらけで、バレないわけないじゃん⋯⋯」
ヴァルがため息をついた。
3人は顔を見合わせると、意を決して転移装置に乗った。
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