第28話 王立研究所付属施設

 一度起動させた神殿を後にし、ヴァルが化けた大鷲は、再び王立研究所の付属施設を目指して低空を飛んだ。

 目的の建物を視界に捉えると、3人は少し離れた森の中に音もなく降り立ち、息を潜めて侵入の機会を窺った。


 しかし、事はそう簡単ではなさそうだった。

 建物の正面には厳重な鉄の門があり、その両脇の門柱には、屈強な衛兵が2人、微動だにせず張り付いている。玄関の扉も、分厚い樫の木に鉄の鋲を打ち付けた、見るからに頑丈な造りだ。


「どうする? 1階には窓が全然ねえな」

 ダンが、舌打ち交じりに呟く。これでは、内部を視認する必要があるリオの瞬間移動能力でも、壁を抜けて侵入することはできない。


「ヴァルがエティエンヌに化けても、本人が『ここには来たことがない』ってさっき言ってたしな。堂々と入っていくのも無理だ」


 3人が決めかねていると、不意にリオが「あ、思いついた」と声を上げた。

「ちょっと、やってみるね」


 リオはそう言うと、木陰から門柱に立つ2人の衛兵をじっと見つめ、軽く前に伸ばした右手を、きゅっと握りしめた。

 瞬間、信じられない光景が広がった。

 2人の衛兵が立っていた空間だけが、まるで黒い墨で満たした水槽のように、すっぽりと真っ黒な直方体に包まれたのだ。

「うわあっ、何だこれは!? 何も見えない!」

 衛兵たちの慌てふためく声が聞こえる。数秒後、彼らが騒ぎ出すと、黒い箱はふっと掻き消えた。


「おい、リオ。今のは何をしたんだ?」

 ダンの問いに、リオは少し得意げに答えた。

「衛兵の周りの空間だけ、光が入らないように真っ暗にしたんだよ。絵本のカイロス王が空間を操ったって書いてあったから、何かできそうな気がして」

「へえ、いいじゃねーか。お前も、あの絵本をヒントに能力を広げてんだな。おいヴァル、お前はどうなってんだよ。遅れてるぞ」

「うるさいな、今練習中なんだよ!」


「しっ、静かに。あの衛兵をよく見てて」

 リオが、2人の言い合いを制した。「ぼくたちも、そろそろ動くよ」


 一瞬の不可解な現象に襲われた衛兵たちは、完全に混乱していた。1人が持ち場に残り、もう1人が慌てて施設内に報告へ向かおうと、重い玄関の扉に手をかける。

 ――衛兵が、その重い扉を開けた、まさにその瞬間だった。

 次の刹那、扉を開けたはずの衛兵は、なぜか自分の持ち場である門柱よりもさらに外、森の木陰に、ぽつんと立っていた。

「え!?」

 入れ替わりに、ダン、ヴァル、リオの3人は、開かれた扉の内側――施設の内部へと、音もなく侵入を完了していた。

 

 ダンは、侵入と同時に、分厚い樫の木の扉に内側から閂(かんぬき)をかけた。これで、外に残された衛兵がすぐに中へ入ってくることはできない。


 改めて周囲を見渡すと、1階に窓がほとんどないため、建物内は昼間だというのに薄暗い。城や教会のような華美な装飾は一切なく、石と木材だけで構成された、ひたすらに無機質な空間が広がっていた。

 1階には、物置として使われているのか、あまり人が出入りした形跡のない部屋が静かに並んでいるだけだ。


 3人は、壁際に身を寄せ、ひそひそ声で話す。

「リオ、お前の能力ってほとんど反則だよな」

 ダンが、感心したように言う。

「えへへ」

 リオは、照れくさそうに笑った。

「おれの変身だって、けっこう反則だろ!」

 ヴァルが、すかさず割り込んでくる。

「お前は、あの絵本の何とかって王様みたいに、他人をカエルにでも変身させられたら、反則認定してやるよ」

「モルフェス王だよ! いい加減覚えろよな!」


「さて、目的の図書館はどこだ⋯⋯」

 ダンが辺りを見回すと、通路の奥に案内板が掲げられているのが見えた。「あ、書いてあるな。突き当たりの階段の上、2階か」

「誰にも見つかりませんように⋯⋯」

 ヴァルが、祈るように呟いた。


 3人は、足音を立てずに慎重に階段を上りきった。両脇に扉が並ぶ、2階の長い廊下を折れ曲がった先の突き当たりに、「図書室」と書かれた両開きの重厚な扉が見える。


 ついに目的の場所まで来たが、扉の向こうに人がいる可能性は十分にあった。

 3人は顔を見合わせ、ダンが意を決して扉の取っ手に手をかけようとした、その時だった。


「――何者だ!」

 廊下の角から、鋭い声と共に武装した兵士が姿を現した。


 彼は、問うたものの答えを聞く気などないように、躊躇なくダンへと斬りかかってきた。

 ガキンッ!

 ダンの前に、瞬時に硬質化した黒い炎の壁が出現し、兵士の剣を弾き返す。

 そして、ダンがその兵士を睨みつけただけで、彼の足元の影から黒い槍が突き出し、その体を貫いた。兵士は声も上げられずに崩れ落ちる。

 ダンは、指一本動かさずに練度の高い兵士を倒した。

「隊長みたいだね」リオが、ぽつりと呟いた。


「やりすぎちまったな。騒ぎになる前に出るか」

 ダンがそう判断した、まさにその時だった。


「その技は、まるで魔界のアシュヴァル王。それとも、神聖騎士団の絶対防御のまねごとかな?」

 廊下の奥の闇から、白衣をまとった1人の青年が、楽しそうに笑いながら姿を現した。


「⋯⋯何だお前。魔界って何だ? 神聖騎士団って何だよ?」

 ダンの口から、思わず疑問が漏れる。目の前の白衣の男――ユイナフ王立研究所副所長ゼノは、自分たちの秘密の根幹を知っているかのような口ぶりだった。


「ははは。無邪気だな」

 ゼノは、楽しそうに笑った。


「僕は今、大陸東部地方の言葉で話しかけ、君はごく自然に応答した。君はマール帝国、それもイントネーションからするとローゼンブルク周辺の人間だ。違うかい?」


 ダンは、自分の動揺を悟られまいと、黙り込んだ。敵にこれ以上の情報を与えるわけにはいかない。

 最低限、自分たちがローゼンブルクの者であると知られることだけは、避けなければならない。


「僕は、王立研究所副所長のゼノだ。この度のマールへの遠征を事実上主導している。普段は首都パルシオンの研究所にいるが、今日はたまたまここの図書館に用事があってね」


 ゼノは、まるで旧知の友人と話すかのように続けた。

「しかし、君がローゼンブルクの人間だとして、君ほどの使い手が戦場にいないのは解せないな。こんな場所に重要な用があるとも思えないが。戦場でまみえたユイナフ軍に蹴散らされて、方角も分からず逃げてきたのかい?」


「うるせえよ! オレの質問に答えろ!」ダンは黙っていられず、声を荒らげた。


 ゼノはあっさりと答えた。

「いいとも。その能力を持っているなら、君も『黒い王たち』のことは知っているのだろう? あれは、エリュシオン大陸で作られ、限られた冊数しか出回らなかった貴重な本だ」

「そして、神聖騎士団とは、その絵本の中で魔界の三王を騙し討ちにした、あの“白い騎士団”のことさ。まあ、分かりやすく言えば、天界の戦争屋だな」


「天界? 天界って何だ。さっき、魔界とも言ってたよな。一体何なんだよ?」

「我々人間が、便宜的に名付けた、別の世界の呼び方だよ。実際に天界が天空にあるわけではないだろうが、魔界は絵本の中で『暗黒の大地』と言われるくらいだから、光の届かない地底の世界だという説はある」


 ゼノはそう言うと、手に持っていた鈍色の小手を、自らの右腕に装着した。カシャリ、と機械的な音が響く。その右腕を、ダンたちに突き出す。

 それは、先の戦場で見た、あの特殊兵装部隊の右腕と全く同じものだった。3人は思わず身構える。


 その反応を見て、ゼノの目が鋭く光った。

「⋯⋯その反応。君たち、特殊兵装部隊と出会っているな。ということは、やはり戦場にいた上で、今ここにいる。逃げに逃げてきたのか、あるいは――。君のその興味深い能力が、あの部隊にどう対処したのか、是非とも聞きたいな」


「後で誰かに聞きな。オレ達はそんなに暇じゃねえ」

 ダンは、虚勢を張って言い返した。「その右腕が怖くねえってことだけは、言っておいてやるよ」


「⋯⋯倒して来たということかな。ますます興味深い」

 ゼノの口元に、研究者のそれではない、獰猛な笑みが浮かんだ。

「ならば力ずくで連れ帰り、じっくり聞かせてもらおうかな」

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