第26話 ユイナフへ

 ユイナフ軍との激戦から数日後、マール連合軍は一旦、解散となった。来るべき決戦に備え、兵士たちに休息を与え、それぞれの領地で戦力を再編成するためだ。


 セキレイは、ジギスムント皇子やバルガスたちと固い握手を交わし、ユイナフへの潜入任務で得た情報は、いかなる方法を使っても速やかに共有することを約束した。


 そしてローゼンブルク遊撃隊もまた、領都グレンツェンへと帰還した。


 隊舎に集まったメンバーを前に、セキレイは今後の動きについて話し始めた。その表情は、次なる厳しい任務を見据え引き締まっていた。


「次の我々の任務は、ユイナフ王国の首都パルシオンに潜入し、敵の次の動きを探ることだ」

 セキレイは、テーブルに広げたユイナフの地図を指さしながら言った。


「この任務を二段階に分ける。まず第一段階は、パルシオンまでの安全な潜入ルートを確立すること。敵の警戒網は、先の敗戦でより厳しくなっているはずだ。失敗は許されない」


 彼女は、メンバーの顔を一人ずつ見回した。

「ユイナフ領内での活動は、ヴァルの“なり切り”が必須となる。言葉の壁があるからな。そして、万が一の危険から脱するためには、リオの能力も不可欠だ。あと一人は、護衛として私のつもりだが」


 その時だった。それまで黙って話を聞いていたダンが、強い光を宿した目で、一歩前に進み出た。

「隊長。次の潜入任務は、絶対にオレも連れて行ってくれ」

 その声には、有無を言わせぬほどの、強い意志が込められていた。


 先の戦いで、彼は自分の新たな力の可能性に気づいた。だが、それをどう磨けばいいのか、まだ分からずにいた。答えは、戦いの中にあるかもしれない――その思いが、彼を突き動かしていた。


「二度も留守番はごめんだぜ。今度こそ、オレも遠征で役に立ちたい」

 食い下がるように言うダンに、セキレイはしばらくの間、黙って視線を注いでいた。


 やがて、彼女は静かに頷いた。

「⋯⋯分かった。私の顔は、ユイナフ国民にどこまで知られているかわからない。潜入という点では、私よりもお前の方が適任かもしれんな」


 セキレイは、決断を下した。

「第一段階の潜入任務は、ヴァル、リオ、そしてダンの3人だ。シュウとモニカは私と共にグレンツェンに残り、後方支援と、万が一の際の救出準備を整える」

 その言葉に、ダンは固く拳を握りしめた。

 

 出発の前日、セキレイはダン、ヴァル、リオの3人を連れて、鷲ノ巣の森へと向かった。目指すは、あの謎の神殿。以前ダンたちが入口の防御を破ったが、特に変わったところはない。


「ヴァルとリオは、外で待っていろ」

 セキレイはそう言うと、ダンだけを伴って入口に足を踏み出した。一瞬、セキレイの絶対防御が浮かび上がったように見えたが、2人は弾かれることなく神殿の内部へと入った。

「絶対防御が作動しない⋯⋯?」

「同じ防御壁を持っている者は、入口が勝手に認証するんだ」


 奥にある祭壇の前に立ち、セキレイは静かに口を開いた。

「ダン。この祭壇の重要な秘密と、操作方法を教える」

「操作だって? 動かすものなのか?」

 セキレイは祭壇の裏手に回り、壁の一部に見えた隠し蓋を開けた。その奥には、いくつかのボタンが並んだ、奇妙な操作盤が埋め込まれている。


「これは、遠隔地に一瞬にして転移できる装置だ」

「転移⋯⋯!?」


 ダンの驚きをよそに、セキレイは壁に掛けられていた、あの謎の銃を手に取った。

「この銃はただの飾りと思うだろうが、これが、この転移装置を起動させるための鍵になっている」


 セキレイは、銃の持ち手部分を操作盤のある窪みにはめ込むと、いくつかのボタンを操作した。

「上の列は右端を、下の列は真ん中を押せ。他は絶対に押すな」

 装置が、低い唸り声を上げる。


「お前達の目標地点は、ユイナフの首都パルシオンの郊外に広がる、広大な森の奥深くだ。そこに、これと全く同じような神殿がある」

「なんだって」

「今回の任務は、そこの転移装置を起動させ、この鷲ノ巣の森までのルートを開くことだ」

 それが、今回の潜入工作の第一段階の内容だった。


「ここの装置は、今、私が起動させた。お前たちが向こうの装置を起動させれば、いつでも瞬時にここまで帰ってこられる」

「このルートを開いておけば、我々は王都パルシオンのすぐ近くまで、誰にも知られずに一瞬で行くことができるようになる。本格的な情報収集や特殊な工作は、それからだ」

 

 転移装置の起動を終えたセキレイは、神殿の中、祭壇の隣で静かにダンと向き合った。

「――先日の戦いを見ていると、ずいぶん能力を拡張したようだな」

 セキレイが、ダンの新たな力の覚醒について、初めて直接口にした。


「まあな」

 ダンは、ぶっきらぼうに答える。


「ヴィクトル殿の教えか?」

「ある意味そうだけど⋯⋯ま、ある絵本のおかげというか」

 その言葉に、セキレイの緑の瞳がわずかに鋭さを増した。


「――やはり、読んだのだな」

「ああ、3人でな」

 ダンは、セキレイをまっすぐに見据えた。「⋯⋯あんたみたいな連中も登場してたぜ。すげー悪い奴ら」


「オレ達も、自分が一体何なのかわからなくなっちまったが、隊長、あんた一体何者なんだ? あの絵本は何なんだ? この転移装置っていうのは、何なんだよ?」


 矢継ぎ早の質問に、セキレイは静かに答えた。

「絵本は、ああいう伝説が世界のどこかに残っているというだけのことだ。私は、あの物語に出てくる白い騎士達のような卑怯者ではない。⋯⋯それは、知っていると思うがな」

「そりゃ、知ってるけどよ――」


「お前も、ヴァルも、リオも、あの絵本にあったような『暗黒の大地』に生きているわけではない。我々は、みんな絵本の通りではないさ」


 その答えは、ダンの疑問の核心には触れず、しかし、否定もしなかった。セキレイは、今はまだ全てを語る時ではないと考えているようだった。

 これ以上の問答は無意味だと悟ったのか、ダンは唇を結び、黙り込んだ。


 神殿の外の広場で、セキレイは3人の顔を見つめて言った。

「向こうの神殿の正確な場所は、私にも分からない。森は広大だ。パルシオン郊外に着いたら、ヴァルの能力で空から探せ。まずは、この神殿が上空からどういう風に見えるか、後でよく確かめておけ」

 

「もし、向こうの神殿が見つからなくても、4日以内に必ずここへ戻って来い。それ以上経っても帰ってこない場合は、お前たちは捕まったか、死んだと考える」


 その言葉に、ダンはまっすぐにセキレイを見つめ返した。

「ああ、わかった」

 

「4日って、おれが変身で飛んでいくのが大前提だよね⋯⋯」ヴァルが物凄く嫌そうな顔をして言う。


 セキレイがヴァルの頭に手を置いて言う。

「大変だと思うが、時間との勝負だ。よろしく頼む――くれぐれもグライフには化けるなよ。あの装甲兵に撃ち落とされるぞ」

「グライフ以外の、大きくて速い鳥か⋯⋯。シャッテントールでよく見かけた大鷲はどうだ?」

「うん、そうする」


 ヴァルが大きく息を吸い込む。

 彼の体がきしむような音を立てて変貌し、やがて、2人の人間を乗せて飛べるほどの、巨大な鷲の姿となった。

 ダンとリオが、その背に素早くまたがる。


「――行ってこい!」

 セキレイの短い号令と共に、ヴァルが変身した巨大な鷲は、力強く地面を蹴った。数回のはばたきで、その巨体は軽々と宙に浮き、木々の梢を越え、一路、西の空へ――ユイナフ王国を目指して、その黒い翼を広げた。

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