第22話 集結の狼煙

 シャッテントール村から戻ったダン、ヴァル、リオが、どこか上の空で日々を過ごし始めてから二週間が過ぎた。

 絵本『黒い王たち』が彼らの心に残した波紋は、いまだ静まることなく、自らの力の根源と向き合うという、新たな課題を突きつけていた。


 その静かな思索の時間は、大陸の西から響いてきた軍靴の音によって、唐突に終わりを告げられる。


「―――緊急事態だ! ユイナフ軍、動いたぞ!」

 ローゼンブルク騎士団の詰所に、伝令兵の切迫した声が響き渡った。


 もたらされた報告は、セキレイが予測していたシナリオの中では悪い方だったが、予想の範囲内ではあった。

 ユイナフ王国が誇る青薔薇の騎士、エティエンヌ・ド・ヴァロワ率いる東部方面軍が、レーゲンスブルク領の手前まで進軍してきたとの報せだった。


 遊撃隊の隊舎にて、メンバーを前に、セキレイは地図を広げ冷静に状況を説明した。

「ユイナフの狙いは、我々ローゼンブルクだ。彼らは、もはや神聖マール帝国そのものは相手にしていない。帝都アイゼンブルクなど、後からいつでも落とせる、取るに足らない存在だと考えている」

「今回侵攻してきた兵力は、おそらく一領邦である我々を確実に攻略できると見積もった規模だろう」


 モニカが、険しい顔で口を挟む。

「ポイントは、ユイナフとローゼンブルクの間に挟まれてるレーゲンスブルク領の存在ね」


「ああ。そこに我々の勝機がある」

 セキレイは、地図上の一点を指さした。


「ユイナフの情報網は、バルガスの心変わりも、ジギスムント殿下の合流も、我々が水面下で進めてきた各領邦との連携もまだ掴めていない。レーゲンスブルクが今もユイナフに与していると信じている。その油断が命取りになる――。奴等が素通りできると思い込んでいるレーゲンスブルク・ユイナフ国境で奇襲するんだ」


 セキレイの命令の下、遊撃隊を含むローゼンブルクの軍は直ちに出陣した。目指すは、決戦の地となるであろう、レーゲンスブルクとユイナフの国境地帯。

 そこにはすでに、セキレイの呼びかけに応じた者たちが集結しつつあった。


 国境にほど近い平原に、数えきれないほどの天幕が張られ、マール帝国に属する様々な領邦の旗が、乾いた風にはためいていた。


 銀狼バルガスが手勢を率いて駆けつけたレーゲンスブルク軍。

 帝国軍の古い殻を破り、セキレイの理想に未来を賭けた、ジギスムント皇子麾下の若き改革派部隊。

 その他、セキレイの呼びかけに応じた中小の領邦からの援軍。

 彼らが、新たなマール連合の最初の姿だった。


 連合軍の野営地の一角で、シュウはダン、ヴァル、リオの顔をまじまじと見ていた。

「お前たち、何か雰囲気変わったな」

「そうか? 別に何もねえよ」

 ダンはぶっきらぼうに答えながらも、その瞳の奥には、以前にはなかった深い光が宿っていた。シャッテントールでの経験が、彼らの精神に何らかの影響を与えていた。


「いよいよ始まるんだな」

 シュウが、ユイナフ軍がいるであろう西の空を睨みつける。その手は、片時も剣の柄から離れることはない。打倒を誓ったエティエンヌとの決戦の時が、刻一刻と近づいていた。

 

 その頃、連合軍の本陣に設えられた天幕の中は、マールの未来を憂う者たちの熱気と緊張に満ちていた。


 地図盤を囲むのは、セキレイとモニカ。

 そしてジギスムント皇子とその腹心の副官クラウス。

 銀狼バルガス。

 グリューンヴァルト領から駆けつけた老騎士ゲオルグ。

 そしてホルシュタイン領の若き騎士団長コンラート。

 彼らが、この決戦における連合軍の首脳部だった。


「――以上が、ユイナフ軍の予想進軍ルートと戦力です」

 モニカが状況説明を終え、各指揮官の顔を見回して言った。「理想を言えば、開戦前に先手を打ちたいところです」


「案としては、大地を操る正規魔法の使い手を複数人集め、ユイナフ側の国境地帯の地面そのものを陥没させたり、沼地に変えたりして、彼らの足元をガタガタにする。足場が悪い中、まとまった軍勢でレーゲンスブルクに入るには大幅な迂回が必要になりますが、そこまでの補給物資は持ち合わせていないでしょう」

「かと言って、そのまま進軍するのは容易でなく、相当に手間取ります。それで撤退すればよし、それでもなお開戦となっても、戦場の環境はこちらに有利です」


 しかし、とモニカは付け加える。

「この作戦には、広範囲に影響を及ぼすほど強力な大地魔法を行使できる使い手が複数名必要です。しかも、配置は敵の目と鼻の先。皆さんの配下で、この任に当たれる方はどなたかおられますか?」


 その問いに、戦士たちは腕を組み、難しい顔で考え込んだ。

「厳しいな⋯⋯」最初に口を開いたのは、老騎士ゲオルグだった。

「マールで名の知れた魔法使いは、腰が引けた帝国軍が、帝都防衛の名目でほとんど召し上げてしまった。今この国境地帯に参加してくれている魔法兵は、正直、数も実力も心許ない」


 若きコンラートも、悔しそうに同意する。

「ゲオルグ殿の言う通りです。我々の兵では、モニカ殿の言うような戦略的な効果を生み出すのは難しい。ましてや、貴重な魔法兵を守りの薄い最前線に立たせるなど、とてもじゃありませんが⋯⋯」


 天幕の中に重い沈黙が流れた。

 その時だった。

「私、心当たりがないこともないので確認してきますわ」

 モニカは、何かを思いついたように不敵な笑みを浮かべると、1人その場を出ていった。


 モニカが向かったのは、兵士たちが休息をとっている野営地の一角だった。

 そこでは人だかりができており、その中心で、ダンが例のグライフ討伐の武勇伝を、身振り手振りを交えて大げさに語っている最中だった。

「――そしたらよ、隊長が『よくやった』って、このオレを褒めてくれてよ!」


 兵士たちが「おおー!」と沸く中、モニカはその輪の中にいたヴァルを見つけ、ぐいっと腕を掴んで人垣の陰へと引っ張っていった。


「ちょっとヴァル、あんた、高名な魔法使いに化けられる? 帝都で会ったりはしなかったでしょうけど、誰でもいいわ」

「こ、高名かどうかは知らないけど、すごく魔法ができそうな人なら、この前村で会ったよ。ヴィクトル先生っていうんだけど」

「ちょっとその人になってみなさいよ。そして、ありったけの力で、大地を操る魔法を使ってみて。目標は――そうね、あの岩よ」

 モニカが指さしたのは、野営地の外れにある、家ほどもある巨大な岩だった。


 ヴァルは、戸惑いながらも、目を閉じて集中した。彼の体が微かに光を放ち、次の瞬間には、銀縁の眼鏡をかけた、学者然とした壮年の男――ヴィクトルの姿に変わっていた。

 ヴィクトルは、おずおずと巨岩に向けて手をかざす。そして、何かを呟いた。


 ドカアアアアンッ!!


 突如、大地が咆哮したかのような、凄まじい爆発音が響き渡った。

 軍議の天幕から慌てて飛び出し、何事かと駆けつけてきたセキレイたちの目の前で、先ほどまでそこにあったはずの巨岩が、粉々に砕け散り、土煙となって舞い上がっていた。


 呆然とする指揮官たちに振り返り、モニカは、してやったりとばかりに笑って言った。

「いい魔法使い、見つけたわよ」

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