第21話 3人の王
謎の神殿をあとにしたダンとリオは、ヴァルが化けたグライフの背にまたがっていた。グライフは飛行せず、獅子の体で鷲の巣の森を疾走していたが、それでも十分に速い。3人は、数時間後には故郷の村へと続く鬱蒼とした森の入り口に立っていた。
この森はローゼンブルクの北方、神聖マール帝国の領内で言えば中部に当たる。領都グレンツェンと帝都アイゼンブルクの間に広がる黄金平原とは、大陸最大級のジルバー湖で隔てられており、帝国領内でも辺境の地だった。四季のあるマールにあって、常に冷たく湿った空気に覆われているこの森は、一年中誰も訪れることのない場所だった。
「本当に変わらねえな、この陰気な空気は」
ダンは、懐かしさよりも、かつての息苦しさを思い出したかのように吐き捨てた。
「シャッテントール⋯⋯影の谷とはよく言ったもんだぜ」
村へと続く獣道は、相変わらず人の往来を拒むかのように狭く、険しい。村の大人たちが意図的に道を整備していないのだと、ダンは知っていた。
村の入り口で見張りをしていた男たちは、ダンたちの姿を認めると、明らかに警戒の色を浮かべて槍を構えた。
「ダン⋯⋯! お前が、今さら何の用だ」
「安心しろよ。ローゼンブルク騎士団総隊長、セキレイ様の任務で来ただけだ」
ダンは、懐からヴァルがセキレイになりすまして書いた、ローゼンブルクの紋章入りの手紙を放ってよこした。
見張りは、その手紙を訝しげに受け取ると、慌てて長老の家へと走っていった。
しばらくして戻ってきた見張りの態度は、明らかに軟化していた。
「⋯⋯長老が滞在を許可された。だが、村の者に余計な関わりを持つな」
その言葉に、ダンは鼻で笑った。
彼らは、村の中へと足を踏み入れた。子供の頃から見慣れた、黒い木材で建てられた家々。すれ違う村人たちは、3人を奇異の目で遠巻きに見るだけで、誰一人として声をかけてはこない。ヴァルとリオは、その空気に耐えかねたように、少しだけ身を縮めた。
彼らの目的は一つ。村で唯一の「外から来た男」、学者でありアンナの夫であるヴィクトルの家だった。
埃っぽい書物と乾燥させた薬草の匂いが入り混じる、ヴィクトルの家。彼は突然の訪問者であるダンたちを、驚きながらも温かく迎え入れてくれた。
「ダン君。それに、ヴァル君とリオ君も。大きくなったな。一体どうしたんだ、こんなところまで」
ダンは、単刀直入に本題を切り出した。自分が正規魔法をほとんど使えないこと、そして、この黒い炎の力の正体について何か知らないか、と。
書物に囲まれた部屋で、ヴィクトルは銀縁の眼鏡の奥の瞳を細め、穏やかに、しかしはっきりと答えた。
「正規魔法というのは、この世界に満ちている精霊の力を借りて発動させる、非常に体系化された技術だ。使い手の魔力は、あくまで精霊に働きかけるための触媒にすぎない。だが、君の力は違う」
彼は、ダンの掌に揺らめく黒い炎を、恐れることなく、むしろ強い探求心を持って見つめた。
「君が唯一扱えるという、足元の大地を操る魔法は、おそらく君が常に踏みしめている大地と、君自身の強い魔力が、精霊を介さずに直接干渉して起こる現象だろう。だが、それも君の能力からすると非常に弱いものでしかないと考えられる」
図星だった。
「君の体質そのものが、精霊の力を弾いてしまうか、あるいは精霊が、何らかの理由で君を恐れて近づけないか⋯⋯。いずれにせよ、君のその黒い炎とは、力の源流が根本的に違うんだ。残念だが、君が他の正規魔法を習得することは、おそらくできないだろう」
それは、ダンの希望を打ち砕く言葉だった。ダンは唇を強く噛みしめ、拳を握りしめた。
ヴィクトルは、そんな彼を憐れむように見つめ、少し考えた後に立ち上がると、書庫の奥、埃をかぶった木箱の中から、一冊の古びた絵本を引っ張り出してきた。
「⋯⋯この本を読んでみてくれ。3人でだ」
表紙は硬い革でできており、そこには『黒い王たち』と、古風な文字で書かれていた。
ページをめくると、そこには独特のタッチで描かれた、物悲しくも美しい絵が広がっていた。
――むかしむかし、空も大地も、そこに燃える炎さえもが黒い「暗黒の大地」に、3人の兄弟王がいました。
1人目の王アシュヴァルは、黒い炎を自在に操る魔法が得意でした。手から炎を放つだけでなく、ただ見つめるだけで、どんな場所にでも炎を発生させることができました。炎を鋼のように硬い槍に変えて敵を貫き、時には風や雷といった全く別の力に変えることもできました。
2人目の王モルフェスは、この世のどんな生き物にも、そして神話の幻獣にさえも姿を変えることができました。また、敵対する者を、力のない小さな生き物に変えてしまう恐ろしい力も持っていました。
3人目の王カイロスは、城がすっぽり入るほどの巨大な空間を、意のままに操りました。その空間の中にある物ならば、どんなものでも瞬き一つで位置を変え、空間そのものを全く違う場所へ動かすこともできました。戦いになれば、敵の体の一部だけを遥か遠くへ動かすことで、どんな刃よりも鋭く敵を葬ったため、「最もよく斬れる剣」と恐れられましたが、本人は戦いを好まず、敵を遠くへ動かして追い払うことが多かったということです。
ある時、白く輝く鎧に身を包んだ騎士の一団が、暗黒の大地に攻め込んできました。
白い騎士達は、研ぎ澄まされた剣の技に加え、どんな攻撃も弾き返す“見えない盾”を持つ、恐ろしい集団でした。
暗黒の大地の戦士達は次々と倒されていきましたが、3人の王は、それぞれが見えない盾でも防ぎきれない能力を駆使して、白い騎士達を追い詰めていきました。
劣勢に立たされた白い騎士達は、3人の王の部下だった魔法使いたちに、こう持ちかけました。「王たちがいなくなったら、この暗黒の大地をお前たちに支配させてやろう」と。
その甘い言葉に乗り、魔法使いたちは王を裏切りました。3人の王は、信頼していた部下たちの策略にかかり、どこか遠い場所に封印されてしまいました。
邪魔者がいなくなると、白い騎士達は約束を破って裏切り者の魔法使いたちを皆殺しにし、暗黒の大地を自分たちのものにしてしまいました。(おしまい)――
絵本を読み終えた3人は、呆然としていた。
アシュヴァル王はダン、モルフェス王はヴァル、そしてカイロス王はリオ。自分たちの能力が、この伝説の王たちとあまりにも酷似している。偶然の一致とは思えなかった。
そして、白い騎士の“見えない盾”も――。
ヴィクトルは、そんな3人に静かに語った。
「この絵本は、代々この村の長老の家に受け継がれてきたものだ。だが、今は私が頼まれて保管している。おそらく、君たち3人がこの絵本の内容によって村の者たちから奇異の目で見られないよう、出入りの少ない私の家にという、長老なりの配慮だったのだろう」
ダンは笑って否定した。
「違うだろ。オレ達3人がいれば、この村が暗黒の大地みたいに白い騎士団に攻め込まれる。村の大多数はバカだから、そう想像して村中パニックになる。それを恐れて、この本を遠ざけたんだ。――村長からすると、3人とも村を出て行ってくれたのは幸運だったろうぜ」
そう言い終わったダンは、(ローゼンブルクに白い騎士が1人いるから、余計にな)と心の中で付け加えた。
「いやいや、少なくとも私は、今言ったようなつもりで本を預かっているよ」
そう優しく言うと、ヴィクトルは眼鏡の位置を直しながら続けた。
「さて、これがどういう経緯で書かれたか、どこで作られた絵本なのか、私にも分からない。描かれている絵の様式は、このリューネリア大陸のものではないんだ。隣のエリュシオン大陸では、よくこういう形式の絵本が作られていると書物で読んだことがある」
ダン、ヴァル、リオの3人は、自分たちの力の謎が、この村どころか、大陸を越えた遥か遠い場所のおとぎ話の中に隠されていることを知り、ただ言葉を失うばかりだった。
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