第20話 次の英雄

 ダン、ヴァル、リオの3人は、領都グレンツェンから一路西へと向かっていた。


 街道沿いから人家はなくなり、やがて彼らの行く手には、深く広大な森がその口を開けて迫っていた。鷲ノ巣の森だ。


 森の入り口で、それまで黙ってついてきていたリオが、不意に口を開いた。

「ねえ、ダン。ぼくたちの村はもっと北だよ。こっちは、西だよ」

「わーってるよ」


「ど、どういうこと?」

 今度はヴァルが、不安そうに尋ねる。

「村には行くさ。この森を通ってな」

 ダンは、森の奥を睨みつけながら言った。


「村に行って、一体何するのさ。おれに隊長の手紙まで書かせて」

「ん? お前ら、覚えてねーか。村の外から来た、メガネのおじさん。アンナさんと結婚して、村に住みついてるだろ」

「知ってる、ヴィクトル先生だろ。おれの家、近かったよ。それがどうしたのさ」

「あの人、オレの記憶ではちゃんとした正規魔法が使えたはずだ。それに物知りだった。村の内外のことに詳しいあの人なら、オレが何で正規魔法が苦手なのか、何か分かるかもしれねえ」

「隊長の手紙は、何か関係あんの?」

「バッカお前、オレたち家出中なんだぞ。任務で一時的に来たってことにしねえとグレンツェンに戻れるかどうかわかんねえだろ。ま、オレたち家族いねえから、村の誰も引き留めないかもしれねえけど」

「なるほどね」


 ヴァルは納得したが、リオはまだ首を傾げている。

「で、何でわざわざ遠回りしてるの?」

「あれだよ」

 ダンが、顎で森の奥を指し示した。木々の合間から、あの古びた石造りの神殿が、静かに彼らを見下ろしていた。


 神殿は、相変わらず神秘的な静寂を保って、そこに佇んでいた。

 3人は、入り口の前に立つ。そこには、以前ダンを弾き返した、目には見えない壁が存在しているはずだ。


「この壁、隊長の絶対防御とたぶん同じもんだ」

 ダンは、確信を持って言った。

「だとしたら、もう破れる。⋯⋯お前ら、何発で消えると思う?」

 ヴァルとリオは、顔を見合わせ、まるで示し合わせたかのように、ほとんど同時に答えた。

「8、いや、7かな」

「オレもそんな気がする」

 ダンはニヤリと笑うと、両手に黒い炎を灯した。


「じゃあ、やるぞ!」

 ダンの魔力が、黒い炎を圧縮し、鋭い槍の穂先へと変えていく。


「いけっ!」

 一発目の黒槍が、不可視の壁に激突。バギンッ!という、空間そのものが割れるかのような凄まじい音が響き渡り、衝撃波が周囲の木々を揺らした。

 間髪入れず、二発目、三発目が叩き込まれる。ガガガッ!と、壁がきしむ悲鳴のような音が連続する。

 四、五、六、七発目――!

 ダンは、持てる全ての集中力を注ぎ込み、時間差なく黒槍を撃ち続けた。

 そして、七発目の槍が壁に突き刺さり、ガラスのように砕け散った、その直後。

 ダンが放った八発目の黒槍は、もはや目標物を失い、神殿の暗い内部へと吸い込まれ、霧散した。

 壁は、消えた。


「危ねえっ。今のが限界だった。よし行くか!」

 ダンは、ヴァルに声をかけた。

「リオはそのまま外にいろ。何か仕掛けがあって万が一オレたちが中から出られなくなった時に、外に出せ」

「うん、わかった」

 リオに後を任せ、ダンはヴァルを伴って、ついに小さな神殿の中へと足を踏み入れた。


 そして、2人は目を見開いた。

 外観は、悠久の歳月を思わせるほどに朽ちていたが、中の空間は、まるで昨日作られたかのように、真新しかったのだ。

 中は、がらんとした四角錐状の空間だった。壁や床には、傷一つ汚れ一つない。奥には、祭壇らしき石の台座がある。人が乗れるように踏み段がつけられていた。

 それ以外、周囲には何もない。殺風景な空間だった。


 その時、ヴァルが壁の一点を指さした。

「ダン、あれ⋯⋯」

 見ると、壁に、何か黒光りする奇妙な形の道具が一つだけ、掛けられていた。

 ダンは、それに近づき、恐る恐る手に取ってみた。ひやりとして滑らかな、硬い金属の感触。


「これは、銃ってやつじゃねえか? 本でしか知らないが⋯⋯」

 だが、本で見たどの銃とも、形が違っていた。より長く、複雑で、手が込んでいるように見える。そしてその材質は、鉄でも鋼でもない、全く想像のつかない金属だった。持ち手の部分に小さな紋章が刻印されている。どこかで見た気がする紋章だった。


「大陸の外から来たものかもしれねーな」

 ダンは、その謎の銃を壁に戻した。


「よし。村へ行くぞ」

「これで明後日までに帰れる?」

「歩きじゃ厳しいか。ヴァル、オレもグライフに乗せろ」

「グライフで飛ぶのはだめだよ! この前の一件以来、ユイナフが飼いならしてるって皆思ってるんだから、見られたら大混乱になるよ」

「お前、あんがい常識人だよな」



 ローゼンブルク騎士団のセキレイの執務室。


「セキレイ様、レーゲンスブルクの兵力はだいぶ手厚くなったわよ」

「そうだな。緻密に割り振ってくれてありがとう、モニカ。ずいぶん付き合わせてしまったが、もうお前も休んでくれ」

「別にいいんだけどね。無給じゃないし。それより、嫌でもひしひしと感じちゃうんだけど、戦争になるの?」


「なる」セキレイはきっぱりと言った。


「大陸の覇者を目指すユイナフが、中堅領邦のローゼンブルクに屈したままでいるはずがない。一秒でも早く攻めたいと思っている」

「帝都での私の筋書き、失敗した? 実は、ユイナフはセキレイ様にびびって戦争はないと踏んでたんだけど」

「いや、私としては狙い通りだ。帝国を解体し、ユイナフと正面から戦う。その両方がいっぺんに叶うと思って、私はお前の案に全面的に賛成したんだ」


「そんなにユイナフと戦いたかったの?」

「戦いたいわけではないが、マール帝国の形骸化だけで放置しておくと、この大陸はユイナフに呑み込まれてしまうからな」


「てことは、セキレイ様風に言うと、ユイナフ王国も――」

「ああ、解体する」

「これよ」モニカが両手を広げて天井を仰ぐ。


「リューネリア大陸の二大国家をバラバラにするなんて、一体セキレイ様の名前は何百年残るのかしらね」

「別に名前など欲しくないさ」

「名前ぐらい求めてよね。そうでもしないと生粋の壊し屋みたいじゃない」

「壊し屋か」セキレイは苦笑した。


 モニカがいつになく真面目な顔で言う。

「あのね、セキレイ様。その考え方も偏ってると思うわよ。マール帝国を強くして、二大国が平和路線を掲げる方向もあったんじゃないの?」

「ユイナフが覇権主義である以上、それは無理だろう」

「そんなの、エルドレッドさえ消せばわからないじゃない。全面戦争じゃなくても」


「お前は暗殺が好きだな」セキレイはまた苦笑した。

「気持ちはわからないでもないが、私は巨大な権力も、それを行使する権力者も、信じていないのだ」

「だから、何人にも小さな権力しか持たせない、力ずくでも⋯⋯ってわけね。まるで神様の視点ね」

 セキレイは何も言わなかった。


「あーあ、今度で戦いは当分ごめんこうむるわ」

「同感だ」

「本当に思ってる?」

「ああ」


 モニカが戦争を嫌いでよかった。この戦いが終われば、モニカは内政の方に引っ張り込むのがローゼンブルクにとって最良だ。そうセキレイは考えていた。この戦いが終われば――


(――この戦いが終われば、私はローゼンブルクを去ろう)

 最強の存在であるがゆえに、特定の集団に属し続け、力の均衡を損なうことはできない。一か所にとどまらず、何者の支配も受けず、ただ世界中の野心の肥大化を阻止し続ける。そういう終わりのない戦いが彼女を待っている。


(とはいえ、領邦同士の連携に核は必要だ)

 自分が去ったローゼンブルクで核になる者――彼女の脳裏に、1人の姿が浮かんでいた。

(このリューネリア大陸にあって、もっとも兵の敬意を集めるのは、今も昔も剣士だ。私が今のマールを象徴する存在になりつつあるように)

 

(ただ腕があるだけではダメだ。大勢の信頼を得るには、それに足る名声が必要だ。そして名声のためには、誰もが認める武功がいる――)


「セキレイ様、どうかしたの?」

「いや」セキレイは決めた。

「ユイナフとの決戦、青薔薇の騎士エティエンヌには、シュウをぶつけよう」

「ええっ!? 思い切ったわね⋯⋯。だけど、上手くいったら、賭け剣術試合の不良少年がとんでもない高みへ登るわけね」モニカが片目をつぶった。

「ああ」


(モニカの言う通り、その決戦はシュウを英雄へと押し上げる転換点となるだろう。勝てたなら、だが)


 セキレイは、先の見えない戦に思いをはせていたが、いつの間にか、日に日に膨らんできている別の不安が頭の中を占めていた。

(もしもあの3人が伝説通りの存在であったなら、私1人で止めることはできない。この命を投げうったとしても――。何かが起こるとしても、ユイナフとの戦の後であることを祈ろう――)

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