第19話 宰相の執務室

 帝都召喚騒ぎの一件から、ローゼンブルク領は表面上は穏やかな日々を取り戻していた。


 まだ正規の就業年齢ではないシュウ、ダン、ヴァル、リオは、セキレイに与えられた「休暇」という名の命令に従っていた。

 一方、モニカだけは、セキレイの正式な「秘書」として、帝都の一件の後処理や、各領邦から舞い込んでくるようになった様々な問い合わせへの対応に、事務方の責任者として奔走していた。


 しかし、休暇を与えられたからといって、やることのない、そしてとにかく強くなりたい少年たちが大人しくしているはずもなかった。彼らは毎日、遊撃隊の隊舎に集まり、自主的な訓練に明け暮れていた。


「――そこだ!」

 シュウの鋭い踏み込みと共に、木剣が唸りを上げる。対する相手――白銀の鎧をまとったユイナフの騎士、エティエンヌ――は、その一撃を紙一重でかわした。


 だが、次の瞬間、エティエンヌの姿がぐにゃりと揺らめき、元のヴァルの姿に戻ってしまった。


「あー、だめだあ。やっぱり戦いは集中がもたないよ。すぐに解けちゃう」

 ヴァルは、ぜえぜえと息を切らしながら、地面にへたり込んだ。


「いや、十分だ」

 シュウは、汗を拭いながら言った。「奴は、とにかく一歩目が速いんだ。その踏み込みの速さを、こうしてわずかな間でも体感できるだけで得るものは大きい。助かるよ、ヴァル」


「なら、いいけど」

 ヴァルは、エティエンヌとして振る舞った帝都での経験から、中身も含めて対象者になり切る技術をものにしつつあった。それは戦いにおいては戦闘技術のコピーを意味した。

 戦いの中でコピーを維持することは容易ではないが、ヴァルは、集中力がすぐに途切れてしまった最大の理由は、シュウが段々とエティエンヌのスピードに追いつきいてきており、身の危険を感じたからだと考えていた。


「なあ、ヴァル。セキレイさんにも化けられるか?」

「できるけど、戦うのは絶対にムリだよ! あの人の動きなんて、真似しようと思っただけで頭がパンクしちゃう!」

 シュウは、心底残念そうな顔で肩を落とした。


 その2人のやり取りを見ていたダンが、面白くなさそうに割り込んできた。

「おいおい、シュウ。お前しれっとエティエンヌ対策なんか始めてるけどよ。お前がエティエンヌを取っちまったらオレは一体どうなるんだ? どこで活躍すりゃいいんだよ」


「相手はユイナフだぞ。他にも名のある戦士くらいいるだろうが。それか、魔法使いらしく敵の軍勢を一網打尽にするとか、そういう見せ場があるんじゃないか」

「それなんだよな。オレの泣き所は」

 ダンは、地面に胡坐をかき、珍しく弱音を吐いた。「オレは正規魔法をほとんど使えねえから、どっちかって言うと、お前みたいな1対1向きの魔法使いなんだぜ。帝都の魔道士部隊にでも留学させてくれねーかな」


「セキレイさんも、そこは頭にあるんだろう」

 シュウは、壁に立てかけてあった水筒を手に取りながら言った。「色んな領邦の人に、腕利きの魔法使いがいればぜひ交流したいから連れてきてほしい、って言ってるらしいぞ。モニカがそう言ってた」


「へえ⋯⋯。誰か、師匠的な人が現れたらいいんだけどな。でも大体、オレは血筋からして正規魔法が苦手なたちかもしれねえ。村にだって⋯⋯」

 ダンがそう呟いた、その時だった。彼の頭の中に、一つの閃きが稲妻のように走った。


「おい、ヴァル」

 ダンの声のトーンが、急に変わった。


「エティエンヌになって長時間戦うのは無理でも、帝都でやったみたいな、会話だけならけっこういけるよな?」

「まあ⋯⋯思ったよりできたかな」

「手紙ならどうだ? 最初から最後まで、その人物になり切って文章を書けるか?」

「たぶん、会話と同じ感じでいけると思う」

「よし!」

 ダンは、ガバッと立ち上がった。


「シュウ! オレ達3人、ちょっと村に帰ってくる! 明後日には戻るから、誰かに聞かれたらそう伝えといてくれ!」


「はあ? おい、待てよ!」


 シュウの制止も聞かず、ダンはヴァルとリオの手を掴んだ。その顔は、確実に何かを企んでいる、悪童のそれだった。


「無茶なことするなよ!」

 シュウの声を背中に受けながら、ダンは、ヴァルとリオを引きずるようにして隊舎を走り出ていった。


 隊舎の裏手まで来ると、ダンは2人に計画を打ち明けた。

「さて、ヴァル。旅の支度として、これから城で調達してきてほしいものがある」

「おれに頼む調達って⋯⋯ぜったい誰かを騙すやばい話じゃん」

 ヴァルの嫌な予感は、的中した。

「大したことねーよ。モニカにでも化けて、ローゼンブルクの紋章が入った一番上等な便箋と封筒を一揃いくすねてこい。リオは逃走の手助けだ」

「ええっ!?」

「で、ヴァル。戻ってきたら、今度はアルフレート様になって手紙を書け」

「えーっ! だめだめ、そんなの絶対にだめだよ! 領主様になりすますなんて、犯罪じゃないか!」

 ヴァルは、ぶんぶんと首を横に振って抵抗した。

「うるせーな。わかった、わかったよ! じゃあ、手紙を書くのは隊長でもいい! とにかく、まずは便箋と封筒を取ってこい!」

 ダンは、半ば強引に話をまとめた。

「いいなお前達。オレの言うことは聞くよな?」

 その言葉に、ヴァルとリオは逆らうことができず、こくりと頷くしかなかった。2人の同郷の仲間に対して、ダンは絶対的なリーダーシップを発揮するのだった。

 


 ユイナフ王国。その首都は、芸術と謀略の都、パルシオン。

 壮麗な王城の一角にある、宰相エルドレッドの執務室は、静寂と冷たい緊張感に支配されていた。


 扉が静かに開かれ、青薔薇の騎士、エティエンヌ・ド・ヴァロワが入ってきた。

「遅くなりました、宰相閣下。王立研究所に寄っておりましたもので」


「おお、ご苦労だったな」

 エルドレッドは、巨大なリューネリア大陸の地図盤から顔を上げ、エティエンヌに視線を向けた。「どうだったね。例の玩具の仕上げは、順調だったかね」


 エティエンヌは、その美しい顔に表情を浮かべぬまま、長く垂れた前髪を優雅にかき上げた。

「はい。まだ数が限られているがゆえ、与えられるのは小隊長以上の者になるかと思いますが、戦力としては十分かと。もはや、兵士個人の技量で戦況が左右される時代ではありますまい」


「楽しみだな――いわれのない屈辱は、念入りに晴らさねばならんからな」

 エルドレッドは、そう言ってくつくつと笑った。


「と、私は考えて、こうして居ても立ってもいられないのだが、貴公はずいぶんと落ち着いているな。大陸中に広まったあの情けない噂の当事者だというのに」


「いえ。帝城サンクト・カールに単身乗り込み、帝国を屈服させたところまでは、実に英雄的ですからな。本当に私がやったことにしても良いくらいです」


「呑気なことを言う。その英雄とやらはセキレイの尻を追いかけ回した挙句、片田舎のローゼンブルクごときに恫喝され、すごすごと逃げ帰ったのだぞ。本物の貴公の話かと勘違いした城内のご婦人方が、大きくため息をついておられたわ」

「それは、別に構いませんが――」

「とにかく」


 宰相エルドレッドは、エティエンヌの目を射るように見つめ、その言葉を遮った。


「ユイナフ王国は、その誇りを傷つけた相手には、容赦せん。それを大陸全土に知らしめることは、国際政治の微妙な均衡を保つことよりも、遥かに重要なことだ」

 彼の声には、絶対的な権力者の、揺るぎない意志が込められていた。

「我が軍は、まっすぐにローゼンブルクを目指す」


「怪鳥グライフの件は、どうなさいます」

 エティエンヌは、初めて懸念を口にした。「世間では、我がユイナフがグライフを飼いならしているかのように見ておりますが、実際はセキレイが操っていると考えるのが自然。頑丈で炎を吐くあの怪鳥を、ローゼンブルクはすでにある程度の数集めているかも知れませんぞ」


「心配はいらん。奴がその対策も考えている」

「ゼノ副所長ですかな」


 エティエンヌがその名を口にすると、エルドレッドの口元がわずかに歪んだ。

「まさに八面六臂の働き、恐れ入りますな。彼は、セキレイを討つのは自分だ、とも豪語しておりました。私など、『剣士の時代はもう終わる。自分が終わらせる。貴方はこの研究所の所長に赴任すればいい』と言われましたよ」


「礼儀を知らん、忌々しい小僧だ」

 エルドレッドは、吐き捨てるように言った。

「だが天才だ。奴の頭脳が、これからのユイナフを、そしてこの大陸の戦を塗り替える」


 その言葉に、エティエンヌは何も答えなかった。ただ、静かに目を伏せ、ぽつりと呟いた。

「――できれば、セキレイとは、もう一度手合わせを願いたいのですがね。剣士として」

 その声には、新しい時代の到来を前にした1人の剣士としての純粋な渇望が滲んでいた。

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