第12話 帝都潜入
まだ星々が瞬く、薄暗い夜明け前。
ローゼンブルク領の外れにある森で、ヴァルは大きく息を吸い込んだ。次の瞬間、彼の体はきしむような音を立てて変貌を始める。
背からは鷲の翼が広がり、体躯はたくましい獅子のものへと変わり、顔つきは猛禽の鋭さを帯びていく。
伝説の怪鳥、グライフ。その雄大な姿が、闇の中に現れた。
「私達、たった4人だけどセキレイとグライフがいるわよ。どことでも戦争できそうね」
「くだらないことを言ってないで、早く乗れ」
セキレイの声に促され、モニカとリオが獅子の胴体にまたがる。
グライフが力強く地を蹴り、漆黒の空へと舞い上がった。
「うわあ、すごい、速い! もっと飛んで、ヴァル!」
風を切り裂く背の上で、リオは初めての飛行体験に無邪気にはしゃいでいた。
対照的に、モニカは真っ青な顔でセキレイの腰に必死にしがみついている。
「きゃあああ! お、落ちる、絶対に落ちるわ! セキレイ様、もっとしっかり掴んでて!」
「騒ぐなモニカ。ヴァルの集中力が削がれる」
セキレイは冷静に彼女をなだめながら、眼下に広がる、まだ眠りの中にある大陸を見下ろしていた。
数時間後、東の空に陽が昇りきった頃、彼らの眼下に帝都アイゼンブルクの壮麗な姿が見えてきた。グライフはセキレイの指示で帝都の街の上空を大きく一度旋回した後、高度を下げ、皇帝の居城サンクト・カール城の裏手に広がる広大な森の中へと、音もなく舞い降りた。
セキレイの入城は、翌日の夕方とされている。それまでに全ての準備を整えなければならない。
森の中で、セキレイは作戦の要点を確認した。
「我々が演じるひと芝居のステージは、城門前の広場だ。問題は、役者のための舞台袖がどこになるか。そしてステージにどうやって出入りするかだ」
つまり、帝都に出頭したセキレイが、城内のどの部屋に軟禁――見張り付きの滞在――をさせられることになるのか。その部屋を正確に特定し、そこへの侵入と脱出のルートを確保する必要があった。
「数時間、ちょうだいな」
モニカは、自信ありげに微笑んだ。
彼女はヴァルに向き直ると、「あんた、私と同じくらいの年頃の、ちょっと気の弱そうな女性に化けてちょうだい。この辺にいそうな、ちょっと都会的な感じの」と指示を出した。ヴァルの姿が、みるみるうちに指示通りの女性へと変わっていく。その完璧な変身ぶりに、セキレイも改めて感心した。
モニカと、アイゼンブルク女性に化けたヴァルは、森を抜け、人々の往来が始まったばかりの城下町へと向かった。目指すは、城の関係者が出入りする城門付近だ。
モニカは、城内から街へ買い物にきた侍女か、あるいは城内に届け物をするために出入りする納入業者を探していた。
やがて彼女の目に1人の若い侍女の姿が留まった。城門から1人で出てきたその侍女は、何か思い悩むように不安げな表情を浮かべている。
(当たりね)
モニカは、すっとその侍女に近づいた。
「あの、すみません!」
モニカは、社会の裏を知り尽くしたような普段の雰囲気は完全に封印し、人懐っこい笑顔で話しかけた。
「私達、神足セキレイ様の熱烈なファンなんです! あの方、あんなに強くて、その上、息を呑むほどお美しいでしょう? 近々ご登城なさると噂で聞いたものですから、一目お会いできないかと思って、ここで張っているんです!」
突然話しかけられ、驚いていた侍女だったが、「セキレイのファン」という言葉に、少し警戒を解いたようだった。
「まあ、あなたたちも。実は、私がそのセキレイ様のお部屋の準備を任されてしまって……」
侍女は、困り果てたようにため息をついた。
「早ければ明日にもお見えになる想定で準備を進めているの。それで、お着替えなどを私が調達しに行くことになったのだけれど、セキレイ様のサイズなんて見当もつかなくて。ちょうどいいわ、熱心なファンなら、服のサイズをご存知かしら? 何を買ったらいいのか、本当に不安で⋯⋯」
モニカは内心で舌なめずりしながらも、心配そうな顔で答えた。
「ええ、もちろん存じてますわ! セキレイ様は、華奢に見えても大変お体を鍛えていらっしゃいますから、腰回りは細いのに、肩は少し――」
モニカは、セキレイの実際のサイズを、まるで自分のことのようにスラスラと答えた。侍女は、目を輝かせながらそれをメモに書き留めている。
間髪を入れず、モニカは次の一手を打った。
「そうだわ! ひとつ、お願いがあるのですけれど」
彼女は、うっとりとした表情で、帝都の中央を悠々と流れる大河を指さした。
「以前訪れたことがあるのですが、ローゼンブルクにはあんなに大きな河はありませんの。どうか、セキレイ様を、私達帝都の人間の誇りである蒼龍川(ブラウ・ドラッヘン)がよく見えるお部屋に通して差し上げてはいただけないかしら。きっとお喜びになると思うんです!」
生粋のアイゼンブルクっ子のような口調で、熱っぽく語る。隣で、ヴァルが化けた女性も「ええ、本当に! ぜひお願いします!」と強く同意した。
その提案に、侍女は「まあ!」と嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん、そのつもりよ。帝都の人間なら誰だってそう考えますもの。ご安心なさい」
そして、侍女は誇らしげにサンクト・カール城を見上げ、その一角を指差した。
「セキレイ様には、あそこのお部屋をご用意してありますの。城で一番、蒼龍川の眺めが良い、南西の角部屋。あの窓のお部屋よ。もしかしたらあなたたちも、ここからセキレイ様のお姿が見えるかもしれないわね」
モニカは、侍女が指差す城の2階、南西の角にある窓の位置を、正確に記憶に焼き付けた。
(舞台袖は、これで決まった)
侍女に丁重に礼を言い、その場を離れながら、モニカは悪魔のように、しかし満足げに微笑んでいた。
帝都潜入組の4人は、その日のうちに一旦アイゼンブルクを離れ、ローゼンブルク方面へ少し戻った場所にある小さな宿場町に宿を取った。
作戦実行は、あす。最後の夜は、嵐の前の静けさに満ちていた。
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