幽霊令嬢の王都改革記 ~死後の断罪から始まる再生~
aiko3
第1話 死後の庭にて
――風の音がしない。
ただ、白い花弁が散る音だけが、世界の底に響いていた。
リディア・ヴァン・アルセインは、ゆっくりと目を開けた。
光も影も輪郭を持たない、乳白色の庭園。どこまでも広がる霧の中に、花々が咲き、枯れ、また咲いている。
それが永遠に続いているようだった。
彼女は立ち上がった。衣擦れの音が、やけに遠い。
見下ろすと、淡い青のドレスが揺れている。処刑の日と同じ衣装だった。
――ああ、そうか。私はもう、死んだのね。
その理解は、驚きよりも穏やかに彼女の中に落ちていった。
首元に残る鈍い痛みは、もはや記憶の残滓でしかない。
裁きの場で浴びた嘲笑も、鉄の匂いも、もう何も感じない。
リディアは周囲を見渡した。
空はない。
代わりに、どこまでも高く霞む光が、彼女の影を溶かしていく。
まるで存在そのものが薄れていくような、静かな恐怖。
――ここは、どこ……?
問いは声にならず、空気に吸い込まれる。
返事はない。代わりに、遠くで“鐘”のような音がした。
その音に導かれるように、リディアは歩き始めた。
足音がしない。花を踏んでも感触がない。
歩いているのかどうかさえ、わからなくなる。
やがて霧が晴れ、ひとりの少年が立っていた。
白い髪、灰色の瞳。年の頃は十にも満たぬように見える。
裸足で、何かを待つように立っていた。
「ようやく来たね」
少年は、リディアの名を呼んだ。
「リディア・ヴァン・アルセイン」
その響きに、彼女の心が微かに震えた。
死者の名を呼ぶことができるのは、この世界では特別な存在だけだ。
「あなたは……誰?」
「名前はないよ。でも、案内人って呼ばれてる」
少年は微笑んだ。
「ここは“庭”。死んだ人が最初に来る場所だってさ」
「……死者の国?」
「ううん。国なんてものはない。ここは“思いの残り”だけが集まる場所。
君の思いが強かったから、こうして形になってるんだ」
リディアは沈黙した。
思いの残り。
確かに、あの日――彼女は何かを言い残したまま、息を絶った。
それが、この世界を呼び寄せたのかもしれない。
「私の……思い、ね」
「うん。君はまだ、“終わってない”んだ」
少年は手を伸ばした。白い光が、彼の掌の上に浮かぶ。
それは淡い炎のように揺れながら、ひとつの形を取っていく。
古びた本。金の留め具が付いた、リディアの私室にあった記録帳だ。
「これ、君の記憶のかけら。
この庭には、君が生きた時間がぜんぶ散らばってる。
集めたら、きっと“何か”が見えてくるよ」
リディアは息を呑んだ。
生前、王都の政務に関わっていた頃、彼女は確かにこの日記を使っていた。
王家の秘密を、封じたまま――。
「……集めて、どうなるの?」
「君が何を望むか、次第だよ。
眠ることもできるし、戻ることもできる」
「戻る……? この世に?」
「うん。だけど、生きてる人には“夢”としてしか届かない。
君が残した思いが、誰かの夢を通して現れるんだ」
リディアの目に、一瞬、微かな光が差した。
“夢”――。
もしそれが届くなら、伝えたい言葉がある。
ひとりの王子に。
かつて、彼女が守ろうとして裏切った“王家の血”に。
彼女は少年に問う。
「……夢を渡る方法を、教えてちょうだい」
少年は目を細めた。
「いいの? 君の魂、もっと薄くなるよ。
それでも行く?」
「私は、罪を償いたいの。
そして――真実を、渡したい。」
白い花が散る。
幽界の風が、ようやく、そっと動いた。
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