第7話 こうかい

3


 夕方に学園に帰った平和は夕食も食べることなく、腹を痛めてずっと寝ていた。


 しかし、21時になると珍しく俺の部屋まで来た。しかも泣きながら、ベッドでうたた寝していた俺を叩き起こした。


 いつだか同じことがあったなと思いつつ、「もう9時だから部屋移動ダメじゃね?」と聞くと平和はそれでも俺の両肩を掴みながらわんわん泣いている。あまりにも珍しい弟に驚きつつ背中を擦る。


 「マジでどうした」


 「苦しい……本当に、痛いし熱い、痛いんだって!! 腹、腹裂いて!! 切って!! 出して、腹の中のやつ出して!! 出してってば!!!」


 「落ち着けって、何もいねーよ。お前は男だろ。今日、ちゃんと俺確認したし。お前はちゃんと男だよ」


 「いいからやれよ!! 責任取れって言っただろーが!! お前ばっかり俺に押し付けてズルいだろ!!! 俺はお前に言われたことやってきたじゃねぇーか!!! 掃除も洗濯も飯の用意もセックスも全部やったぞ!!! たまには俺の言うことも聞けよ!!!!!」


 恥ずかし気もなく大声で叫ぶ弟にギョッとした。こんな大きな声ならユニットの奴らに聞かれる。


 「頼むから俺のことも何とかしてくれよ!!!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いい痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!!」


 「わかった! わかったから落ち着け!! 落ち着けって!!!」


 俺は思わず平和の頬を叩いた。それで平和は幾分か正気になったのか目を丸くして俺を見る。


 俺は、弟を犯したことを後悔した。


 バレたら学園に居づらいからではない。弟が救いようもないくらい惨めで、こんなにも思い詰めていて、腹が裂けそうなくらい痛がっていることを知ってしまったからだ。知っていたはずなのに、平和が傷付く理由の一部に自分自身が成り果てたことに、自分でも驚くくらいショックだったのだ。


 今まで、あれだけ平和の辛そうな顔を見れば安心できたのに、今は平和が泣き叫ぶと罪悪感が胸を痛め付けた。安心の材料だったはずの平和の泣き顔が、可哀想で見ていられない。


 ――今泣き叫んでいるのは間違いなく俺のせいなのだ。


 「いいか、深呼吸しろ」


 「うぅ」


 平和は顔を真っ赤にしながら、ゆっくりと深呼吸をする。体がブルブルと震える。


 「うぅ……腹、痛いんだってば……出して、はやく出して……いやだぁ、うみたくない……」


 「腹出てねぇだろ、何も生まれやしないって」


 平和を抱き締めると、最早言葉にならない声で泣いていた。俺は、そんな弟に謝ることすらできなかった。


 「大丈夫か?」


 平和の泣く声が聞こえたのだろう。施設職員の土井が部屋に入ってきた。


 「大丈夫ではない。けど、俺らでどうにかする。しばらくこうしてるわ」


 「あー、喧嘩か?」


 土井の言葉に、平和がブルブルと首を横に振った。


 「お兄ちゃんは、悪くないから、だから、ごめんなさい」


 「はいはい、平和も悪くないから」


 いや、俺は悪いだろ。どうして責めないんだよ。

土井は「困ったら呼べよ」と言って部屋を出ていった。俺は、平和の背中をポンポンと叩きながら平和が泣き止むのを待った。



 平和は30分くらいずっと泣いていたが、落ち着くとすぐにいつもの調子に戻っていた。


 「迷惑かけて悪かった。おやすみ」


 「いや、あー、おう」


 平和は土井にも謝罪をして、すぐに自室へ戻った。土井が俺に何があったのか聞いたが、俺は「平和が突然泣いて部屋にきた」とだけ答えた。


 それから、俺は平和を避けるようになっていた。平和もそれに気付いて距離を置くようになった。


 俺は、全うな人間になりたいと思った。やり直したかった。


 だから、高校も再び登校するようになった。真面目に勉強もした。決して頭はよくなかったが、以前が酷すぎたから周りの大人はそれなりに評価してくれた。


 相変わらず、人間関係は上手くいかないが、最早仕方ないことだと割りきった。人に大切にされたこともないのに、俺自身人に気を遣うなんてできやしない。だから、もうどうしようもなかった。それよりも、自分がしっかり社会でやっていける人間にはやくなりたかった。幸いにも、この世界は一人でも生きていける。しっかりとした社会人になって、見本になれる兄になって、どうしても平和に謝りたかった。


 許してほしいわけではないが、それでも謝りたい。でも、今は謝る勇気すらない。資格もないだろう。こんなダメな人間に謝られたって平和も困るに違いない。


 一方の平和は、正直に言ってどんどん変になっているとしか思えなかった。そもそも、義父を殺したときからおかしかったのだろうが。


 相変わらず、女関係の噂は立っていた。もはや俺に泣きついてくることはなかったが、進村の情報だとやはり腹が痛いと言うことは変わらないようだ。進村は仮病だと言っていたが、多分本当に痛いのだろう。痛いと思うから、痛いのだ。そして、時々暴れては先生方に取り押さえられている。


 それでも、唯一救いだったのは平和にとって安心できる人ができたことだ。平和の2つ年上の琴音という男だった。琴音はどこか平和に似た男だったから平和も取っ付きやすかったのだろう。琴音も来るものは拒まずといった感じのタイプだった。


 それでも、平和の持つ根本的な課題は解決しないままだった。


 そして、入所して後もう少しで2年になるというときに、遂に職員をぶん殴って施設を変更した。


 その時に電話だけ許可された。


 「……誰も話聞いてくれない」


 「おう……」


 「何してるんだろうな、俺。本当に馬鹿みたいだ……」


 「あのさ、平」


 「アンタはそこに後1年いるんだろ。元気でな、じゃあ」


 「へ」


 名前を呼ぶことすら許されず、平和は電話を切った。


 俺は、そこでようやく自分はもう弟に必要とされていないことに気付いたのだった。          

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