第4話 忠誠の騎士、ボクの土下座

しん……と静まり返った神殿に、ボクとママの呑気な会話が響く。

物陰からその一部始終を見ていた女騎士は、非現実的な光景に言葉を失っていた。

理解不能な単語が頭の中をぐるぐる回り、完全に思考がフリーズしている。

彼女は、目の前で息子とじゃれあうエプロン姿の女性を指さしたまま、ただ口をぱくぱくとさせることしかできなかった。


そんな彼女の元へ、ボクとママは歩み寄る。


「さて、と。それじゃあ、ボクの番だね」

「まあ、ついにゆうくんの才能が花開くのね♡」

「うん。この人の怪我、治してみようと思って。アストリア様がくれた力、試してみなくちゃ」


ボクの言葉に、女騎士さんははっと我に返ったようだった。

彼女は自分の太ももに巻かれた血の滲む包帯と、ボクの顔を交互に見比べる。


「そ、そうか……。君は回復術士だったのだな。女だてらに騎士をやっている私が言うのもなんだが、あれほどの戦士である母君に、回復術士の息子とは……なんとも珍しい組み合わせだ」


ようやく彼女の中で、目の前の異常事態に対する一つの仮説が立ったらしい。

その少しだけ安堵したような表情に、ボクはちょっと申し訳なさそうに伝える。


「うん、まあ、そんな感じ。でも……変なことになっちゃったらごめんね」

「変なこととは!?」


「いや、多分大丈夫だと思うんだけど、なんせ初めて使うからさ。変なふうに治っちゃったら、その、ごめん」

「変なふうとは一体どういうことだ!? えっ、ちょっ、母君!どういうことだ!? まるで今日、この瞬間に回復魔法を習得したかのような口ぶりだが!」


女騎士さんが助けを求めるようにママに視線を送るが、ママはにっこりと微笑むだけだ。


「うふふ、そうなのよ~♡ ゆうくんったら、自分も魔法が使えるってわかって、もうワクワクが止まらないみたいで♡ うちの息子の記念すべき初治療、どうかお付き合いくださいな♡」


ああ、無情。ママのデロ甘肯定が、女騎士さんの最後の希望を粉々に打ち砕いた。

ボクは彼女の傷口にそっと手をかざし意識を集中させると、アストリア様から与えられた知識が頭の中に流れ込み、自然と唇からその言葉が紡ぎ出された。


「じゃあ、いくね~。えーっと――聖癒光レパラ!」

「待て待て待て待て! いくらなんでも得体が知れなさすぎる! せめて心の準備というものがだな──!」


リーゼロッテさんの悲痛な叫びも虚しく、ボクの手から放たれた光が、彼女の足を優しく包み込んでいく。


ふわりとした光が消えた後、恐る恐る包帯を解いたリーゼロッテさんは、絶句した。

あれほど深く、骨にまで達していた傷が、跡形もなく消え去っている。

彼女は何度も自分の足をさすり、曲げ伸ばしを繰り返した。


「……うむ。傷跡ひとつなく治っている。内部の痛みも、違和感も一切ない。極めて高度な聖属性回復術……」


だからこそ、得体が知れない。

リーゼロッテさんは、青い顔でじっとボクを見つめてくる。

その瞳には、先ほどよりもさらに深い警戒の色が浮かんでいた。


しかし、と彼女は続けた。


「色々と……本当に色々と驚かされた点はあるが、命を救われたことに違いはない」


彼女は立ち上がると、ママがそっと返した彼女自身の剣を拾い上げ、その切っ先を、カツン、と目の前の石畳に突き立てた。

そして、その柄に手を置き、ボクたちの前で片膝をつく。それは、騎士が忠誠を誓う時の、最も丁重な礼の形だった。


「私の名は、リーゼロッテ・フォン・ハスケンホルト。故あって家を出た、しがない冒険者だ。……この拾った命は、貴方がたに捧げよう。この剣にかけて、全身全霊で貴殿らをお守りすることを誓う」


凛とした声が、神殿に響き渡る。

夕陽のような光が差し込み、彼女の銀色の髪をきらきらと照らし出す。

美しい女騎士が、忠誠を誓ってくれていた。


異世界作品で親の顔ほど見たこの展開──ボクの脳裏に、この先の甘い未来予想図が、パノラマのように広がった。

ボクに忠誠を誓い、絶対の信頼を寄せる女騎士。やろうと思えば「ふふ、主様の仰せのままに」とか言って、ちょっとエッチな命令とかも聞いてくれるかもしれない。でも、主人公であるボクはそんなこと絶対にしないと、彼女は信じている。そんな理想的な関係性の中で、ちょっとしたハプニングが起きて、二人の距離が縮まって、気づけば恋仲に……。

なお、"もしもえっちなお願いをしたらどうなるか"は、二次創作で大量に描かれるやつだ。うん。


ぎゅっ。


「いってえぇ!?」


突然、お尻に走った鋭い痛みに、ボクは飛び上がった。

振り返ると、ママが笑顔でボクのお尻をつまんでいる。


「んもう、ボクちゃん。今、すっごくエッチなこと考えてるお顔になってたわよ」

「そ、そんな顔になってた!? 結構、平静を装ってたつもりだったんだけど!」

「ママにはわかるのよぉ。男の子だものねえ」


その会話を聞いた瞬間、リーゼロッテさんの身体がびくりと震えた。

彼女はさっと立ち上がると、両腕で自分の胸元を庇うようにして、一歩、二歩と後ずさる。


「いや……その、そういう命令は……騎士として、主の命令とあらば、どのようなことであろうと……そ、その、従う、が……」


表情こそ変わらないものの、その頬は青ざめ、眉がぴくぴくと引きつっている。

おそらく彼女を政略結婚の駒として扱おうとするような、実家のろくでもない男たちの姿が、ボクの顔に重なって見えているに違いない。


「ボクにもわかっちゃうほどの強烈な嫌悪感! いや違うんだ! 違う、ちょっと待って、ボクが悪かった!」

「はいはい、ごめんなさいしましょうね、ボクちゃん。女の子をそういうやらしい目で見るのは、よくありませんよ」


ママに優しく、しかし有無を言わさぬ力で頭を押さえつけられ、ボクはリーゼロッテさんの前で勢いよく土下座した。


「嫌な気分にさせてしまい、誠に、まことに申し訳ありませんでしたぁ!」

「ま、待ってくれ! 命の恩人に、その姿勢で謝られて、私はどう反応すればいいんだ!? とにかく、頭を挙げてくれ!」


完全にパニック状態のボクと、それ以上にパニックになっているリーゼロッテさん。


そんなボクが頭を上げると、ママは「よしよし」とボクの頭を撫で、ぎゅーっと抱きしめてくれた。


「ん~♡ やっぱりボクちゃんは素直ないい子♡ すぐに謝れて偉いわね! とっても誠実な男の子に育ってるわ~♡ ママ、嬉しい! ご褒美のちゅーしちゃう♡ んちゅ♡ んちゅ♡ むっちゅちゅ~♡」

「ふわわぁ♡ ママぁ♡ ボク、ちゃんと謝れたよう♡ 間違ったことしたら、こうやって厳しく躾けてくれるママ、だあい好き♡ ママのおかげで、ボクまた一つ成長できたよう♡ ありがとうママ♡ 愛してるぅ♡」


抱き合って、頬ずりをして、ちゅっちゅとキスをし合うボクたち親子。


その一部始終を呆然と眺めていたリーゼロッテは、先ほど自らが突き立てた剣を見つめながら、

(……今の誓い、撤回できないものだろうか)

と、引きつった笑顔で、本気で考え始めているのだった。

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