翡翠の音色

バカノ餅

翡翠の音色

「はぁっ…!はぁっ…!はぁっ…!」


 豪雨の中、冷たい雨粒が体中を刺す。

 濡れた制服が重く感じ、今にも倒れそうだ。 


「待ちやがれぇ!」「この野郎逃さねぇぞ!」


 くそっ…俺はいつもそうだ…

 何もないクセに、中途半端に手を出すせいで、結局自分と他人が痛い思いをする。そんな事は分かっているのに…!

 なんで俺は…


 ***


「ねぇ、そろそろ行きたい大学とか決めた?」

「私ね〜演劇の大学いくんだ〜!」

「えー!?まじ!サインください!」

「やめてよ〜!」


 12月の冬。長い1年が終わるこの季節。

 その時期の高校生2年生達は『将来の夢』という人生のプロットを組み、ペンを握って描く準備をする。

 そんな希望に満ち溢れた高校生2年生達の片隅に俺はただ1人座って眺めていた。


「え〜皆さんに配ったプリントは将来の夢について再確認する物です。皆さんは今人生の分岐点にいます。いいですか?これからどう生きていくのか、どう生きたいのか。それを心に刻んで取り組んでくださいね。」


 皆がペンを握り、自分と向き合う。

 真剣に、正確に、夢を書いている。

 時計の針の音と、シャープペンシルの芯の削れる音が教室に響く。

 どんどん時間は過ぎていく…


 大学…か…


「どうかしましたか?」


「あっ。」


 皆を見て回る先生が俺の前に立つ。


「いえ…なんでもありません。」


 ペンを握り、空白が多いプリントを見る。


[自分が決めた大学、職業、やりたいことを書いて今の自分を見つめ直そう!]


 やりたい…こと…


 自分も皆のように振り返ってみる。

 やったこと、やりたかったこと、やってないこと。なった自分、なりたかった自分、なれなかった自分。


 ただひたすら…何もないのに思い出す。


 そうしてまた、一歩遅れる…


「はーい、回収しに行きますので裏返しにして待っててください。」


「…」


「どうだった〜?」

「そんなに書けなかった…意味あるのこれ?」

「知らな〜い。うちの担任はこういうのばっかだから仕方ないよね〜」


 ザワザワと皆が話し始める。

 夢、大学、趣味、やりたいこと、書けたか、書けなかったか、そんな言葉が飛び交う。


 キーンコーンカーンコーン


「はーい終わります。」


「きりーつ、れい、ありがとう御座いました〜。」


「やっと終わった〜!」

「土曜日なにしようかな〜!」


 俺も帰る準備をしよう…


飛近ひちか君。」


「は、はい!」


 教卓の椅子に座る先生が俺の名前を呼ぶ。


「後で進路指導室に来なさい。」


「…はい……」


 ###


「飛近君…君はやりたいこととかはないのか…?」


「…いえ…」


 笑顔で友達と帰る人や、部活をしてライバルと高め合う人など、輝く瞳でこれからを生きようとする学生達が窓の外から見えてくる。


「何か趣味とかは…あっ、よく本を読むって言っていたね!」


「…そうですね。」


「なら本に関係するものを目指すのも手だよ!どうかな?」


「確かにそうですね…」


「うーん…そうだな…まだ決まらないのなら始業式にまたプリントを持ってきて。冬休みなら白紙のプリントに何か一文加えられるかもだからね。はい。」


 そして回収されたプリントが俺の手元に渡される。


 あの時、何も書かけなった白紙のプリントを。


「話はこれで終わりね。いい冬休みにしてね。それじゃ。」


「ありがとうございました。」


 進路指導室を出て下駄箱へと向かう。


 よく本を読む…たかが5冊だ。それきり新しく買おうともしないし、読み直そうともしない。そんなのが趣味と呼べるだろうか? 


「趣味…か…」


 スリッパから靴へと履き替え、重いカバンを背負いながら学校を後にして、近くの自動販売機でコンポタを買う。


「…あったら楽なのかな…?」


 将来の夢を決めるのって…


 先生と話して、寄り道をしたからかあっという間に辺りは真っ暗だ。

 温かい缶を両手で持ち、白いため息が昇る瞬間をぼーっと見つめる。


 夢…夢…夢…夢…皆、夢の話…


「…ん?」


 しばらくしていると、額に冷たい粒が落ちてきた。それはポツポツと降っていたが、次第にどんどん強くなっていった。


「まずい…!」


 近くにコンビニがある。そこに向かおう。


 ###


「はぁ…はぁ…」


 だ、ダメだ…体力が…

 はぁ…全身がびしょ濡れで気持ちが悪い。

 カッパか傘を買っていこう。


 そう思った瞬間だった。


「おい、金を出しやがれ!」

「きゃーーっ!だれかーっ!」

「うるせー!おい、にーちゃんそこを動くな!」

「ヒィ!」

「早くしろ、長くはいられないぞ!」

「わかってる!」


 近未来的な銃を持った細い人と体型に恵まれている屈強な人が覆面強盗をしている場面に出くわしてしまった。


「なっ…!」


 とても現実味がないことで思わず声が出てしまい、その声に気づいた細い覆面と目が合ってしまう。


「おっ!そこのいかにも何もなくて地味なにーちゃんも動くなよ!」


 じ、地味…


 確かに身長も、顔も、髪も、声も、目立ったところはないし特別な身体能力も頭脳もないからよく地味とは言われるが…

 って、今はそんな場合じゃない!


 周りを観察していると、棚の方からヒソヒソと話している2人の男子高校生が見えた。


「隙があったら武器を奪って反撃するしかない…!」

「じゃあ俺は──」

「おい。何やってるんだお前ら。」

「うわっ!?」「ぎゃっ!?」


 屈強な覆面が2人の事を投げ飛ばす。

 棚は盛大に倒れ、2人は俺の横へ飛んでいき、ピクリとも動かなくなった。…きっと意識を失ったのだろう。


 店内は騒然とし、心臓の鼓動がうるさくなる。


 逃げたい…逃げ出したい…怖い…怖い…


「ねーちゃんよぉ、早く金出せや!レジの使い方分かるだろぉ?」

「誰か…!」


 細い覆面があの銃らしき物を頭に突きつける。レジの人は涙目になりながら震える手でレジを操作する。


 …一見普通のレジ強盗に見えるが、その時の俺には、なにか少しおかしく見えた。まるでお金を盗む以外何か目的があるような気がして…


「おい!お前動いたな!」

「う、動いてませんって!」

「うるさい!動いただろ!」

「ひ、ひぃい!」


 屈強な覆面が怖がる男をつれてレジの前までやってくる。


「このにーちゃんか?」

「そうしよう。」


 覆面2人組が何やら相談をしている…

 武器を下ろして男の方を見ている。


 今が…チャンスか…?


 警察を呼べるチャンス……


 怖くて怖くて吐き気がする。でも…ここで誰かを助けることができたのなら…俺は変われるのかな…?

 俺はゆっくりとポケットに手を伸ばしスマホを取り出す。強盗はこっちを見ていないし、目立たない俺なら…


「すぅ~ふぅ〜」


 小さく深呼吸をしてスマホを腕ごと背中に隠す。まるで最初からこの体勢でいるかのように…


「くっ…」

 

 見えないから、ほぼ勘でロック画面の緊急事態のアイコンをタップしないといけない…

 というかよくよく考えると、アイコンをタップしても110と打つのが無理だ…!

 

 くそっ…もっと冷静になっておけば…っ!

 どうするっ…どうするっ…!


「おーい。今どういう状況だー?」

「えっ…!?」


 自動ドアが開き、後ろからどすの利いた声がした。

 俺は思わず振り返ってその人物を確認する。

 身長が高く、肩幅が広い。同じく覆面をかぶっていた。まさか…この人…!


「ああ、リーダー!まだ終わってないっす!」

「まずコイツからにしようかと…」


 覆面達はあの武器を掲げてリーダーと呼ぶ男に話しかけた。


 絶対そうだ…この人も強盗仲間だ!


 そう思ってとっさにスマホをポケットにしまい込む。


「お、おい!にーちゃん今何した!」


「しまった!」


「リーダー!そいつを捕まえてくだせぇ!」


「おう。」


 リーダーらしき人の腕に捕まらないよう、姿勢を低くしてその場から逃げ出す。


「あっぶ…!」

「うおっ!?こいつ!」

「何してんすかリーダー!逃げられやしたよ!」

「おい、この野郎!」


「こ、こうなったら…!リーダーいいっすよね?」


「やれぇ!」


 後ろから機械音のようなものが鳴り、そして…


 ──ドォン!


「うわっ!?」


 辺りは赤白く光りだし、コンビニのガラスというガラスが割れ、辺りに飛び散る。衝撃は外に飛び出した俺の所まで来て体勢を崩し吹き飛ばされてしまう。


「馬鹿野郎!テメェ、威力最大にしてただろ!」

「す、すいやせん!」

「アイツ倒れてますぜ!」


「くっ…!は、早く…逃げないと…!」


「待ちやがれぇ!」「この野郎逃さねぇぞ!」


 何とかその場から立ち上がり、豪雨の中走り始めた。

 

 ***


 ああ、くそっ…!

 なんで俺は…こうも首を突っ込んでしまうんだよ!

 誰も期待なんかしていないのに…!

 誰も得なんかしないのに…! 


「待てって言ってんだろ!」

「こうなったら2発目を…!」

「お、おい待て!リーダーの許可なく撃つなって約束だろ!」

「そ、そうだったな…リーダー、許可を!」

「リーダーはコンビニで後始末してるぞ?」

「はぁ!?」


「はぁっ…!はぁっ…!」


 雨と風のせいで前がよく見えない。

 街灯と車のライト、信号の光がぼんやりと見える。

 

 人混みも少ない中…どう逃げ切れば…


 そんな事を考えて走る中、通り過ぎる裏路地に不自然な『緑』が見えた。


「…?今の…」


 って、ダメだそんな場合じゃない!早くどうにかして…いや、待てよ…裏路地…次のビルから裏路地に入って撒けば…!


 ここの裏路地は少し入り組んでいて迷子になりやすい。そうすれば変な強盗も撒けるはずだ!


 もう少し…もう少しで………今っ!


「あっ、アイツ裏路地に!」

「そのまま追うぞ!」

「おう!って暗っ!なんにも見えねぇぞ!」

「ここは俺に任せろ…!」


 入り組んだ裏路地を走る。ただ、このまま走っていてもいずれ追いつかれるだけだ…なら隠れるしかない…!


 そうして大きなゴミ箱の中に隠れ息を整える。


 …な、なんなんだあの強盗は…!

 いや、強盗というよりもあの武器!

 ものすごい威力だった…最近の強盗はこんなのなのか?

 こんな強いんじゃ警察はどうなるんだ?

 

 これは現実だ…!ファンタジーじゃないんだよ!


「おい。」


「っ…!?」


 聞き覚えのある太い声が外から聞こえ、ゴミ箱の蓋がゆっくりと開く…その先には…


「見つけたぞ。こんな所に隠れやがって。」

「にーちゃん相手が悪かったな〜?」


 屈強な覆面の男はゴーグルのようなものを付けてニヤリと笑っている。細い覆面も同じく笑う。

 

 ああ、もう…終わりだ…


 何もできず…夢も見つけられないまま……


「くそっ…もう…」


「少年。諦めるのか?」


「っ!?」


「な、なんや!?」「だ、誰だ!?」


 豪雨の中。ビルの上から見下ろす緑を身にまとった人間がいた。


「…ああ、私かい?」


 その人はざっと3階建のビルから飛び降り、ゴミ箱フレーム部分に着地をする。


「しがない笛吹きさ。」


「気取りやがって!」


 屈強な覆面が構えを取って右ストレートを放つが、緑の人は倒れるように右へ避け、その拳は雨粒を弾くだけになってしまった。


「こ、こいつ!」


「ふっ。」


 緑の人は鼻で笑いながら倒れる中、地面に片手を付けて、細い覆面の男の顔面を蹴り上げた。


「ぶふぉ!」


 細い覆面の男は鼻血を出しながらその場へ倒れ込み気絶する。


 緑の人は片手から片足、両足とまるで体操選手のように体勢を立て直し「失礼」と細い覆面の男に声を投げかけた。


「この野郎ォ!」


 屈強な覆面は緑の人に再度殴りかかるが…


「乱暴は良くないよ?ミスター?」


「笛…?」


「それじゃ、グッナ〜イ。」


 ノイズのような雨音の中、鮮やかで優しい笛の音色が雨粒をかき分け俺の耳を撫でる。


「う…あ、ああ…」


 覆面の男はバタリとその場に倒れた。


「よし…さーてっと、危ないオモチャは没収だよ〜」


 緑の人は笛を腰にかけているホルダーに入れ、強盗の武器を回収する。


「あ、あの…」


 これは現実だ。


「…!君…起きてるのか!?」


「え、『起きてる』…?」


「…ふっ。アハハハハ!へぇ~?面白いじゃないか少年。」


「は、はあ…?」


「少年!君の名は?」


「ひ、飛近 翠鳴ひちか すいなです…」


「ヒチカ…スイナ……うむいい名だ!では略してとしよう!」


「りゃ、略…」


 これは現実なんだ。


『飛近君…君はやりたいこととかはないのか…?』

『そこのいかにも何もなくて地味なにーちゃんも動くなよ!』


 夢もなくて、趣味もない、何もかもが足りない空っぽの俺には手を差し伸ばしてくれる。

 

「私の弟子にならないか!」


 これはファンタジーじゃないんだ…!


 ###


「あ、あの〜。」


「ん?どうしたヒスイ。」


 俺は今、緑の笛吹きと一緒に、シャッターが閉まっているお店の前で雨宿りをしている。

 …ど、どうしよう。聞きたいことが多すぎて何から聞けばいいか…


「ヒスイよ。」


「は、はい!」


「聞きたいことが多すぎて困っているようだな?」


「え…?ど──」

「『どうして分かるの』?それは顔に出ているからだ。」


「顔…?」


「そう。顔だ。」


 緑の笛吹きと顔を見つめ合う。

 路地裏では暗くて分からなかったが、よく見ると輝く緑色の瞳をしていて、魔女の帽子のようなものを被っている黒髪で長髪の…美しい女性……


「ヒスイよ…君小さいな。」


「なっ!あなたが大きいんですよ!」


「そうか?身長は?」


「169。」


「ほう…そこそこじゃないか。」


「そういう貴方はなんなんです…?ざっと170後半ありますよね?」


「ハッハッハ!まあそうだな!」


 な、なんなんだこの人…?


「はぁ…もうほんと何がなんだか分からいですよ…変な強盗に追われたら、突然変な笛吹きがやっつけて、急に弟子にならないかと聞いてくるし…」


「ああ!そういえばまだ返事をもらっていなかったな!私の弟子に──」

「お断りです!」


「えぇ〜?いいーじゃないかー!」


「何がですか!そもそも何をするんです?」


「見てわかるだろう、笛を吹くんだよ。」


「ふ、笛を…?」


「それもただの笛じゃない。特殊な笛さ。君も見ただろ?あのデカブツに聴かせてやったのを。」


「あの時の…」


「この『笛の技術』は万能の技術だよ。どうだ?すごいだろう!」


 ……夢…


「ん?どうしたヒスイ?」


「…別にそんな技術、俺には必要ありません。別に覚えたところで使い道がない。そもそも覚えれるわけ…」


「そんなこと言うな!ほら、やりたいこととかはないか?この世は何でもなれるんだよ!私だってそうさ!」


 ああ、一目でわかる。

 この人は夢の世界で生きているんだ。

 空っぽの俺とは真反対な存在。


 本来会ってはいけない、別の世界の人間…


「自分を下卑するな。」


「っ…!」

 

「もっと自信を持て。」


「自信なんか…」


「ないなら私が作ってやろう。」


「は…?」


「これから私が教えるのは『笛の技術』だけではない。それを扱う『自信』も教えてやる。想像してみろ。」


「想…像…」


「君は今1人で大きなステージの上に立っている。大勢の観客が君の演奏を、君自身を、良くも悪くも、真面目な顔をして観ている。そんな身体をバラバラに切り裂きそうな視線と緊張の中…君がをコンサートホールいっぱいに響かせるその姿!その『自信』に満ち溢れたその姿を想像してみろ!聴こえるだろう?この豪雨のように降り注ぐ、君に贈られる拍手の音が!見えるだろう?この街灯のように眩く光り輝く、君を照らすスポットライトが!」


「っ…!?」


「これが夢だ!これが自信だ!そう、だ!」


「なれる…イメージ……!」


「イメージがつかないなら私が刺激を与えてやる!私の刺激が足りないなら、自分で刺激を欲せ!貪欲になれ!求めろ!とにかくどこかへ走り回れ!」


 な、なんだよ…それ…そんな……現実味がないこと…!


「ファンタジーなんだよ!君という存在は!」


「…っ!」


 体が震える。

 

 豪雨のような拍手の音、眩い光のスポットライト。

 カラカラの喉、古い木の匂い、体中を覆う観客の熱気… ああ、これが…!


「ふふ、どうやらイメージできたようだね。」


「…あっ」


「合格だ。」


『イメージ』…『自信』…『夢』……俺でも持てるのか?

 こんな空っぽな俺が…あんな感覚を…!


「さて、雨が弱まってきたようだね。」


「あっ…そうですね…」


「では行くとしようか!」


「ど、どこへ?」


「コンビニ。」


「…」


「どうした?そんな顔して。傘は買っておかないと風邪引くだろ?」


「貴方…傘は持ってないんですか?」


「ないぞ。買おうとした途中に君とすれ違ったのだからな。」


「えぇ……」


「ていうかその『貴方』を辞めろ!」


「じゃあなんて呼べば…?」


「先生と呼びなさい!」


「…なんか他にないんですか?」


「先生がいい!」


 目がキラキラしてる…


「は、はぁ…わかりました。では、よろしくお願いしますね。先生。」


 ###


「酷い有様だな。」


「…ほんとそうですね。」


 先生と俺はあの強盗に遭ったコンビニの所に立っている。窓ガラスは全部割れていて、店内は真っ暗だ。そこは警察が取り締まっていて店内に入れそうになかった。

 警察はどうやら店内にいた人達を探していたようだった。


「うーん…人混みが多い…」


「ヒスイよ、見えないのか?」


「別に見えますけど…」


「なんだ。肩車でもしてやろうかと。」


「無理がありますって…」


「でも困ったな〜ここらへんのコンビニはここしかないぞ。」


「家近いので来ますか?親は海外にいるので変な目で見られませんよ?」


「なっ、ヒスイよ!君、もしや私の事を…!な、なんという弟子だ!」


「何想像してるんですか?気持ち悪いですよ?いくら先生が美人でも無理なものは無理なんですから。」


「…君案外毒あるな。」


「じゃあ、さっさと行きますよ。」


「そ、そうだな。」


 ドン


「あ…す、すみません。」


「ん?ああ、大丈夫ですよ。下を見ていなかった私の落ち度です。」


 サングラスの身長の高い男性が謝罪をする。


「どうしたヒスイ!風邪を引いてしまうぞ〜」


「は、はーい。」


 ###


 そんなこんなで俺は先生を家に招いた。

 先に上がって、先生と俺の分のタオルを持ってくる。

 

「ああ、先生。先にそのびしょ濡れな帽子とマントそこにかけておいてください。家が濡れます。」


「わ、わかった。」


「…その衣装邪魔にならないんですか?」


「ん?いやそんなことはない。とても大切なものなんだ。」


「…大切?」


「ああ。私が腰にかけている笛とこの衣装は代々受け継がれたものなんだよ。」


「『代々受け継がれたもの』…ですか…」


「私のでもある。」


 先生の明るい緑色の瞳はどこか寂しげにしていた。

 意外だった。あんな掴み所のない絵本から出てきたような先生が…あんな現実味のある顔を…


「…なんだ?その『意外!』っていう顔は。私も人間だ。物思いにふけることもある。」


「…そうなんですね。なんか…安心しました。」


「安心…?なんだ、煽りか?」


「ははっ、違いますよ。」


「お…」


「どうしましたか?」


「いや…ヒスイが笑うところを初めて見てな。なんだか私も安心した。」


「…えぇ?」


「…ふふ。気にするな。」


 ###


「いや~ありがとな〜。風呂まで貸してくれて!おかげでスッキリしたよ〜!」


「別にいいですよ。」


 先生はリビングのソファでタオルを肩にかけてくつろいでいる。

 俺もその隣に座らされる。


「なんと、服も貸してもらえるとは…!サイズはギリギリだが、別にヘーキだな。」


「あんまり雑に扱わないでくださいよ。母のコレクションなんですから。」


「へぇ~こういうラフな服が好きなんだな〜!いい趣味じゃないか!」


「はぁ…」


「なあなあ!ヒスイよ、お酒はないのか?」


「…え?お酒…?先生20歳はたち!?」


「ああ、もちろんだ。私は20歳はたちだぞ?なんだ、言ってなかったか?」


「初耳ですよ…」


「そういうヒスイは何歳だ?」


「17です。」

 

「誕生日は?」


「…大げさに反応しないでくださいよ?」


「ん〜?誕生日ぐらいで大げさに──」

「1月1日です。」


「へ〜。……はっ!?正月!元旦!マジか!?」


 先生はぐっと顔を寄せてくる。


「ち、ちかいです…」


「おっと、すまんすまん。」


「…大げさに反応しないでって言いましたよね…」


「仕方ないだろう?初めてみたぞ、正月に生まれた人を。…でも…そうか…高校2年生か。」


 先生は立ち上がり、合点がいったかのように拳を手のひらポンと置く。


「どうしたんですか?」


「君の事をよくわかった気がするよ。」


 そして先生はダイニングテーブルの上にある笛を手に取り、俺に向けていつもように気取って指をさしてくる。


「ヒスイ。『君、音楽は好きかい?』」


「え?まあ、嫌いってほどじゃないですけど。」


「ふふ、そうか。なら、一曲聴いてみないか?」


「一曲…?」


「ああ。一曲だ。」


「一曲なら…いいですよ。」


「では、始めようか。」


 俺は突然のことで少し困惑する。

 でも、そんな困惑は元からなかったかのように消えることとなった。


 先生は笛を口元に近づけ、ニヤリと笑い、そして──


 〜♪


 とても古く、穏やかで、眠ってしまいそうな笛の音色がリビング全体に響き渡る。

 心のどこかが懐かしい気持ちになり、先生の笛に聴き入ってしまう。

 笛を吹く先生はとても近くにいる存在なのに、数歩近づけば触れられる距離なはずなのに、まるでここが大きなコンサートホールに見えてしまい、先生を中心に世界が回っているように感じてしまった。


「…どうも、ありがとうございました。」


「…!」


 言葉に表せない…沢山の感情が一気に喉に詰まって、言葉を発することができない。

 ただできたことは…


 この小さな拍手を先生に贈るだけだった。


「ふふ、ヒスイよ…やっぱり君は私が探していた弟子そのものだよ。」


「…どうしてですか…?」


 先生は再び俺の横に腰掛けて笛を見つめる。


「君にまたを吹いてみた。まあ、いわゆる催眠だな。」


「はっ!?」


 催眠。そんな衝撃的なワードが先生の口から発せられる。


「あのデカブツにが倒れたのは私の笛によるものさ。」


「は、はぁ?」


「まさか効かないとはね。こりゃ世紀の大発見だ!」


「せ、世紀の…?」


 …催眠…そんなのは普通信じられるものではない。でも…こんな夢みたいな存在の先生が言うとなぜか信じれてしまう。


「ちょうどいい機会だ。先生として笛について教えてやろう。」


 先生はいつものキリッとした顔でこっちを見る。


「君は笛吹きが登場する童話を知っているか?」


「えっと…もしかして街のために鼠を連れて行くあの童話のことですか?」


「私の…いやは、これがルーツとなっているんだよ。」

 

「えっ!?あれって実話…?」


「…さあな。ルーツといってもこの話は古い文献からだ。どっかの誰かが童話に憧れて開発した技術かもしれないし、もしくは本当にあったことなのかもしれない。」


 先生はソファに深く凭れかかって天井を眺める。


「先ほども言ったようにこれは代々受け継がれたもの。こういうのにはルールがあるのがお決まりさ。」


「ルール?」


「ああ。『こんな自由な笛にルールだなんて』って思うだろうけど…案外必要なルールなんだ。」


 先生は体ごとこちらに向け、輝く緑色の瞳で優しく微笑む。


「ルールは4つ。『この技術を露呈させるな』、『技術の繋がりを断つな』、『世界の均衡を揺るがすな』、『夢想の息で笛を吹け』さ。」


「夢想…?」


「ああ、最後は私がつけた!」


「えぇ…」


「でも、君には必要だろ?あとなんかカッコイイし!」


 後者が本当の理由でしょ…もうこういうのは慣れたけど…


「ヒスイよ。君は悩みすぎている。そんなに気を負う必要はない。もしかしたらこれが理由かもしれないな、笛が効かないのは。」


「…」


「君の悩みは知れている!君は17だ!100年生きるとしたら、ちっぽけなものだと思わないか?」


 …たかが……?


「先生にとってはそうでしょうね…」


「あっ…すまん!いらないことを言ってしまったな…」


「別に大丈夫です。でも、少し考えてほしいところもあります…」


「…気をつける。」


 耳鳴りが聞こえる。

 誰も何も言わない。


「は、はは…すまんな。人付き合いはよく分からないんだ。」


「…」


「私はここから出ていこう。家はわかったんだ。まだ別の日に稽古をつけるよ。ああ、服は返す。ありがとう。」


 そう言って先生は着替えに風呂場へ向かう。


「待ってください…」


「ん?」


「少しだけでもいいので笛を教えてくれませんか?」


「〜〜っ!ああ、もちろんだ!」


 ###


 そして、先生はとても丁寧に教えてくれた。

 あの性格から想像もつかないようなとても丁寧で上手に。


「じゃあさっきのフレーズやってみろ!」


 ー〜ーー〜♪


「ぷっ、ハハハ!ヒスイよ!君、本当に物覚え悪いな!」


「なっ!」


「まあまあ落ち着け、これでもいい方だぞ。昔の私はドレミすらできなかったからな!ものすごく先生にしごかれたよ!」


「いや嘘でしょ。」


「本当だ!」


 …でも、先生だってこんなふうに笛を教えられた事があるんだな。


「よく…分かりませんね。」


「お。また笑ってくれたな?」


「…か、からかわないでくださいよ。」


「ハハハ!かわいい弟子だ!」


 そんな会話をしながら先生の指導を受ける。

 とても騒がしく、とても有意義な。

 俺には勿体ないほどの贅沢な時間…


「今日はこんなものだろう。色々あったんだ、休んだほうがいい。」


「わかりました。」


 時計はもう午前1時を指していた。


「それでは、私は帰る。」


「わかりました。今日はありがとうございました。」


「…弟子とはそういうものなのか?なんだかむず痒いな。」


「そういうのだと思いますよ?」


「はは!なら信じよう。」


 先生は干してある服に手を伸ばし、そのまま着替えるため持っていこうとするが…


「あっ…」


「どうしましたか?」


「まだ…濡れてる。」


「あぁ…」


「ヒスイよ。」


「はい?」


「……泊めてくれぇ!」


 ###


「先生…なんで俺の部屋なんですか?」


「ん?親の部屋に私の髪が落ちていたらいろいろ問題だろ。」


 俺の部屋で寝るのも問題なんですよ…っ!


「私は何が何であろうとベッドで寝るからな!」


「なぁっ!」


 そう言って先生はベッドに座り込み、亀裂が入っている小さな鏡を取り出す。

 そして俺はそこで衝撃的なことを目撃する。


「ふぅ、取れた取れた。」


「えっ…」


「ん?ああ、これか?カラコンだよ。カラコンしながら寝るのはよくないだろ?」


 そ、それはそうなんだけど…!

 先生の瞳の色、緑じゃなくて黒なんだ…


「…なあヒスイ。今でも、この街にある四季色しきしコンサートホールはまだ残っているか?」


「え?急にどうしたんですか?」


「あそこは先生との思い出の場所なんだ。どうだ?あるか、ないか。」


「ありますけど…今は事件が起きたせいで閉鎖されていますよ?」


「…そうか。ありがとう。まだ…残ってると聞いて安心したよ。」


「先生…その…」 


「じゃおやすみ〜」


「ちょっ!」


 俺が何かを言う隙がないまま先生は横になって瞳を閉じた。

 コンサートホールの事件。詳しいことは知らないが、少し前に話題になったはずだ。先生もよく知らないのだろうか?


「はぁ…」


 部屋の電気を消してリビングのソファに向かう。

 いろいろ考えてみるが、先生だって言いたくないことはあるのだろう。言いたくないのならそれでいい。


「はぁ〜。ふぅ〜。」

 

 …今日は疲れた。


「…おやすみなさい。先生。」


 ###


「いいぞ〜いい感じだ。」


「じゅうはちっ…じゅうくっ…にじゅうっ!…っだぁ…はぁ…はぁ…」


 俺は今家の近くにある山で腹筋をしていた。


「せ、先…生…ふえと…かんけいあるんですか…?」


「もちろん。ヒスイには言ってなかったが、この技術には、代償がある。」


「は、はぁ?代償!?そんなの聞いてないですよ!一体なんなんですか…!」


「シンプルなものさ、。ただそれだけ。」


「え…?」


 どんな形であれ…厄介事に巻き込まれる…?


「あの強盗は死んではいない。だからヒスイの顔を覚えているし、またいつか復讐しに来るかもな。」


「そ、そんな!」


「だから今教えているんだよ。身を守る技術を。」


「あっ。」


「夢を実現するには、それ相応の代償が必要なんだよ。君の場合はこの厄介事だね。」


「夢なんて…」


「ああ、そうだったな。ないのだろう?」


「…」


「この技術が、君の夢のヒントになればいいと思っているよ。さぁ、続けるぞ!」


「ま、待ってください!」


「ん?まだ休みたいか?」


「え、えーっと…先生は代償って言いましたよね…?先生はどんな代償を払ったんですか?」


「っ…」


 先生の顔が変わる。自信満々で悩みの「な」の字を知らないようなあの顔が、とても複雑で…俺の知らない先生のような…そんな悲しい顔…


「あぁ…弟子の…頼みだからな…?」


「あっ…別に先生がイヤだったら──」

「私が払った代償抱える厄介事は過去最悪なものさ…」


「そんな大げさな…」


「私はな…露呈させてしまったのだよ。笛の技術を武器商人に…」


「…っ!」


「あの強盗も、武器商人の手先さ。」


「あの…強盗も…?」


「まだ笛の技術は奪われていない。でも、武器商人は見逃せるのか?耳が聴こえる人間すべてに効果がある催眠術を武器に応用させようと思うはずだ。」


「あ…」


「これが私の代償さ…一丁前にルールを述べた先生がこんなやらかしをしてるだなんて…笑えるだろ?」


 …俺は最低だ……こんな悩みを抱えているなら、俺の悩みがになることは当然だろう。


「先生。ごめんなさい。」


「なんだ?ヒスイには関係ないぞ?」


 こんな一言じゃダメだ。


「先生。」


 こんな俺でも…やれることがあるはずだ。

 ああ、イメージ…できる。

 いま、俺がやりたいこと。


「どうしたんだよ。」


「…奪われていないんですよね…?」


「…?そうだが?お、おい…!まさか…」


「俺の代償はきっとその問題に足を突っ込んだことだ。一度抜け出せないなら進んでやる!これなら中途半端に終わることもないし、こんな俺でも何かの役に立てるかもしれないんだ!」


 今ならイメージできるんだ!変われる未来が!


「…っ…!そうか……知ってるよ、その顔を。何を言っても聴かない顔だ。」


 先生は座り込む俺に手を伸ばす。


「その顔、信じるよ。でも、まずは君を1人前にしてから本番だな!」


「よろしくお願いします!」


 ###


 それから毎日俺の特訓は続いた。

 特訓がどんどん続いていくごとに数曲は吹けるようになった。そしてそれと同時に、先生が一人で外出していく日も多くなってきた。


 ###


 そして…


「よし!私が教えた基礎はもうこれでマスターだな!やるじゃないか。何とか年越しまでに終わらせたな!」


「ありがとうございます!」


 今日は12月31日…大晦日だ。

 山の上から見える街の光がどんどん灯っていく…


「…それじゃ最後の課題だ!」


「最後の…課題…!」


「私が教えた基礎。人間の静と動の作用を応用して新しい曲をつくれ!」


「えっ!?」


「なぁに難しくはない。例えば、体の静の作用を利用した『体の硬直』とか、心の動の作用を利用した『暴走』とか、とにかく今までにない人間に効く、自分のオリジナル催眠を作ってこい!」


 オリジナルの…一曲催眠


「ハハ!そうだな…期限は、ヒスイに弟子ができるまでだな!」


「そんなのないかもしれませんよ…?」


「ふふ、別にそれでもいい。」


「えっ?でもルールには…」


「確かにルールにはそう載っている。だが、それに従うかどうか決めるのは自分自身じゃないか?」


「自分…」


「そう、もう笛の技術は君のものだ。君がどうルールを見るかは君自身が決めるんだよ。ルールを決めた人はもうこの世には居ない。笛の技術は今を生きている君だけのものだ!」


「…俺の…あっでも先生は?」


「私はいい。嫌だからじゃない、そう決まっているんだよ。いずれ分かるさ。」


「…?」


「では、私は行くとするよ。」


「どこへですか?」


「私の先生と一緒に年を越すんだよ。君は家族か友達と越すんだぞ。それじゃあ!」


「あっ!」


 まただ…俺が何かを言う前に先生はどっかへ行ってしまう。…先生の先生…どんな人か聞いてみたかったな…


 ###


「もうすぐだね〜!」

「って言ってもまだ9時だよ?」

「いや、もうすぐでしょ!」

「「むむむむっ」」


「どこで年越す?」

「どうしよっかな〜!」


 この街は相変わらず騒がしくてとても忙しない。

 親が電話をかけてくるのは明日だろうし、友達は家族と年を越すだろうし…


「どうせなら先生と…」


「お久しぶりですね。コンビニ以来ですか?」


「…っ!」


 後頭部に何か金属のような冷たい感覚がぐっと押し付けられる。

 後頭部の冷たい感覚は一瞬背中まで伝わり、体が動かなくなる。


「23時までに、先生のところに向かったほうがいいですよ。彼女はもうすぐ笛がので。」


「…は?」


「大事なことですから。もう一度言いますね。タイムリットは23時30分。先生が心配なら…ね?それではよいお年をお迎えください。」


「くっ!」


 後頭部の冷たい感覚が消え去り、やっとの思いで振り返る。でも、そこにはそれらしき人物が見えなかった。


 俺は少し安堵した。

 だか、間もないうちに今まで感じたことのない焦りと不安が体を震わせ、その手で口元が塞がってしまう。


 さっきのは一体何者なんだ?コンビニで会っただと?あの謎の人物は先生を知っていた…

 

 まてよ、もしかして…例の武器商人かその仲間……!


「まずい…!」


 先生が危ない!


 先生はどこかへ行ってしまった。

 場所を聞く前に…あの笑顔を残して……

 

 先生は…一体どこへ


『私の先生と一緒に年を越すんだよ。』


「一緒に…?」


 俺は先生の先生を知らない。でも…知っていることはある。

 

『あそこは先生との思い出の場所なんだ。』


 あの時そう言っていた。

 可能性に賭けるしかない…


 俺は駆け出し、真っ直ぐあの場所へ向かう。


 四季色コンサートホールへ。


 △△△


「お久しぶりです。先生。」


 沢山の座席が置かれた1階を歩く。

 目の前に見える大きなステージに懐かしさを覚える。

 この静かなホールは記憶のままだ。唯一変わったとしたら…


「先生…また、会いたいです。」

 

 ステージに上がり観客席を見回す。

 小さい頃ここステージで初めて顔を合わせた頃を思い出す。今は色褪せた…贅沢な記憶。


 ***


「あなたが…例の笛吹きですか?父から紹介されました。」


「…君が…ああ、話は聞いてるよ。」


「じゃ、じゃあ!私に笛を──」


「しーっ。」


「っ…」


「焦っているね…?君の演奏見たよ。とても素晴らしかった。でも大人は許してくれなかったんだね。」


「…」


「君に笛を教えるためにはテストをしないとね。」


「テスト…なんの曲を吹けばいいんですか?」


「いいや。吹かなくていい。簡単な質問に答えるだけさ。」


「えっ?」


「『君、音楽は好きかい?』」


 ***


 後ろを向いて、帽子を脱ぎ、比較的新しく作られた壁にゆっくり手と額を静かに当てる。


「先生…私弟子ができたんですよ。とっても面白くて、毎日が楽しくて仕方がないんです…」


 そういえばヒスイにはこの事を言ってなかったな…

 でも、大人が話す出会いの物語なんか興味ないよね。


「先生。私頑張れてます。まだ厄介事は片付けてないんですけど、いつか絶対に終わらせ──」

「ましょうね。いや…終わらせるなら今しかありません。」


「っ!」


 銃声が鳴り、私の頬を何かがかすめる。


「うっ…!」


「ああ、失敬失敬。今のはへの再会の挨拶です。この古臭い銃じゃないと私だと思ってもらえませんからねー。」


 拳銃を片手に座席に座ってる、気だるそうなサングラスの男。


「…予感はしてたけど、こんなところで会うなんてね。…武器商人。」


「逆に好きになってきましたよ〜その名前。…よほど無能な先生が好きなんですね?」


「ふっ、無能な先生…ね。もう聞き飽きたよ。もっとバリエーションはないの?」


「よっこいしょ。今日はですね〜」


 立ち上がったモノノケは拳銃を仕舞いパン両手を叩く。ガタンと音が聞こえ、頭上の照明が私のことを照らしてくる。


に最高の贈り物を贈ろうかと思いまして。」


 モノノケは無表情かつ冷淡に話し、ステージに上がってくる。


「…何する気?ステージに立つ資格がお前にあるとでも?」

 

「私は前回の登場人物でしたからね〜。昔の役者だって思い出のステージに立ちたいものです。…おっとそろそろ来るみたいですよ。新しい役者が。」


「は…?」 


 1階の扉が大きく開く。

 扉の前に立つ少年は息が上がっていて、一歩ずつ前へと歩いてくる。


「先生!大丈夫ですか!」


「ヒスイ…!?なぜここに!いや、そんなことより、ヤツに近づくな!!」


「え…?」


「さて、役者の次は観客といったところですね〜。こんな悲劇を私達だけで終わらせるにはもったいませんよ。」


 モノノケはもう一度手を叩く。


 すると2階の観客席から無数のドローンが飛び出してきた。


「さあ、素晴らしい年末しましょうか。画面の前にいる皆さんのために…ね。」


 △△△


 とある街では…

「えっ…なにこれ?」

「どうしたの?」

「ちょっと動画サイト開いてみてよ。」

「え…?あれっ!?勝手に再生されるんだけど!なにこれライブ配信?」


「お、おい!ビルの画面が!」

「何かの番組…?ていうかそこって四季色コンサートホールだよね!?」

「えっ?なんか知ってるの?」

「はぁ!?知らないの!?えっと…あそこ殺人起きたんだって。確か…コンサートホールの壁ににされてたって話!」

「うひー怖。それって解決したの?」

「わからない…なんか報道されなくなったからさ。」


 △△△

 

 …!?こ、この人…あの身長、あの声、あのサングラス…知っている、覚えている!


「お、お前は!」


「ああ、観客にも紹介しないとですね。ええ、皆さんのお察しの通り、『男性が貼り付けにされた』あの凄惨な事件の現場、四季色コンサートホールからお送りしております。これからそのをお贈りしていきたいと思います。」


 あの男はステージから降りて俺の方へ向かってくる。

 とても余裕と言わんばかりに隙を見せながら。


「くっ…!モノノケっ!」


「さてー、まずはステージ中央にいるこの女性。当時現場に居合わせ、貼り付けにされたの男のために復讐を誓った笛吹き。夢野 翡里ゆめのひのりさんです。どうぞ拍手を〜」


「ユメノ…ヒノリ…?あれが先生の名前…」


「そしてーその向かい側にいる少年は、その復讐を誓った笛吹きの弟子にあたる若き笛吹き。通称ヒスイくんで〜す。」


「なっ!?」


「そしてーこの私こそ、笛吹き達の敵であり、彼女の仇。そして、前幕に華々しいフィナーレ殺しを飾った…そうですね〜彼女の師が私に付けた名前。モノノケと呼んでもらいましょうか。」 


「ヒスイ!こいつが話したあの武器商人だ!危険すぎる、今すぐそこから離れろ!」


「ああ、無駄ですよ。ここから出ることはできませんし、入ることもできません。」


 扉に触れて思いっきり開けようとしてみる。

 だが、さっき開けた感覚とは別のズッシリとした重さでビクともしない。


「くそっ…」


「それでは…第二幕の開演としましょうか?」


 会場の2階の全方位から機械音がする。

 あの機械音聞き覚えがある…確か…コンビニの!


「先──」


 振り返り、先生の方を見る。

 俺の目に映る先生の姿は無数の細い『赤』に照らされている状態だった。


「先生…!」 


「ピンチですね。笛。吹かないんですか?」


「笛…?吹くまでもない。その場に立ってな、モモノケ。」


「ほう?」


 先生はニヤリと笑い、走り出す。

 レーザーポインターはそれを追いかけるが先生を捉えるとこはできず、まるで彗星の尾のようになっていた。


「好きなだけ撃ってください。」


 その発言のあと2階の席から赤白い光が降り注ぐ。

 

 先生は椅子を軽々と不規則跳び回り光を避け、着々とモノノケに近づく。


「はぁぁああ!」 

 

「クフッ!」


 先生の素早い蹴りをモノノケは腕で受け止め、そのまま近接戦へと発展した。


「強い…」


 先生はとても苦しそうにモノノケと格闘をする。

 いくら強くたって先生は笛をメインにして戦う。

 きっと笛を使わないのは…ルールに則っているからだ。『笛の技術を露呈させるな』このルールを…


「使わないんですか?貴方の主力は?」


「これは武器でも、お前の欲する薄汚い兵器でもない!高潔な夢を持つ者が吹く笛だ!」


「たかが夢でしょ!」


「ぐぁっ!?」


 先生の横腹に鋭いフックが直撃し、吹き飛ばされて、硬い金属の手すりに頭をぶつけてしまう。


「うっ…くっ…!動け…体ぁっ…!」


「アハハハ、無様ですね〜。そんな負け方じゃあ師は報われませんよ?」


「先生!」


「ああ、貴方は動かないで頂きたい。焦らずとも役は回って来ますよ。」


「うっ…」


 モノノケの真っ暗なサングラスのせいで表情が汲み取れず、あの時のと同じ緊張と不安がまた体を覆った。

 

 くっそ!…足が動かない…!ここで動かないならいつ動くんだよっ!


「怖いですか?わかりますよ〜。師が圧倒されて、強大な敵が貴方を見てるんですからね。」


「ヒ…スイ…!」


「まあ、安心してください。もうそんな感情は感じなくなりますよ。」


 モノノケはホルダーから拳銃を取り出し…


「さようなら。若き笛吹き…ヒスイくん。」


 くっ…そぉっ!


「クククッ!」


 死を覚悟する。走馬灯が見える。


 〜〜〜♪


 そして、一つの笛の音が会場に響き渡った。

 モノノケの動きが強張る。


「っ!?」「ッ!…フフフ!」


「させ…ない…まだヒスイは生きるんだよ!」


「先生っ!」


「ヒスイ…君は巻き込まれてはいけない…!まだ死ぬべき人じゃない…!死ぬべきなのは…コイツなんだ!」


 先生が懐から見覚えのある武器を取り出す。

 近未来的な銃…


『よし…さーてっと、危ないオモチャは没収だよ〜』


 まさか…あの時から…! 


「ヒスイその場から離れろ!」


「はい!」


 左斜め前に飛び避け、先生のところへと移動する。

 機械音の音がどんどん高くなり、辺りは赤白い光に覆われ…!


 バンッ!


「うっ!」「まぶ…!」



 

 辺りから焦げ臭い匂いがする。

 耳鳴りもひどい…モノノケはどうなった…?


 視界が次第に晴れていき、耳鳴りも収まって周りの音が聞こえてくる。


「なっ…」


「はぁ…はぁ…はぁ…」


「クフフフフ…」


 煙が晴れていく中、視界に映ったのは、拳銃をこちらに向けいるモノノケと緑色の衣装とその周りに広がる『赤』だった。


「先生ーっ!」


 なんでだよ!まさか…モノノケも効かないのか!?笛の音が…!


「クフフ…アハハハハハ!」


 モノノケは今までの気だるさが嘘のように、別人のように笑い出す。


「ああ、すみませんね…私はね嬉しいんですよ。クフフ、ああ、やっと…やっとが取れた!」


「どう…やって…はぁ…はぁ…催眠から抜け出せた…?うっ…」


「いいでしょう。教えますよ。今は気分がいいのでね。」


 モノノケは耳から何かを取り出し、俺達に見せてきた。

 

「このイヤホンにより、音の波長を分析して記録し、逆の波長をぶつけることで完全に無効化できるわけです。ノイズキャンセリングの改良版だと受け取ってください。」


 モノノケはイヤホンをまた耳につけて一歩また一歩と前へ進み、銃を構える。


「上の人達はまだ動けないようですね。ですがもう勝ち目はありません。フフフ、貴方はいつもミスばっかりだ。あの時のように。今だって、国民にもバレてしまいましたからね〜。笛の技術。さあ、私の宣伝役として死んでください。」


「ゔっ…ゔゔっ…!まだ…おわれ…ない!」


「クフフ!」


 バンッ!


 まただ…耳鳴りがする。

 でも…この耳鳴りは少し違う…


「ヒスイ!」


「貴様ッ!」


 俺はモノノケを押しのけ銃の軌道を少しずらした。

 バランスを崩しモノノケと一緒に倒れ階段に転げ落ちそうになるが、何とか椅子を掴んで耐えることができた。急に倒されたモノノケは階段から落ちていく。

 拳銃もどこか遠くへ落ちていった音がした。


「グッ!」


「先生っ!大丈夫ですか!」


「ヒスイ、お前…!今のうちに…」


「いや、モノノケのせいでまだ、出れません…」


「くっ…」


「先生、笛を貸してください。」


「は…?君が…」


「できます!先生が教えてくれたんです。イメージと自信。」


「あっ…」


「はぁ…はぁ…ガキ…め…!」


 頭に血を流すモノノケがゆっくりと近づいてくる。


「早く…!」


「…わかった。ヒスイ。少ししゃがんでくれないか?」


「…え?はい。」


 先生の前にしゃがみ真っ直ぐ見る。


「うっ…」


「先生!?動かないでください!」


「大丈夫だ…」


 先生はマントと帽子を脱ぎ、先生は帽子を俺に被せる。


「これを…受け取ってくれ…私の先生の形見だ。」


「形見…」


「できたんだろ…?楽譜が…」


「はい。この曲を先生に、そして世界へ贈ります。一度先生が贈ってくれたように。」


「そうか…はは、じゃあ、私と世界に聴かせてくれ。を。」


 俺はその場に立ち上がり、マントを着て笛を持つ。


「貴様に…!貴様のようななにもないガキに何ができるッ!これは現実なんだ!夢物語のような逆転劇なんかない!生きるか殺されるか、得るか失うかの現実なんだ!簡単じゃないんだぞ!」


「そうだよなモノノケ。分かってしまうよ、お前の言いたいことは。」


「ヒスイ…」


「先生は自由なファンタジーの世界で生きてる。お前はむご現実リアルの世界だ。」

 

「私だけじゃない貴様だってこの現実で生きているんだ!」


「違うっ!俺の生きる世界は、ファンタジーでも、現実リアルでもない!必ず訪れる未来ローファンタジーだ!」


「戯言をぉおおっ!」


「…この厄介事は綺麗さっぱり解決するべきだ。」


 きっと先生もそう思っている。


「知ってるか?この笛にルールがある。『この技術を露呈させるな』、『技術の繋がりを断つな』、『世界の均衡を揺るがすな』そして…」


      『「夢想の息で笛を吹け」』


 〜〜〜♪


「ッ!?ぐ、グァああああ!うっ!こ、コレは!?」


 先生。沢山のイメージが頭の中に湧いてきます。


「音の波長が記録できないっ!?グぁッ、耳がァっ!?あ、あァア!記憶がぁッ…!?」

 

 先生。この曲を世界へ響かせれる自信があります。


「嫌だ嫌だ嫌だイヤだ嫌だ!いヤァァダァあアア!!私の人生がぁっアアあア!」


 先生。夢ができたんです。いつか俺は──


 ### 


「先生…」


「…」


「聴いて…くれましたか?」


「…」


「笛の技術も、この事件も、世界中のみんなのはずです。先生が俺に紡いでくれたおかげで、均衡が保られるんです…」


「…」


「…先生……」


「…ぁ…あぁ…」


「先生っ!?」


「せん…せい…?ああ、先生…私…がんばりましたよ…あの時みたいに…ほめて…ほしいです…」


 先生は弱々しく呼吸をしながら、光が薄くなっていく瞳でステージを見つめる。


「先生っ!ダメだよ…!なんで先生が…」


「はぁ……はぁ……先…生…こういう運命なんでしょ…?」


 『そう決まっているんだよ。いずれ分かるさ。』


「くっ…」


 先生は力なく冷えた手で俺の頬に触れる。

 俺も先生の手に触れる。


「ああ…たんじょう…び…おめで…とう…私の…ヒスイ魔除けの宝石……」


 ###


「おはよ~!」

「おはー!」

「やっぱりあけおめ!」

「正月終わったでしょ?」

「いいの!」


「なあ、年末何したか覚えてる?」

「うーんと…何したっけ…」

「特に大晦日の記憶が曖昧なんだよな〜」

「わかるわかる!」


「…」


 世界の人達は、あの事件の記憶を去年に置いていった。モノノケも、先生も、あの笛の音も。

 全部ただ夢のように曖昧でおかしくて思い出せない。そんな出来事。


 ###


「飛近君。どうだい?冬休みのあと何か書けたかな?」


「…少し…だけですけど……」


「書けただけでもいいことだよ。」


「はい。」


 ###


「先生ごめんなさい。少しさみしいですよね、この山。」


 俺は縦長くて丸い石を丁寧に優しく拭く。


「先生…春になるとここの景色きれいに観えるんですよ。」


 俺の後ろから前へ冷えた風が街へと横切る。


「モノノケは捕まりました。武器を作って海外やテロ組織に売ろうとしてたみたいです。…そして取り調べができそうな精神状態ではないみたいです。すこし…やり過ぎましたかね?」


 その場に座り込み、街を見下ろす。


「先生。夢ができたんですよ。俺、音楽教室開こうかなって。先生のように夢に生きる人、夢を見つけたい人の背中を一押したいんです。」


 いつか…俺に弟子ができるとしたら。

 俺は先生のような先生を目指したい。

 

 もう先生は笛を吹くことができない。

 

 なら俺も笛が吹けなくなるまで手伝ってみたい。 

 あの時の俺にはこんな大層なこと言えなかった気がするけど、今は違う。自信を持って言える。イメージできる。なれるって信じれる。


 だって、俺の生きる世界は何でもありのファンタジーでも、むご現実リアルでもない…


 必ず訪れる未来ローファンタジーだから! 

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