スキルを奪っていただけなのに

あまなつ

第0章

第1話

 風が吹き込んでくる。春の訪れを感じさせるような暖かげで、それでいて少し冷たい風が足元から吹きあげてきて、その肌寒さによって目が覚めた。


 まどろみの中でまだ五時くらいだと判断して、二度寝をしようと決めた。目をつむったまま、手を伸ばして毛布を探す。だが、いつも横にあるはずの毛布が見つからない。それどころか伸ばした手や背中から、チクチクとした痛みを感じた。


 寝ぼけながらもベッドから落ちたと判断し、一回起きようかと目をゆっくりと開けていく。いつもと変わらない部屋の白い壁、壁にかけてあるロングコート、二人がけのソファが視界に入って――



 ――こなかった。



「え?」



 黄色の枯れ葉や小さい木の枝、そして野性動物の爪跡が無数に残っている木の壁。湿った土と樹の匂いが鼻をくすぐる。大きな穴から外を覗くと緑の葉を茂らせた樹が無数に生えていた。


 いつの間にか、森に迷い込んでしまっていたらしい。


 慌てて立ち上がろうとして天井に頭をぶつけた。だが、痛みよりも今は焦りの方が大きい。頭も押さえずに穴から外に這い出て、後ろを振り返る。


 そこには屋久杉よりも大きく荘厳な大樹があった。


 壁と見紛うような大きく太い幹と見上げられないほどに高い樹高。そのとてつもない大きさと神秘的な雰囲気に圧倒され、口を開けたまま立ち尽くす。


 近くで鳥の鳴き声が響きわたり、その音でやっと我に返った。


 どうやらこの大樹の洞で寝てしまったようだが、こんな途轍もない場所に来た記憶も、原因も心当たりはなかった。


 誰かに連れ去られた? と一瞬だけ心配になったが、特別な才能も財力も人脈もないごくごく平凡な家庭で育つ中学生を誘拐して山奥に放置する変人がいるはずもない。いやもしかするといるかもしれないが、そんな愉快犯に連れ去られるのは宝くじを当てるよりも低い確率だろう。


 では、なぜ? 


 天まで届いていると錯覚しそうなほどに巨大な樹を見上げながら考える。


 昨日はいつも通り学校をサボってFPSゲームを十時間やって、親が帰ってきたら一言も話すことなくゲームセンターに直行。格ゲーや音ゲーを二十三時近くまでやって、その後、公園で時間を潰してから家に帰ったはずだ。


 いや、帰ったっけ? あれ、何だか思い出せない。親が寝るまで時間を潰そうと思って公園のベンチでスマホをいじっていたことは覚えてるんだけど。寝ちゃったのかな? その後、何があった?


 何か大事なことがあった、そんな気がする。


「あっ!」


 そういえば夢で、異世界がどうだのスキルがどうだの契約がどうだのと大分長話をした気もする。ろくに思い出せないが、妙にリアルな夢だった。もしあれが夢ではなく現実だったら?


 いやいや、まさか。そんなはずはない。


 現実は非情でファンタジーが入り込む余地などないのだ。異世界はないし、魔法は使えないし、ドラゴンは空想の中にしか存在しない。現実は現実で、物語とは違う。


 だからきっとここは日本のどこかで、異世界なんかじゃあない。ただまあ様式美として、あの魔法の言葉を唱えるのも悪くはないかもしれない。


 何の反応もないことくらいわかっている。言った後恥ずかしくなって転げまわることも。だが、男にはやらなければならない時があるのだ。幼い頃かめ〇め波を練習した時のように。


 ――ごくり。


 目が覚めた時と同じような冷たい風が吹き、前髪を揺らした。木の葉がこすれ合う音が鳴り、そして、また静寂へ。静まり返った森の中で、大きく息を吸い込んだ。

「ステータス!」



 ――仄かに青い半透明の板が現れた。


 

【名前】ハルト

【種族】ヒューマン

【種族レベル】1

【生命力】30/30

【魔力】10/10

【スキル】奪取



「なっ! 嘘だろ……」


 手の震えに全く気付くことなく、青いステータス画面を食い入るように見つめる。


 名前はハルト。名字はなくなっているが、別に親しみはなかったから構わない。そんなことよりこのゲームみたいなステータス画面の方が重要だ。種族はヒューマンで、レベルは一のようだ。ジョブ項目はなしで、ステータス値は十前後。ぱっと見は貧弱で将来性もなさそうなステータスだが、スキルを見て喜びに打ち振るえていた。


「おいおい、奪取ってチートのど定番じゃん! こんなのもらっちゃってほんとにいいんですか!」


 ステータスと叫んでこのような板が出るということはまず間違いなく現実の地球ではないだろう。異世界か、夢か。どちらでもいい。九十九%以上の確率で明晰夢だとは思うが、それでも楽しそうなことには違いない。VRゲームに閉じ込められた某主人公も『見ている世界が作られたものでも感情だけは本物だ』って言っていたし、現実に戻るまでこの世界を楽しみ尽くすしかない。


 手をぐっと握りしめて、にやりと笑う。


 まるでこの世界が全て自分のものにでもなったかのような高揚感を感じる。意気揚々とステータス画面を閉じようとしたところであることに気が付いた。


「って、このスキルの効果を確認するまではチートかどうかわからないじゃん。えーと、効果を確認したいときはタッチでもすりゃいいのかな」


 ステータス画面の奪取という文字を人差し指で軽くつつこうとした瞬間、その上に小さな青い板が出現した。


【奪取:死後三時間以内の対象に触れるとスキルを一つ奪うことができる】


「キタキタキター! 俺の時代だぜ、ひゃっほーい! ……って夢なんだから当たり前か」


 奪取スキルは思っていた通りのチートスキルのようだ。物語のセオリーだと通常もらえるスキルは二、三個までだが、この奪取スキルさえあれば無限にスキルを獲得できる。もちろん相手を倒せることが前提だが、倒せさえすれば相手の持つスキルを奪い飛躍的に強くなれるのだ。


 つまり、最も簡単に強くなれるチートスキル。


「神様ほんとにありがとう」


 どこにいるかも今見ているかもわからないが、とりあえず頭を下げる。昨晩見た夢の中で大分相手ともめた気がするが、きっとそれはこのチートを渡すかどうかの口論にでもなったのだろう。神様ですら渋る強スキルとは何と魅力的なのだ。RPGでレベルを上げまくって無双するのが好きな人間としてはとてもありがたい。


「というか、明晰夢に入る前にスキルをどうするかって普通の夢で考えるだなんてめっちゃリアルだよな。まさか本当に異世界だったりして、ははは」


 その後もステータス画面の色々な箇所をタッチして説明文を読んでいたら、気づくと太陽が真上の方にまで移動していた。大分長いことステータスを見ていたらしい。


 そろそろ動き出さないと夜が来てしまう。いくら強いスキルがあっても何の準備もなしに夜になってはつらいはずだ。そもそもキャンプの経験もなくこういう状況で何が必要かもあまりわからなかった。水と火、食料は確実に必要だろうけど、それ以外は何が必要だろう。まあ、あまり考えていても仕方ないか。


 スマホのようにウィンドウに手をかざし横にスライドする。光の粒子となって消えていくステータス画面を横目に捉えつつ、辺りを見渡す。山登りの経験すらろくにない身としてはどこを見渡しても同じような樹ばかりで差があるようには思えない。


 遭難した時は無理に下山しようとせずに山頂を目指した方がいいと聞いたことがあるが、それは救助が来ること前提であって、救助が期待できない状態では山頂は目指すべきではないだろう。いや、本当にそうだろうか? 少なくとも山頂に行けばこの山の大きさや周辺の地形を最低限知ることが出来る。そうすれば今後の行動計画も立てやすいかもしれない。


 だがここは地球ではないのだ。セオリー通りなら山頂にはドラゴンやグリフォンのような強力なモンスターがいる。リスクを冒してまで山頂に行くメリットがあるだろうか。


「いや、何もわからないのに考えるだけ時間の無駄か。どうせ夢なんだし、楽しそうなことをしてみよう。となるとまずは弱いモンスターを倒してスキルを集めるとこかな」


 木の根元に落ちていた手ごろな長さの枝を拾って振り回しながら、森の奥へ歩き始めた。

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