第43話私の婚約の儀
「おめでとうございます」
幾度も、
幾人もの歓喜の言葉と声と表情を私は身に受け、
疲れを知らない微笑みを浮かべ、
「ありがとうございます」
と答えた。
アルファードとシルビアの婚儀から、半年後。
私は婚約の儀を挙げた。
ふたりの婚儀とは比べものにならないほど、いや、王国の歴史においても稀に見るほどの豪華な婚約披露パーティーだった。
オデッセイ様が、友人である私のためにと、莫大な資金を惜しみなく出してくださったのだ。
相手がゼット。
この国の王太子である以上、その催しは一個人の祝いではなく、国の威信を示す舞台とも言えた。
けれど、私は、
「もう少し質素に」
とお願いした。
だって、この後に控える婚儀のことを考えると、
一体どれほどの資産が必要なのだろう?
どれだけ盛大な儀式を挙げさせるつもりなの!?
そう考えると、不安で胸がいっぱいになった。
家族も同じ意見だ、と言ったのに、
けれど、
夫であるフリード様が、
「諦めてください」
と、そっと笑って言った。
まあ、確かに聞いてくれる相手ではないものね。
そうそう、フリード様は、今はオデッセイ様の夫なのです。
オデッセイ様は、私が学園を卒業して三ヶ月後にフリード様と籍を入れられた。
急な話に聞こえたけれど、実はオデッセイ様が懐妊されていたのだ。
本来ならもっと後の婚儀の予定だったのに、彼女は子のためを思い、先に籍を入れた。
「後でゆっくりと挙げますわ」
と事も無げに豪快に笑って言い放った。
その聡明さと潔さが、いかにもオデッセイ様らしい。
けれど、そう言いながら私の婚約披露のために、どれほど親身に、そして楽しげに準備を進めてくださったことか。
その姿を見て、私は決めたのだ。
次は、オデッセイ様の婚儀を、私が精一杯考えてあげよう、と思った。
人間というのは、知らずのうちに本能が出る。
きっとオデッセイ様は、盛大にあげたいのだ。
「疲れたか?」
ゼットが今日、何度目かの問いをかけてくる。
「全然。だって、私、初めて『後悔なんてない』と思える日になっているのよ。これが何日も続いても大丈夫」
「……」
ゼットの視線が、ほんの少し泳いだ。
頬が朱に染まり、口元がわずかに揺れる。
真っ赤になってしまった。
そんなゼットを見て、胸がきゅっ、と締め付けられる。
むず痒くて、くすぐったくて、そして、とても愛おしい。
「けど…何回でも聞いて。ゼットが私を気にしてくれてるって思えるから。安心するの」
「当たり前だろ。俺にとってカレンは、何よりも心配したい女なんだ」
「ありがとう」
目と目が合い、胸の奥が熱を帯びていく。
会場の光が少し滲み、音楽の旋律が柔らかく流れた。
「そ、そういえばオデッセイ様とフリード様は?」
恥ずかしさに、つい話を逸らしてしまった。
「フィットがぐずり出して、別室で寝かしつけてる」
産まれたお子は女の子で、フィットと名付けられた。
「疲れたのね」
「だろうな。こんなに大勢の人間を見るのは初めてだろうからな」
「私もそうよ。こんなに沢山の人、初めて見たわ。でも、寝たりしないわよ」
「ははっ。当たり前だろ。俺たちが主役なんだから。さあ、もう少し頑張るか」
「だね」
ふたりで笑い合っていると、
「カレン」
聞き覚えのある声が、喧騒の中で妙に澄んで響いた。
まるで水面に石を投げ入れたように、空気が波打ち、一瞬で静まる。
音楽さえ遠のき、足音が床を打つ音が際立つ。
振り向くと、アルファードだった。
その隣には、柔らかく幸せそうに微笑む女性がいる。
瞬間、会場の空気が凍りついた。
ざわ、という気配が広がり、誰もが次の言葉を待った。
「遅かったわね。一番に祝福の言葉をかけてくれると思っていたのに」
「すまない、彼女の体調を気にしながら来たから遅れてしまった」
そう言って、隣の彼女が恥ずかしそうにはにかむ。
その微笑は穏やかで、しかしどこか自信に満ちていた。
「無理して参加されなくても良かったのですよ。三ヶ月に入ったばかりでしょう?」
私の言葉に、その方は嬉しそうにお腹をさすった。
「それでも、アツキ様、参加していただきありがとうございます」
そう、
アルファードの隣にいるのは、
シルビアでは、
ない。
第二夫人、アツキ様。
大国ゼリア王国の第十三王女だ。
シルビアとはまるで異なる雰囲気を纏った方だった。
柔らかな物腰に、どこか人を惹きつける香のような存在感。
けれどその奥には、王女としての鋭い誇りと、燃えるような矜持と、何処までも高みに登る傲慢さと、
外交に重きを置いている性格を私は知っている。
王族としての気品をそのままに、完璧な微笑を浮かべた。
ドレスの裾が光を受けてきらめき、その姿はまるで
"意図して見せる優雅さ"
そのもの。
「いいえ、カレン様のお祝いには、アルファード様と共に必ず参加すると、二人で決めておりましたの」
アルファードと共に、
と、
あえて口にし、
またアルファードも異論を唱えない。
その一言で、周囲の空気が静かにざわめいた。
知らず、口角が上がる。
歓喜に心が踊る。
こうまで想像していた結果が出るとは思わなかった。
ゼリア王国のアツキ様の外交の噂は、ゼリア王国だけでなく他国にも、名高くなっていた。
そうして、
アルファードの元婚約者が、ゼットの婚約者。
それが今、上昇に来ているオデッセイ様の足元を支える存在と噂される私となれば、各国が眼を、光らせていた。
実際、アツキ様も私に必死に媚びを売ろうとしている。
胸の奥が、ひやりとした。
けれど私は、微笑みを崩さなかった。
「嬉しいお言葉ですわ。でも、あまり無理はなさらないでくださいね」
「そうだよアツキ。次こそは男子かもしれないんだからな」
その言葉に、ゼットが目を見開いた。
ゼットの喉がごくりと鳴る。
その表情は驚愕に染まり、空気を切り裂くような緊張が走る。
周囲の視線が一斉にアルファードとアツキに注がれた。
近くの貴族夫人たちは息を呑み、囁きすらも止まる。
銀の燭台の火がかすかに揺れた。
「そうかもしれませんが、今日はカレン様が私のためにも用意してくださった日。少しくらい無理してでも笑顔を見せたいのです。そのために、アイを乳母に任せてきたのですもの」
「そうなのですね。まさか、懐妊されるとは思っていませんでしたもの。でも、第二夫人として初めての公の場ですものね。無理せず、けれどあなたの存在を示してください。その行動が、アルファードにとっての支えになるでしょうから」
「はい。私、アルファード様のために……いいえ、カレン様のためにも努力いたしますわ」
優しい声音の中に、独占欲のような光が宿る。
その微笑は穏やかに見えて、実のところ誰よりも強か。
彼女が育ったのは、大国ゼリアの一夫多妻制の宮廷。
生まれながらに競争と選別の中で育ち、誰にも負けたくないという意志を骨の芯にまで刻まれてきた。
だからこそ、小国の王太子の第二夫人という地位は、彼女にとっては"征服"の舞台だった。
「アルファード、良かったわね」
だからこそ私はそう言った。
彼女の存在が、この男を支える力にもなると分かっていたから。
「ああ、本当に。アツキが側に居てくれるおかげで、安心できる」
アルファードは、愛おしげにアツキ様を見つめ、微笑んだ。
アルファードがアツキ様を見つめるその目の奥に、かつて私に向けた光と同じものが微かに宿っていた。
「それなら、ここで話している時間は勿体ないわね。アツキ様、色々な方と談笑してきてください。後ほど、お部屋に伺います」
「ありがとうございます。約束ですよ、後で必ずお越しくださいね」
「もちろんよ」
にこやかに微笑む。
ふたりは並んで離れていった。
その背を見送る間、会場のざわめきがまた一度止む。
金の装飾が光を跳ね返し、残るのは淡い香と静寂。
ゼットが、低く呻くように呟いた。
「カレン!第二夫人とはなんのことだ!?」
その声は掠れ、驚愕と焦燥が混じっていた。
ゼットの胸が荒く上下し、瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
ゼノリア国、つまり、私の母国から届いた招待状の返事は、ただ一言。
"参加"。
そこに、名前が記されているわけではない。
「その言葉通りよ。アツキ様はゼノリア国の正式な第二夫人。だから参加している。問題ないわ」
「知っていたのか!?」
「知っていたわ。だって、私が選んだ一人だもの」
真っ直ぐにゼットを見つめ、静かに答えた。
その瞬間、ゼットの肩が小さく震えた。
「主役として、今はやるべきことをやりましょう」
静かに告げると、ゼットは、息をのみ、そして諦めたように小さく頷いた。
その頷きに、微かな苦味が混じっていた。
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