第42話幸せでしょう
卒業後、私はすぐにオデッセイ様の屋敷へと住まわせてもらうことになった。
ゼットの存在が私には何よりも安らぎをくれた。
そして、婚約に向けた準備のため、私はこの国を出た。
それから一年後、アルファードとシルビアは婚儀を挙げた。
本来ならば、王族の婚儀は数年の準備を経て執り行われるもの。
外交儀礼、
宗教儀式、
婚姻同盟、
そのどれもが簡単には整わない。
けれど、この婚儀は異例の速さで決まった。
理由はひとつ。
シルビアが、王太子の子を身籠ったからだ。
その報せは、冬の終わりに突然もたらされた。
王宮は動揺し、同時に沈黙した。
まだ正式な婚姻を結んでいない王太子の婚約者が懐妊など、恥ずべきことなのだ。
それなのに、彼女は涙を滲ませながらも、
「アルファード様との絆が、神の御加護により結ばれたのです」
と、優美に微笑んだという。
その姿は哀れを誘い、同時に計算され尽くしていた。
まるで、すべてが最初から仕組まれていたかのように。
その前の婚約の儀は、簡素な封筒に、簡素な言葉が添えられているだけのものだった。
王族にしては異例なほど、あまりにも質素で、
ただ
「ここに婚約の報告を致します」
とだけ記された寂しい文面だった。
けれど、婚儀の日は違った。
王太子の婚儀という体面がある以上、簡素には終わらせられない。
広場は花と旗で飾られ、白金の装飾が朝日に輝いていた。
王宮前の大通りには、民衆が押し寄せ、遠くの丘からも見えるほどの人の波。
風が花弁を舞い上げ、鐘が鳴るたびに、空気がわずかに震えた。
私はゼットと共に、列席者としてその光景を見つめていた。
彼の隣に立ちながらも、胸の奥に沈む重い感情は消えなかった。
ざわめく歓声の中、王宮の扉が開き、白銀の馬車が姿を現した。
その瞬間、群衆が一斉に沸いた。
祝福の声が波のように広がる。
シルビアは、見るも寂しいほどにやせ細っていた。
頬はこけ、ドレスのレースがその細い肩に痛々しく映った。
けれど、その細さがかえって"儚げな聖母"のように見えることを、
彼女自身が一番よく知っていた。
わずかに膨らんだ腹元を隠すように手を添え、
民衆へ向ける微笑みは、まるで慈悲を与えるかのようだった。
その仕草ひとつさえ、計算され尽くしている。
王冠を戴き、純白のヴェールを纏ったその姿は、誰よりも美しかった。
瞳の奥に宿る光は、どこか壊れた硝子のように脆く、
それでも、その微笑みは、確かに王妃としての誇りを湛えていた。
彼女は、かつて学園で見せたあの傲慢な笑みを浮かべていた。
あの頃と同じ角度で、同じように首を傾げ、民衆に手を振る。
今、絶頂の幸福だろう。
アルファードの愛を、
そして、
王妃としての座を射止めた、
瞬間なのだ。
沿道の花を摘む子どもが泣きながら「きれい」と叫ぶ声が聞こえた。
誰もがその姿に喝采を送った。
だが私には、それが祝福ではなく、
まるで"生ける贖罪"への哀悼に見えた。
稀代の悪女。
そう呼ばれてしまった彼女が、今、白い馬車の中で微笑んでいる。
あの日、罵倒と絶望の中で崩れ落ちた少女が、
今、王妃の冠を戴き、王と並んでいる。
国中がその名を囁き、歴史に刻まれるだろう。
誰よりも憎まれ、誰よりも高く登った女として。
花弁が風に舞い、ヴェールが揺れた。
遠くの空から、教会の鐘がゆっくりと鳴り響く。
私はその音に胸の奥が締めつけられるのを感じながら、
小さく、誰にも聞こえぬほどの声で呟いた。
「…お疲れ様、シルビア」
不意についた言葉が、
それが祝福だったのか、
それとも別れだったのか。
私には、
分からなかった。
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