第41話現実

「どういうことよ、これ!!」

「こんなの、払えるわけないだろ!!」

「聞いてないぞ!!」

「こんなの酷いわ!!」

教室の中が、人の醜さを煮詰めたような怒号で満ちた。

唾を飛ばし、机を叩き、椅子を蹴り上げ、互いを罵り合う。

理性も矜持も吹き飛び、目の前の誰かを責め立てることでしか、己の恐怖を誤魔化せない、そんな群れの姿だった。

「どうにかしてよ!!」

「王妃になるなら、どうにかなるでしょ!?」

「父さんが首吊りしそうになったんだ!!」

阿鼻叫喚。

まさに地獄絵図だった。

その罵声のすべてが突き刺さる先は、当然シルビアだった。

彼女はすでに崩れ落ち、現実逃避するように歪んだ顔で泣き叫び、膝を抱えて震えている。

その姿は痛々しいほどで、しかし誰も同情の眼差しを向けなかった。

涙を流す彼女の周囲には、怒りと絶望と、濁った感情の臭気が漂っていた。

パーティーが終わって十日。

あの夜の熱狂と祝福の残滓は、もうどこにもなかった。

終わってすぐは、招かれた生徒たちがこぞってシルビアを称賛した。

登校した姿はさすがに疲れ切っていたが、それでも羨望の視線を受け、誇らしげに笑っていた。

私を見つけるなり、あからさまに睨みつけ、すぐに周囲の賛辞に鼻を高くしていた。

「今回のパーティーがとても素晴らしくて、凄かった」

「他国の王族と話せた!」

「色んな言葉を知れて楽しかった!」

「さすがシルビアね!」

「誰も考えなかったことをしてくれたわ!」

誰も、知らない。

その笑顔の裏で、

どれほど国が傷を負い、

どれほどの亀裂が走り、

どれほどの被害を被り、

どれだけの薄氷に立たされているかを。

そこに、己が原因となったかを。

そこに、

王妃様が言った"損害賠償"が、

今まさに現実の数字として計上されていることを。

そして、

「聞いたよ! シルビア、ずっと王宮に住むことになったんでしょう! もうアルファード様の奥さんに決定だね!!」

その無邪気な歓声が、どれほど恐ろしい結果を意味しているのか。

誰一人として、気づいていなかった。

もう、シルビアには帰る場所など無い。

既に、スノート子爵家は"破滅"していた。

お父様に聞いたところによれば、寮の退出届はパーティー翌日に提出され、同じ日にスノート家には多額の損害賠償が突きつけられたという。

金額を見た父親は、その場で白旗をあげた。

まるで、あらかじめ筋書きがあったかのように。

翌日には爵位返上、領地の売却が完了。

通常なら数ヶ月かかる手続きを、僅か一日で終わらせた。

せめてもの温情なのだろう、と私は思った。

シルビアがアルファードに選ばれたとき、スノート子爵家は歓喜に沸いたはずだ。

平民に近い貴族が王族の婚約者となる、

夢のような出来事だった。

周囲もまた、自分たちにも可能性があると錯覚し、期待と羨望を注いだ。

"真実の愛を見つけた王子"

"身分を超えて選ばれた娘"

まるで絵本のような美談。

だが、舞台の裏に広がっていたのは奈落だった。

娘は二度と実家に戻れない。

そして、永遠に娘と会うことを禁じられる。

絶縁の誓約書を書かされ、家族としての絆すら断たれた。

非道?

何を言うの。

同じ立場なら、私だってそうする。

貴族から平民に落ちた者と縁を残すなど、腐敗の始まりだ。

貴族と平民の生活は、本当に違う。

特に突きつけられるのは金銭の価値観だ。

そうなればいずれは、

金銭、

醜聞、

不祥事、

必ず足枷となる。

国を支える礎の中で、それらは確実に"毒"になる。

王妃様が言った「国が潰れたら自国に戻る」という言葉は嘘八百だ。

王族とは生まれた瞬間から、

尊く、

重く、

その血の尊さ、

高潔さを理解している。

だから、他国の王族へ嫁げると決まった時、彼女たちが歓喜のあまり涙するのを、私は知っている。

最初に見たときは驚きよりも恐怖した。

そこに阻む倫理観、

育ちの違い、

考えの違いを、

私は、王族でなかったが、

王族の婚約者として過ごしたことで、

幼少の時から埋め込まれた。

だからこそ、王族ではない私が理解できたのだろう。

だからこそ、今さらそれをシルビアに理解しろというのは、

酷というものだ。

けれど、理解するしかないのよ。

「や……めてぇよぉ……。私、知らなかったのぉ……」

そうでしょうね。

甘く、考えすぎたのよ。

「ふざけんな!!それで俺の家を潰すのか!?」

「そうよ!!あなたが誘ったのよ!!責任取ってよ!!」

「アルファード様に頼んでよ!!」

「私……ここに……いられなくなる……!」

その声は、もはや懇願ではなかった。

呪詛だ。

恨みを吐き出しながら、破滅に巻き込まれまいと足掻く群衆。

シルビアの肩を掴み、怒鳴る者もいた。

机の上には破られた紙、落ちたペン、投げつけられた教科書。

あちこちで嗚咽と怒号が交錯する。

シルビアの手は震えていた。

爪が床を掴み、声にならない悲鳴が喉の奥で潰える。

それでも、誰も止めなかった。

もう誰も、誰かを人として見ていなかった。

「現実よ」

冷たく、ステラが吐き捨てた。

薄く紅を引いた唇が皮肉に歪む。

「そろそろ授業開始の鐘が鳴りますわ。耳障りな声も静かになりますわね」

その直後、予鈴の鐘が鳴ったが、誰一人として聞いてはいなかった。

教師が入ってきて一喝するまで、罵声は止まらなかった。

だが教師が去ると、再び炎が燃え上がるように怒号が弾けた。

一日中、その繰り返しだった。

他のクラスの者まで噂を聞きつけ、わざわざ覗きに来る。

泣き喚き、机を叩き、抗議の声を上げる。

その中で、シルビアはただ、泣き崩れるしかなかった。

助けてくれたはずのミラの姿もない。

彼女はパーティーの翌日、家族に連れ戻されたと聞いている。

だが、一週間もすればその声も静かになった。

理由は単純だ。

"爵位返上"

貴族の地位を失った者が、王族の学園に通えるはずもない。

一人、

また一人と、

関係者は姿を消していった。

けれど、今度は他国と取引のある貴族の令嬢や令息からは、冷たい糾弾の視線が向けられた。

その視線は刃より鋭く、言葉より冷たかった。

シルビアは、もう泣くことすらできなくなっていた。

顔を上げる力さえ、残っていなかった。

アルファードも同様だ。

同じように糾弾されていた。

だが、それも一週間ほどで終わった。

二人とも、学園に姿を見せなくなったからだ。

「教育のため」と言われていたが、真実は分からない。

最後に見たのは、卒業式の日だった。

二人とも、憔悴していたが、それでも立っていた。

シルビアは以前よりも品があった。

優雅に振る舞っていた。

だが、私は思った。

頑張っている、のではない。

"頑張るしかない"のだと。

私は声をかけなかった。

ただ、静かに見送った。

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