第40話アルファードの誕生日パーティー3
「……どういう、ことですのぉ?」
シルビアが怯えた声で尋ねる。
アルファードは一度口を開きかけたが、声が出なかった。
代わりに、私が答えた。
「あの方の国ではね、頭を下げるという行為は、相手を『自分より下』と見なした時に行うものなの。つまり、謝罪どころか、侮辱に等しいわ」
静かに、しかしはっきりと教えてやった。
私の声に、周囲の貴族たちがざわめく。
「正式な挨拶は、目を逸らさず、軽く膝を折り、抱き合うのが礼儀。互いを同等と認める、古来からの儀だわ」
アルファードはゆっくりと喚き声を出す、ミラに視線を向けた。
その顔から血の気が引いていくのが、はっきりとわかった。
「な、なによ……頭を下げるのがダメなんて聞いてないわよぉ……!」
慌てて、まるで自分が悪くないかのようにシルビアが言うが、笑ってしまった。
「聞いてなかった、じゃなくて、読んでなかったのよね」
私は穏やかに言いながら、首を傾げた。
「あなたたちに渡した、私の手帳の中に全て書いているわ。あれだけ私を見下すように言っていたのに、見てもいないの?それなら、この結果は、必然、じゃないの?ねえ、シルビア?」
名前を呼ばれた瞬間、シルビアの肩がピクリと震えた。
視線を彷徨わせ、どうにか言い訳を探している。
「わ、わたくし……確かに、受け取りましたけれど……その……多忙で……細かく読む時間がなかったのよぉ。だってわかるでしょお?あなたと違って短時間で色々覚えるのは大変なのよぉ」
「めんどくさかったんでしょ」
冷たい笑みが自分でもわかるほど、自然にこぼれた。
「あなたらしいわね。人の努力より、自分の体裁を優先するところが」
シルビアの顔が、真っ赤になり、それから蒼くなった。
けれど、もう遅い。
この場で何を言い繕っても、全ては後の祭り。
「異国の賓客に対し侮辱の礼を行い、その上泣き喚いて逆上した。これを"偶然"で済ませるほど、外交は甘くないわ」
「……カレン、お前、最初から知っていたのか?」
アルファードの声には怒りというより、絶望が混じっていた。
「知っていた?それをわざわざ王子であるあなたが聞くの?あなたが一番知っているはずだわ!」
アルファードは沈黙した。
拳を握りしめたまま、言葉が出ない。
そして、視線の先では、まだミラが泣きながら引きずられている。
「気性の激しい方と有名だから、あと何回か打たれるでしょうね。でも、これで、あの方の怒りが少しでも収まれば良いのではないの」
私が静かに呟くと、アルファードが振り返った。
「カレン……本気で、言ってるのか?助けもしないで打たれることを前提に言うなど狂っている!」
「では、どうするの!?あなたが代わりに打たれるの!?それとも、あの方に跪いて、侮辱した国の代表として頭でも下げるつもり!?」
私の言葉に、アルファードは何も言い返せなかった。
その顔には、怒りと羞恥と焦りが混じり合い、声すら出ない。
「あなたはね、アルファード。いつも"誰かがやってくれる"と思っているのよ」
私の声は静かだった。
けれど、その冷たさに、周囲の空気がさらに張りつめる。
「外交文書も、文化資料も、全て私が用意して渡した。貴方が『カレンが残したのを読んで欲しい』と頼めばきっとシルビアは読んだはず。それを怠った。結果、ミラは何も知らずに相手国を侮辱した。ただそれだけのこと。けれど"それだけ"で国が傾くのが外交なのよ」
アルファードの喉が震えた。
言葉を探すように何度も口を開きかけたが、出てきたのは掠れた息だけだった。
「まるで、他人事のように……」
「他人事よ。だって、アルファード私に言ったわよね。真実の愛を見つけた、と。私を切り捨てたのはあなたよ!」
はっきりと告げると、周囲にいた貴族たちが一斉に息を呑んだ。
「……そんな言い方酷いわぁ。だって私が愛されたからって八つ当たりしないでよぉ!!」
シルビアが泣きそうな声で言った。
八つ当たり?
どこからそんな言葉が、
どこからそんな破天荒な考えが、
出てくるの?
まるで私がわざとこの状況を作ったかのような言い方。
「カレン」
ぐっ、と私の手を強く、憤りの声でゼットが握る。
ふるふると、静かに首を振る。
あなたが、出るほどではないわ。
「わたくしだって一生懸命だったのよぉ!全部覚えきれなくて……!そんなの、誰だって間違えるじゃないの!」
いけしゃあしゃあと、そんなことを言う程、ある意味褒めてあげたい。
「いいえ。間違えたのは努力じゃなく、姿勢よ」
私は視線を向けた。
「婚約者となるなら、外交に臨む者として、最低限の礼を尽くす責任がある。けれどあなた達は"カレンがいればどうにかなる"と信じて、面倒を避け、第二夫人という馬鹿げた考えしか浮かばなかったのよ!だから今こうして、無知の報いを受けているの!!」
感情が溢れてくる。
アルファードは拳を震わせ、シルビアは顔を歪め、涙を滲ませる。
「……カレン、お前は……本当に、それでいいのか」
アルファードが低く問う。
「ええ。あなたが私を"不要"としたのなら、今さら口を挟む理由はないわ」
私は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「それに、今回の件で、学んだ?努力を怠る者がどれほどの代償を払うことになるのか、ということを」
その瞬間、アルファードの表情が固まった。
誰も言葉を発せず、シルビアは唇を噛んだまま視線を逸らした。
「……もう一度、最初からやり直せるなら――」
アルファードがそう呟いた時、私は静かに首を振った。
シルビアが驚愕の表情を見せた瞬間
私は、
一気に、気持ちが冷めた。
「外交は、人生と同じ。やり直しなんて、どこにもないの」
その後ろで、ミラの悲鳴が遠ざかっていく。
「……やだ!やだ!離して!いやぁっ!!」
その声が完全に聞こえなくなった時、会場には、息の詰まるような静けさが残った。
「さいってい!!私が嫌いだからといって、ミラを見殺しにするなんて!!」
シルビアの叫びが、静まり返った会場に響いた。
その声は涙で震え、けれど、どこかで自分を正当化しようとする哀れな響きが混じっていた。
私は、ただ静かに彼女を見つめた。
その姿は、まるで鏡を見ているようだった。かつて、愛を信じ、努力を信じ、報われると信じていた自分の、愚かな残影。
「嫌い?違うわ。私が嫌うほど、あなたを気にかけていたとでも思っているの?」
ゆっくりと歩み寄り、ドレスの裾が床を滑る。
会場の灯りが揺れ、私の影が長く伸びる。
その冷たい視線に、シルビアは一歩、後ずさった。
「ミラを見殺しにしたのは、あなたたち自身よ。他人任せにし、学ぼうともせず、都合の悪いことから目を逸らした。その代償を、いま支払っているだけ」
「そんな……そんな言い方、ないわぁ……!」
「言葉が欲しいのなら、正しさを選ぶことだったわね。涙では、何も贖えないわ」
アルファードが、堪えきれぬように低く呻いた。
「カレン……お前は……いつから、そんなに冷たくなったんだ!?」
私はその言葉に、微かに笑った。
「冷たく?違うわ、アルファード。私は、ただ現実を元々知っていた。だから、最悪の結末にならないよう、努力してきた。この結果は、あなた達が引き寄せた結果よ」
彼の拳が震える。何かを言い返したかったのだろう。
けれど、何も出てこない。言葉という刃は、もうこの場では、鈍すぎた。
「……カレン、もういい、やめろ」
ゼットの声が低く響いた。
「これ以上は……お前が悪役になる必要は無い」
私は小さく息をつき、視線を落とした。
「そうね。これ以上、言葉を重ねる意味もないわ。真実はもう、充分すぎるほど示された」
その時、場の奥で慌ただしい足音が響いた。
ミラを連れ去った従者たちが戻ってきたのだろう。
ミラの姿はなく、代わりに異国の女性が静かに一礼をし、通訳を通じて短く言葉を伝える。
『この場の無礼は、忘れない。だが、カレン殿のこれまでの誠意は重く受け止め、カレン殿の友人であればそれに免じて、制裁は軽くする。どうされるのか主は質問している』
私の胸には、冷たいものが沈んでいた。
私は知らず笑いながら、答えた。
答えを言うと、女性は静かに去っていった。
「カレン……」
アルファードが、不安げに私に声をかけた。
「……心配しないで。制裁は軽くしてあげたわ。せいぜい、あなたの無知が国の恥になる程度で済むわ」
なんて棘のある言い方。
自分で驚くほどに、嘲笑を含んだ声に、私自身がどれだけ辛かったかわかった。
「何その言い方、酷いわぁ!!それでもアルファード様の婚約者だったの!?私ならずうっとずうっとアルファード様に寄り添って、頑張るのにぃ!!」
「ふざけるな!!カレンがどれだけ努力しここまでやってきたと思っている!!お前達が全てを壊したんだろうが!!」
「その通りです!カレン、そなたが悪役になる必要はない!アルファード、シルビア、お前達の招待した者達を、撤去しなさい!!」
ゼットの怒りの声を押し潰すように、黒幕が現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます