第22話私とゼットの噂
「わかった。お前がそこまで言うなら、止めはしない。だが・・・」
お父様の声は、最後だけ不自然に弱まった。その眼が落ち着きなく揺れ、ちらりちらりとお母様を盗み見る。
「何かしら?」
お母様の声音は冷たく、射抜くような視線がすぐさまお父様を捕らえた。張り詰めた空気が部屋を覆い、ほんの一瞬で場の温度が下がったように感じられる。
「その・・・」
お父様は口ごもり、今度は私をちらちらと見やる。
ああ、と私は小さく肩を竦めてみせた。
つまりは、ゼットのことをお母様には話していないのだ。
ゼットからの求婚が先であれば流れは自然だった。だが、よりによってその前にオデッセイ様からお茶会の招待が来るとは、誰が予想できただろう。
お父様もお母様も、オデッセイ様のことは昔から苦手としている。招待状が届いたこと自体が驚きだ。
だが、それと同じくらい、ゼットが私に求婚してきたことも意外だった。
「そうそう、言うのを忘れていたけれど、お父様、お母様。先日ゼットが私を迎えに来たの」
「ゼット殿下が?」
すかさずお父様が食いつく。その真剣な表情に、私は笑いをこらえるのに必死だった。
「そうなのよ。なんだかね、私のことを前から慕っていたみたいで、求婚してきたの」
「な、なんですって!?」
驚愕に目を見開くお父様。
勿論下手くそな演技なのだが、それ以上にお母様の顔がみるみる険しくなり、般若のような怒りを孕んだ表情に変わる。その迫力に、私は思わず怯み、背筋が強張った。
「オデッセイ様は、ゼット殿下の気持ちを知っていたのですの!? それは、つまり、このお茶会の本当の意味は、積もりに積もった嫉妬を貴方にぶつけてくるということなのね!」
お母様は勢いよく立ち上がり、私の傍へ詰め寄る。瞳は怒りに燃えながらも、今にも涙が滲みそうで、その表情の揺らぎに私は言葉を失った。
──お母様は、ゼットの気持ちを知っていた。
「断りなさい!! もう、もう、王族に振り回されるのはやめなさい!!」
鋭い声が響く。初めて耳にする、お母様の絶叫に近い言葉。私もお父様も息を呑み、凍りついた。
いつもは穏やかで、決して強く口を出すことなく、ただ淑やかに笑んでいたお母様。そのお母様が、今は烈火のような怒りを燃やし、必死に私を守ろうとしている。
ああ、私のことを、こんなにも深く案じていてくれたのだ。
握られた手に、さらに強い力が籠もる。眉間の皺は深く刻まれ、その眼は涙で潤んでいた。
「違うの。私、違う意味でオデッセイ様のお茶会を受けようとしているの」
私はゆっくりと首を振り、静かに微笑んで答える。
どれほどお母様が私を愛してくれているのか。今、やっと胸の奥に沁み渡るように理解できた気がした。
言葉。
感情。
対応。
行動。
すべてにおいて、人は決して他人と重なり合うことはない。
だって、誰もが心の奥を隠してしまうものだから。
己のすべてを曝け出すことなど、羞恥でしかない。
それが人間の性でありそして、貴族の矜持だ。
家族であっても、それは変わらない。
必死に訴えてくるお母様には申し訳ない。けれど、その気持ちが、私にはとても嬉しかった。
「では、どういう意味での招待を受けたの」
お母様の声音は静かであったが、その奥底にはまだ怒りの残滓が潜んでいた。
「ゼットがね、オデッセイ様が私のことを心配している、と言ったの」
「ありえませんわ」
「それはないだろう」
ふたり同時に、まるで示し合わせたようにけんもほろろに言い放つ。
私は肩をすくめ、苦笑した。
「私もそう思ったけれど、あの方は損得勘定で動く人よ。婚約解消した私に価値はないのに、わざわざ招待してくれた。それも、宿泊さえも許してくれているの」
「ゼット殿下のことでいびるつもりなのよ」
「そんな小さい方ではないわ」
そう笑って言うと、ふたりとも押し黙った。反論はなかった。
口では「いびる」とか言ってみせたが、オデッセイ様の性格を考えれば、そんなことは絶対にありえない。
あの方は──捨てたものに対しては、綺麗なほどに執着がないのだ。
私は深く息を吐き、椅子に身を預けながらぽつりと呟いた。
「暫く好きにさせてよ。アルファードと婚約解消してすぐには、誰かを探そうと思ったけれど、なんだか無理して探してしまうようで、嫌なの」
お母様の表情が曇る。
「そう……。貴方に沢山の招待状が届いているのよ。殆どが年頃の令息がおられて、きっと貴方を妻に迎えたいと願っているの」
残念そうな声音。それでもどこか、娘を後押ししようとするような響きが混ざっていた。
「悪いけど、全部断っておいてよ。今はそんな気分になれない。こんな無感情に近い気持ちで招待を受けたら逆に失礼だわ」
「……分かったわ。丁寧に断っておくわ」
渋々ながらも、お母様は少しだけ微笑んでくれた。
「カレン」
不意に、お父様が真剣な声音で私の名を呼んだ。
「何?」
「悪いが、ゼット殿下から求婚を受けたことを表沙汰にしてもいいか?」
「何を言っているの!? カレンは興味ない、と言ったじゃない!! そんなに王族に嫁がせたいの!? そんなに権力が欲しいの!?」
お母様は勢いよく立ち上がり、烈火のような剣幕でお父様を睨みつけた。その迫力に、空気がひりつく。
「ち、違う。そうじゃない」
慌てて立ち上がったお父様は、お母様の手を握り、必死に座らせた。
「求婚を受けたという事実を表沙汰にしても、必ずしも受け入れるという意味にはならない。だが、ハリアーが……いや、ほかの者達がカレンを諦めてくれる」
「ほかの方々も、私のことを諦めていないの?」
「残念ながら、今、より声が上がりだした。シルビア嬢の資質が、あまりにも低いようで……“カレンを戻せないか”と私に言ってきている」
「まだ日が浅いもの。これから変わっていくでしょう」
お母様は毅然とそう告げたが、その瞳にはわずかに迷いが揺らいでいた。正直、私自身も、どうなのかと胸の奥で思ってしまう。
「アルファード様の誕生日パーティーも、“二人で並ぶ姿を見せる”と言って何か変えるような動きがあり、そこに対してもハリアーや他の貴族は不満を抱いている」
「ポルテ様は何か仰っているの? 今回はご自分が動かれた結果でしょ?」
お母様の問いに、お父様は静かに頷いた。
「本人が決めたことだから任せればいい、と」
「良かったですわ。その通りですもの。あの方は今でこそ表立って何もされませんが、嫁いでこられた時はとても努力されていたのです」
「そうなの?」
私は思わず問い返した。初めて聞く話だった。
「そうよ。他国から嫁いできたのだから、それ相応の努力をしなければ認められない。だからこそ宰相様も逆らえなかったのですわ。アルファード様が産まれてから、少しずつ一線を退き、今のようになられましたが……それまでは、本当に頑張っておられました」
「確かにな。だが、このままもし何か不手際が起これば、必ずお前の名前が上がる。ハリアーが本気で動けば、ポルテ様も、私もどうしようもない」
「だから、ゼットからの求婚を使えば諦めてくれる、というわけね」
私の言葉に、お父様は真剣に頷いた。
「ゼット殿下の気持ちを受けるか受けないかは、正直お前が決めればいい。ただ相手がゼット殿下なら、確実に下手なことは出来ないだろうから、確実に諦めてくれるだろう」
確かに。
相手はポルテ様の国の王子。
「それなら、下手に動けないものね」
「そうですが……流れ的にゼット殿下と婚約させられる場合もあるでしょう?」
「それは、大丈夫だと思う。自分を選ばない選択も覚悟している、と言っていたし、あの人はそんな無理強いはしないわ」
私の言葉に、お母様は仕方なさそうに肩を落とした。
「では、ゼット殿下とお前のことをハリアーに話す。勿論今は求婚を受けるつもりはないが、ゼット殿下はわざわざカレンの為に婚約解消をするまで気持ちがある、と伝えておこう」
「何でお父様が“私の為に婚約解消した”と知ってるの?」
ついつい意地悪に聞いてしまった。
「えっ!? いや……流れ的に、時期的にそうだろ!?」
お父様が慌てふためく姿に、私は内心笑ってしまった。
嘘がつけないのは知っているが、ここまでくれば、ほら、お母様が睨んでいるわ。
「いいよ、それで。ゼットなら最悪結婚してもいいわよ。楽だもん」
「冗談でもそんな事言わないで」
お母様の苛立ちに、私は笑った。
「冗談じゃないよ。本当に楽だもん。知りもしない男性と、初めまして、からするよりも気が楽だしあの人私には甘いもん」
「はぁ……仕方ないわね……カレンも納得しているならそうしましょう。それなら招待状のお断りの理由にもなりますしね」
「ありがとう。じゃあ私、部屋に戻るわ」
私はふたりに笑みを向け、部屋を出た。
さぁてと、オデッセイ様対策をしようかしらね。
胸の奥にふつふつと湧き上がる高揚感。
何だか楽しくなってきた。
婚約解消して、何だか今が一番ワクワクしているかもしれない。
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