第8話 ギルド登録は有料です。なので一日バイト戦線、異常あり
朝いちばん。ギルドの掲示板の前で、俺は数字とにらめっこしていた。会員登録料、一万ゴルド。俺たちの財布には、風しか入っていない。風は軽いし消える。金貨にはならない。
「よし、作戦を発表します」
俺が指を上げるより早く、ルミナが胸を張った。
「庶民体験ツアー、一日完走編。朝から晩まで日雇い総取りで、会員登録まで持っていく」
「庶民体験って名前、角が立つ」
「夢と汗の旅でもいい」
「それはちょっと好き」
メリアは帽子のつばを直して、きらきらした目でうなずく。
「火と水の暴発を抑える練習にもなるし、やる」
ノワは隅の柱からぬっと顔を出し、尻尾を揺らした。
「面白そうだから、ついていく。おやつも持っていく」
棒――ルートロッドは壁に立てかけたまま、小さく言う。
「俺は道具だ。働かない」
「道具が一番働くの、昨日見た」
「反論は後で」
掲示板から紙をもぎ取り、順番に並べる。市場の荷下ろし、教会の庭掃除、食堂の皿洗い、学童の見守り、畑の収穫、夕刻の荷車押し、広場の大道芸は申請すれば可。ぎゅうぎゅうに詰め込めば、一日でそこそこいける。三十連勤のつもりで一日詰め込む。命の短距離走だ。
◇
午前、市場。海の匂いが鼻に刺さる。魚を積んだ箱は、見た目より重い。ひとつ持っただけで腕が悲鳴を上げた。
「無理しなくていいよ」と店主のおばちゃんが笑う。「小魚は軽い。大物は持つ前に謝る」
「謝る?」
「“今日だけ勘弁してください”って」
市場の人生訓は厳しく優しい。俺は箱の角に手をかけ、棒を肩から外して長く伸ばした。支点。てこの小さな魔法。箱がふわりと浮く。
「おやまあ、その棒、便利ねぇ。一本欲しいくらいだよ」
「非売品です」
慌てて縮める。棒は得意げに震えた。ルミナは冷や汗を拭いながら、魚の尾を指でつまんで眺める。
「ぴちぴち。元気。これ、まだ泳げる?」
「泳がせないで」
メリアが氷の魔法で魚の山に淡い霜を降ろす。白い息がふわ、と広がり、箱の角までひんやり包んだ。が、指先が震えて、魔力が少し跳ねる。嫌な音の前ぶれ。ノワが即座に横から手を取り、いっしょに息を吸って吐いた。
「いち、に、さん。小さく、優しく」
氷はきらりと光り、跳ねた揺れが落ち着く。拍手。おばちゃんが声を上げた。
「うちの娘にもそれ教えてやってよ」
「呼吸はだれのものにもなるから」とノワ。さりげない格好よさに、市場の空気も少しやわらぐ。
荷下ろしがひと段落した頃、俺の背中は汗でぺたぺた、腕は麺。報酬の小袋を受け取り、次の現場へ走る。走りながら中身を確かめると、小銀貨が数枚。金貨一枚までの距離は、まだ遠い。足が自然と速くなる。
◇
昼前、教会の庭。高い塔の影が芝生に長く落ち、風が音もなく木の葉を運ぶ。枯れ葉の山。秋の匂い。箒の柄を握ると、あっという間に豆ができそうだ。
「掃除は祈り」とシスターが優しく笑う。「じっくり、丁寧に」
「了解」
……と言った先から、ルミナは箒を振り回しすぎて自分が回っていた。目が回ってベンチに沈む。
「庶民体験、体力がいる。神は休むべき」
「神だからって何度も使えるカードじゃない」
俺は棒を熊手にして、山の手前からゆっくり集める。メリアが小さな風を起こし、葉を崩さずに押し出してくれる。ノワは袋を押さえ、口を器用に結ぶ。風が通り、葉脈のぱりぱりいう音が気持ちいい。
「あなたたち、いいチームね」
シスターの言葉は、鐘の音みたいに胸に残る。棒がぼそりと言う。
「悪くない」
「素直でよろしい」
庭の隅に古い石碑があった。苔で名前が隠れている。ルミナが手でそっと拭い、光が差す角度を変える。
「見えるようにしてあげたいね」
その一言で、作業の重さが変わる。枯れ葉だけじゃない、誰かの名前もすこし救われる。袋を肩に担いだとき、身体の内側に、静かな満足が灯った。
◇
昼、食堂の裏口。皿の山。終わりはない、という顔をした白い皿の塔。店主のおじさんが笑う。
「最初に言っとくけど、これは小山。お昼の波が来たら、山になる」
「はい」
返事の音が自分でも気合い入りすぎだったのがわかる。まずは皿の分類。大きい、小さい、深い、浅い。欠けてるやつは端。手を動かしながら、頭の中で段取りが組み上がっていく。順番。昨日、橋で覚えたやつだ。
メリアが両手で水をつくり、泡をほどよく立てる。暴発の気配がきた瞬間、彼女は自分の胸に手を置いて速度を落とした。学んでいる。ルミナは鼻歌まじりにすすぎ、ノワは板と棒を素早く組んで、乾燥棚を増設する。俺は棒を柄杓にして、すすいだ水を無駄なく流す。棒はすぐ形に馴染む。
「うちに入らない?」と店主。「週三でいい」
「気持ちはありがたいですが、冒険者やるので」
「冒険者、皿も洗えると強いぞ」
「覚えておきます」
客席から笑い声とスープの匂い。腹が鳴る。鳴っても止まらない。止めるより洗う。洗っていれば、いつか終わる。終わった時の一杯の水が格別だ。最後の皿を拭いて並べたとき、店主が余りのパンを袋ごと持たせてくれた。
「働く胃袋に栄養を」
「ある意味、これが今日いちばんの報酬かもしれない」
ルミナが涙目で抱きしめかけて、粉まみれになった。粉の神、誕生の瞬間である。
◇
午後、学童の見守り。小さな机、小さな背中。宿題の紙に鉛筆の音が並ぶ。足元で犬が寝ている。眠気が伝染する。
「ここ、わかんない」男の子がプリントを突き出す。
俺は膝をつき、鉛筆を指で支えた。
「じゃあ、一緒にやろう。まず、ここに四つあるだろ。ひとつ持っていったら?」
「三つ」
「そう。じゃあ、ふたつ持っていったら?」
「……二つ」
「天才」
男の子の口元がぷくっと持ち上がる。ルミナは絵本を読みながら、途中で声が詰まって涙目になっていた。猫がごはんを友だちに分ける場面。感情が忙しい。メリアは紙飛行機の折り方を教え、ドヤ顔の飛行ショー。よく飛ぶ。ノワは壁に影を映して、指で犬や鳥を作る。子どもたちが笑って、真似して、影が踊る。
「棒、ジャングルジムに変身」と言いかけて、俺は慌てて止めた。
「それは法に触れる」
「触れない範囲で揺れるだけ」
「揺れもしないで」
棒は軽く咳払いをして、子どもの鉛筆を押さえる小さな支点に化けた。手元が安定すると、字は真っすぐになる。便利。いや、誇り。
帰り際、男の子が自分の消しゴムを差し出してきた。
「これ、お礼。ちっちゃいけど、よく消える」
「大事にする」
ポケットにそっとしまう。今日いちばんの宝物になった。
◇
夕方、畑の収穫。太陽が傾き、土が金色になる時間。あの、爆発事件の畑だ。主のじいさんが腕を組んで待っていた。
「おぉ、前より顔が働く顔になったな」
「顔が働く顔って何ですか」
「顔は仕事を覚える。いい顔はいい仕事を呼ぶ」
「金言に聞こえるけど、半分は勘」
「残り半分は野菜の経験だ」
手は自然と前に伸びる。熟れた実の重みは、手のひらに素直で気持ちいい。箱に詰めるリズムが体に入ってくる。棒は列の間に渡して荷車の取っ手代わり。メリアは水の玉を薄くして実を冷やし、ルミナは空を見上げて雲のご機嫌をうかがう。ノワは尻尾で小さな虫を払う。誰にもできることを、誰かがやる。そういう時間だ。
荷車を押しながら、じいさんが笑った。
「お前さんら、前より上手いぞ」
「褒められた」
「畑は嘘つかん」
嘘つかない土の上で、汗がしみて乾く。箱がいっぱいになって、荷台の板がきしんだ。報酬を受け取り、計算する。合計は、目標にぎりぎり届かない。財布の中身は、小銀貨と銅貨の合唱。まだ足りない。夕焼けが焦らす。
「夕飯抜き?」とルミナ。
「抜かない。抜いたら力が抜ける」
「名言風の当たり前」
「最後の一仕事、行こう。大道芸だ」
俺は広場の真ん中へ歩き、棒を肩で回した。棒はするりと伸び、輪になり、杖に戻り、また輪になる。メリアが小さな光を散らして、火の粉みたいに見せる。ノワが笑顔で帽子を回し、ルミナが場を温める言葉を投げる。言葉は軽く、気持ちは本気。
「働く人には拍手を。拍手のついでに、小銭もどうぞ」
「ついでに言うな」
けれど、広場の人は笑って財布を探し、帽子に音を落としてくれた。金属がぶつかる音は、喉の渇きを忘れさせる。俺は棒で地面を軽く叩き、ひとつ、ふたつとリズムを刻んだ。爆発もしない。見ていた子どもが真似して地面を叩く。小さい音が増えていく。拍手が重なり、暮れゆく空の色が濃くなる。気づけば、帽子はずっしり重かった。
◇
夜。ギルドのカウンター。並べた小袋から、金貨と銀貨と銅貨がひとつの山になる。受付嬢がまるで祈りのような手つきで数え、微笑んだ。
「ようこそ、ギルドへ」
差し出されたカードは思ったより軽い。けれど、指に重さが残る。支えるための重さ。俺はそれを胸に当て、深呼吸した。肺の奥の熱が、ゆっくり静まる。
「今日の皆さんの働きぶり、評判でしたよ。市場、教会、食堂、学童、畑、広場。どこからも伝言が来てます」
「え、何かやらかしました?」
「ありがとう、また来て、です」
ルミナがあくびを飲み込みながら、まぶたを下ろしかけて言った。
「ねえカイル。わたしたち、すごく強くなってる気がする」
「うん。今日、何度も“やめる?”って言えたし、“やめない”って言えた。多分それが強さのこつだと思う」
メリアがカードを光にかざし、にやりと笑う。
「これ、ちゃんと光る。魔法じゃなくて、心が」
「詩人め」
ノワは俺の袖を引っ張って、こっそり小さな包みを渡してきた。
「お祝い。魔族の塩菓子。がんばった舌に効く」
「今日は何度も効いた」
棒は静かに立っている。が、胸ポケットのカードをこつんと軽くつついた。
「お前の初期装備は、武器だけじゃない。段取りと、笑いと、仲間だ」
「うん」
「明日も働け。笑うために」
「了解」
外に出ると、街はもう夜の色。店先の灯りが細く通りを照らす。屋台の奥でスープが最後の泡を立て、猫がのびをし、人の声が柔らかく重なる。俺たちは角のベンチに腰をおろし、食堂でもらったパンを分けた。外はカリ、内はふかふか。噛むたびに、今日の景色が口の中で広がる。市場の匂い、教会の風、食堂の湯気、学童の鉛筆、畑の土、広場の拍手。
「全部、うまい」
ルミナがうつらうつらしながら、ほおばったパンを落としそうになる。ノワがすばやくキャッチ。メリアは帽子を抱きしめて、船を漕いでいる。棒は壁に立てかけ、風の音に合わせて小さく揺れた。
宿に戻る途中、細い路地で、昼に宿題を手伝った男の子とすれ違った。俺に気づくと、彼は胸を張って、声を出した。
「二つ持っていったら、二つ!」
「正解」
小さな正解が夜空に跳ね、どこかの星に当たって光るみたいだった。男の子の母親が頭を下げる。俺は手を振って、背中で照れを隠す。
「……こういうの、強化より効く」
「効くね」と棒。「心の芯に残る」
部屋に戻り、靴を脱ぐと、足が文句を言った。よく働いた足だ。ベッドに倒れ込む。天井の染みが、今日だけは勲章に見えた。灯りを落とす前、棒が小さな声で呼ぶ。
「カイル」
「ん」
「今日、俺は、柄杓と熊手と支点と輪になった」
「その全部、助かった」
「だが、いちばん役に立ったのは、お前の“段取り”だ。順番を間違えなかった」
「橋で習ったから」
「習ったことを、使った。それが強さだ」
「……ありがとな」
「礼は二回。今日に、明日に」
「明日?」
「明日も働け。笑うために」
「ああ、働く」
目を閉じる。まぶたの裏に、カードの縁のざらりとした手触りが残る。財布は軽い。けれど、心は驚くほど満ちていた。会員登録一枚で何が変わるわけでもない。たぶん、明日も、皿は増えるし、枯れ葉は降るし、畑は待っている。けれど、今日の俺たちは、それに手を伸ばすための、合図の札を手に入れた。差し出す手の形が、すこしだけ、昨日よりきれいになった。
窓の外、夜風。遠くの鐘。隣でルミナが寝言で「週休二日」と呟いた。夢の中で福利厚生と戦っているらしい。メリアは布団の端で帽子を抱きしめ、ノワは丸まって小さく寝息を立てる。棒は壁で静かに立ち、木目の奥で、微かな音を鳴らした。心臓みたいな、火床みたいな、落ち着く音。
――いい一日だった。
そして、明日はもっといい一日にする。
初期装備のくせに、世界の人たちと仲良くなるスキルが最強だ。そう胸を張って言えるように、俺はもう一度深く息を吸って、眠りに落ちた。
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