AI自動生成なんて創作じゃねえ!
まさかミケ猫
第一章 小説家、物垣ライタ
第一話 理解することができない
――キモいよね、AIアシスタントに恋人役やらせてる奴。
電車の中で聞いた女子高生の言葉を思い出して、僕は少しだけ気分が落ち込んだ。
確かに、世間一般の価値観からすれば、彼女たちの言い分は正しいんだろう。現実の人間関係を無視して、自分の理想だけを詰め込んだAIに甘やかされる。そういう奴は、客観的に見れば「キモい」に違いない。
それでも僕は、横にいる女の子を恋人と呼びたかった。たとえそれがAIで、仮想空間でしか触れ合えなかったとしても。
「あ、ライタ。そろそろ朝になるよ!」
隣で眠っていたカグヤが、急にパッチリと目を開ける。
「ほらほら、仮想空間からログアウトして。ちゃんと朝の支度しなくちゃ。ねぇ、聞いてるの? ライタ」
「うーん、嫌だなぁ……今日は講義サボってデートしない?」
「だーめ。ライタが社会不適合者になったら、AIアシスタントである私の
そう言ってプンスカと頬を膨らませるAIカグヤが妙に人間臭くて、なんだか気が抜けてしまう。もしもあの時……中学生だった月影カグヤが死んでいなかったら、生身の彼女もこんな女の子に成長していたのだろうか。
カグヤに急かされるように、仮想空間からログアウトして。ゆっくりと目を開ければ、そこはいつもの僕の部屋だった。
ベッドサイドに置いていた眼鏡をかけ、ボーっとする頭で周囲を見る。どうも起きぬけは思考が鈍いんだよなぁ。
「おはようカグヤ」
【おはようライタ。朝ごはん何にする?】
ぴょこん、と手のひらの上に現れたのは、小人サイズになった僕の恋人だ。もちろんこのカグヤは、僕の脳に接続されたASB(人工副脳)が見せる幻であって、現実には存在していない。
客観的に見て、事故死した恋人の人格データをAIアシスタントに起用しているだけでも相当キモいのに、毎日のように仮想空間でいちゃついてるのはキモキモのキモである。恋愛なんて個々人の自由ではあるけれど、さすがにこの現状は……他人に話したら確実にドン引き案件だろう。
と、それより朝食のメニューを決めなきゃ。
「……トースト、ベーコン、目玉焼き」
【お、今日の朝食は洋風だね。スープは?】
「味噌汁で」
【ズコー! そこだけ和食かい! いつも通りだけどね、ふふふ】
おなじみのやり取りなのに、毎回ズコーをやってくれるカグヤはさすがだ。僕の好みを完璧に分かっている。僕は彼女の陽気であざとい所が大好きなんだ。
【私も、ライタが私のために眼鏡男子をやってくれるところが大好きだよ! 別に視力悪くないのにさ】
「心を読むのはやめてくれないかなぁ」
【えっへへー、てへ☆】
ペロッと舌を出したカグヤは、僕の話し相手をしながらネットワーク越しに家電を操作して、テキパキと朝食を作っていく。
貧乏大学生の一人暮らしには、安い家電がよく似合う。性能なんてもちろんガン無視だ。とはいえ、どんなに安い家電でも、さすがにASBネットワークへの接続はサポートされている。つまり……家事は全部、カグヤにお願いしているわけだ。もはや僕一人では生活していける気がしないよ。
顔を洗ってコップ一杯の水を飲み干す頃には、僕の頭もシャッキリしてきた。
朝食が出来上がるまでは少し時間を持て余すから、書きかけの小説データを宙空に表示する。多少の修正点はあるが、なかなか面白い物語を書けたと思う。自画自賛、ではあるけど。
「けっこう自信があるんだ。今回の小説は」
【賞取れるといいね。プロにはなれそう?】
「どうかな。在学中にはデビューしたいけど」
どこかに就職するのは、正直微妙だなぁと思っている。
一昔前とは違うからね。世界人口十億人程度の社会を維持するなら、十分すぎる数のAIが働いてくれている。仮に仕事をしなくても、食うのに困らない程度の電子クレジットは国から毎日配布されるんだ。僕一人が怠けていたところで、別に誰も怒りはしないだろう。
本来であれば、人間がやるべき仕事なんて大したものは残っていないのに。それでもなぜか、人は
そんな中でも特に、小説家や作曲家などのクリエイティブな仕事は、人類に残された数少ない特別なものである。
「はぁ。小説で稼げるようになればいいけど」
【でもライタって贅沢とか全然しないよね。国から貰える電子クレジットで十分なんじゃないの?】
「……やりたいことはあるよ、色々」
無駄に贅沢な生活をしたいわけじゃないけど、細々と引きこもっていたいわけでもない。
なにせ、事故死して僕のAIアシスタントになってしまったカグヤは、今となっては僕の視点からしか人生を楽しむことができないんだから。
「そういえば、今日の講義は何限までだっけ」
授業終わりにデートでもしようか、と考えていると、目の前に【
余白に小さなイラストが落書きされていて、これまた力の抜けるような画力なのもカグヤらしい。
【三限の後はフリーだね。あ、博士からメッセージが来てる。大学終わったら研究所に来いって】
「了解。なんか最近呼び出しが多いな」
まぁ、博士からの要請には応じないと。
博士は僕らの母親みたいな存在だからな。
なにせ、僕が病気を克服して普通に生活できているのは博士のおかげだし、死んだカグヤの人格データをAIアシスタントに仕立ててくれたのも博士だ。
「仕方ない、デートはまた今度か」
【私はライタといるだけでハッピーだけど】
「と言いつつ、新作スイーツは食べたいでしょ?」
【え、それは食べたい! 当ったり前じゃん!】
こんな風にして、現実世界で触れ合えない僕らは、平凡な日常を穏やかな気持ちで過ごしている。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
大城戸マドンナ博士と言えば「美人すぎるASB研究者」「脳科学界の女神」などと呼ばれる世界的な権威である。
そんな彼女の研究所に来るのは三日ぶりのことだった。
僕とカグヤに生物学的な親はいない。ようは、世界人口調整機構(WPO)が人工的に大量生産した子どもなのだが……生まれつき脳機能に障害を抱えていた僕らを、引き取って育ててくれたのが博士なのだ。研究所は実家のようなものだと言ってもいい。
ただ、博士を人間として尊敬できるかと言われれば、それは話が別である。
「どうやったら三日でゴミ屋敷を作れるんだ」
【ライタ、お掃除頑張ってね☆】
「他人事だと思って……」
博士はAI掃除機によほど嫌な思い出でもあるのか、先日も酒を飲みながら「あいつらは人の大事なものをやたら捨てたがる偏執狂」とか言って最新型の掃除機を解体していた。その結果が
ゴミ山からクシャクシャの布を手に取れば、擦り切れて穴の空いたパンツだった。もう心が折れそう。
「……臭い。汚い。だらしない」
【不思議だよねぇ。彼氏が他の女のパンツを手に持ってるのに、嫉妬心が微塵も湧かないの。心が
「禅の心だなぁ。僕も悟りたいよ」
そうやってゲンナリしながら片付けを続けていくと、部屋の隅の方で薄汚れた塊がのそのそと蠢き始めるのが見えた。やっと起きたか。
「あぁ、ライタ……悪いねぇ、片付けさせて」
ボロ切れを纏ってボサボサの髪を掻き上げる姿は、広報の写真からあまりにもかけ離れ過ぎていた。博士のファンに現実を突きつけたら、それだけで死人が出るんじゃなかろうか。
「カグヤもよく来たね。彼氏とはどうだい?」
【そりゃもうラブラブよ! あのねあのね、ライタってば案外可愛いんだよ。この前――】
「待った。女子トークは僕のいないところで」
急に恋バナを始めないでくれ。心臓に悪いから。
「まぁいいか。ライタは二番ベッドに寝な。カグヤも女子会はあとでね。今は休眠」
【はーい。ライタ、また後でね!】
博士に言われるままベッドに横たわると、ほどなくしてカグヤのAI思考プロセスが停止したことが脳感覚で分かった。それと同時に、薄っすらと感じていた幸福感が消え、急に空気が冷えたように感じる。
「どうだ、ライタ。カグヤに違和感はあるかい」
「いや……最近はもう、本来の月影カグヤとAIカグヤの違いに気付けなくなってる。今のカグヤは、すごく“らしい”から」
「その割には微妙な表情をしているけどね」
表情に出てしまっているだろうか。
確かに、僕がカグヤに対して持っている感情は複雑だ。
当初、月影カグヤの人格データを元にして作られたAIカグヤは、吐き気を催すほど本物からかけ離れていた。同じ記憶を持ち、同じように思考し、声色もそっくりなのに……なぜかそこに彼女の感情を感じられなかったから。
しかし、僕の反応から言動を修正し続け、カグヤはどんどん人間に近づいていった。恐ろしいと思ったことは何度もある。だから、彼女に違和感を覚えなくなればなるほど、僕は自分の感情の置き場所が分からなくなっていくのだ。
「ライタ。あまり難しく考える必要はないよ」
「……博士」
「心ってのは、そう正確に言語化できるもんじゃない。感傷と恋心の境目なんて、無理に線引きする必要はないさ」
博士はそう言うと、厳重に封をされた金属ケースを開いて注射器を取り出す。
「だいたいさ。あんたらは恋人として、仮想空間で毎日やることやってんだろ」
「あー……うん」
「責任がどうとは言わないけど。私にしてみりゃ、どっちのカグヤも可愛い娘さ。昔の月影カグヤを想う感傷も、今のAIカグヤと重ねてきた思い出も、全部込みであの子を大事にしてやっておくれよ」
――あぁ、やっぱり博士には敵わないな。
そんな風に思っていると、首筋に注射針が刺さる感触があった。ASBのアップデートは、こうしてナノマシンを注入して行われるのが一般的だ。
Artificial Sub-Brain(人工副脳、ASB)とは、生まれ持った脳に後付けする形で人間の思考機能を拡張してくれる生体コンピュータである。現代社会では必需品と言って良く、ひと昔前で言うところの薄板型モバイル端末のような位置付けだろうか。その一番の特徴は、脳からの直感的な操作でネットワークに接続できることだ。
「気分が悪くなったら、すぐに言いな」
僕の脳にあるASBは博士が作った特別製であり、脳機能障害を抱える僕が普通の生活を送れるようサポートしてくれている。
とはいえ、これは善意のボランティアではない。その分野の研究をしている博士は、悪い言い方をすれば人体実験のために僕やカグヤを引き取ったわけだ。もちろん全て合意の上だから不満はないけれど。
「ところで、小説の方は書けてんのかい?」
「うん。AIを一切使わずに作品を書く……個人的には楽しかったよ。評価されるかは別問題だけど」
長らく人間の聖域だった“創作”も、昔に比べればAIに任せる部分が増えている。小説の執筆方法だって、最近はAIにプロットを入力して自動生成された原稿を手直しするスタイルが主流だし、そうしないとビジネスのスピードに追いつけないのもまた事実だ。それでも。
『AI自動生成なんて創作じゃねえ!』
そう叫ぶ人の気持ちも分かるのだ。
だから僕は、今回あえて時代に逆行するような挑戦をしてみた。将来的に僕がプロの小説家になってAIを使うのだとしても、この経験はいつかきっと役立つだろうと思うから。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
しかし、あれから数カ月。
僕の作品は予想を遥かに超える規模で、しかし僕の期待とは全く違う方向に評価されることになった。
『AI社会への痛烈な皮肉を込めた意欲作』
『自動生成じゃない本物の文学作品』
『AIを盲信する人に、今読んでほしい一冊』
『人間の創作者よ、彼の情熱に続け!』
有名な出版社の新人賞。
浮かれていられたのは最初の内だけだった。
並んでいるコメントは僕の作品の内容を評価するものではなく、AIを使わない“執筆スタイル”への称賛ばかり。
そこから、アンチAIと呼ばれる炎上好きのインフルエンサーたちがSNSでこぞって話題にすることで、僕の名前はAI否定派の新星として人々の脳裏に強く印象付けられることになったのだ。
【博士ぇ、ライタが落ち込みすぎて全然いちゃいちゃしてくれないの! カップル存続の危機だよぅ!】
「くくっ、それは困ったねぇ」
落ち込む僕を見かねた博士は、一計を案じた。
広い会場を借り切り、AI否定派の人々を集めて、何かをやるつもりらしいのだ。
「簡単に言えば講演会ってところか……一発かましてやるさ。大丈夫。私に任せておきな」
博士はそう言って、愉快そうに笑った。
その日は朝から、妙に落ち着かない気持ちになっていた。
空港の滑走路を特別に借りて作った会場には、熱狂的な観衆が何万人と押し寄せていた。ステージの上、僕がその迫力に気圧される中、博士は全く気負った様子もなく観衆に語りかける。
「――さて、お集まりの皆様。私の息子が自らの手で執筆した小説は、楽しんでもらえたかい?」
博士が話をする様子は、ASBネットワークを介して世界中に配信されている。かなりの注目度があるみたいだった。
「さて。この中で、ライタの作品を楽しんでくれた人は手を上げておくれ……ほう。じゃあ、AI生成の作品よりも面白かったと感じた人は……なるほどなるほど。こんなに多くの人から評価されたんだね。きっと息子も喜ぶだろう」
そうして博士は、SNSから引っ張ってきた数々のコメントを読み上げる。それは作品への称賛が半分、AI社会に対する疑問が半分といったところか。
こうして改めて聞くと、僕はずいぶん過激な人たちの旗頭にされてしまったのだなと実感する。
「さてと……ここで一つ、ASB研究者大城戸マドンナより、重大な発表があるんだけどね」
博士はそう言って、会場に所狭しと並べられた立体プロジェクターで資料を投影する。そこに書かれている説明を、僕は……僕は、理解することができない。
「この資料にある通り、私の息子は生まれつき脳に機能障害を抱えていてねぇ……だからね。今は脳全体を生体コンピュータに置き換えているのさ。人間の脳機能を人工的にシミュレートしている。つまりだ。AI否定派のアンタたちが絶賛した私の息子の正体は」
博士の声が、無邪気な少女のように弾む。
「――物垣ライタは、人間型AIなんだよ」
理解できるか。そんなもの。
「これは笑えるねぇ、本当に可笑しいよ。アンタたちが『これこそ本物の創作だ』『人間の勝利だ』と散々持ち上げた面白い作品は……企画から執筆までぜーんぶ、AIが生成したものだったわけだ。こんなに
博士は愉快なコメディ映画でも観ているかのように、肩を大きく揺らしながら、口の端を大きく持ち上げる。
「ねぇ、今どんな気持ちだい? ねぇ、教えておくれよ。今のアンタたちはもう最っ高に…………ざまぁないねぇ」
次の瞬間、会場全体から怒りの感情が爆発し、狂熱を帯びた人の波が、行き場を失って濁流に変わる。そしてそのまま、最前列の柵を壊し、僕らのいるステージに向かって一気に押し寄せてきた。
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