第34話 ズット、トナリニイタアノコ

「『ルネサンス』……」


「そうだ。『ルネサンス』それは、『再生』を意味する言葉だ」


 カエサルが言うと、再び強い風が吹いた。その冷たさに僕たちは思わず目を閉じる。

 

 

 風が収まり、そっと目を開けるとそこに廃墟はなく、満天の星空があたりを包んでいた。

 いわゆる夜の状態だが、星々が強く輝き暗さを感じなかった。カエサルの姿も見える。

 不思議な景色だ。


「ルネサンスと言う文化再生運動は、十四世紀、この地で起こった。その時には名前がローマから『イタリア』に変わっていたがな……」


 すると、夜空に絵画が浮かぶ。浮かんだのは巨大なフラスコ画で、中心には有名な絵画、『最後の審判』が写っている。

 全てミケランジェロの作品だ。ローマの夜空が、システィーナ礼拝堂の天井に成り代わった。

 



「ルネサンス期に突入し、ある二人の天才がイタリアに現れる。

 ジョット・ディ・ボンドーネ。彼は宗教画に、『人間らしさ』を与えた。それまで抽象的に描かれることが主流だった神と言う存在が、人間に近づく。信仰のあり方を根本から変えたと言ってもいいだろう。そして……フィリッポ・ブルネレスキ……。

『遠近法』の概念を生み出した天才彫刻家。

 彼らの存在が基盤となり生まれたのが、のちのダ・ヴィンチであり、ミケランジェロなのだ」


 すると、天に描かれた人々が三々五々に散らばり、何も無くなった空間から、裸の男が両腕と両足を広げた図が現れた。

 これも有名なドローイングだ。

 確か……ダ・ヴィンチが描いた人体図だ。


「ルネサンスがもたらしたのは、絵画だけではない。

『教会の答えだけでは世界を説明できない』と痛感した人間達は、神とは別に科学を信じることになる。

 そこから生まれた叡智こそ、自然観察であり、人体解剖であり、天文学なのだ。

 つまり人間が、『信仰』に代わり『真実』を求めるようになる。

 今までとは全く異なる生き方を始めることになるのだが……では、人間達がこの考えに至るまでに、何があったと思う? なぜ、人間は考え方を改めねばならなかったのだ?」


 カエサルが、天に手をかざす。すると人体図が暗闇に溶けていった……。


 次に天井に現れたのは、『昼間の野外の光景』だ。どこかの郊外だろうか?

 三人の男性と七人の女性が、身を寄せあったり、木陰で寝そべったり、大勢で食事をしたりなどといった絵画が、変わるがわる天井に映る。


「ボッカチオの『デカメロン』

 ……これもルネサンス期を代表する景色で、それまでは絵画とは神を描くものだった。それが……

 デカメロン以降、人間の日常を描くものに寄っていくことになる。この、呑気に見える彼らは、何をしているように見える?」


 再び、カエサルが天に手をかざす。すると……絵が暗転し、あたりには真の暗闇に包まれた。


「黒死病だよ。デカメロンは、ペストから逃れた人々を描いた物語なんだ。

 ペスト。千三百年代ヨーロッパで流行した病で、実に三分の一の人間が死んだ。

 人々は神に救いを求めた。教会に身を寄せ、何日間も祈った。

 しかし……神が人々に与えた答えは『沈黙』だった。

 地域によっては半数が死に、苦しみ怯える人々に対し、神は沈黙したのだ。

 これが元で人間は、ある疑問を持つようになった。

『神はどこにいる?』『祈れば救いは与えられるのか?』

 この疑問が生み出したのが宗教中心の価値観より、人間中心の価値観すなわち……『ヒューマニズム』だ」


 カエサルが言い切ると、あたりには広く、整備された道路。行き交う自動車。そして、コンクリートの建物が聳え立った。

 非常に見覚えがあり、馴染みのある世界だ。


「私はペストを引き合いに出したが、人類の価値観を変える出来事の前後には、必ず何か大きな事件がある。

 君たちの生活に欠かせない自動車。君たち現代を生きる人間を支える『足』だか、これが庶民にまで普及した前には、悲惨な世界大戦があった。それまで、戦車が通るために整備された道が『車道』になったのだ」


 カエサルは、道端で通話をしながら歩く人を指した。


「インターネット。二千年に普及したこの仕組みは、車が縮めた人間と世界との距離をさらに縮めた。

 こちらが普及する前に、アメリカの貿易センタービルに飛行機が衝突した……。人々の関心は個人から近所へ、さらに世界へ向いたのだ。世界で今、何が起きている? その好奇心が扉を開いた」


 次にカエサルは、マスクをしている人を指す。


「そういえば近年も、お前達が暮らす世界で疫病が蔓延したな。

 病院のベッドと、医者の数が足りなくなり、人々は自粛を迫られた。閉ざされた空間に一人押し込められた人間の暇つぶしの話し相手、不安に対する相談相手は、電話しても繋がらない人間ではなくなった。……人工知能に成り代わったんだよ。

 話したい時に会話できる。調べたいことをシームレスに教えてくれる。疫病が起こしたルネサンスと言えるのではないか?」


 そしてカエサルが一歩踏み出すと街は霧散した。あたりには、荒廃したローマ帝国が再び姿を現した。

 

「何が言いたいかわかるか。苦難の後にルネサンスは起きる。

 ……逆に言えば、それまでの価値観を覆すような困難でも起きない限り、ルネサンスは起きえないと言うことだ。

 お前達は、『ペストの後はルネサンス』と習うだろう。しかしこれがこの言葉の本当の意味だ。

 ……二人に一人が死ぬ世界線。お前は本当にそれに耐えられるか?」

 

 僕は、何も言い返せなかった……。


「残念ながら人間が未来を予測できるようになるには、しばらく時間がかかるだろう。ならば人間は、過去にしか答えを見つけられない。……お前の苦悩、お前の中の葛藤。それを解決したいなら、歴史に答えを求めるといい。

 いいか。未来は想像だが……過去は真実だ。お前が起こす『再生』の未来を、私は遠くの空から眺めるとしよう」


 そう言って、カエサルは砂埃の果てに歩いていき、その姿が溶けて行った。


 廃墟の真ん中に、僕とリードは取り残された。


「苦難の後に訪れるルネサンス……。僕にそんな大それた事が起こせるだろうか?」


 僕が呟くと、リードがかがみ込む。倒壊した石造りの建物の影に、花が咲いていた。


「ルネサンスは、起こすものではなくて、起きるものではないでしょうか? 無理をせず歩き続ければ、道端に咲いている花に気がつく事がある。そこからつながっていく再興もあるんじゃないですか?」


 リードの声はいつも通り呑気だった。確かに、この呑気さにいつも救われていることに今、気がついた。


「できますよ。私とライトさんなら」



 ……すると、あたりが真っ赤に染まる。

 どうやら、夕暮れのようだ。

 もうじき沈む太陽が、何もかもを真っ赤に照らしていた。


「ライトさん」


 リードが立ち上がって、僕と向かい合う。


「この先、どんなことがあっても私の事を、ずっと信じてくれますか?」


 僕の位置からだと、リードの表情は逆光で見えない。

 だからこそわかることがある。リードもただ呑気なわけじゃなくて……

 僕と冒険を続けていることに切実な意味を感じているんだろう。

 僕のことを、信じてくれているんだろう。

 だから、素直に答えた。


「うん。どんなことがあってもリードの事は信じる」


 すると、リードが飛びついてきた。


「わ!」


 リードの手が、僕の腰に回ってきた。


「へへへ……」


 ややあって、リードがまっすぐこちらを見つめてきた。

 か、顔が……近い。


 お互いの顔が、お互いのパーソナルスペースを破る距離にあり、そして真顔である。

 

 僕たちはしばらくお互いの顔を見つめ合い、そして…… ……


 …… ……


「まずいな日が暮れる」


「そうですね。休める場所を探しましょうか」


 僕たちが、廃墟から出ようと歩き出す。すると……

 倒壊した建物の影から、一本の矢が放たれた。


 そして、それが肉にぶつかる鈍い音が響く。


「あ?」


 と、隣でリードの声が一瞬聞こえたと思ったら、彼女の顔は既に僕の視界から外れており、足元を見れば、声の主が横たわっている。


 僕は、一瞬、何が起きたのか分からず、胸に矢が深く刺さったリードの姿を数秒間見つめるだけだった。


 ややあって、脳がようやく状況を飲み込んだ。


「リード!?」


 僕がリードに駆け寄ると……ローマだったはずの街に「ゴーン、ゴーン」という鐘の音が響く。

 彼女は苦しそうに目を閉じながらも、か細い呼吸を続けていた。


「リード!!」


 僕の呼びかけに、リードは応えない。

 気がつけば周りは崩壊したローマの代わりに、廃村を思わせる景色が広がっていた。

 誰もいない、薄暗い日本の村だ。


 見ればリードの胸の周りには、血ではなく黒い痣が広がっている。見覚えのある、黒い痣だった。奥の胸は膨らんだり萎んだりを頼りなく繰り返している。まだ息がある……。


「リード! リード!!…… ……誰か!!」


 どうやら、いつの間にか「ホラーの世界」にきていた。間違いはなさそうだ。


 僕は、廃村の真ん中で助けを求めている。

 リードを地に寝かせ、誰かに助けを求めた。


 * * * * *


 苦難は、過去から答えを導き出せ。

 今さっきユリウス・カエサルから言われた言葉だ。

 僕は廃村の中でどうしたらいいのか考えても、考えても、考えても浮かんでくるのは、リードの声と笑顔だった。


 こうなって初めて、リードの存在が一番身近に感じられた。


「誰か!! 助けてくれ!! 誰か!!」


 川の流れに逆らえずに、溺れゆく人間のように僕はただただ助けを求めた。

 必死に、神に祈った。


 すると、廃屋の一つの戸が開き、誰かが顔を覗かせた。


 糸目の日本人。男性だ。

 糸目なので表情が分かりづらい。

 僕はようやく顔を見せてくれた他者に、必死で縋りついた。


「助けてください! 仲間が矢を射られた!」


 僕が必死で訴えると、男性は頭をかいて……


「見せてごらん」


 と静かに言った。


 * * * * *


 僕がリードの元に男性を連れて行く頃には、日は傾いて暗くなりつつあった。

 それでも、リードの胸元の黒い痣がさっきより広まっているのがわかった。


 男性は、リードの胸元の矢をじっとみて……、


「これは、ただの矢じゃないね」


 と、淡々と言う。


「怨塊(おんかい)の矢だ。

 死霊に射抜かれたんだな。かわいそうに……」


「なんですか……怨塊とは」


「この村に住う悪霊のことさ。

 生きている人間を恨んで矢で射……、

 影の世界で寂しくないように自分の嫁にすると言う風習だよ。

 どのみちこのままでは死ぬ。死んだ後も成仏できず、影の世界に永遠に縛られるんだな」


「どうにか救えませんか!?」


「ただ傷を治すだけじゃダメだし、矢は人間の力では抜けない」


 すると男性はリードに手を合わせ、まじないを唱えた……。 


「怨塊様、怨塊様、鎮まり私の声に耳を傾けてくださりませ……」


 そして、リードの胸に広がる痣を指し……


「取り除くべきは怨塊の次のアザ……」


 そして再び手を合わせた。僕も彼を真似て、必死で手を合わせて祈る。


「さ、これで怨塊さまに言葉が通じたはずだから、

 あとは神社に行って、神様に『あるものを納めれば』矢は消えるだろう」


「何を、何を納めればいいんですか!?」


「落ち着きなさい。君の友達だろう? 自分で考えてごらん」


 あたりは容赦なく暗くなっていく。

 このままでは、リードが死んでしまう。

 彼女を救うには、神様に『あるものを納めないと』いけないらしい。


 でも……いったい何を!?


 * * * * *


 苦悩する僕に、男性は静かに語りかけた。

 

 彼女を救いたかったら、よく聞いてね。



 それを知るには、『言葉をあつめて歌を完成させないといけない』

 言葉は二十四話と二十六話。それぞれ、『君が十字架の上に立った後の、一行下』に書かれている。

 でも単に言葉を集めただけじゃダメだよ。

 一話戻って、男が呼ぶ名前の一つ。それは君が知ってる人物のはずだよ。その人物について、男はなんと言っていたかな?

 該当する話に戻って探してごらん

 そうすればおのずと、完成した歌の正体が見えてきて、『納めないとならないひらがな三文字』がわかるはずだよ。

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