【掌編】五通目の手紙

灰品|どんでん返し製作所

ずっと貴方を捜していました。

 アパートの郵便受けに、一通目の手紙が入っていた。

 白い封筒。差出人の記載はない。

 俺は、深く考えることもなく、封を切った。

 中には、封筒と同じ白色の便箋が入っていた。

 几帳面な筆跡で、こう書かれていた。


「ずっと貴方を捜していました。」


 俺は封筒を確かめた。

 宛名は間違っていない。


 手紙の続きには、こうあった。


「突然、ごめんなさい。ちゃんと届くか確かめたくて。前に、貴方がその家に入るのを見かけたんです。郵便受けから、郵便物を抜き取って、名前と住所を知りました。貴方の顔は知っているのですが、それ以外は何も知らなかったから。」


 流石に気味が悪い。

 一瞬でもトキメキを覚えたことを後悔した。

 ストーカーか、あるいは悪戯か。

 そんなことを考えていると、どこかで物音がした、ような気がした。


 二通目が届いたのは、三日後だった。


「一方的に手紙を送って、ごめんなさい。気味悪がられても仕方ありませんね。でも、貴方にそんな資格はないですよね? あんなことをして……。ずっと逃げているのですよね。でも、あんなことをしたからこそ、私は貴方に憧れているのです。」


 あんなこと?

 心当たりはない。そもそも、こんな手紙、真に受ける必要なんてない。

 だが、不快なざわめきが胸に残る。


 その夜、部屋の中に異臭が漂った。

 鼻にまとわりつく嫌な臭い。

 芳香剤を買いに行こうと思った。


 三通目。封筒を開ける手が震えた。


「貴方は、地獄のような日々を送っていた私を救ってくれた。私は、貴方の秘密を知っています。いいえ、脅すつもりはありません。通報なんてしません。ただ、お礼を伝えたいのです。会いに行っても、構いませんか? 会いに行きますね。我慢できない。」


 読んだ瞬間、心臓が跳ねた。

 会いに行く? ──冗談じゃない。

 眠れない夜が続いた。

 暗闇の中で、誰かの気配を感じる。

 気のせいに決まっている。そう自身に言い聞かせる。

 だが、何者かの吐息が近づいてくるような感覚から、逃れられない。


 ある日、買い物帰りに、アパートの前で視線を感じた。

 振り向くと、道の向こうに、小柄な女性が立っていた。

 大きなマスクと長い黒髪で、顔がほとんど隠れていた。

 けれど、確かに俺を見ていた。

 目が合った──そう思った刹那、女性の姿は煙のように消えた。


 四通目の手紙が届いた。

 明らかに、今までとは雰囲気の異なる内容だった。


「アナタは誰ですか? その家で何をしているのですか? あの人はどこへ行ったのですか? アナタは、私の憧れの人ではない。」


 手紙の送り主は、本当に来たのだ。

 恐ろしい、が、やはり人違いだったわけで、それに関しては安堵した。

 手紙の送り主の「憧れの人」とは、この部屋の前の住人のことだろうか?

 しかし、俺は二年以上も前からここに住んでいる。

 一通目の手紙が届いたのは、ほんの二週間くらい前のことだ。

 どうにも、腑に落ちないが……。

 いずれにしても、もう手紙は来ないだろう。


 ところが、五通目が届いた。

 真夜中、部屋の照明の下で、手紙に目を通す。


「私は確かに、あの人を見たのです。その家で。数週間前に。間違っていません。あの人はそこにいた。だから、私は勇気を出して、郵便受けを漁って、手紙を出したのです。

 アナタは、あの人に何かしたのですか? 私を救ってくれたあの人──私の家族を殺してくれた、あの人に。」


 何を言っている? 数週間前?

 意味が分からない。まともじゃない。やはり無視するべきだ。

 と、一笑に付してしまいたかったのだが……。

 手紙を持つ指が、独りでに震え始めた。

 冷たいものが背筋を這い上がってくる。

 手紙が届いた頃から、この部屋に漂い始めた数々の違和。

 物音、異臭、気配――。


 唐突に、視界が暗闇に包まれた。

 部屋の明かりが消えたのだ。


 誰かの声がした。

 堪え切れずに漏れ出る忍び笑いのようだった。


 俺は、恐る恐る、背後を振り返った。

 暗闇に慣れ始めた目に、ぼんやりと、人影が映った。


 誰かが俺を見下ろしていた。


 外に通じるドアと窓が開く音は、一切しなかった。

 つまり、前からこの部屋にいたのだ。

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