第19話 煌めくシャンデリアと、黒い求婚者

王宮の大広間。

数千のクリスタルが輝くシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑する声と、優雅な管弦楽の調べが響き渡る。

「星降る夜会」。

近隣諸国の要人が集まる、年に一度の社交界の頂点。

その会場の入り口が、一瞬にして静まり返った。

「……あれが、エルロード公爵家の聖女様か?」

「なんて美しい……」

「隣にいるのは? 例の『守護騎士』か?」

視線が集まる中、僕——カイト・シズクは、聖女アリア様をエスコートして会場に足を踏み入れた。

アリア様は、夜空のようなディープブルーのドレスを纏い、その美貌はシャンデリアの輝きすら霞むほどだった。

対する僕は、仕立ての良いタキシードを着せられているものの、中身はただの「平穏を愛する荷物持ち」だ。胃が痛い。

「カイト、顔が硬いわよ?」

アリア様が、組んだ腕にギュッと力を込めてくる。

「もっと堂々としていて。あなたは私の『最強の騎士』なんだから」

「(最強じゃないです……。あと、胸が当たってます、アリア様。柔らかいのが当たってます)」

周囲の視線は、アリア様への羨望と、僕への値踏み(そして嫉妬)が混じり合っている。

「あんな優男が、ゼノンを倒したのか?」

「ただのまぐれだろう」

「聖女様の情夫という噂も……」

(言いたい奴には言わせておけ。僕は今日一日、壁の花としてやり過ごすんだ)

そう決意した、その時だった。

「——道を開けろ」

会場の空気が、ピリリと凍りついた。

人垣が、まるでモーゼの海割れのように左右に分かれる。

その向こうから、軍靴の音を響かせて現れたのは、漆黒の軍服に身を包んだ男。

ガルド帝国第一皇子、レオハルト・フォン・ガルド。

燃えるような赤髪と、猛禽類のような鋭い目。

全身から、隠そうともしないA級上位……いや、S級に近い威圧感を放っている。

「……見つけたぞ、アリア」

レオハルトは、僕の存在など目に入っていないかのように、一直線にアリア様の前まで歩み寄った。

「レオハルト様……。お久しぶりです」

アリア様の笑顔が、能面のように固まる。声も震えている。

(……怖いんだ)

無理もない。この男の纏うオーラは、「支配」そのものだ。

「挨拶は不要だ。単刀直入に言おう」

レオハルトは、アリア様の目前まで顔を近づけ、獰猛に笑った。

「今宵のダンス、ファーストチークは俺がもらう。そして、そのまま帝国へ来い。お前を俺の『第13側室』に迎えてやる」

会場がざわめく。

求婚ですらない。命令であり、略奪の予告だ。

「……お断りします」

アリア様が、勇気を振り絞って拒絶する。

「私は、エルロード家の聖女。他国へ嫁ぐつもりはありません。それに……」

彼女は、すがるように僕の腕を抱きしめた。

「私には、心に決めた『騎士』がいます」

「騎士?」

レオハルトの視線が、初めて僕に向けられた。

ゴミを見るような目。

「ああ、噂の『無能』か。ゼノンとかいう小物を、運良く自滅させただけの道化(ピエロ)だろう?」

(……よくご存知で。その通りです)

「邪魔だ、失せろ」

レオハルトが、無造作に手を振った。

それだけで、衝撃波のような魔力の風圧が僕を襲う。

(無詠唱の【風圧(エア・プレッシャー)】か。挨拶代わりにしては殺意が高いな)

僕は、わざとらしく「うわっ!」と声を上げ、よろめいたフリをした。

だが、絶対にアリア様の腕は離さない。

「チッ。しぶとい虫ケラめ」

レオハルトが舌打ちをし、強引にアリア様の腕を掴もうとした。

「来い、アリア。口で言っても分からん女は、躾(しつけ)が必要だな」

その手が、アリア様の細い手首に触れようとした、その瞬間。

(【絶対時間(クロノ・ワールド)】起動)

(対象:レオハルトの右手。速度:音速の0.01%)

僕は、スローモーションの世界で思考する。

このままでは、アリア様が連れ去られる。

かといって、僕がレオハルトを殴り飛ばせば、国際問題&正体バレで終了だ。

(……なら、『事故』だ)

僕は、レオハルトの手とアリア様の手の間に、

「恐怖で足がもつれて、偶然倒れ込んだ」体で、自分の体を割り込ませた。

「——解除」

「ひぃぃっ! こ、怖いですぅぅ!」

僕は情けない悲鳴を上げながら、レオハルトの胸元に勢いよく頭突き(・・)をする形で突っ込んだ。

ドゴォッ!!

「ぐっ!?」

不意を突かれたレオハルトが、うめき声を上げて後退る。

僕の頭(S級硬度)が、彼の鳩尾(みぞおち)に「偶然」クリティカルヒットしたのだ。

「あ、あわわ! す、すみません! 殿下の覇気に腰が抜けてしまって、足が……!」

僕は、床に這いつくばりながら、必死に謝罪(演技)をした。

「き、貴様ぁ……!」

レオハルトが、脂汗をかきながら膝をつく。

(手加減したけど、肋骨にヒビくらいは入ったかな?)

「殿下!?」

「おい、貴様! 殿下に何をする!」

帝国の護衛たちが色めき立つ。

だが、先に動いたのはアリア様だった。

「おやめください!」

アリア様が、僕を庇うように前に立った。

「私の騎士は、殿下のあまりの気迫に恐れをなし、転んでしまっただけです! それを咎めるなど、帝国の器が知れますわ!」

(アリア様、ナイスフォロー! ……いや、僕を「腰抜け」扱いしてるけど、結果オーライ!)

「くっ……くくく」

レオハルトが、痛みをこらえて立ち上がり、低く笑った。

その目は、さっきよりも昏(くら)い、本物の殺意を宿していた。

「面白い……。転んだ拍子に、この俺に一撃を入れるとはな」

(バレたか!? いや、あくまで『事故』だと思っているはず……)

「いいだろう。アリア、その腰抜け騎士に免じて、今の無礼は不問にしてやる」

レオハルトは、軍服の埃を払うと、ニヤリと笑って会場の中央——ダンスフロアを指差した。

「だが、ただで済ますわけにはいかんな」

「……どういう意味ですか?」

「決着は、ダンスでつけよう」

レオハルトが宣言する。

「ファーストチーク。音楽が終わるまで、その『無能』がお前を完璧にエスコートし、踊りきることができれば、俺は潔く身を引こう」

「……!」

「だが、もし一度でもステップをミスしたり、お前の足を踏んだりしたら……」

レオハルトの目が、蛇のように僕を射抜く。

「その時は、その無能の四肢を切り落とし、アリア、お前を俺の国へ連れ帰る。……文句はないな?」

会場が静まり返る。

ダンスによる決闘。

貴族社会では珍しくないが、相手は「無能」と呼ばれる荷物持ち。

対するプレッシャーは、帝国皇子の殺気。

「カイト……」

アリア様が、不安げに僕を見つめる。

彼女は知っている。僕のダンスが、一週間の突貫工事であることを。

僕は、震える(フリをした)手で、アリア様の手を取った。

「……謹んで、お受けします」

断れば、ここで乱闘になる。

なら、踊るしかない。

地獄の特訓の成果と、S級スキル【最適化】の力を見せてやる。

「音楽を!」

レオハルトの号令と共に、オーケストラが壮大なワルツを奏で始めた。

僕の、そしてアリア様の、運命のダンスが始まった。

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